女子高生幽霊・3
「いや、なんであんたがいるんスか」
「ん?」
ホームセンターの広い店内。
その一角に並べられた布団売り場の前で、橘平は隣を並んで歩く神代を半眼で睨みつけた。
およそ一時間ほど前。
日用品を買いに行くためヨイに留守番を頼み、よいまち荘の自室を一人で出た。
すると、何故か今この瞬間、隣には手ぶらの神代がいる。
「なんでって……長谷ちゃんが部屋出ていくん見えたから」
「だからって、付いて来ます?」
「暇やったし」
二◯五の部屋を出て階段を降りていると、何故か神代が一台の車の前で待っていて。
何故かそのまま彼の車に乗って街中のホームセンターまで来てしまっていた。
彼もホームセンターに用があるのか、とも思ったがそうではない。
ただ本当に暇で、オンボロアパートの薄い壁を伝って橘平が部屋を出るのに気づき、先回りしていたのだった。
「暇だからって人の買い物についてくる大家が何処にいますか」
「ここにおるやん」
「開き直った……」
神代はけらけらと笑いながら、橘平の押しているカートの中身を覗き込む。
そこにはまだ何も商品が入っていないが、一枚のメモが投げ込まれていた。
アパートからこのホームセンターにやって来るまでの神代の車の中で、せっせと思いつく限りの日用品を書き出したのだ。
「で、何買うん?」
「とりあえず布団とカーテン。あとは掃除道具と食器……必要なものを最低限」
「ほうほう。ちゃんと考えてるやん」
「一応、一人暮らしするんで」
「えらいやん」
「子供扱いしないでください」
そんな軽口を叩き合いながら、二人は布団コーナーの奥へと進む。
橘平はずらりと並んだ商品を前に、腕を組んで佇んだ。
「どれがいいんだ、これ」
辺り一帯には、視線の更に上まで積み上げられたマットレスで埋め尽くされている。
ベッドではなく布団で寝るつもりの橘平には、ここいら辺りの寝具は関係ない。だが、貧乏性が出て無意識の内に値札を見比べていた。
「おーい! 布団やったらこっちちゃうかー?」
少し離れた所から神代の声が聞こえてきて、橘平は慌ててカートを押してそこに向かう。
神代が手招きして誘導してきた所には、昔ながらの布団からキャラクターものまでの布団がずらりと並んでいた。
激安のものからそこそこ値段の張るものまで、似たような布団セットがいくつも並んでいて目移りする。
「神代さん、どれがいいと思います?」
「知らん」
あまりにも迷いなく即答され、橘平は口をあんぐりと開けて神代を睨みつけた。
「大家なのに?」
「大家やからって布団まで詳しいと思うなよ」
「いや、でも一人暮らしの先輩だし、こういうの詳しそうじゃないですか」
「そらまあ、入居者から色々相談は受けるからな。部屋のことなら大体分かるけど」
神代は敷布団を一枚引っ張り出すと、ポンポンと叩いて裏返した。
その仕草の意味を橘平には理解できないが、布団選びにおいてこれは大切なこと⋯らしい。
「ただな、布団は人によって好みが違いすぎるんよ。硬いのが好きな奴もおれば、柔らかいのが好きな奴もおる」
「……なるほど」
「だから、知らん」
「結局知らないんじゃないですか」
橘平が呆れたように呟くと、神代は「ははっ」と笑った。
手にしていた敷布団を元の場所に戻しながら、神代はなんてことのないように言う。
「まあまあ。自分で迷って選ぶんも一人暮らしの醍醐味や」
「うーん……」
なんだか釈然としないままも、橘平は再び布団の山に目を向けた。
神代の言う通り、世の中には硬さを気にする人が多くいるようで。
布団コーナーには、硬さによって種類分けがされていた。それ以外にも、薄さや色、値段まで細かくコーナー分けされている。
しかし、どうにも決めきれない。
値段、寝心地、耐久性。どれを最優先にすべきか分からないのだ。
(とは言え、布団に拘りとかないし⋯)
実家にいた頃には、いつの間にか自分の部屋にベッドが用意されていて、当たり前にそこに寝ていた。
