02 溢れ出す黒
王宮の大きな一室。その片隅にいるのはユリアーナとエリアス。そして大きな百足である。
「吸われているわ」
「ええ、そのようですね。魔石もすぐになくなって」
「かわいい」
「かわいいかどうかは分かりませんが、なかなかに勇ましいものだとは理解しました」
「かわいさと勇ましさの両立だなんて素晴らしいわ」
百足は長い体を出来る限り小さくしようととぐろを巻き、隅に縮こまっている。
大きな体だ、邪魔にならないようにだろう。だが、見ようによってはそばにいる二人から距離をとろうとしているようにも見えなくはなかった。
そんな百足の様子なんてつゆ知らず、ユリアーナは自分の右手を百足の口に突っ込むように押し付け、隣にいるエリアスは止めるどころかペンと紙を手に記録し続けている。
ユリアーナはもう片方の手を頬に当て、薄らと紅に染める。それを横目にエリアスは眉を潜めた。
「しかし、彼をどうするか……ですが……」
エリアスが頭を悩ませるのは百足の処遇である。保護されるべき存在だ。この場にいないフェルドだって、事情を知れば手厚く保護してくれるだろう。
だが、である。
ユリアーナがここまで愛でているのだ。であるならば、連れて帰ってやりたいと思うのが甲斐性というもの。後はいろいろと観察をしたい。
エリアスはどうやって国へ連れていけるかと小さく唸る。
「見て、とてもかわいいわ」
「かわいいだけでは難しいのですよ」
「か、かっこいいもの」
「何にせよ、危険でないことは重要です。それと、彼が移動しても問題ないのかということも……」
「ウーロは平気そうよ」
「確かに。であれば、後は体の大きさを調整出来るかどうか……」
エリアスはユリアーナの恍惚とした表情を前に、口元を緩める。それを誤魔化すようにすぐに眼鏡の縁を押し上げ、さらに戦略を練り始めた。
伊織は部屋の隅にいる二人と百足がいる方へ揺れる黄金を瞳を向けていた。
ぼそぼそとした声だけが聞こえてくるだけで、何を話しておるのかは不明だった。傍らにいるウーロが大人しくしているから、きっと百足にはひどいことはしていないだろうと思った。
何よりも虫が好きなユリアーナがいるのだから。
そうしてぼんやりと聞こえる方へ顔を向けていると、肩に手が触れた。いつもの優しい手、クレアの手だ。
「伊織様、目の調子はどうだい?」
と、思ったらヘルガの声が聞こえてきた。
伊織は一瞬混乱し、大きく首を傾げるとヘルガが小さく笑う音が聞こえてきた。
「その手は侍女殿の手だよ」
なるほど、それぞれ違っていたのだと伊織は理解した。そしてヘルガの先程の問いに答えた。
「大丈夫、痛くないよ」
「……見えては」
「見ようと思えば、だけど……」
「無理に見ないでくれると嬉しいねぇ」
困ったようなヘルガの声。伊織は黄金の瞳を下に向ける。
薄らと、そこに誰かいるのだけは分かる。けどそれ以外には何も見えなくなった。一時的なものだとヨカゼは言ってくれた。だから大丈夫だと伊織はいつものように笑って見せた。
そうじゃないと、周囲の僅かな光が今にも消えてしまいそうだったから。
目の前のぼんやりとした光が動いた。
「……その子……、ウーロだったかね。ずいぶんと苦しそうだけども」
「たくさん、悪いの食べちゃったから。それにたぶん、抑えているんだと思う」
「抑えている?」
「うん。えっと、我慢している?」
伊織は傍らに寄り添ってくれいるウーロの体をそっと撫でた。とぐろを巻かずにいるのだけは分かる。そして黒が大きく揺れていて、合間に黄金の眩しい光が漏れ出していることも。
「呪術を食べても、綺麗には出来ないんだね。この子は」
「うん。だから静に綺麗にしてもらわないといけないの」
「静様の他に、浄化できる人は……」
「いない。私も、出来ない」
「すまないね。余計なことを……」
謝るヘルガは大きく息をついた。光が弱まる。そこまで思いつめなくても良いというのにと伊織は揺れる黄金の瞳を細める。
と、ヘルガの小さな呟きが耳に届いだ。
「……神官だって言うのに、私の方こそ、何も出来ていないって言うのに……」
うまく、呼吸が出来ていないようにも聞こえた。
