魔動技術の授業 Ⅱ
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キールは教科書を開くように生徒達に指示すると、チョークを手に取り円を描き始める。やがてそれは複雑で精緻な幾何学模様へと変わっていった。
それは紛れもなく魔術陣であった。曲線も直線も目で見て分かる歪みは一切なく、手書きとは思えない完成度に、生徒達がどよめく。キールは満足そうに頷くと、生徒達の方を振り返った。
「これは見ての通り魔術陣です。これはある初級魔術の魔術陣ですが、これがなんの魔術陣か分かる子はいますか?」
キールが教室全体を見回すが、生徒達は顔を伏せ、目を合わせようとしない。魔力に属性を与え、ある程度イメージを持ち魔術名を唱えれば発動は可能だし、その際魔術陣には色がつく。
そのため魔術を発動するだけなら魔術陣を覚える必要はない。魔術陣を見ただけで魔術名を答えられる生徒は、一人しかいなかった。
キールは少し残念そうだったが、数秒待ってからアイリスへと視線を向けた。
「すみませんアイリスさん、答えていただけますか?」
「炎属性の……『炎拳』でしょうか」
正解です、とキールが満足げに頷くと、教室の後方からチッという舌打ちの音が聞こえる。
音の発信源はダニエレであった。キールは困り顔でダニエレに視線を送るが、ダニエレは睨み返すのみで反省の色を全く見せない。
ダニエレの舌打ちの矛先であるアイリスは、なにも反応せずに前を向いていたが、横から肩を叩かれ声を掛けられる。
「ねえ、いいの?」
「なにがですか?」
アイリスは少しだけ視線を左に向け、小声で問いかけてきたレミナスに聞き返した。レミナスはなぜかむっとした様子を見せる。
「今のって、ちゃんと答えられたアイリスへの嫉妬でしょ? それで舌打ちなんて失礼じゃない?」
「ダニエレさんは貴族の方ですからね。キール先生も強くは出られないのだと思います」
「いや、先生のことじゃなくて、アイリスはいいのかって聞いてるんだけど」
「私ですか……」
ようやくレミナスの言いたいことを理解したアイリスはどう答えようか少し迷ったが、自分の中に全く怒りがないことを確かめてからレミナスの問いに答えた。
「レミ、魔術師にとって嫉妬されることは悪いことではないんですよ。嫉妬とは自分が劣っていると感じた時に現れる感情ですから、嫉妬されるということは、裏を返せば認められているということなのです」
「そうかもしれないけどさぁ……」
アイリス言葉に納得半分不服半分のレミナス。だがキールが説明を始めたため、二人とも授業に意識を戻した。
「ではどうしてこれが『炎拳』の魔術陣だと分かるのかを説明しましょう。まず、魔術の属性を全て挙げてみてください。……では、レミナスさん」
突然名前を呼ばれびくっとするレミナス。そわそわとしながらも、アイリスに頼ることなく答えていった。
「えーっと、炎、水、それから風と雷と土……、あと光ですっ」
つかえながら答えるレミナスに、他の生徒から厳しい視線が飛ぶ。アイリスが隣にいることとキールが笑顔で待っていてくれたことが救いだった。
「その通りです。では、今の六つの属性を思い浮かべながらこの魔術陣を見てください」
キールに言われ、生徒達は再び魔術陣へと視線を戻した。
魔術陣の外周は二重の円とそれに挟まれた見たことのない文字のようなもので構成されており、中心には正六角形。その周りに頂点を六つ有する星形の図形と、六等分するとほぼ対称な幾何学模様が描かれている。そしてそのうちの一つだけ、線が二重になっていた。
「気が付いた子もいるようですね。そう、この線が二重になっている部分が、炎属性を表しているのです。そこから右回りに光、風、水、土、雷と並んでいます。それを見分けられるようになるのは……残念ながら、この魔術陣を覚えるしかありません。魔術陣の外周にあるこの文字列は未だに解読出来ていないのです」
「キール先生、なんでそれが炎属性なのかは大体分かったんですけど……」
キールが申し訳なさそうに説明を続けていたが、生徒の中から声が上がる。キールは分かっているとばかりに大きく頷いた。
「どうしてそれが『炎拳』なのか、ですね?」
そして先ほどの魔術陣の横に、またもや魔術陣を描く。今度は先ほどよりも簡素なものだ。
「これが、魔術陣の基礎となる形だと言われています。ここに先ほどの属性情報、そして魔術が足されていくのですが……」
キールは一端そこで止めると、突然に右手を紅く染めた。生徒達から微かに悲鳴が上がる。
キールはそんな生徒達に微笑みかけ、直後に魔術を発動した。
「『炎拳』」
するとキールの手首の辺りに魔術陣が浮かび上がる。だが魔術はなかなか発動せず、数秒その状態が続いた。ようやく発動したかと思うと、通常の三分の一ほどの、キールの拳がちょうど収まる大きさの炎が右手に灯る。
「『炎拳』は、このように手に炎を灯すだけの最も単純な魔術です。よって、魔術陣に書き足される情報は炎属性の魔術の中では最も少ない。私が描いたこの魔術陣は、ほとんど原形のままですから、『炎拳』の魔術陣だ、と判断出来るのです」
言い終わるのと同時に、右手の炎を消す。生徒達はショーでも見ているかのようにキールの授業に見入っていた。
