01 雪解けの春
長く、厳しい冬が終わりを告げる。
まだ北からの冷たい風が通り抜けるが、南の大地は白から土色へ。そして緑へと色を変えていく。まさしく神話の通りに。
花が咲く季節ではないが、もう少しという頃。
王都では一足早い、春が今まさに訪れていた。
春の場所は王城。各地の貴族や主要な者達が集まる中、厳粛な空気に包まれていた。
ここに来るのは二度目だと、静は思い出す。
レイメイの隊長就任。たったそれだけだったのに儀礼という形を取る必要になり、この場所でルイスへと儀礼用の剣を静は渡したのだ。あの時のルイスときたら、ずいぶんとしかめっ面で静を見上げていたのだ。
後で聞いたことだが、被っていたベールが婚姻のそれのように見えてしまったらしい。
とても不愉快そうに、不機嫌なりながらも素直に教えてくれるのはいつものことだが、かわいくてついつい撫で回してしまったのは別の話である。
そう、それはともかくも、と静は改めて正面を見やる。
美しい日差しが降り注ぐ中、赤い絨毯が敷かれた上段にはアウグストがいた。普段よりも重厚な衣服を身にまとい、手にはなんとも豪華絢爛な王冠を持つ。そしてアウグストの前には跪くランスロット。同じくこちらも重厚な衣服を身にまとい、顔をうつむかせる。
アウグストは目の前にいるランスロットをじっくりと見つめ、そしてようやくというようにその頭へと王冠を被せた。
黄金と赤いベルベット。色鮮やかな宝石。豪華絢爛な王冠であるが、まるで最初からランスロットの頭にあったかのようにそれは妙にしっくりときていた。
ランスロットは立ち上がり、参列している者達を見渡す。そして最後に、静達が並んでいる方。ただしくは、静達と共に並んでいるアンジェリカへと琥珀の瞳を向け、微笑む。
それは婚約者へと向ける甘いものではなく、共にこの国を守る妃へと向ける微笑みであった。
今まさに、この北の鉄壁と呼ばれるロトアロフに新王が誕生したのであった。
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今日は本当に忙しい一日であった。静は部屋に戻ってすぐに窓の前に置かれているいつもの椅子へと腰を下ろし、両手を真上に伸ばした。
さすがに今日は留守番をしてもらっていた赤いリボンをつけた白猫のアラレがすぐに静の膝の上に飛び乗り、膝の上に丸くなる。
さらに一緒に留守番をしてくれていた鷹のスズカが止まり木から椅子の背もたれへと移動してきた。肩に乗らない良い子のスズカの頭を指先で軽く撫でてやると気持ち良さげに目をつぶった。
「お疲れ様でした、静様」
「ルイスもお疲れ」
「立っているだけだったので、そう疲れてはいません」
ということは多少疲れているということだ。立っているだけというのも疲れるが、それでもランスロットとアンジェリカに比べたら疲れたなんて本人達の前では決して言えないものだった。
これは本当に前代未聞のことであるし、今後は二度とないだろうと言えるほどの一日だったのだ。
何せ、まさか婚姻式と戴冠式を一日で行ってしまったのだから。
「本当、よく一日で出来たもんだねぇ」
「婚姻式後の国を上げての祝杯を簡略化いたしましたし、何よりもあの魔具を使用したことで国民へのお披露目も同時に行えたのが大きいかと思われます」
「そうだね」
ランスロットとアンジェリカの婚姻は、この大神殿にある紅星の間で執り行われた。参列者は限られた者のみで、粛々と我らが神への誓いの後に署名を行い、さらに互いの指輪へと誓いを行った。
この後、本来であれば王城にて披露宴と言う名の祝杯が行われる。そして国民へのお披露目ということで王都の南部地域だけではあるが馬車に乗って回るのが通例らしい。だが今回は祝杯もお披露目も無し。そのまま戴冠式を行ったのだ。戴冠式後も、国民への挨拶ということで同じように南部のみではあるらしいが馬車に乗って回るという。
