05 風がさらうように
時折、魔物に出会ったり。賊に出会ったり。村や町に立ち寄ったりとしながら、さらに南へと向かっていた。
ルイスに聞くと、後少しでエヴァンハイン家へと着くらしい。とはいえ、この後少しは、後数日という意味である。やはり馬車や馬だとそう早く進むことは難しい。これについては仕方が無いことだ。
だがしかし、これから向かうメシュラルドはロトアロフよりも広大と聞いている。一体後どれほど時間がかかるのだろうかと静は少し気が遠くなりそうだった。
「どうしたの、スズカ」
静は銀の狼二頭、そしてヨカゼを順番にわしゃりと撫でまわしつつ、膝を独占するアラレにも適宜相手をしていた。そんな時にスズカが静の足元へと降り立った。大きく体を左右に揺らしながら静に近づくと、ワンピースの裾を何故かいきなりついばんだ。
「え、ちょっと? スズカ?」
今までにない行動に驚いていると、ヨカゼが大きく耳を揺らした。
『あら、静。呼ばれているわよ』
「……呼ばれているって?」
『静。覚えていない? ゴズと出会ったあの場所』
静はヨカゼが言っている場所がどこか分からず、大きく首を傾げた。
『ほら、あの光っているお花があるところ。蝶の眷属だってたくさんいたでしょう? さすがにあの時、静はまだ言葉が通じていなかったけども』
ヨカゼにそこまで言われてすぐ、静はようやくそこがどこか検討がついた。
そしてすぐに周囲を見渡し、少し離れていたが横で馬の世話をしていたジルを見つけ、静は声を少し張った。
「ジル。ルイス呼んでくれない?」
「師匠ですか? たぶん見ていると来ますよ」
「や、さすがに毎回は良くないかなって」
「……まぁ、確かに。ライリー、交代!」
ジルは素直に頷いてくれ、ちょうど近くを通りかかったライリーへと馬の世話を交代し、すぐにルイスを呼びに行ってくれた。
ライリーは慌てて馬に駆け寄り、ジルに続いて餌を与えようとする。が、馬は大きく頭と尾を揺らし、ちょっとばかし泣きそうな顔をしていた。ちょっとかわいそうだと思いつつも、静は大人しくルイスが来るのを待つことにした。
何せ馬に近づこうとしようものなら、服を噛み、無理やり相手をしてもらおうとしてくるからだ。つい昨日もそんな目にあった。
「あ!」
ライリーの声が大きく響く。
静はあ、と気づくが遅く、背後には馬。目の前にいる狼達はまた来たのかと見上げるばかりで知らんぷり。
「こ、こんにち」
は、と言い切る前に静はぎゃあ、と大きな声をあげたのであった。
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馬車から降りた静はすぐにルイスの手を両手で掴んだ。
「静様。もう馬達は襲ってきませんよ」
「昨日も一昨日もこの前も襲われた」
「本当に毎日襲われますね?」
「知ってる? 全員違う馬なんだって。ヨカゼが言ってた」
「ああ、順番に襲われていたんですか」
まるで他人事なルイスに、静はえいやと指を反対にちょっとだけ曲げてやる。すると魔術と使ったようですぐにしっかりと手は握られてしまった。
「静様?」
「あ、はい。ごめんなさい」
静は文句を言おうとルイスを見上げる。見下ろすルイスは薄く微笑んでいた。
これは少しだけ機嫌が宜しくない証拠である。こんな時は即座に謝るのが吉だ。けども襲われているのは静であるし、ルイスはそんな襲われている静をしばらく放置してから助けるのだ。少しぐらいは八つ当たりしたって良いはずだと甘えたことを考えいると、後ろから喉の奥を鳴らすような笑い声が聞こえてきた。
「あまり我らが銀の聖女をいじめるなよ、ルイス」
「いじめておりませんよ、ヴィンセント様」
ルイスは疲労を滲ませつつ、ヴィンセントへと振り返る。ヴィンセントもさすがに疲労の色が滲むが、それでも普段とは何も変わっていない、ように静には見えた。だが、伊織がずいぶんとヴィンセントを気にする素振りが多くなった為、疲労を隠しているようだった。
見渡せばやはり慣れていない者達はどこか動きが鈍い。とくにアンジェリカはすぐに椅子に座り、休憩を取っている。
それでもこの目の前の広大な緑の大地を前に、皆、目を奪われていた。僅かな風が通り過ぎ、緑が揺れる。見上げれば青空の端は少しずつ夜の色が滲んできていた。
「ずいぶんと広いな」
「今はまだ明るいので咲いてはいませんが、これらは全て雪煌草です。眷属達がおりますので足を踏み入れないように」
「そうか。とはいえ夜が近い。それまで楽しみにしておこう」
ヴィンセントは素直に頷き、群生地の際まで歩き出そうとし、すぐに静を見やった。
「それで静。一体誰が呼んでいたんだ?」