だが時が経つにつれ、生徒達は今見た光景の異常さに気付く。
「え……? 今、魔術陣だけ……?」
誰かがそんな呟きを漏らすと、周囲の同意と共に疑問の波が伝わっていった。キールが見せた魔術は、生徒達の魔術と大きな違いがあったのだ。
「今の私の魔術を見て疑問に思った子もいるでしょう。なぜ魔術名を唱えたタイミングではなく、遅れて魔術が発動したのか、と。それが今日の授業内容の柱になります」
生徒達は前のめりになって、真剣にキールの話を聞いている。それは、貴族であるシャルルやダニエレも同じであった。キールの見せた魔術は、まだ知識が浅く、それでいて好奇心の強い若い魔術師達にとって大いに興味をそそられるものであったらしい。その空気に乗れていないのは、二人の女子生徒―――アイリスとレミナスだけであった。
「ねえアイリス、キール先生がさっきから言ってるのって、どういうこと?」
アイリスの肩を叩き、例によって分からないことをアイリスに質問するレミナス。
対するアイリスはといえば、授業開始前にキールに認められたように魔導技術については正しく理解しているため、他の生徒のように好奇心が沸くことはない。アイリスは周囲に気を配りながら、小声でレミナスの問いに答えることにした。
「レミ、あなたが魔術を使うとき、どうやって魔術を発動しますか?」
「えーっと、まずなにかの属性の魔力を練って……、後は魔術の名前を言うだけだよね?」
なんでそんな当たり前のことを聞くのかと首を捻るレミナスに、アイリスは小さく頷く。
「はい、確かにそれで魔術は発動します。……ですが、実は魔術発動のプロセスはもう少し段階的に分けられているのです」
「どういうこと……?」
「実際に見たほうが分かりやすいと思いますよ」
ますます疑問を膨らませるレミナスだったが、アイリスは前を向くように目線を送るのみで答えはしなかった。
仕方なくキールの話を聞こうと前を向くと、キールはまたもや魔術を発動しようとしているようだった。
「皆さん、よく見ていてください。魔術を発動する際にまず初めにすることは、使いたい魔術の属性の魔力を練ることです。ここは、皆さんの知識と同じだと思います」
生徒達が頷くと、キールは右手に炎属性の魔力を練り始める。
「では、次の段階ではなにを行うでしょうか。……では、ダニエレ君」
「んなの、後は魔術名言って魔術が発動するだけじゃねぇか」
「ダニエレ君、それでは半分正解で半分間違いですよ」
ダニエレは不機嫌そうでありながらも話を聞く気はあるらしい。ダニエレも含め、クラス全員が注目する中、キールは右手の輝きを強めた。
「よく見ていてください。次の工程は、魔術名を唱え……、そして、属性を持った魔力で魔術陣を描くことです」
言い終わったキールが再び唱えると、先ほどと同じように腕に魔術陣が浮かび上がる。今度は何秒経っても魔術が発動することはなく、そのままの状態で静止した。
「このように、明確なイメージを持つことによって、魔術を発動することなく魔術陣を描くことが出来ます。集中を切らさなければ、このように話すことだって出来ますよ。あとは簡単です。この魔術陣に魔力を通すだけで、魔術は発動します」
キールがそう言うと、すぐに右手に変化が起きる。『炎拳』が発動し、炎に包まれたのだ。そして一瞬にして魔術陣は消え去っていた。
教室がざわざわと騒がしくなる。そんな生徒達にキールは解説を続けていた。
「ねえアイリス、どうしたの?」
そんな中、アイリスは教室の窓の外を見つめていた。
「いえ、今大きな魔力を感じた気がして……」
アイリスに言われてレミナスも教室の外に意識を向けるが、特になにも感じない。
「私には分からないけど……」
「そうですか……」
短い会話を終えレミナスが前へ視線を戻すと、質問タイムを終えたらしいキールが次の話を始めようとしていた。
「魔術陣を描く技術。これが魔導技術の半分と言えます。次は魔力の純度について――――」
その時だった。
『ドオオオオオオォォォォォォォンンンンンンンンンッ――――――――――』
鼓膜が破れそうなほどの爆発音。
爆音が内臓にまで衝撃を伝え、振動が校舎を大きく揺らす。生徒達は一瞬にしてパニックに陥った。
「皆さん落ち着いてください! まずは落下物から身を守って!」
キールが必死に大声で生徒に呼びかけるが、爆発音と生徒達の悲鳴で生徒の耳には届かない。
爆発音は一度であったが、振動と残響が消える気配はなかった。
「みなさんはここにいてください! 私は職員室に行きます!」
そう告げて、急いで教室を後にするキール。普段とは違いすぎるその様子に、クラスメイトは一層不安を募らせる。
それでも冷静さを残し机の下に避難しようとしていたレミナスは、隣にいるアイリスに声を掛けようとして、言葉を失った。
突然の緊急事態に全く動じた様子のないアイリス。彼女は一切その身を動かすことなく先ほどと変わらぬ様子でただ教室の外を見つめていた。
「兄さん……」
アイリスのその呟きは、なぜかレミナスの耳にはっきりと伝わり、頭から離れなかった。
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