08 船
静は馬車の中から、うわぁ、と声をこぼした。それは同じくのぞき込んでいる伊織も同様だった。
「人、多すぎじゃない……?」
「すごいね。異国の人、いっぱいいる」
ここはまだロトアロフ内である。
だが、高台の下に広がる大きな市場にはロトアロフの人間であろう見目の者の他、明らかに異国と思わしき風貌の者達がひしめき合っていた。
今、静達がいるのは国境手前にある大きな市場だ。
ヴィートが元締めである市場は、もはや歩くことさえ一苦労であろうほどに賑わっていた。
「ねぇ、静。ここから船に乗り換えるってどういうことなのかな」
「橋がかけられないくらいに大きな川があるとか? 分からないけど」
「そっかー」
出発前、ヴィートは国境で船に乗ると言っていた。誰もが普通に聞き入れている中、知らない静と伊織は揃って首を傾げた。
とは言え、到着すれば分かるだろうと詳しく聞かずに今に至っているわけだが、やはり気にはなるものだった。
早く到着しないだろうか。
静は揺れる馬車の中、深く座り直す。すかさずにアラレがいつものように膝に乗り、さり気なくスズカが静に身を寄せてきた。彼らの頭を軽く撫でてやった。
そして揺られること少し。国境を超えたらしく、ここから乗り換える為に馬車から降りた静と伊織の前には確かに船があった。地面の上に。
「何あれ」
「すごーい!」
呆気にとられる静に対し、伊織は感嘆の声をあげた。
目の前には大きな船が三隻。木と金属で作られたそれは、よくよくと見れば地面に埋まっていた。さらにと観察をすれば不思議なことに船が埋まっている箇所だけ地面は柔らかい砂へと変化していた。
静は周囲を見渡すと、同じように目を丸くして観察している騎士達は多かった。しかし、あれは一体なんだというようなざわめきはなく、ただ単純にその大きさに驚いているように見えた。
最初から、船が地面の上にあるということを知っていたというのだろうか。
静は疑問を抱きつつ、ロトアロフへと振り返り見て、僅かに銀の瞳を丸くした。
国境の境には壁はない。せいぜい、もうすでに通り過ぎた検問所があるくらいだ。だから明確な境目というのが分からないと思ったが、振り返り見て、何とも分かりやすいと静はすぐに考えを改めた。
ロトアロフの大地全体が、隆起していた。
高さは大人の背丈ほど。先程下ったような感覚がしたが、なるほど、この緩やかな坂道を下ったらしい。
坂は明らかに人工で作られたものだ。と言うことは、メシュラルド側が設置したものだろう。これ一つでいろいろと面倒なことがあったのだろうな、と静はつい余計なことを考えてしまった。
「静様、伊織様。こちらへ」
背中から呼びかけるルイスの声に静はすぐに振り返り見る。この日差しが眩しいのか、ルイスはいつもよりも険しい顔つきをしていた。いや、もしくはわずかに暑いのかもしれない。
一応対策はしていたが、それでもロトアロフに比べて一気に乾燥した空気と、強い日差し。国境を超えただけでここまで変わるものなのか、それともこの世界がそういうものなのかは分からないが、正直静はとても気持ちが弾んでいた。
「ルイス、暑くない?」
「あれのおかげで暑さは今のところ問題ありません。静様は」
「大丈夫。ヨカゼは……大丈夫だね? 皆も」
ルイス含む騎士達の衣服は何一つ変わっていない。ランスロット、アンジェリカも変わらずである。ヴィンセントはいつも上から羽織っているローブが特別なものに変わったぐらいだ。
そして静と伊織は比べて暑い国だからと、衣服は普段よりも薄手で全体的に白みが増えた明るい紫のものへと変わった。形や色は同じだが、静の方は雪の結晶模様が目立つ銀の刺繍。伊織は以前、ドレスに施されていた複雑な模様の金の刺繍が施されている。そして、それは特別な紫紺のショールも同じくようにも同様の刺繍が施されていた。
当然ながら静の首のレースリボンは変わらないが、より繊細なものに変わった。理由は分からない。そして伊織にもチョーカーが増えた。あの夜会の時に身に着けていたものだった。
