学園長と狂気
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「なにが起こっているんだ!?」
「地震か?」
「いや、それにしては揺れが大きすぎる!」
大爆発発生直後、経験したことのない音と振動にヴェレリア魔術学園の職員室は大混乱に陥っていた。
魔術学園の講師というとエリートが集まっていると思われがちだが(非魔術師達はそういう認識だ)、実際はそうではない。ほとんどのAランク魔術師は国軍や貴族の使役軍、または魔術研究者となるため、儲けの少ない講師になる者はごく一部しかいないのである。
この瞬間ある程度事態を把握していてのはただ一人、ランド・ミカルドだけであった。
「落ち着け!」
ランドは大声でそう叫びつつ、状況を分析する。
(魔術の衝突……。音からして炎と水か)
爆発の直前、ランドは大きな魔力反応を感じていた。推測が正しいなら地震よりも大ごとである可能性もあるが、冷静さを欠けばより状況を悪化させるだけだということをランドは理解していた。
ランドの声で騒がしかった職員室は僅かばかり冷静さを取り戻す。
「私が学園長と話をしてくる!」
ランドがそう言って扉に向かった時だった。
「が、学園長!?」
ランドが開けるよりも前にドアが開き、滅多に学園長室から出ることのないサダルが姿を見せる。
「皆静かにせい」
サダルの一言で、今度こそ職員たちは静まった。ただし、冷静ではない。先ほどの爆発に加え、目の前にサダルが現れたことも衝撃的だったのである。
「今のは地震ではない。炎属性と水属性の魔術のぶつかり合いじゃ」
「やはり……。今日は三年一組が山岳地帯踏破演習をしています。どちらか一方の魔術を使用したのはローズ・ノルザリアかと」
ランドはそう進言した。かなりの距離があるようだったが、感じた魔力は相当巨大なものだった。現在山にいる可能性があってそれだけの魔術を発動できる人物は、一人しか思い当たらない。だが、サダルは首を横に振った。
「いいや、今のはローズ君ではない。あれはアラン君の魔術じゃ」
「しかし学園長、彼は……っ」
「いつも言っておろう、ランド君。正真正銘、彼はAランク魔術師じゃ。昨日のローズ君との試合を見たじゃろう、あの狭い空間で偽物が一〇分も逃げられるほど、ローズ君は甘くない」
アランは紛れもないAランク魔術師だということを、ランドは何度も聞かされている。だがランドはどうしても納得出来なかった。それには最大の理由がある。
「ですが、彼からはほとんど魔力を感じません!」
ランドは確固たる意志を持ってサダルに言い放った。
魔術師が持つ魔力は、同じ魔術師には知覚出来る。感覚の鋭い者ならば数百メートル先の魔力も感知し、その量、方向や距離まで正確に把握出来る。
ランドは超人ではないが、Aランクの名に恥じないだけの感覚の持ち主ではある。同じ学園内で二年も過ごして、魔力保有量を見誤るなどあり得ないことだった、
しかし、サダルは厳しい表情のまま告げた。
「彼は……魔力を隠しておる」
あり得ない。そう思ったのはランドだけではなく、講師たちの総意であった。
魔力保有量を偽装すること自体は不可能ではない。だが、それは『ある程度』だ。魔力保有量の偽装は主に魔導技術の分野だが、たとえ魔導技術がAランクだとしても魔力保有量のランクを一つ分誤魔化すのがやっとといわれている。
講師達がアランから感じている魔力は最低ランクであるEランク相当。Aランク級の魔力を持っているなど信じられないのも無理はなかった。
「皆信じられないという顔じゃな。だが事実じゃ。彼は入学以来ずっと魔力を隠しておる。理由は分からんがな。とにかく、今はそんなことを言い合っている場合ではなかろう」
講師達は驚きが消えないながらも、サダルの言うことにはっとして現状を思い出す。アランについての話は打ち切りであった。
サダルは講師達と対応について話し合う。学園内の生徒達の混乱を鎮めるというのはもちろんだが、大きな問題は演習中の三年一組であった。魔術を発動したアランを含め、既に四、五グループは出発してしまっている時間である。自己判断で引き返しているだろうが、山の中には生徒以外の何者かがいるとみてまず間違いない。
交戦の危険性と魔力感知力を考慮し、ランドともう一人、Aランクの講師を山へ向かわせることにした。
「よし、じゃあ皆頼んだぞ」
頷く講師達を背に、サダルは職員室を後にする。学園長室には他人に見せられないものがいくつもあり、長くは部屋を開けることが出来なかった。
サダルは学園長室の前に立ち、扉を開けようとして―――ぴたり、と動きを止めた。
中に気配があるが、魔力は全く感じない。一瞬気のせいかと思ったものの、かたりと僅かな物音が耳に届き、勘違いではないと思い直した。
魔力を全身に巡らせ細心の注意を払って扉を開く。