今更硬さや薄さなど思い出せるはずもなく、端からそんなことを気にして寝ていない。
悩む橘平を見ていた神代が、ふっと悪ふざけの笑みを消した。
「長谷ちゃん」
「はい?」
「予算、どれくらいや?」
「え?」
「布団だけに使える金額」
「んー、そんなにないですね」
橘平は少し気まずそうにリュックから財布を取り出し、その中身を確認する。
実家を飛び出す時に入れていた分の金と、ここに来るまでに寄った銀行から引き出した分の金がざっと合わせて三万円ほど入っていた。
全財産ギリギリの金が、現在手元にあった。
とは言え、全てを使ってしまうと後々の食費や家賃に手が回らなくなる。
ここは慎重に選ばなければ。
「できるだけ安く抑えたいです。でも、買ってすぐせんべい布団になるようなのも困るし……」
「そやなー」
神代は少し考えると、隣の棚へすっと歩いていった。
「なら、こっちやな」
「え?」
「こっちのほうがええ」
神代が指差したのは、橘平が最初に見ていた最安値のものより、僅かに高い布団セットだった。
「こっちの方がいいんですか?」
「長く使うつもりならな。安さだけで選ぶと、すぐ腰痛めて買い直す羽目になる」
「……でも、ちょっと予算オーバーです」
「そのくらいなら、他を削ればええ」
神代はひょいと商品を持ち上げ、橘平のカートへ放り込んだ。
勝手に選んで入れやがって⋯と言えるほど橘平には余裕がない。
ここは人生でも一人暮らしでも先輩である神代に従うのが安全そうだ。
「一人暮らし始めたばっかりやろ。最初から全部完璧に揃える必要なんかないんよ」
「……はい」
「今日絶対必要なもんだけ買えばええ。あとは暮らしながら、ちょっとずつ増やしていったらええんやから」
さっきまでの適当な態度からは一転、何処か親身で温かい声だった。
その声に目の奥が熱くなって、橘平は誤魔化すように頭を下げる。
「ありがとうございます」
「礼はええって」
神代はまたいつもの飄々とした笑顔に戻り、ぽんと橘平の肩を叩いた。
「ほら、次カーテンやろ?」
「あ、はい」
橘平は布団セットによって重くなったカートを押して、カーテン売り場へと移動した。
しかし、案の定そこでも同じような問題にぶち当たる。
「で、カーテンのサイズは?」
「……分かんないです」
「…………」
「なんですか、その目は」
「長谷ちゃん」
「はい」
「ほんまに一人暮らし大丈夫か?」
「……たぶん」
「不安しかないわ」
「うるさいなぁ!」
思わず声を荒らげた橘平に、神代が楽しそうに爆笑する。
それから二人でスマホのメモ(神代が部屋のサイズを覚えていた)を確認しながら、カーテンを選んでいった。
「この色なら部屋に合うんちゃう?」
「……こっちの柄の方が安いですよ」
「値段だけで選んだらあかん。毎日目に入るもんやぞ」
「でも……」
「長谷ちゃん」
神代が指を一本立て、橘平の眼前に突き立てた。
前髪の向こう側の目には、真剣さが宿っていた。その目を見た橘平はゴクリと固唾を呑む。
「自分が気に入ったもんを一個くらい買ってええんよ。その方が部屋に愛着湧くから」
橘平はしばらく並んだ布地を見つめ、静かに指を指した。
「……じゃあ、これで」
「お、ええセンスやん」
カートの中には、布団とカーテン。
そして最低限の日用品。
決して豪華ではないし、どれも庶民的な品ばかりだ。
それでも――橘平にとっては、生まれて初めて自分で選んだ「自分の城のもの」だった。
「……なんか」
「ん?」
「一人暮らしするんだなって、ちょっと実感してきました」
「そらよかった」
神代はそう言って、何でもないことのように目を細めた。
右目を長い前髪で隠して、背丈は橘平よりも少し低くて、見た目年齢と仕草や言動が一致していない不思議な人。
しかし、悪い人ではない気がしていた。
「まあ、困ったらいつでも聞きに来いや」