伊織が反射的に口を開く。よりも先に、か細い光の両脇から強い二つの光が入ってきた。
「ほら、ヘルガ! 背中が丸まっているよ!」
「そうよ! ほら、果物貰ってきたから一緒に食べましょ!」
ミュゼとジュナの声だ。瞬く比べて小さい光が伊織に近づいた。
「伊織様も食べましょ! おいしかったわ!」
「先に食べちゃったの?」
「だ、だって、おいしそうだったもの……」
伊織の隣にくっつくように座ったジュナが、伊織の膝の上に小さな皿を置いた。これで問題なく食べられると伊織は迷わずに手を伸ばし、みずみずしいものをつまんで口に放り込んだ。
ほんのり甘い、すっきりとした果物に、伊織は頬を緩めた。
「さっき、ランスロット陛下が言っていただろう? ギーク達がこっちに戻ってきているって」
「ああ、そうだね。けども」
「待つのも大事なことさ。まぁ、ユーグはあの子らと歩き回っているけどね。全く、王宮の中でさえ今や安全とは言えないって言うのに」
横からミュゼとヘルガの会話が聞こえる。
伊織は気づかないふりをして食べ進めながら、その時のことを思い出した。
ヴィンセントから連絡が来たとランスロットが言った。
皆、全員そろっている。無事であること。どうやら行った先にも召喚術があり、そこに鉄兎という兎が召喚されていた、とかどうとか。
後、ゴーレムが仲間になったとか。
静がいるのだからそれほど驚くことでもないが、周囲の光がひどく瞬いていたので驚いていたことは、はっきりと理解出来た。
ランスロットはそれを報告し、また部屋を出て行った。その後をアンジェリカが追うように出て行ってしまってから戻ってきていない。
今や王宮の中は自由に歩き回れる場所ではなかった。
異国の人間が王宮を占拠しているとかどうとか。そんな話が流れているとか。
その話を信じて、メシュラルドの人達が襲ってきているのだ。同じ部屋に焔瑞の人達がいないのはそれが理由だ。
また、上から何か砂のようなものが落ちてきた。
「……また派手にやっているねえ」
次いで聞こえる低い音に、ミュゼが呆れるように呟いた。
戦闘がまたどこかで行われているのだ。伊織は肩にまだ添えてくれたままのクレアの手に触れた。
耳元に小さく掠めるクレアの微笑んだ空気の音と共に、柔らかな手が伊織の手を包んだ。
クレアの温かな手のおかげで、強張っていた体から力が抜ける。
この世界に来てからずっと側にいてくれるクレアがいるというだけで、伊織は安心を覚えた。
けれども足りない。光が足りない。
早く戻ってこないだろうか。
怒られるのは分かっているけども、今すぐにでも眩しい光を見たかった。そしたらもう何も、怖くないと伊織は確信していたから。
「報告! ベルナルト王弟殿下が姿を現しました!」
慌ただしい大きな音が聞こえてきたかと思うと、ロビンの大きな声が響いた。
伊織は膝に置かれた皿を床に置き、すぐに立ち上がる。ウーロの大きな体がそれを助けてくれる。そして側に寄り添ってくれているクレアの手は大きく震えだしたが、伊織の手を強く握りしめ、しっかりと手を引いてくれた。
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周囲は当然のことながら、伊織が行くことを止めようとした。けども、それを振り切って伊織はクレアの手を借りてどうにか進む。
頬に掠める風と、砂の匂いで外に出たのだと伊織は理解する。
薄ぼんやりとした光が強く瞬いている。
伊織はすぐに瞼を強く閉じ、瞼を開き、光あふれる黄金の瞳に世界を映した。
「え?」
思わず、声が漏れた。
この場所はどうやら王宮の正面側だ。バルコニーみたいな場所のおかげで、目の前で何が起きているのかすぐに分かってしまった。
「あ! 伊織様、見ちゃ駄目ですよ!」
ジュナが気づき、伊織の目を塞ごうと手をかざす。けどもウーロがそれを邪魔してくれたおかげで伊織は頭の奥に痛みを感じながらも見続けた。
王宮の目の前にはとても大きな広場があった。
その中心にいるのは、小さくて見えにくいが瞳のおかげでベルナルトとナターシャであることは理解できた。
