オンボロアパート・4
「んで、実際にやって来たはいいものの」
采地のバイクから降りた橘平は、ヘルメットを外しながら思わず絶句した。
「本当に、ここで合ってんのか?」
「⋯⋯合ってない方が嬉しいかも」
バイクに跨ったままの采地が困惑しながら呟く。
橘平は背後からのその呟きに答えながら、店主に渡された地図と目の前の建物を見比べた。
目の前にそびえていたのは、明らかに手入れの行き届いていないオンボロアパート。
「ちょ、ちょっと不動産屋に連絡するっ!」
「お、おう⋯⋯そうした方が良い、絶対」
これなら采地の家にずっとお世話になっている方が何倍もマシかもしれない。
そんな迷惑極まりない想いを抱きながら、名刺に書かれている電話番号を打ち込む。
『⋯⋯はいはい、何のご要件でしょうかー』
「て、ててて店主さん!? 昨日言っていた物件、本当に合ってます!?」
『あー⋯⋯?』
間の抜けた店主の声が聞こえたかと思えば、しばしの沈黙が流れる。
「店主さん!!!!!?????」
『あー、悪い悪い。なんだっけ、お前今、昨日教えた物件のとこいんのか?』
「いるも何も、なんかものすんごく不気味なアパートに着いたんですけど! あの地図間違ってないですか!?」
『いやぁー、合ってるはずなんだが。アパートの名前、なんて書いてある?』
思わず采地と顔を見合わせ、鉄柵にもはや引っ掛かっていると言った方が良いボロボロの看板に目を向ける。
そこに書かれていたのは、「よいまち荘」という掠れた文字だった。
「よ、よいまち? 荘って書いてますけど⋯」
『おう。合ってる合ってる。そこで合ってるよ。家主には話し通してあるから、好きに部屋入って大丈夫だからー』
「はい!?」
できれば冗談であってほしいんですが⋯⋯。
橘平の訴えも虚しく、店主曰く、これから橘平の城となり得るのは、目の前のオンボロアパートであった。
バイクから降りてきた采地が橘平の肩を叩く。その表情は、貼り付けた笑みに染まっている。
「ファイト。橘平」
「さっちん⋯やっぱ居候させてもらってもいいかな?」
「あーっと、俺バイトあるんだったわー。んじゃあ、後は頑張れよー」
「さっちんーーーーーーーー!!!!」
ブロロロという音と共に采地の姿が遠く彼方へと消えていく。
たった一人取り残された橘平は、駐車場の真ん中で絶望した。
『あと、言い忘れてたんだけどよ』
「な、何スか⋯⋯」
二階に上がるための階段ももちろん古い。登る度にギシギシと軋んで、いつか底が抜けるんじゃないかと背筋が凍る。
渡された鍵番号は二◯五。二階には部屋が四つしか無いのに二◯四を飛ばしている辺り、やはり何かありそうだ。
部屋の前に立った橘平は、鍵穴に鍵を差し込んだ。
『えーっとな、その部屋なんだがー』
「もったいぶらず言ってくださいよ」
クセがあるんでしょう。
事前に聞いているから、今更言われたって特に驚きもしない。
『幽霊、住んじゃってるんだよなぁ』
「⋯⋯はあ?」
ブチッ⋯⋯ツーツーツー⋯⋯⋯。
「あんのジジィぃぃぃいいいい!!!」
言うだけ言って逃げやがった!
良い年した大人が責任逃れとは、とんでもない不動産屋に転がり込んでしまったらしい。
しかし、一体どうしたものか。
鍵を鍵穴に差したまま、橘平は通話の切れたスマートフォンを力なく降ろした。
「いや、マジで言ってる⋯⋯?」
築年数五十年以上。細かい年数が分かっていなかったり、半世紀以上もある時点で察する部分はあったが。
だからといって、「幽霊が住み着いてる」というのは何処のファンタジーだ?