「……大家さんですもんね」
「そうそう。ボク、これでも大家やからな」
「最初からそうやって頼もしくしてくださいよ」
「ははは!」
二人の笑い声が、広いホームセンターの天井に明るく響き渡る。
その後も、二人は店内を歩き回った。
布団とカーテンが決まれば、次は日用生活用品だ。
「歯ブラシは?」
「……持ってきてないです」
「シャンプーは?」
「無いです」
「ボディソープ」
「無いです」
「タオル」
「……実家に置いてきました」
「長谷ちゃん、よくそれで一人暮らし始めよう思たな」
「仕方なかったんですよ⋯勢いで家出てきちゃったんで」
歯ブラシに歯磨き粉、シャンプーにボディソープ。食器や箸、コップに洗剤、ゴミ袋。
さらに掃除用の雑巾やスポンジなど、必要そうなものを一つずつカートへ放り込んでいく。
最初こそ何も考えず商品を選んでいた橘平だったが、カートが埋まるにつれて、次第にその顔から余裕が消えていった。
「あわわわ」
「どうしたん?」
「いや……」
橘平はカートの中身を見下ろし、全身から血の気が引いていくのを感じた。
「一個一個は、そこまで高くないじゃないですか」
「まあな」
「でも……」
布団。カーテン。枕やシーツ。食器。洗剤。掃除用品。その他諸々。
底が見えなくなったカートを覗き込んで、橘平の胃がキリキリと痛む。
初めの布団やカーテンは一つが高額であるから仕方ない面はある。しかし、そこから増えていった食器やら洗剤やらは、一つ一つが安い分量が多い。
結果的に金額は⋯⋯考えたくなくなってしまう。
「こうやってまとめて並べると、結構な量になりますね……」
「そら、ゼロから一人暮らし始めるんやからな」
橘平はポケットの上から、財布の感触をそっと確かめた。
銀行で下ろしてきた三万円。
それに、家を飛び出した時から持っていた三千円。
合計、三万三千円。
その決して多くはない数字が、今まさに目の前でガリガリと削られようとしている。
「頑張れ、長谷ちゃん」
「他人事みたいに言わないでくださいよ」
「他人事やもん」
「大家でしょうが!」
そんな軽口を叩き合いながら、レジの前で最後に必要なものを確認する。
カゴの中の商品とメモに書いたものを一つずつ確認していき、ようやく一息吐いた。
「これで全部かな」
「まあ、足りんかったらまた買いに来たらええんちゃう」
「……金があればですけど」
「それは知らん」
「あんたって人はほんとに……」
結局、橘平はカートの中身を削る勇気も出ないまま、覚悟を決めてレジへと進んだ。
そして――。
「いらっしゃいませー」
店員の手によって、テンポよく商品が読み取られていく。
ピッ。
ピッ。
ピッ。
「…………」
橘平は無言でレジの液晶画面を見つめていた。
表示される金額が、勢いよく跳ね上がっていく。そして最後の商品が読み取られたところで――。
「お会計、一万八千七百二十円になります」
折りたたみ財布を開く橘平の動きがピタリと止まった。
「……一万……八千……」
「七百二十円やな」
横から財布の中を覗き込んだ神代が、ケラケラと笑いながら現実を突きつけてくる。
ガクガクと身体を震わせながら、ゆっくりと財布の中入っている紙幣へと視線を落とした。
一枚、二枚、三枚。
そこから青ざめた顔で一万円札と千円札を取り出していく。
セルフレジに必要な金額を投入すると、手元に残る金額を頭の中で計算して――。
「…………一万四千二百八十円」
「ん?」
「残り、一万四千二百八十円……」
「せやな」
橘平の顔からは、みるみる内に生気が抜けていった。
あれだけあった札が、長年使わずに貯めてきた雀の涙ほどのお小遣いが⋯⋯。
「俺、今日だけで二万円近く飛ばしたんですか⋯⋯?」
「まあ、そういうことになるな」
「―――!」
「でも、全部必要なもん買ったんやろ?」
「そうですけどっ!」
橘平は軽くなった財布を呆然と見つめ、深く深く溜息を吐いた。