さらに、ヨカゼ達の装いも変化した。今まではヨカゼのみが、レイメイの隊服に似た服を来ていたわけだが、今回は他の二頭の狼達も衣服を着用していた。どうやら改良を重ね、さらに布地は薄くなり、しかし丈夫さが増したらしい。今回、共に来ているアイヴィはそんなヨカゼ達の姿を見てとても満足そうにしていた。
当然ながらヨカゼ達も気に入っているようで、三頭ともそろって大きく尾を振った。
静はその内の一頭を見て、軽く指を跳ねさせる動作を見せる。とすぐに分かってくれたようで、その一頭はアンジェリカの元へと駆けていった。残った片方はそれを見て伊織の隣へと移動する。
二頭それぞれがちゃんと位置についたことを確認してから、静はルイスへと歩み寄った。
先へ行くルイスの背中を見上げ、そのまま静はこれから乗りこむのであろう船を見上げた。
「……これってさ」
「あちらが用意した船です。静様達の故郷には無かったのですか?」
「海の上に浮かぶ船はあったよ。けど、地面に浮かぶ船は無かったかな」
あくまでも静が知っている限りでは、の話だが。いや、ないかと静はすぐに否定した。
その間に、静の隣に並んで歩いていた伊織が口を開いた。
「ねぇねぇ、なんでロトアロフにはないの?」
「使えないんです。残念ながら」
「何で?」
「分かりません。開発局の方でもまだ原因が解明できていないのが現状です。ですので、我が国では未だに馬車や馬を使っています」
なるほど、と静は納得した。
通信機はもちろんだが、その他にも便利な魔具はあるし、魔術だってある。だからある程度は自動で動く何かしらがあってもおかしくはないとは静は思ったが、使えないのであれば無くても仕方がないことだった。
とは言え、便利な乗り物がないとは不便である。まさかこれも理か何かが理由なのかと勘ぐってしまうが、何せこの世界は魔術がある世界だ。そんな不思議な現象が起きたっておかしなことはないだろう、きっと。
そう静は言い聞かせつつ、高台の乗り場へ行くために階段を昇っていく。その途中、静は見たくもない人物が船にいたことに気付いてしまった。
「……あのさ、ルイス。なんか、いた気がするんだけど。気のせいだよね?」
「残念ながら気のせいではありません。王兄殿下がおります」
なんて面倒なのか。そうだ、別の船に乗せてもらおうと思ったが、別の船には騎士達が別れて乗るのである。つまり大勢の知らない男達ばかりで逃げ場なし。静はすぐに諦めた。
「静様、伊織様。分かっておりますよね?」
「分かっているよ。基本は話さない」
「お話聞くだけ! けど、言いたいときはロトアロフの言葉だけ!」
船に乗る直前、ルイスが最後の確認だと言わんばかりに問う。静と伊織は揃って返事を返した。
何せ静と伊織は、愛娘達の力によって言葉が理解出来てしまうのだ。
別に理解出来るだけなら良いのだが、これは面倒なことに外交も絡んでいる。であるからに、全く持って政に関わっていない二人が巻き込まれないようにするため考えた結果、まずは言葉が通じないという事になった。ちなみにヨカゼもまた普通の狼のふりをしている。
それもあり、普通の猫のアラレと、普通の鷹だと思われるスズカは別に良いのだが問題はウーロだった。
今はクレアが籠を持ち、その中で大人しくしているがあの重さがばれたら面倒だし、まさか魔石を食べているところなんて見られたらどうなるか分かったものじゃない。だからウーロには絶対に出てこないようにしてもらうのと、ヴィンセントが隠れて魔石を与えることが決まったのだ。
ルイスは二人のことはもちろん、その他動物達を見やり、険しい顔はそのままに小さく息をついた。
「では、静様。少し離れます」
「うん、ちゃんと大人しくしているからね。それにヨカゼ達もいるし」
「側にはエリカとライリー。そしてジルとロバートがおりますので、遠慮なく使ってください」
「そうするよ」
そう言ってルイスは先に船へと乗り込み、静へと手を差し出す。静が乗り込み、その後伊織にも同じように手を差し出す。
この先、あまりルイスといつもの距離ではいられないことに静は少しだけ、さむさを覚えた。
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大地を滑るように、船は出向した。
