10 薄紅が舞う空に
今回の巡礼には、各町や村へ訪れて祈る以外にも目的があった。
それはエヴァンハイン家に訪れることだった。
無事にエヴァンハイン家の領地に入り、前回と同じく神殿や祈りの場を回る。前は時間が無くて立ち寄ることすら出来ずにいたのだ。だからある意味楽しみにしていた、訳なのだが。
真咲は思わず、目の前のずいぶんと大きな屋敷を呆然と見上げてしまっていた。
「……貴族の家って、こんなに大きいの?」
「知るか。ギルバート、どうなんだよ」
「僕の家と比べようとしないでよ」
貴族であるギルバートでさえも、この屋敷はとても大きいものなのだと真咲は理解した。
そして、真咲は視線を下ろす。大きな扉の前に立つ人々。何人かの仕える人達が傍らに寄り、その中央にいる男女達は、着ている服から貴族であることがすぐに見て取れた。
ただ、そのうちの一人だけ、褐色の肌を持ち、完全に異国と分かる衣服を身にまとう男が妙に目を引いた。
既視感。というより、すぐに静の隣にいる騎士の姿が思い浮かんだ。
「お久しぶりです、真咲様。このような遠い僻地まで足を運んでくださり感謝いたします」
真咲がその姿を思い浮かべる中、中央にいる見覚えのある男が柔和に微笑んだ。
まだ一年も経っていないが、ずいぶんと久しいその人こそ、このエヴァンハイン家当主、ジェラルドであった。
ジェラルドはほんの少し困った顔をして、歩きながら真咲に振り返った。
「お疲れでしょうに、歩かせてしまい申し訳ありません」
「大丈夫です。馬車にずっと乗っていただけだから、むしろ歩きたくって」
「それはそれは」
ジェラルドに案内されるまま、真咲は屋敷の庭園の中を歩いていた。ずいぶんと広い庭園は、冬の寒さのせいで寂しいものになっていた。
おかげでどんな植物があるのか分からないが、何やら見覚えのある樹木があったりして、真咲はうっかり二度見した。
あれは絶対、松だ。間違いない。
「なんていうか……、いろんなのがあるんですね」
「ええ、ヴィートが知らないうちに増やしてしまっていて」
ジェラルドはそこで足を止め、真咲のさらに後ろへと視線を向けた。
その視線の先、ヴィートと呼ばれた褐色肌の男は、朗らかな笑みを浮かべた。銀の髪に赤い目と異なるし、その表情も違う。が、それ以外は本当にそっくりだった。ルイスと。
「似ているでしょう? 見目だけ、ルイスと」
「……そうですね」
間違いなく親子だと誰もが見て分かるほどだった。
オリヴィアとイーサンが顔を寄せ合い何かを話している。視線の先にはもちろんヴィートだ。
ヴィートは大きな肩を揺らし、困ったように眉をひそめた。
「そうなんだよなぁ。見た目だけ俺そっくりになっちまって」
「中身はまるで違うんだけどね」
「そう、髪と目、それと中身はセレスそっくり。あ、セレスってのは俺の妻な?」
先ほど正面で出迎えてくれた時、ヴィートの隣にいた女であろう。なかなかに迫力のある人だったという印象しか真咲は正直覚えていなかった。
真咲は正面に向き直り、歩みを進める。
今日はこの屋敷で休むことになる。その時にゆっくりと話せるだろうから、今はまずやるべきことを考えようと気になりつつも、考えることを切り替えた。
「真咲様、あちらの樹木になります」
ジェラルドが案内してくれた先を見る。そこには葉が全て落ちた一本の木が立っていた。
真咲は迷わずに駆け寄り、その木の樹皮に触れた。
「……何の歌が、良いかしら」
これが、一番の目的だった。
何せこの桜の木は、静を救った眷属達のうちのお一方なのだから。
だから、とびきりの歌を歌おう。
真咲は数歩後ろへと下がる。下から上までじっくりと見据え、そうして大きく息を吸い込んだ。
曇りのない青空のように澄んだ麗しい響きの歌声は、水面の波紋のように広がる。それに呼応するかのように光が真咲を中心に降り注ぐ。
そして、目の前の樹木が柔らかく光を帯び、薄紅の美しい桜の花が突如として咲きわたった。