あんなことを聞いてから、鍵を回すことすら躊躇してしまっているのだが。
と言うか、この辺り一切人通りがないのだが。隣の部屋からの生活臭も何も感じられないのだが。
「⋯⋯ええいっ!!」
こんな所で立ち止まっているわけにもいかない。
まだここに入居すると決めたわけではないのだ。少し内見して、気に入らなかったらまた次を探そう。
「幽霊がなんぼのもんじゃい!!!」
ガチャッと建付けの悪い扉を開けて中に入ると、思っていたよりもスッキリとした部屋が待っていた。
家具は無い。恐らく前の入居者のものであろう家電が必要最低限残っている。
(案外、普通だな⋯⋯)
靴を脱いで一歩部屋に踏み入れると、ギシッと床板が軋んだ。だが、それも劣化している割に深く沈むわけでもない。
心做しか空気が肌寒いが、それも日当たりが悪いからと言えば納得できる。
入ってすぐの右手には台所があり、ダイニングテーブルと椅子が二つ。いつから放置されているのか分からないゴミが散乱しているから、入居するなら掃除が必要だ。
そして一番重要なリビング⋯広間という方が良いかもしれない部屋へと踏み入れる。
色褪せた畳が敷き詰められた少し狭い空間。五・五畳ほどだろうか、狭くはあるが生活ができないほどではない。
「悪くないな。ここなら普通に暮らしていけそう」
畳の上にリュックを置いて、辺りを見渡してみる。
むしろ拍子抜けするくらい普通だ。曰く付きアパートの割に、御札が貼られていたり塩が盛られていたり⋯オカルトチックな様子は見られない。
「⋯あと見てないとことしたら⋯⋯」
玄関からここまででこれと言った怪しい部分はない。ないのだが。
(なんか、感じるんだよなぁ⋯⋯)
今橘平が立っている真後ろには押し入れがある。
さっきから何かに見られている気がするのだ。特に、その襖の向こうから。
「き、気のせいだ⋯絶対そうだ⋯⋯」
そう自身に言い聞かせながら、橘平は一歩一歩押し入れへと近づいた。
黒い取っ手に手を掛けると、深く息を吸って一気に開ける。
長らく飛び込められていた湿った空気が流れ出てきたが、特に中は空っぽで普通。
「なんだ、別に普通じゃん。やっぱ気のせいだっ――」
無意識に視線が押し入れの天井へと吸い込まれる。
何故か外れた天井の板。そこから――⋯⋯。
「⋯⋯⋯う?」
天井裏からひょっこりと顔を出す、少女が⋯⋯いる。
『───…!!!!!』
目が、合った。目が合ってしまった。
橘平も目の前の存在も互いに声とも言えない悲鳴を上げ、その場に硬直した。
状況を理解するまでに、さらに数秒を要する。
そして───。
「…………ぎゃあああああああああああああっ!!!!」
「……っ!?」
橘平は悲鳴を上げながら思いっきり後退る。床に置いていたリュックに躓いて、そのまま後ろに転んだ。
そんな橘平の勢いに驚いた少女も、
「うっ……!」
びくん、と肩を跳ねさせた。
「出たぁぁぁぁぁっ!!」
橘平は尻餅をついたまま、必死に後ろへ下がる。
その間も押し入れの中は丸見えで、天井裏から顔を覗かせていた少女もまた後ずさった。
「ちょ、待っ……!」
───ガンッ!
「う……っ!」
頭をぶつけたらしい。
衝撃で天井裏から落ちてきた少女は、押し入れの上から頭を押さえて涙目で橘平を睨みつけた。
「…………」
「…………」
押し入れを隔てて再び目が合う。
長い沈黙の後、そこでようやく橘平は気づいた。
この少女、身体が――透けている。
「…………幽霊?」
「…………」
少女は何も答えず、ただ警戒するように橘平を見つめている。
「いや……待て待て待て」
橘平は震える手で自分の頬をつねった。
「いってぇ───っ!」
しっかり痛い。と、言うことは夢ではない?
襖を一度閉じた少女⋯幽霊は少し開けた隙間から橘平をまた睨み付けた。
「…………マジかよ」
思わず呟くと、少女の身体がびくりと震えた。
「……う」
小さな声は、言葉というよりも警戒する小動物が漏らすような声だった。
もはや声として処理してしまって良いのかも分からない。
ノイズ混じりで到底人が発する声とは似ても似つかない音だ。幽霊であるなら人間と比べるのもおかしな話だが。
「あーっと、俺別に何もしないよー」
「…………」
「本当に、何もしないからー」
畳の上に四つん這いになって少し近づくと、少女は涙目で押し入れの奥に引っ込んだ。
「……っ」
橘平はどうすればいいのか分からず、取り敢えず警戒を解こうと押し入れの襖を開けた。
少女は押し入れの隅っこで、頭を抱えて身体を震わせている。
自分以上に怯えている姿を見て、橘平は少しばかり罪悪感を感じながらも押し入れの中を覗いた。
「おーい」
「う……!」
そっと声を掛けると、少女はより怯えて壁に身体の半分をめり込ませた。
「ごめん。近づかない方がいい?」
キョロキョロと辺りを見渡した少女は、橘平の問に小さく頷く。
その仕草を見て、橘平は小さく笑みを落とすと、
「分かった」
と答えて押し入れの襖を閉じた。
畳の真ん中に座り込んで、少女自身から出てくる時を待つ。
「⋯うぅ⋯⋯」
あまりにも静かに待っていたからか、少女が恐る恐る襖を開けた。
目が合うが、橘平は一歩も動かない。ただ微笑みを浮かべて、向こうが近づいてくるのを待つ。
(⋯⋯いや、バリ怖いんすけど)
人ならざる存在が目の前にいる。怖すぎて、むしろ逃げ出せないくらい腰が抜けていた。
逃げ出せない橘平と、押し入れから出ようとしない少女の目が合い、奇妙な沈黙が流れる。
大学進学を目前に控えた十八歳。
今日から始まるはずだった、新しい一人暮らしの初日に出会ったのは──まさかの女子高生の幽霊だった。