「ここにいるゴーレム」
「……ゴーレムだと?」
「ほら、あそこ。ちょうどノーマンとヘクターがいる場所」
ノーマンとヘクター。そしてヨカゼはここに着いて早々、ゴーレムが埋まっている場所へと向かっていた。とくにヘクターは元気に両腕をあげている。
周りにいる騎士達は警戒している様子で腰から提げている剣に触れている中、静はルイスの手を引いて迷いなくゴーレムがいる場所へと足を進めた。
ほぼ、そのあたりの岩と変わらないようにさえ見えるゴーレムは静が近づいたことに気付いたのか、ようやく巨体な体に対して、とても小さな頭を動かし、まっすぐに静を見下ろした。どうやら自らその場から移動する気はないらしいが、むしろ動かない方が静達側からしたら助かった。
ルイスの手を離し、ノーマンとヘクターの前に出る。するとゴーレムは太い腕を動かし、大きな手を静へと差し出す。静はその手の人の腕よりもずいぶんと太い指に右手を添えた。
「お久しぶりです。あの時はありがとうございました」
ずいぶんと、訪れるのを後回しにしていたと静は少しだけ罪悪感を抱いた。
何せここに来た時、静はもはや自分一人で動けない所か、目すらもぼやけて見えなかったのだ。だから正直どうやって、回復出来たのか静はよく分かっていない。
だからと言って詳しく聞こうとは思っていない。おそらくは、聞かない方が良いことだと静は身勝手にそう判断していた。
『また会えて嬉しいみたいよ』
「そっか」
再会に喜んでくれたなら良かった。静はさらに一歩近づき、指に抱き着くように左手も添えた。
するとゴーレムは鈍く、少し軋んだ音を響かせた。何かしらの反応を見せてくれることに静は嬉しくなり、そして——何かが、おかしい、ような気がした。
「すごいな。ゴーレムがこんなに友好的で、しかも眷属だとは……」
「今後。魔物を討伐するにしても、眷属がいないか良く見なければならなそうだね」
「難しいな……」
背後ではリクハルドとジグルドの会話が聞こえた。
そうだ。今後は魔物の中に紛れているであろう眷属を見分けなければならないだろうが、眷属達は案外近くにいるし、そう簡単に人間を襲うことはない、と思われる。とはいえ、全ての眷属が人間の味方ではないのも事実。二人が気にするように、どうするべきかと考える必要があるだろう。
「アンジェリカ! 見て、もうちょっとで咲きそう!」
「まぁ……!」
今度は伊織とアンジェリカの声が聞こえた。
周囲が暗くなってきている。だから花が開き始めようとしているのだろう。また美しい光の波を見られるだろう。
いや、しかし。
静はそれらの聞こえている声を背中で聞きながらも、ただゴーレムを見上げ続けた。
「……静様?」
今度はルイスの声が聞こえた。
静はその呼びかけに答えず、そのおかしなものが何かと考え、探り、そうして答えを見つけてしまった。
「——ああ、そうなの」
静は眷属達からいつも力を分けてもらっていた。いつも彼らは、とてもあたたかな存在であり、触れる度に胸の内は春の陽だまりにいるかのような気分にさせてくれた。
だというのに、このゴーレムに触れている今、胸の内はずいぶんと冷えていた。それはまるで、冬の夕暮れ。さらに冷え込み、凍り付いてしまうような空気に晒されているかのようだった。
「伊織、ごめん。ちょっと良い?」
「え? どうしたの?」
静は少しだけ申し訳ないな、と思いながらも伊織に声をかけた。伊織は小首を傾げながらも小さく駆けてすぐに静の隣に並んだ。
「このお方、寿命だから一緒に祈ってほしいんだけど」
伊織は金の瞳を丸くし、ゴーレムを見上げる。そして、どうやら伊織にはそれが見えたらしく、小さく息を飲む音が聞こえてきた。
しかしすぐ、伊織は静と同じようにゴーレムの指に両手で抱きしめるように触れてくれた。
「うん。良いよ、静」
「ありがとう、伊織」
控えめに微笑んだ伊織に、静は少し顔をしかめて不器用に笑みを浮かべた。
そして静と伊織はゴーレムを見上げ、指を抱きしめたまま祈る。
どうか、どうか。安らかに。
どうか、どうか。次、また巡る時も幸いであれ。
「おやすみなさい」
「またね」
静は凍土へと眠るゴーレムへと言葉を向ける。伊織は次への言葉を向ける。
抱きしめていた指から、小さな欠片が落ちた。そこから少しずつ亀裂が入りはじめ、そしてゴーレムの顔にまで入る。
見上げた先の向こうはすっかりと夜の色に染まり、星が見え始めていた。そして周囲に光の粒子が雪のように漂っていたことに静と伊織は今になって気付いた。
その粒子を辿ると、広大な緑の絨毯が今や、光の絨毯へと姿を変え、どこからか様々な光を放つ蝶が飛び回っていた。