であれば、一つにまとめてしまえという話になった。
さらに重ねると、折角ならば現状の様子を映し出せる魔具、写映機を使ってどうにか国民へのお披露目をしてしまえという話になったのだという。
これらはアンジェリカからの話であり、さらには奈緒からの話でもあった。
写映機は小さな銀の盆のようなものに映せるのがようやくだったらしいが、国民へ見せるとなると大きなものが必要だったし、何よりも数が必要だった。
そのためにユアンと開発局は冬の間、寝る間も惜しんで開発と量産を行った。その結果、開発局へ缶詰になったユアンの元へ奈緒は連日足を運び、毎日死んだ魚のような目をしていた。
また、その話を聞いた貴族達はどうやら家に一つ欲しかったのか、支援金を開発局やレイメイへと渡してきたりとしてきたもので、そっちの面でも忙しい日々を送っていた。
主にレイメイでは書類仕事が出来るルイスを含めた全員と、大神殿の神官達。そして王城の文官である深緑が。高官の純白は良い顔して、全て深緑に投げていたらしく、今回のことで大神殿の神官とレイメイ、深緑の関係が良くなったのは言うまでもなかった。
そんな、忙しい冬の日々はあっという間に過ぎ、そしてようやく今日、全てが終えたわけである。
「写映機はうまく動作したのかな」
「そのように連絡を受けています。おかげでどこもお祭り騒ぎのようですよ」
王都全体ではないが、それでも主要となる場所に設置された写映機は薄型のテレビに似ていた。大きさだって、大人二人いれば魔術を使わずに運べるほど。それでも十分に見ることが出来たらしい。
また貴族の家にも個別でそれよりも小さなものが置かれているが、さすがに全ての家には置かれることは出来なかった。その為に、爵位が上の家は他の家の者を呼び、共に見る形となったらしい。
とは言え、日を改めてきちんと国民の前へと姿を見せる予定ではあるらしいので、その時はもっと盛大なお祭り騒ぎになるだろうなと静は他人事に思ってしまった。
「……なんだか、申し訳ないなぁ」
「静様のせいではありません」
「けど……」
「アンジェリカ様からもおっしゃっていたでしょう? 静様のせいではない、と」
誰も、静に対して優しい言葉を向ける。いつも何かしらをやらかしては小言やら何やら、口うるさく言われると言うのに今回は違った。
これは静自らが動いた結果のものではない。とは言え、これが原因と言わずに、何と言えば良いのか。
重苦しい罪悪感が胸にのしかかり、静は小さく息をついた。
「……ねぇ、ルイス。お茶、飲みたいな」
「はい。すぐにご用意いたします」
静の願いにルイスは淀みなく答えてくれ、すぐに準備に取りかかった。
後、どれほど見られるだろうか。後、どれほどルイスが入れてくれる紅茶を楽しめるだろうか。
漠然とした未来を想像し、静はルイスの姿から窓の外へと視線を向けた。
発芽した。
これは隠喩であるが、その一言でレイメイの誰もが理解してしまうものだった。
静に根付いている心臓の病の症状らしきものを確認したとルイスが隊員達、そしてヴィンセントとカルロスへ告げたのは大神殿に戻り、三日経った時だった。それと同時、いつものように四人で集まっていた時、静は三人へと病の症状が出たことを告げた。
発芽したのは冬至の儀式が終わってすぐであった。
疲労の可能性だってあった。だから様子を見てすぐに告げることはなかった。ノーザインの城で休み、そこから時間をかけて安全に王都の大神殿に戻り、三日が経った。その間、そんな頻度ではないが、ふっとした時に、つきり、という針で突かれるような痛みは本当に時々でていた。
そこでようやく静は受け入れた。
もう、なるようにしかならない。分かった。それはそれとして、まずやるべきことをやろう。