そこには、一冊の本を手にした男がいた。
鼻の先まで見えないほどつばの広い帽子に、帽子と同じ黒のスーツ。男は窓際、学園長の椅子よりも奥に立っており、窓ガラスはちょうど鍵の周りだけきれいに割られている。男が窓を割って鍵を開けて侵入したのは一目瞭然であった。
「ウヒヒ、ようやく戻ってこられましたか、学園長様」
男は異様に大きな口を広げ、奇妙な声でサダルに語り掛ける。
「なかなかいらっしゃらないものですから、少しばかり読書をさせていただいておりました」
男が手にしているのは、表紙に何も書かれていない本。この学園長室にある、他人には見せられない本の中の一冊である。
男は本をパタンと音を立てて閉じ、顔を上げた。
「天下のサダル・マクリル様が黒魔術の研究をされているなんて……これが世間、いや学園内にだけでも知れ渡ったらと思うと……愉快で愉快でたまりませんなあ、ウヒヒヒヒヒ」
その本は、サダルの書いた黒魔術に関する本だった。
確かに男の言う通り、そのことが知られれば追及は免れないだろう。理由はどうあれ、サダル・マクリルという名に傷がつくのも確実。だが、サダルは至って冷静であった。
「なにが望みじゃ」
もし男の目的がサダルを陥れることだとしたら、こうして大きなリスクを負ってサダルと直接話す必要はない。なんらかの交渉があるからこそこうして対峙しているのだと考えたのだ。だが男は、さらに大きく口を開いて笑った。
「実は私はあなたに恨みがありましてねぇ……。いわばこれは復讐ですよ、復讐」
サダルは表情こそ崩さなかったが、全身に悪寒が走った。発言の意図だけではなく声色や表情からも、まるでこの男の思考が読み取れなかったからだ。
それでもサダルは力に訴えることはしなかった。男が手にしている本は、知られてはならないことではあってもやましいことではない。ここで事実を揉み消そうとすれば、それは自身の正当性を否定する行為であると、サダルには分かっていた。
サダルがなにもしないことを確認すると、男は満足そうに頷いた。
「うんうん、さすがに大魔術師サダル様です。この程度では攻撃してきませんねえ」
「おぬし、なにを考えておる。もしわしが魔術を使えば」
「魔術師ではない私は即死、ですね? ええ、知っています、知っていますよぅ」
サダルの言葉を遮り、男が言う。
二人の言葉通り、男は魔術師ではなかった。アランの例のように、魔力を隠蔽しようとしても完全に消し去ることは不可能に近い。こうして対峙しても魔力を感じていないということは、そういうことだ。
「だから面白いんじゃないですか」
男は声を張り上げる。両手を広げ興奮した様子で続けた。
「一瞬後には死んでいるかもしれないというスリル! 退屈な人生にこれほどいいスパイスはない! あなたもそう思いませんか、サダル様」
男がサダルを恐れないのは魔術的感覚がないからか、はたまたその狂気からか。男の異様さに、サダルの両こぶしに力が入る。
「ウヒヒ、まあそう構えないでください。なに、冗談ですよ冗談。この私、サダル様のことなどこれっぽっちも恨んではいませんよ、これっぽっちもね」
男はそう言って、持っていた本をサダルの足元に放り投げた。
「今のはただのゲームですよ。サダル様が私を殺したら、この学園がここにいる全員を巻き込んで跡形もなく燃え尽きる……。そういうゲームです」
「学園が燃え尽きるじゃと? おぬし、戯けたことを……」
「魔術防御壁のことなら、存じておりますよ?」
貴族だけでなく、魔術師は皆数少ない貴重な存在だ。そんな子供達が集まる学園が無防備であるはずがない。学園勤務の魔術師の警備員はもとより、貴族や一部の金持ちな家のボディガードが学園の内外を見張っており、侵入者への対応は相手が魔術師であっても十分可能。さらには外部からの魔術攻撃に備え、学園全体を覆う魔術防御壁が展開されている。いくら魔力量の多い魔術師であっても、それを破ることは不可能なはずであった。
だが男は自信に満ちた表情で告げた。
「最近は隣国との戦争が多いですからねぇ……、王国の魔術部隊が防御壁の魔力を補充しに来ていない、なんてこともあるかもしれませんねぇ」
サダルは動揺を見せなかった。だが、それこそが男の発言への肯定だった。
違うなら違うと否定すれいいだけ。サダルは動揺を全く表に出さず嘘をつくことは出来なかった。力では圧倒的に勝っているはずのサダルが、魔術師ですらない男に場を支配されてしまっていた。
「私には全く分からないことですが、その防御壁はよほど凄いらしい。弱まっていても並大抵の魔術では破壊できないとか。ですが、残念です。私達にはそんなもの、簡単に破れてしまうんですねぇ」
防御壁の詳細を知る者、学園の講師達が聞いたならばすぐに不可能だと言い返していたであろう。
魔術には一人ではなく、二人、三人で発動する、協同魔術がある。時間を掛けてお互いの魔力を混ぜ、全員の魔力を使って発動するものだ。