蝶達の数が次第に増え、ゆっくりとゴーレムへと集まる。ゴーレムはまた軋む音をさせながらも、もう片方の太い腕を動かし、手をあげる。動かした指先に、蝶が止まる。
そうして、ゆっくりと、ゴーレムの体が崩れ始めた。
吹き渡る風が崩れた砂をさらっていく。触れていた指先も崩れ、大きな体ももはや土と同化した。最期に残った小さな頭は最後まで静と伊織に向けられ、そして、わずかに強い風が吹き渡ったことで崩れ去った。
残ったのはただの土の山。けれどもきっと、ここからまた命が育まれるのだろう。そして静は思うのだ。だから静にゴズを。あの小さなゴーレムを与えてくれたのだと。次へ繋ぐために。それにしたっても、だ。
「……たぶん、ゴズにたくさん力を渡してあげたんだろうなぁ……」
「それは……」
「このお方が決めたことだもの。何も言えないよ」
フィルの片手に乗れるほどの小さなゴーレムは、その見た目に似合わず凄まじい力を秘めている。あれこそがこのゴーレム本来の力なのだとしたら、渡しすぎではないかと思わざるをえなかった。
けども決めたのはゴーレムだ。であるからに、静は何も言えない。言える立場ではない。何せ、静は救われた側であるのだから猶更だった。
「どうするの、静」
伊織が、静の手を握りしめながら、この先のことを問う。真っすぐに見つめてくる金の瞳に、銀の瞳は見つめ返す。そして静は、すぐに周囲に集まっていた者達の中から一人を呼んだ。
「ヴィートさん」
「はい。何でしょうか、我らが銀の聖女」
「ふふっ……」
わざとらしく仰々しく呼ぶヴィートに、静は思わず笑みを零した。静は伊織の手を握りしめたまま、遠慮することなく頼みごとを口にした。。
「この場所、守ってくれません?」
他の誰でもなく静がヴィートに伝えれば、ヴィートは口元を大きく引きつらせた。
「なぁ、ルイス。このお方ってのは」
「いつものことだ」
「……え、これ。いつも聞いてるわけ?」
「ああ、聞いている」
「……苦労してんなぁ」
「慣れた」
ルイスは少しだけ遠くを見ていた。何故かノーマンとヘクターも頷いていた。
静自身としては、そこまで無茶なお願いはしてないつもりである。可能そうだからお願いしているだけの話なのだが、どうやら認識が大きくずれていたらしい。
改めた方が良いだろうかと思ったが、慣れたらしいので変えなくても良いだろうと静は判断した。
ヴィートは無言で目元を強く抑え、空を仰ぎ、大きく肩を落とした。
「分かりました。分かりましたよ、静様。確かにここを荒らされちゃあまずい場所ってのは分かりますし、我らエヴァンハインが守った方がより確実でしょう」
「ありがとうございます」
若干の投げやりが混ざっていながらも、ヴィートは静のお願いに対して首を縦に振ってくれた。そのことに静は感謝し、周囲を飛び回る蝶達を見やる。
蝶達は役目を終えたようにすごすごとまた光の絨毯へと戻っていく。眷属でもある蝶達は楽し気に飛び回る。まるで今のことがなかったかのように。
しかし、命が巡るとはこういうことだと静は理解している。理解しながら、やはり寂しいなと思うと同時、鼻の奥がつんとして視界がぼやけ始めた。
「え、し、静……?!」
「こっち見んな」
静はたまらずにその場にしゃがみ、顔を伏せる。伊織もまた同じようにしゃがみ、焦りながらも静の頭を抱き寄せた。
「泣かないでよぉ」
「言うな馬鹿」
「口悪くなってるよぉ」
「うっさい」
声を震わせる静は、たまらずに嗚咽を漏らした。
周囲がざわめくのが分かるし、目の前にルイスが慌てて駆け寄ってきたのも分かる。けどもどうしても静は耐えきれなかった。
仕方が無い。命は巡るもの。始まりがあれば終わりがある。そして静はその終わりたる、凍土に眠る魂達を守る者であるからに、一番に死が近い。
だが、それはそれだ。
締め付けられるこの胸は苦しくて、さむくて、痛い。
今後、この役目でいる限り、この思いはきっと誰よりも多く経験するかもしれない。そしてきっと、静はその度に涙を流すことが多くなるかもしれないし、慣れて涙を流さなく日が訪れるかもしれない。相手によっては受け流すかもしれない。
それでも、この痛みを慣れようとは思ってはいない。
死は喪失であり、恐怖である。だからこそ理解し、受け入れ、守れるというものだと静は考えている。そしてより、強くなれるとも。
立ちどまってなんていられない。ゴーレムは静を待ってくれていたのだ。であるから猶更に、情けない姿なんて見せられなかった。この心臓が動く限り。
けども今だけ。少しだけ、この痛みを涙に溶かすことを赦して欲しかった。