そう決めて、静は三人へ。そしてルイスはレイメイの者達や静の病を知る者達、そして王族へと伝えた。
どうやら、伊織は棘のようなものが見えていたらしい。ただ、あまりにも静が普通に過ごしているし、ずっと見えているものではないから様子を伺っていたのだと涙ながらに語った。
奈緒や真咲は、伊織を責めなかったし、静も責めなかった。
その日は四人で一緒に夜を過ごした。
レイメイの隊舎内は冬の間、なかなかに肌がひりつくような空気が漂っていた。
誰も、すぐに告げなかったルイスに責める者はいなかった。後からレイメイに入隊してきた者達はどうやら静の件をまだ伝えてはいなかったらしい。その後、ノーマンとフィルが沈黙の誓いをさせた後に伝えたとのことだ。皆、どんな反応だったのか静は聞いてはいない。
それでも、ノーマンの表情を見るにあまりに良いものではなかったようだし、とくにライリーは静を前にするとすぐに顔を歪めそうになっていたほどだ。
大事に思われている、と思えば良いのだろう。この聖女という立場だからという理由だからかもしれないが、それでも心配をかけさせているという点は申し訳ないことだった。
「静様」
「なぁに」
「言っておきますが、無駄ですからね。先延ばしにしても」
静は独特の清涼感を感じるいつもの紅茶に口をつけながら、一瞬ルイスへと向けかけた視線をすぐに窓へと戻した。
今、この部屋にはリーリアがいない。レイメイの方でルイスの代わりにある程度ではあるが書類の仕事をしている最中だった。つまりは、呼んでもすぐには来ることが出来ない。
そして何が無駄だというと、今の静の恰好であった
婚姻式および、戴冠式の出席をしたわけだ。当然のことながらいつもの動きやすさを重視した衣服ではなく、儀礼の時に一度だけ袖を通した服を身に着けていた。
夜会で来ていたドレスよりは断然良い。靴だって平たいもので、歩きやすい。とはいえ、残念ながらこれは一人で着替えることが出来ないのだ。
背中に止め金具がついているし、姿勢を良くするためにきつくはないがコルセットもつけている状態だ。
「それにアラレの毛が目立つので、早く着替えていただきたいのですが」
「うん。分かった、だから」
「どうやって一人で着替えようと? 朝だって私が手伝ったと言うのに」
ルイスは容赦なく追い込んでくる。出会った時はただの侍従兼騎士。そこから恋人となり、今やはっきりとは公言しているわけではないが婚約関係でもあるわけだ。
そんな相手にこれである。
騎士という立場は今後も変わらないだろう。だが本人曰く、侍従は止めたつもりではないと言うほどだし、今まさに着替えを手伝おうとしている始末だ。
確かに紳士的であり、この冬の間、とくに困ったようなことはない。とはいえ、恥ずかしいものは変わらないのだ。
「まだ慣れないんですか?」
「だってさぁ……」
「あちらでもそのようになさるおつもりで?」
ぐっと静は言葉を詰まらせ、すっかり空になってしまったカップを脇のテーブルへと置く。
本当に嫌なところをついてくる。
静はわざとらしく大きく息を吐きだし、膝の上にいるアラレを抱きかかえた。その際、不機嫌そうににゃあ、とずいぶんと低い声で鳴かれてしまったが、すべてはルイスが悪い。
なだめる様に抱きかかえたまま頭を撫で、椅子に置く。
「分かったから」
「はい。では、こちらに」
すでに着替えのための準備を整えているルイスに促され、静は大人しくそちらへと足を向けた。
あちら。
ただ、今日一日で婚姻式と戴冠式を行ったのは静の病の件もあった。いつ急変するか分からないから早急にやってしまおうという理由だった。しかしそれだけなら同日に行う理由にはならなかった。
同日に行わったのは、他に大きな理由があったからだ。
それはまだ冬の、雪深い日の出来事。
南の黄金と呼ばれる国、メシュラルドから使者がやってきたのだ。偵察に行っていたロビンと共に。