真咲は薄紅色の雨に驚きながらも最後まで歌い続ける。声色高く、最後の音を響かせた真咲は、咲いて、すぐに散り始める桜へと手をかざし、くるりとおどけて回った。
「ふふふっ……! ねぇ、すごいわよ! カルロス!」
ずいぶんと久しぶりに見る桜の美しさ。元の世界で見た桜と同じだと言うのに、どうして心が震えるほどに美しいと思えるのか。
真咲は桜の花びらに手を伸ばす。と、その手を大きな手が掴んだ。
「どうしたのよ、急に」
「あ、ああ……」
真咲は突然掴まれた事に驚いた。何せ、いつもカルロスはほとんど真咲に触れようとしないから。
そして何故か、掴んだのはカルロスだというのに驚いたような顔をして真咲を見て、桜を見上げ、大きく息を吐きだしながら手をすぐに離した。
ずいぶんと呆気なく離すものだから、真咲はつい唇を尖らせた。
「そう、だよな……。いや、悪い。なんつぅか、あれだ」
「さらわれそうに見えた?」
桜にさらわれる、なんて言葉を真咲は聞いたことがある。あの言葉の意味をよく分からないが、まさかそんな風に見られたら、なんて意地悪するように真咲は問う。するとカルロスは険しい顔を浮かべた。
真咲はつい、大きく肩を揺らして笑った。
何か言いたげのカルロスなんて無視し、真咲は気分よくもう一度くるりと回りながら桜を見上げる。
そして、舞う薄紅色の雨の中から真っすぐに空の欠片が降りてくるのを見て、真咲は迷わずに手を伸ばした。
「久しぶりね、ラウディアータ。それともディーヴァって呼んだ方が良いかしら」
『元気そうね、真咲。ディーヴァって呼んでくれると嬉しいわ』
空から降りてきた、一羽の空色の鳥。我らが神が愛娘、ラウディアータはあの時と変わらず軽快な声で真咲と言葉を交わした。そして折角、鳥の姿なのだからとディーヴァで呼ぶように強請り、真咲はもちろんだと頷いた。
「それで、今までユフィアータに押し付けて何してたの?」
『ちゃんとお役目をしていたのよ。後は聞いての通り』
「……ああ、そういうこと」
ラウディアータは煌めく星々。導くのが役目である為に、きっとあちらこちらと迷える人々を導きまわっていたのだろう。そして、その理とかいう相手をしていた、ということだ。
その理とは一体何だというのか。
静が消滅されるかもしれない危機にあるというのに、結局の所、はじまりの神についての手がかりなんていうのは一切無し。この導きの力でさえ、そんなものは無いと言わんばかりに光は霧散するだけ。導くが役目のラウディアータに聞いたところできっと分からないと答えられるだろう。
けど、何か手立てはないだろうか。何か。
『ねぇ、真咲はどこへ行きたいの?』
突然、ラウディアータ。ではなく、ディーヴァが真咲に問いかけた。
どこへ。
一瞬、真咲はその問いの意味が分からずにいた。しかし聞いてのきたのはディーヴァだ。であれば、答えはとても簡単なことだった。
「決まっているでしょ? 皆と、楽しく生きられる未来よ」
『最高ね』
「でしょ? もちろんディーヴァもだから」
『嬉しいこと言って』
本当に嬉しく思っているらしい。ディーヴァは笑っているのか、小さく囀る。すると、その声につられてか真咲の肩がけの鞄から二羽の鳥達が飛び、真咲の肩へと止まる。
ディーヴァと鳥達が囀り合う。まるで歌を歌っているかのようだと真咲は思った。
『……なんだか、楽しそうなことがあったみたいね?』
「ええ、とてもね」
『良いことだわ』
ちょっとしたおしゃべりをしていたらしい。囀り交じりにディーヴァが声を弾ませた。
それにしても、ディーヴァは何のためにやってきたのか。もしかしたら、おしゃべりする為にだけ来たのだろうか。それならそれでも良いけども。
なんて真咲が思っていれば、ディーヴァは真っ直ぐに真咲を見上げた。
『真咲達のその力は、この国の外へ出ても問題なく使えるわ』
「うん……?」
『ただ、外に出たらあたし達の加護の範囲外だから、回復出来ないから気を付けて』