魔具によって固い大地は柔らかいものへと変化し、進んだ痕跡ははっきりと残っている。何度も何度も同じ航路を辿ると、まるで砂の川のようになってくるらしい。
せっかくだからと甲板に出て、メシュラルドの乾いた風を受けていた静は、敷かれている絨毯の上でだらりとヨカゼに寄りかかっていた。
「不満そうだな、伊織」
「だって」
「静が大人しくしているんだ。そうあちらを睨んでやるな」
その横、同じく絨毯に座っていた伊織と、木の板で適当に作られたような椅子に座るヴィンセントの会話が聞こえた。横目でちらりと見れば、どうやら伊織は同じく甲板にいる王兄、ベルナルトへと目を向けていたらしい。
ベルナルトは今、ランスロットとアンジェリカの二人と会話をしている。二人は優雅に微笑んでいるが、ベルナルトは対して表情が険しい。
一体どんな話をしているのかは不明である。だが、あそこはずいぶんと空気が悪い。
メシュラルド側の騎士達が近くにいるが、そのうちの数人は手を剣へさりげなく乗せている。もちろんそのようなことをされている為に、ロトアロフの深紅の騎士の内数人も同じことをしており、リクハルドはじっと相手側の騎士の動向を見やっていた。
また一番近くにはルイスとロビンの姿がある。会話には入っていないが、ロビンは所々、言葉を訳している様子が見えた。
「説明をしただろう? 我らは政に関与しない。故にあれらと会話する道理はない」
「分かってる。けど、ルイスは違うでしょ」
「ああ、そうだ。しかし立場がそれを赦さない」
何故、ルイスが静から離れているのか。仕方のないことであったし、それはルイスはもちろんのこと、静もまた同意していたことだった。
「この騎士隊をまとめているのはルイスだ。もちろん、深紅と漆黒の副隊長達がいるのも大きいがそれでもここまで問題なくたどり着けたのは大きい。静の目から見てもそう思うだろう?」
「そうだね」
話を振られ、静はようやっと体を起こし、伊織とヴィンセントを見やった。
「今回は、レイメイの立場をより確実にする為にもルイスには表に立ってもらわなくてはならない。それについてはルイスも納得しているし、わたしも、納得した」
「そう言いながら、ずいぶんと道中は寂しそうにしていたじゃないか」
「うるさいな」
隊をまとめる為にルイスはこの短い期間にリクハルドとジグルドから助言を乞い、奔走していた。
基本的に目立つことを嫌っているルイスが矢面に立っている。その精神的疲労は計り知れないだろうが、これは必要なことであった。
銀の聖女が率いる騎士隊の隊長にして加護持ち。さらには周知されていないが婚約を結んでいる。
異国の血が半分流れているが故に、その信用は他に比べて低く、未だに裏では揶揄するだけには飽き足らずに悪意を持って噂を流す者もいる、らしい。
残念ながら静はその内容を知らない。静の耳に入る前に漆黒やレイメイが握りつぶしていると、ヴィンセントがこっそりと教えてくれた。やはり持つべきものは悪友である。
だからこそ、周囲に実績をもってして黙らせる必要があった。その結果、ルイスが隊長となった。
さらにもう一つ、理由があった。
「それに、ルイスはロトアロフの人間だけども、メシュラルドの血も流れている。常に近くにいれば、わたしや伊織に面倒な事が降りかかりやすくなる。それもちゃんと納得しているよ」
メシュラルドとの縁があるルイスが、ロトアロフにとってもっとも守らねばならない聖女達の側にいる。その結果、あちらがルイスを通じて近づこうとするのは想像に容易いものだった。
であるからに、守る為にも今回ばかりは離れる他なかった。
仕方がない事だった。しかし不満なものであることには変わりなかった。
静はまたヨカゼに抱き着くように寄りかかった。
「良いんだ。変わらずルイスは侍従としていろいろとわたしのお世話してくれるし」
「一人でやれ。もしくはライリーかエリカに手伝わせろ」
「ルイスの機嫌が悪くなる。なんかさ、わたしのお世話が良い気分転換になってるみたいでさ。それだったら仕方がないよね?」
とはいえ、ルイスが侍従のように静の身の回りの世話をすることには変わりない。もちろん表では出来ないが、頑なにルイスは譲らなかった。
