07 やはり親子である
エヴァンハイン家の屋敷に到着した面々を出迎えてくれたのは、戴冠式と婚姻式を終えてすぐにとんぼ返りしたジェラルドにクラリッサ。それからアイザックにミリア、ライナスの五人だった。
セレスは共にいるシェリーの婚約相手を探す為、フローラは神官になる為に王都に残った。ちゃんと三人もまた静達が出発する時に見送ってくれたのだ。
エヴァンハイン家の屋敷はとても大きいとは言え、騎士達全員が同じ場所にいられるわけではない。
領地内にある空き家をいくつか使わせてもらい、今日と明日、休ませてもらう予定だ。
そして静、伊織、アンジェリカは一目散に、ちゃんと順番を守ってありがたく身を清めさせてもらった。正直、静はこの時ばかり聖女という立場で良かったと心の底から思った。
何せ我先にと身を綺麗にしても怒られないのだから。
「……え、いつの間に寝たんだっけ」
『よく寝てたわよぉ』
そして気づけば夜であった。
起き上がることすら億劫な静は柔らかなベッドに寝転がったまま、傍らにいるヨカゼへ手を伸ばし、頭をもしゃりと撫でた。ご機嫌にきゅう、と鳴いたヨカゼを眺めつつ、静は思い出す。
確か、身を綺麗にしていた途中からちょっと眠たくなり、浴室の外で待っていたルイスに捕まり、そのまま運ばれたのまでは覚えている。そう言えばあの時、ルイスは珍しく上着を脱いでいた、と思う。さすがに汚れもあったからなのだろう。正直よく覚えていないのが悔しかった。
「……お腹減った……」
同じく、きゅうと鳴って訴えるお腹に、静は切なくなり体を丸めた。
『ルイス呼ぶ?』
「……起きてるかな……」
『寝ていても起きてくるわよ』
確かに、と静は頷く。すぐにヨカゼは大きく尾を振り、扉へと向い、そして振り返った。
『……ねぇ、静』
「ん、待って」
静は小さく笑みをこぼし、扉を開けてやった。ヨカゼは鼻先を上へと一度上げ、すぐに暗い廊下へ溶けるように駆けていった。静は姿が見えなくなったことを確認してから、扉を少しだけ開けたままベッドに戻り、すぐに横になる。
枕元で丸くなっていたアラレに顔を寄せれば、小さな手がうまい具合に額を抑えてきた。アラレに拒否された静は枕に顔を埋めた。
何かが静の頭に触れた。
いつの間にか、また眠っていたらしい。静は枕に顔を埋めたまま、緩慢な動きで触れたものに手を伸ばす。と、知っている大きな手がつつみ込んできた。
「静様、まだ眠られるなら眠っていても良いんですよ」
「……おはよぉ……ルイス」
降ってくるルイスの声を聞きながら、静はごろり、と仰向けになった。
ベッドサイドの小さな明かりのおかげで、ルイスの顔はよく見えた。ルイスは呆れたように静を見下ろしていた。珍しく手套はなく、さらに上着のないシャツという姿だった。
「……おなか、へったぁ」
「はい。なのでお持ちしましたが、起きられますか?」
「おきるぅ……」
眠い。けどもお腹が空いた。静はのそのそと起き上がり、顔に落ちてくる黒髪を横へと流した。
「飲み物は」
「おみず、ください」
「はい」
ルイスは手早くグラスへ水を注ぎ、静に手渡す。静は一口、二口と飲み、小さく息をつく。
その間にルイスは静の前に盆を置く。そこには焼き菓子が盛られた皿。とても美味しそうであるが、これで腹が満たされるかが問題だった。
静は迷いなく手を伸ばし、もそりと食べる。と、何故かルイスは小さく息をついた。
「どうしたの? というか座りなよ」
「いえ。用意出来たのがそれだけだったのですが、本当に何でも食べるのだな、と」
「……あのさ、今ってだいぶ遅い?」
「はい。皆、眠っている時間です」
「……寝てた?」
「そうですね」
寝ていても起きてくるだろうとヨカゼとは確かに話をしたが、実際こうしてルイスを前にすると申し訳なく思ってしまう。
静はすぐに謝ろうとするが、それよりも先にルイスは隣に座るとさり気なく静の腰に腕を回してきた。
「早く食べきってください」
「……ルイス?」
そして少しだけ寄り掛かるルイスに、静は慌ててベッドに手をついて自分の体を支えた。
なるほど、どうやらだいぶ眠いらしい。
静はほとんど瞼が閉じかけているルイスを顔を見て、ようやく言葉の真意を理解した。
「もうちょっと待ってね。そしたら一緒に寝ようね」
「……はい」
反応が遅い返事を聞いて、静はすぐに皿に盛られた焼き菓子を大きな口で食べ始める。
本当であれば少しの昼寝をして、そして皆と一緒に夕食を食べて、そしてルイスに嫌がられながらも一緒に朝までぐっすりと眠るつもりだった。
だが蓋を開ければ真夜中までぐっすり眠り、腹が空いたからと菓子を食べている。驚くほどに理想とは程遠いものになっていた。
