幕間 助けて幼馴染
朝飯を終えると、橘平は昨日買ったばかりのノートを畳の上へ大きく広げた。
白い紙面には、ヨイについて分かっている数少ない情報が黒いペンで書き込まれている。
名前――不明(ヨイと名付けた)。
恐らく、女子高校生。
二〇五号室に憑いている幽霊。
自分が死んだ理由も、ここに居座り続けている理由も覚えていない。
確定しているのは、この部屋の敷地から外へ出られないこと。
そして――この場所に強い未練を残していることだけだ。
「……さて」
橘平はシャープペンをカチリと押し、握り直した。
「未練を探すって言っても、宛もなく探すんじゃ何も始まらないからな」
「う」
「だから、まずは彼女の身元につながる手がかりの特定からだ」
正面に座るヨイが、理解したようにこくこくと真面目な顔で頷く。
「昨日も言ったけど、一番分かりやすいのはやっぱりその着ている制服だな」
「……う」
言われて、ヨイは自分の胸元へと視線を落とした。
何処か色褪せた紺色のセーラー服。橘平が高校時代に見慣れてきた最近のブレザーや現代的なデザインとは、襟のラインや生地の質感が明らかに異なっていた。
「何処の学校のものか判明すれば、ヨイがいつ頃そこに通っていたのか、年代も絞り込めるかもしれない」
「う!」
「問題はだな……」
橘平はポケットからスマートフォンを取り出し、ブラウザアプリを立ち上げた。
「俺自身、女子の制服の歴史なんて何一つ知識がないってことだ」
画面上の検索窓に、思いつく限りの単語を打ち込んでいく。
『セーラー服 昔 デザイン 学校』
だが、検索結果にずらりと並ぶのは、現行の制服カタログやコスプレ用の通販サイト、あるいはアニメの衣装画像ばかりだった。
「……駄目だ。これじゃいくらスクロールしても埒が明かない」
早々に自力での検索を諦め、スマートフォンを畳の上に伏せた。
「こういう専門的な知識は、自分一人で悩むより詳しい奴に聞いた方が断然早い」
「う?」
「いるんだよ。一人だけ、ピッタリな奴が」
橘平の頭の中に、ある人物の顔が思い浮かんだ。
数日前、不合格を知って家を飛び出した時に偶然自分を見つけてくれた幼馴染。そして何より――。
「服飾の専門学校に通ってる奴」
得意げに笑う橘平を見て、ヨイは目をパチクリと瞬かせた。
「さっちんなら、服のデザインの歴史や制服の変遷にも多少は詳しいはずだ」
橘平は再びスマートフォンを拾い上げ、メッセージアプリを開いた。
しかし、目的の連絡先を開いた画面で、ぴたりと指の動きが止まる。
「……待てよ。そもそもどうやって説明すればいいんだ?」
「う?」
「『俺の部屋にいる幽霊の女子高生が着てる制服を調べてほしい』なんて、口が裂けても送れるわけないだろ」
今更気づいたのか。
と、ヨイから軽蔑の視線を向けられる。
「送信した瞬間に、精神科病院の予約を入れられるか警察呼ばれるかだな⋯こりゃ」
ヨイが不満そうに、ふにゅっと頬を膨らませて橘平を睨みつけてきた。
「いや、ヨイが怪しいって言ってるわけじゃないからな!?」
「う……」
「だからその不服そうな顔はやめろって」
橘平は苦笑しながら頭を掻き、メッセージの文面を練り直す。
『昔の学校の制服デザインについて、ちょっと調べたいことがあるんだけど詳しい資料とか知らないか?』
――当たり障りのない理由をつけておけば、怪しまれずに情報を引き出せるはずだ。
「……よし、これで送ってみるか」
橘平は親指で送信ボタンを軽やかにタップした。
画面上のメッセージが『送信済み』に変わる。
これが――止まっていたヨイの止まった時間を動かし、彼女の失われた過去へと繋がっていくための、確かな最初の一歩となった。
メッセージを送ってから、十分ほど経った頃だった。
畳の上に置いていたスマートフォンが、突然ブブブと激しく振動を始めた。
「うおっ」
思わず声を上げ、画面を覗き込む。ディスプレイに表示された名前は――さっちん。
「……反応、早っ」