当然その分威力は高くなるが、発動までに時間が掛かるのと、四人以上になると魔力を混ぜる段階で魔力が暴走し、発動出来ないのが難点である。
なので、最高威力の魔術といえば、Aランク魔術師三人による魔術となるわけだが……、それでも学園の魔術防御壁は破れない。
防御壁は何十人もの王国軍の魔術師が注ぎ込んだ魔力によって展開されており、いくら魔力注入から時間が経っているとはいえ、そう簡単に破れるものではないのだ。
だが、サダルには、男の―――その裏にいる魔術組織の自信のありかに見当がついていた。
「おぬしら……、黒魔術に手を出しおったな。それも精神干渉系の魔術に……」
サダルが険しいものに変わる。一般には存在すら知られていない黒魔術。それがどれほど危険なものか、サダルはよく知っていた。
「防御壁を破れるというのは実は私も半信半疑でしてね、少し調べ物をさせてもらいましたよ。精神干渉の黒魔術で魔術師同士の精神を統一することにより通常三人までの協同魔術が四人以上で使用可能……ウヒヒヒヒ、素晴らしい。これで私もサダル様に遠慮なくお願いが出来る」
サダルは足元にある本を見る。これは黒魔術の中でも特に精神干渉についてサダルが調べたことを記述したものだ。学園長室に二〇〇以上の本がある中、サダルが学園長室を離れている間にこれを見つけたというのは驚異の手際だ。
男はその大きな口でにやりと笑い、そのお願いを語った。
「私達が欲しいのは、シャルル・サンドレア様でございます。彼女の身柄を私たちにお預けください。素直にお渡しいただけない場合は、一〇人による協同魔術がこの学園に飛んできますのでお気お付けくださいね?」
「な、一〇人じゃと……?」
ついにサダルは冷静ではいられなかった。サダルの予想では黒魔術を用いたところで協同魔術の発動は五人か六人が限界だったのだ。
一〇人ともなれば発動準備に何時間掛かるのか分からないが、威力はそれこそ防御壁を突破するだけでなく、学園の建物など跡形も残らないであろう。中にいる生徒や講師達は言わずもがなだ。
「もう魔術の準備は完了しています。制限時間はあと一時間と言ったところでしょうかねえ。あ、そうそう、もうお気付きだとは思いますが、私に危害を加えれば魔術が発動してしまいますから、なるべくお控えくださいね。私はスリルは好きですが、死ぬのは趣味ではありませんのでね、ウヒヒヒヒヒヒ」
サダルは頭を悩ませる。一〇人の協同魔術がもしハッタリではないのなら、それが発動されるのはどうしても避けなければならない。だが学園長として、それ以前に一人の人間としてシャルルを引き渡すことなど出来ない。
シャルルの家、サンドレア家はイリア国内でも屈指の富豪であるが、それだけではない。魔術研究に多額の出資をしており、国内にいくつか存在している貴族派閥の内の一つのトップでもあるのだ。男の所属する組織の目的は不明だが、シャルルを誘拐を目論むということは単に身代金を要求するだけのつもりではないのだろう。
サダルの苦悶の表情を楽しむように笑い、そして男は最後に告げた。
「シャルル様は制限時間内にお迎えに上がります。まあ、少し時間が掛かりそうですがねぇ。では私はこれで。またお会いしたいものですね、ウヒヒヒヒヒ」
男は一瞬だけ森に視線を送り、笑い声を残して窓から去っていった。
サダルは割れた窓ガラスをじっと睨みつけるようにしながら、森へと意識を集中する。
男は最後に森に視線を送った。感じる気配からしても、シャルルの迎えというのは現在森で戦闘を行っている二〇人近い魔術師達だと思われる。
一人一人の魔力量がかなり多い。並のAランク魔術師では敵わないだろう。
(やつらの狙いは……ノルザリアのお譲ちゃんかのう……)
事実として講師内で一番の実力とされているランドより、ローズの方が保有魔力量は断然多い。敵はローズが演習で学園から離れた時を狙い、先にローズを排除するつもりらしい。
演習ではグループごとの実力を揃えるために、ローズと組む生徒は基本的にCランク以下の生徒になりがちだ。確かにそれならばいかにローズといえど、二〇人の強者相手では破れていたかもしれない。
だが、とサダルはもう一つの生徒の魔力に焦点を当てる。今回はなぜか、ローズと共にもう一人のAランク魔術師が演習を行っていた。偽Aランクという汚名を被り、学園中から嫌われても本気で魔術を使うことのなかった生徒。
よほど遠くにいるのか、魔術を準備している一〇人の気配はどこにも感じられない。サダル自身では手の打ちようのない状況の中、サダルの瞳は死んではいなかった。
それどころか、サダルは自分の血が騒いでいるようにも感じられた。
(頼むぞ、アラン君。全ては君に掛かっているのかもしれん……)
読んでくださりありがとうございます。