ルイスを呼んでくれたヨカゼはソファの足元に丸まって眠る体制に入っている。そのソファの背もたれにはスズカがいる。アラレはずっと丸まって眠ったままだ。
静は思う。まぁ、これも良いか。なんて。
チクリ、とした一瞬の痛みを感じたが静は表情を一切変えずに食べ進める。体調は本当に変わらない。ふっとした時に痛みが一瞬だけ過ぎ去っていく。それの繰り返しだ。これも、包み隠さずにルイスには伝えていた。もちろん伊織にも。
後、どれくらいこうして過ごせるだろうか。なんて。
あっという間に最後の一つを食べ終えた静は、ルイスの袖を軽く引く。
「ルイス、食べ終わったよ」
「……はい」
もうすでに器用に半分寝ていたらしいルイスは、瞼を無理やりに上げて盆を回収する。それをテーブルの上に起き、すぐに静の元へと戻ってきた。
明かりを消し、靴を脱いでベッドに乗ってくる。そしてそのまま静を抱き寄せて横になった。
「ありがと。おやすみ、ルイス」
「……おやすみなさいませ、静様」
ほとんど消えかけているルイスの声に、静は小さく肩を揺らす。そしてルイスの呼吸が寝息に変わったのを確認してから、頬にあどけないくちづけを落とした。
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元は広い部屋だったのだろう。見渡せば本はもちろん、よく分からない人形は積み重なった古い箱。なんだか高そうな壺。絵画。おそらく適当に扱ってはいけない装飾品等々が所狭しと置かれていた。
「適当に座ってください」
この部屋の主、ヴィートはそう言いながら本が積み重なって置かれているソファを指す。二人で座るには十分な大きさだが、半分本で埋められている為ずいぶんと狭くなっている。
どかしても良いのだろうかと静が考えている間に、ルイスは当たり前のように静を抱え上げて座り、膝の上へと置いた。
「父上、呼ぶなら片付けてからにしろ」
「悪いって」
全く悪いと思っていなさそうなヴィートは大きく肩を揺らし、目の前に椅子を持ってきてどかり、と座った。
目の前で息子が聖女を普通に抱えて座っているというのに、ヴィートは何も言わずにいる。むしろ面白がっているかのように見ていた。
静は考えるのを止め、呼び出したヴィートが先に口を開くのを待つことにした。
「大した話じゃないんですけどね?」
「なら戻っても良いか」
「早すぎるたろ」
軽快に笑うヴィートに対して、ルイスは大きく顔をしかめた。
ヴィートはしばらく肩を震わせながら、ようやく視線を静へと向けた。
「なんで奴隷だった俺が、ここにいるのかって話なんですけどね?」
「……それ、聞いても良いんですか?」
「もちろん」
思ったよりも直球で話を始めるヴィートは大きく頷き、僅かに視線を上へと向けた。
「まだガキだった頃、当時の主と一緒に国境付近にある市場に来てたんですよ。ああ、主は普通の商人で、俺はその奴隷って言っても扱いはだいぶ丁寧でしたよ。その頃から商売の才能があったんで重宝されまして」
「普通の商人でも、奴隷がいたんですか……?」
「家に一人か、二人。奴隷がいるのが当たり前だったんでおかしな話じゃあないです」
ずいぶんと気分が悪くなる話だった。しかし今はそのような文化がない上に、ヴィート自身の扱いは良い方だというのだから静が変に言うことは何一つ無かった。
ヴィートは小さく肩をすくませ、そして続けた。
「で、そこで同じくガキだったセレスに見つかり、なんかよく分からないうちに売られて、セレスのものになって、この屋敷に軟禁されました」
少し意味が分からなかった。
何気なく静はルイスへと振り返り見ると、ルイスは顔をしかめて僅かに首を傾げていた。何故、今の話をさも不思議だと言わんばかりの反応をするのか、静には何一つ分からなかった。
しかしヴィートは分かっていたかのように、小さく息をついた。
「どうせセレスから一目惚れして、それで頼み込んで来てもらったんだとか聞いてんだろ。本当は、義父殿に頼み込んで俺を買って連れてきたってだけだからな?」
どうやら張本人はだいぶ歪曲してルイスに伝えていたらしい。
確かに、本人からしたらそんな言い方にもなるかと思いつつ、静は聞いていいものかと思いながらつい、ヴィートに問いかけた。
「その……、義父殿って」
「ああ、はい。義父殿ですが、今は王都で隠居生活してますよ。身体の具合があまり良くないらしいので、ついでにセレスがその様子も見に行くようです。ってかルイス、王都にいるなら顔見せてやれよな」
まだご存命であり、しかも王都にいるらしい。それは良いことを聞いたと思いつつ、またルイスを見やれば気まずそうに視線を逸らしていた。
「ね、ルイス」
「何ですか、静様」
「お会いしたい」
「何故」