橘平は一瞬だけ躊躇したものの、意を決して通話ボタンをスワイプし、耳に当てた。
「もしもし?」
『お前、何聞いてんだよ!?』
「うるさっ!」
開口一番、耳をつんざくような大声がスピーカーから飛び出してきた。橘平は思わず顔を背け、スマートフォンを耳から遠ざける。
『なんだよ急に! 「昔の女子高生の制服について教えてくれ」ってメッセージ!』
「いや、だから……」
『しかもセーラー服って何!? 何処の学校かも分からないけど調べてくれって、あまりにも手がかりが少なすぎるだろ!』
「……まあ、そこを何とか頼む」
『何とかじゃねぇよ! こちとら課題で忙しいってのに!』
電話越しに、采地が頭を抱えている姿が容易に目に浮かぶような、盛大な溜息が聞こえてきた。
橘平はちらりと横を見る。ヨイは畳の上にちょこんと綺麗に正座したまま、興味深そうに目を丸くしてこちらの遣り取りを見つめていた。
「……本当頼むって。こういう服のことに詳しいの、さっちんしか頼れる奴がいないんだよ」
『はぁ……まったく……』
しばらくの沈黙のあと、呆れ果てたような、けれど断りきれない声が返ってきた。
『……分かったよ』
「マジで!?」
『一応こっちでも昔の制服図鑑とか探してみるし、服飾史に詳しい専門学校の知り合いにも話を聞いてみるわ』
「助かる!」
『ただし、見つかる保証は全然ないからな? あと今度会った時、なんでそんなもん調べてるのか根掘り葉掘り説明しろよ』
「……善処します」
『絶対説明する気ないだろ、お前!』
あまりにも図星だった。
とは言え、幽霊の制服について調べていたなど言えるはずもないし、これはどうにか誤魔化さなければ。
取り敢えず、今は用件を言うだけ言って逃げるが勝ちだろう!
「じゃ、よろしく!」
『おい、ちょっ――』
ブツッ。
橘平はこれ以上の追及から逃れるように、大慌てで通話終了ボタンをタップした。
「…………」
部屋に静寂が戻る。そして――。
「よっしゃ!」
橘平はグッと拳を握り締め、満面の笑みで隣にいるヨイに向き直る。
半ば強引ではあったが、一先ず未練探しが進みそうだ。
「う!」
喜ぶ橘平を見て、ヨイも嬉しそうに両手をポンと高く上げる。
「これで未練探しの第一歩だな!」
「うー!」
二人で顔を見合わせ、揃ってガッツポーズを作った、その時だった。
――ドンッ!!
「うわあああ!」
「ぴぃっ!」
隣の部屋の壁から、心臓を直接叩かれたような凄まじい衝撃音が響き渡った。
「……え?」
橘平の歓喜の動きが、完全に固まる。
――ドンッ! ガンッ!!
続けざまに、硬くて重い何かが壁へ叩きつけられるような連続音。続いて――。
――ガタンッ!!
部屋越しでもはっきりと分かるほど、大きな家具が倒れたような激しい音が響いた。
「な、なんだ⋯⋯?」
ヨイの無邪気な笑顔が瞬時に消え、不安そうに眉を寄せる。
橘平もゴクリと生唾を飲み込みながら、ゆっくりと音がした隣の壁へ視線を向けた。
「何の音だよ、これ」
耳を澄ますと、しばらくして――。
――ドンッ!!!!!!!!!
「うおっ!?」
今度は部屋の床全体が僅かに震えるほどの衝撃だった。橘平は思わず身を乗り出す。
「隣って、誰か住んでたのか?」
入居してから、一度も人の気配すら感じなかった部屋だ。それどころか――この音は、まるで誰かが部屋の中で大暴れしているかのような異様な響きだった。
ヨイが恐る恐る橘平の服の裾をキュッと掴むような仕草をして、不安げに見上げてくる。
橘平はそんなヨイの視線を受け止め、引き攣った笑いを浮かべた。
「まさか⋯⋯」
自分を安心させるように、ぽつりと呟く。
「隣の部屋にも、幽霊がいる……なんてこと、ないよな?」
――ドンッ!!
「…………っ」
「…………うっ」
二人は息を飲み込んだまま、同時に隣の壁を穴が開くほど見つめ返した。
こうして、橘平の新生活に、また一つ――予想もつかない奇妙な波乱が転がり込んできたのだった。