静は全く悪い気はしなかったが周囲は呆れていた。しかしこれはルイスにとって大事なことなので誰も止められるものではなかった。
「大丈夫。エリカもライリーも、いざってなれば出来るようになったから。それにクレアもいるし」
「うん。けど、私のクレアだからね」
「分かってるよ」
他の人目がある場所では、護衛としてつくエリカとライリーが手助けしてくれる。髪が乱れたとか、転びそうになったりだとか。
静に対する想定があまりにもやんちゃすぎるので、今回ばかりはしっかりと大人しくしているつもりだ。
と、ヴィンセントは急に立ち上がった。
「どうしたの?」
「お前達はここにいろ」
声をかける伊織には目もくれず、足早にその場から離れた。向かった先はベルナルト達がいる場所だが何やらより殺伐な空気が漂っていた。
伊織なんてさりげなく静へと寄り添い、隣にいる銀の狼を無理やり自分の方へと寄せようとしていた。見かねたクレアがそっと伊織に寄り添い、声をかけている。
それを横目に静はメシュラルドの言葉を覚えたロバートへと顔を向けた。ロバートは間に人が二人分入れるくらいの場所で控えていた。騎士ではあるが腰に剣は提げていない。だからメシュラルドの誰もロバートに対しては警戒を向けるどころか、嘲笑さえ向けていた。わざとだと知らずに。
「ロバート。なんて?」
「あ、はい……。どうやら、王兄殿下がお話をしたいと」
険しい表情を浮かべていたロバートが慌てて取り繕い、いつもの柔らかな、しかし緊張した表情を見せ報告する。
それを聞いてジルやエリカの表情は硬くなり、ライリーは小さく肩を跳ねさせた。
「おい、ライリー。堂々としとけって言われただろ、ノーマンに」
「で、ですけどぉ……!」
「とにかく、黙って静様の側にいれば良いんだよ。オレ達は静様の見張りなんだから」
「……本当に、見張りなんですね……」
ジルが当たり前に大きく頷き、エリカはそっとライリーの肩に手を置いた。
静は見張りという言葉に不本意さを覚えつつ、三人の会話を無視してさらにロバートに問いかけた。
「理由は聞こえた?」
「はい。挨拶をしたいとのことですが」
「……挨拶程度なら……」
「今はまだ控えた方がよろしいかと。ノーマン小隊長達が乗船している船の様子を見るに、あまり歓迎はされていないようですから」
ずっと立っているロバートは隣に並んで走る船の様子も見ていたらしい。
ノーマンとヘクターは別の船に乗っている。あちらにはメシュラルドの騎士も多く乗っているから余計に雰囲気は良いものではなくなっているのだろう。
この国の王自らが歓迎しようとした相手に対して、この反応だ。誰しもが同じ方向を向いているわけではないにしろ、もう少し隠すことを覚えた方が良いのではないか、と静はついお節介なことを考えてしまった。
「ヴィートさんが乗っている方は?」
「あちらは……、とても楽し気です」
「そっかぁ」
もう一つの船にはヴィートが乗っている。あちらも騎士がいる他、少しばかり積んでいる荷物の量が多い。どうやら王都に着くまで二日、ないし三日はかかるらしい。その為、食料品やら野営用の荷物が積んであるとのことだ。
そして静達をここまで乗せて行ってくれた馬達や馬車だが、エヴァンハイン家で預かってもらっている。
なんでもエヴァンハイン家の領地はとても広い為、全部の馬を預かっていてもまだ余っているらしい。さらに広大な大地があるからこそ多種多用の馬もいるらしく、馬好きが多いのだとか。
それはともかくも、と静は思考を切り替えようと大きく息をつき、比べて眩しい青空を見上げた。
「……帰りたいなぁ」
「私もぉ」
思わずこぼれ出た静の言葉に、伊織も同意した。
さらにそれに同意するかのようにヨカゼにぴったりとくっついているアラレがにゃあ、と鳴き、スズカは翼をばさりと羽ばたかせた。
皆も早々に帰りたいらしい。
静はねぇ、とアラレに囁き、そのまま瞼を閉じて昼寝をすることにした。日差しは少し厳しいが、風は思うほどに悪くはない。ちょうど眠るのにちょうど良いくらいだ。
少しだけヨカゼに寄りかかる位置を直し、そのまま静はすぐに眠りに落ちていった。