「何故って。ルイスのご家族に会いたいだけなんだけど」
理由なんてものはない。ただ、ルイスの家族ならば会いたい。静にとってはそれだけのことだった。
ヴィートの言い方から、そこまで関係性は悪くないように思えた。つまりはルイスの一方的なわだかまりみたいなものがあるのだろうと、静は察する。そしてその通りだと言わんばかりにルイスは眉間のしわを深めたが、ずいぶんと時間をかけ、渋々といった様子で小さく頷いた。これは王都に戻ってからもだいぶ渋るなと静は予想した。
「すみません、ヴィートさん。話を反らしてしまって」
「いえいえ、話戻しますね。しかもあれですよ、当然ながらこっちの言葉なんて分からないもんだから、当時は殺されると思ったんです。そしたら愛玩動物よろしく、すげぇ丁寧に世話されて、それはそれで怖かったんですけど」
そして静は話の腰を折ったことに謝る。ヴィートは朗らか笑い、また続けた。
確かに急に言葉が全く分からない場所に連れて行かれ、囲われたら怖いのは当然だと静は同意した。せめて言葉が分かれば少し違ったのかもしれないが、その前に奴隷という立場がさらに恐怖を助長させたのかもしれないと考えると、その恐怖は計り知れないものなのだろうと静は想像した。
「で、なんで連れてこられたかっていうと、俺がいれる茶を気に入ったらしく」
「……お茶」
「はい。あの時、メシュラルドの茶を用意していた時に、セレスが来て。まぁ良いかと思って、茶を飲ませたんですよ。いや、まさかそれだけで……。なんだよ、ルイス」
静はまたルイスを見やる。
いかにも不本意だと言わんばかりに口角は下がり、僅かに静から視線を遠ざけていた。
「ルイス、お茶入れるの上手だよね」
「存じ上げません」
「大神殿の侍女さん達から聞かれる程だもんね」
口を閉ざしたルイスに、ヴィートは笑みを深めた。
「へぇ?」
「……何だ」
「いや? まさか、そこが似るとは思わなくってさ?」
ルイスは大きく舌打ちをした。ヴィートはさらに笑みを深め、楽しそうに肩を揺らす。それでそらに機嫌は悪くなり、静の腹に回されたルイスの腕に力がこもった。
「そう、それで。何で話したかっていうことなんですけど」
「はい」
「そいつ、セレスに本当によく似ていて。だから婚約を結んでいただいた静様になんか変なことしてねぇよなっていう確認、なんですが……」
つまりは父として、自分の息子がおかしなことをしていないか、確認をしたかったらしい。何せ母がそのような人で、息子は母に似ているから。
確かに心配にもなるよな、と静は一人頷く。しかしすぐに手遅れだな、と静は少しだけいたたまれなくなった。
「侍従のそれについては何も言わねぇよ? ただあれよ、ルイス。相手、聖女様な?」
「そうだな」
「静様の首につけてんのは?」
「レースリボンだな」
「首輪って聞いたけど?」
「首輪は大事だと母上から聞いている」
「だからって素直に実行するんじゃねぇよ」
一体、このレースリボンが首輪であると誰から聞いたのかは不明だが、頭を抱えるヴィートにルイスは平然としていた。
「静様、他に何かされていません? もう、今の状態についても言いませんけどもね? そいつ、節度とか持ってます? ってか、その首輪とか拒否して良いんですよ?」
「えぇっと……まぁ、良いかなぁって。わたし、だいぶ勝手に動いてますし」
「それはそれ、これはこれ。見てくださいよ、俺だって勝手にあれこれしてますけど首輪はありませんよ?」
「確かに。けど、セレスさんと一緒にいるんですよね」
「こうなるまでにいろいろと……本当に、ええ……いろいろとありまして。本当に仕方がないというか……あれはあれで、だいぶ不器用というか……」
「そうなんですねぇ」
言い淀むヴィートの話を聞きながら、静はルイスへとまた見る。全くもって変わった様子がないルイスは僅かに眉をひそめた。
「何ですか」
「ルイスのかわいいところは、セレスさんにそっくりってことかなと思って」
「黙ってくれませんか?」
まだルイスの腕の力が強まったが苦しくはない。
かわいいな、と静はくすくすと笑う。さすがにヴィートの前だから控えたが、そうでなければ遠慮なく頭を撫でまわしていたところだった。
「大丈夫ですよ、ヴィートさん。すでに手遅れなんで」
「全く大丈夫じゃないですよね、それ」
「ほらぁ、わたしがこれなんで」
「……説得力しかないのがなぁ……」
どうやらヴィートも静がなかなかにやらかしている人間という認識は持っていたらしい。ヴィートはルイスがよくやるように、目元を抑えた。
自分で言いながらもいたたまれなくなった静は、もう良いやと、この場にいないアラレやヨカゼの代わりにルイスの頭を撫でまわした。