二人の周りにはメシュラルドの騎士達に、ここの国民達が集まっている。まるで守るかのように、祈るかのように、両膝をついて頭を深く下げていた。
祈っている。
それだけならば、伊織は何も言わなかった。
しかし、言わなければならなかった。
「壊して! 早く!」
伊織は叫ぶ。周囲に聞こえるように。
あれは、あれだけは駄目なのだ。すぐさまに止めなければいけなかった。
そうでなくても、あんなものがどうしてあそこにあるというのに誰も気づけないのか今の伊織には欠片も理解が出来なかった。
「あそこ! あの広場に大きな召喚術がある!」
伊織の叫び声と共に、俊敏に動ける残っているレイメイに、漆黒達が王宮を飛び出す。少し遅れてランスロットが深紅達と共に駆けだした。
何もかもが遅い。
それも、伊織には見えていた。それでも、紙切れのような希望に縋りたかった。
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祭事は毎年、王宮前の広場で行われる。なので毎年、多くの国民が集まり、盛大に執り行われるのだ。
そして今年は百年に一度の特別な年。おかげで王都はその日が近づくにつれて盛大ににぎわい、飾りつけも豪勢なものがあちらこちらで見受けられるほどだった。
けども、今はその姿はなかった。
仕方のないことだ。暴徒に裏切り等々。どこかでは火事が起きて、窃盗なんてものも発生しているがそれらは全て必要な事であった。
ベルナルトは雲一つない、一色の空を目を細めて見つめる。
そう、仕方のないことなのだ。全て。
小さく息をつき、隣で見上げてくるナターシャへと目を向ける。
「すまない、ナターシャ。祭事を早めてしまって」
「ふふっ、大丈夫よ!」
無邪気で、可憐な笑顔を見せるナターシャの頭をそっと撫でる。ナターシャは頬を染めて、くすぐったそうに肩をすくませた。
これもまた、仕方のない事なのだ。きっと、これがナターシャの幸せなのだとベルナルトは信じている。信じている、そのはずのに。
「見ていて」
ナターシャが前へと躍り出る。
この時の為にと用意した薄絹の、軽やかな衣。繊細な金細工の装飾がナターシャの美しさを際立たせていた。
周囲にひれ伏す者達はその時を待っている。ベルナルトも、同じだった。
ナターシャがベルナルトを見て、微笑む。
そうして、ゆっくりと両腕を広げ、舞を捧げ始めた。もちろん、特別な舞を。
「……ああ……、ナターシャ」
つい、ベルナルトは最愛の妹の名を呼ぶ。
これが幸せ、なのだ。
兄として、いつもそれを願っていた。今も、願っている。何も間違ってはいない。
なんて美しいのだろうか。なんて、なんて。
我が妹は、なんと美しい贄であろうか。
ベルナルトは無意識に手を伸ばしかける。
世界が白み始める。
まるで、夢見心地に微笑みナターシャに見惚れる。
ベルナルトは頬を珍しく緩め、一歩、前に出る。
そして、白んだ世界が、瞬きの間に黒へと変化した。
本能と言うのが正しいのだろう。
ベルナルトは強く大地を踏みしめ、駆け出す。舞に夢中になっていたナターシャの体を強く抱きしめる。
「ベルナルト兄様?!」
焦るナターシャの声。
呼ばれたことに、ベルナルトは最上の喜びを覚えた。そして、願う。
どうか、幸せであれ、と。
ベルナルトはそのまま中央から端へと駆けだす。
黒が埋め尽くそうとし、足をからめとろうとする。しかしそんなものは些細であった。
吠える。
無理に足を前へと出す。
届かない。
「ナターシャ。どうか、赦さないでくれ。この弱い兄を」
目を見開くナターシャをもう一度強く抱きしめ、ベルナルトは力を振り絞り、陣の外へと放り投げた。
最後に見たのは、ベルナルトへと手を伸ばすナターシャの姿だった。
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いつになく素晴らしい黒が生まれていく。濃い霧のようなものが空を一気に覆い始めていく。
「ほら、俺の勝ち」
「あー、もう! もうちょっとだったのに!」
灰の目の男はご機嫌に笑い、投げ出されてしまったかわいそうな姫君を迎えに行く。そして隣にいたフルールは声をわずかに荒げて肩を大きく落とした。