突然、ディーヴァは国外の話をしてきた。しかも内容からして、とても重要なものだった。
真咲はそれはつまり、とぐるぐると思考を回して不安を隠しながらも問いかけた。
「外に、行かなきゃいけないってことよね……?」
『そういう事』
「どうして?」
『ちょっとぐらい考えなさいな』
すぐさまに真咲はカルロスに振り返った。
「カルロス、頑張って!」
「おい、いきなり俺に振るんじゃねぇよ! えーっと、なんだ? つまり、外に何かあるってことだろ? おい、イーサン! 国外って今、どうなってんだよ!」
そしてカルロスはイーサンへと話を振る。イーサンと、そしてオリヴィアはそろって頭を抱えた後に見合わせ、また大きく息を吐きだした。
「お前さぁ……。いや、エヴァンハインご当主の前だから良いけどさぁ」
「ディーヴァ様が来た時点で無理だろ!」
「はいはい」
吠えるカルロスに、イーサンは仕方がないと言わんばかりに大きく肩をすくませた。
漆黒は何かを知っている。しかし、外にそれを言うのは禁じられている、のかもしれない。真咲は分かっていないなりに、それらしく考えてみる。だが、それ以上は何も思い浮かばなかった。
「何か掴んでいるんだね?」
「はい」
ジェラルドは軽く腕を組み、顎をさすりながら問う。イーサンはすぐにジェラルドへと身体を向け、姿勢を正した。
「大神殿に襲撃があったという報告はすでに受けている、と思うのですが」
「ああ、知っているよ。それとマティアス殿下……いや、マティアスが失踪したということも」
ジェラルドはにこやかに微笑む。しかしどうしてか、その目は真冬の豪雪のようだと真咲は思えた。
「その件で、大神殿の襲撃に使われた呪術、だと思われますが。それに異国の魔鉱石が使われていたんです」
「異国の、か。どこの物かは判明したのかな?」
「はい、メシュラルドです。現在、メシュラルド出身の漆黒が偵察に行っています」
真咲は初めて聞く国名に首を傾げる。そして異国嫌いなこの国で、異国の人間がそこまで頼られるなんてこともあるのかと、純粋に感心した。
その真咲の考えている事を察したのか、イーサンが苦笑を漏らした。
「ロビンですよ。あいつ、メシュラルド出身なんです」
「え、そうなんだ。っていうか、メシュラルドってどこ……?」
すると今度は、ジェラルドの横に並んだヴィートが口を開いた。
「ロトアロフの真南の隣国。南の黄金、メシュラルド。あそこも未だに国内のゴタゴタが片付いてないし、そりゃあ紛れるにはうってつけだな」
「このロトアロフよりも広大な国だから余計にだろうね」
ヴィートの赤い瞳と、ジェラルドの深緑の瞳が互いを見る。揃って薄い笑みを浮かべており、そこには言葉なくとも視線で十分に会話しているかのように見えた。
そして視線の会話を終えたのか、ジェラルドはまたイーサンへと微笑みを向けた。
「それについて、ルイスは知っているのかな?」
「はい。とは言え、その後どうなっているのかは不明です。この調子じゃ、冬至の儀式には戻れないかもしれないでしょうね」
「それは残念だ」
ひどく残念だと言わんばかりにジェラルドは大きく肩を落としたが、ずいぶんとわざとらしいものだった。
真咲は変なの、としか思いつつも話がちょうどよく終わったと思い、再び手に止まるディーヴァを顔に寄せた。
「あたしの望む未来の為に、行かなきゃいけないのね」
『そうかもしれないし、違うかもしれないわ』
「……あたしが、行かなくても?」
『どうかしら? あたしはより良い方へと導くだけで、未来なんて分からないわ』
「思ったんだけど、結構適当じゃない?」
導くにしてはずいぶんと曖昧な態度に、つい真咲は少しばかりの不満を口にした。しかしディーヴァは何が面白いのか小さく囀る。
『そんなものよ。人間、欲深いんだから少しでも良かったらもっと欲しくなって結局駄目にしちゃうんだから』
分かっている、と言い切れるほど真咲はまだ多くを見ていない。しかし繰り返し歌い続ければ、ディーヴァの、ラウディアータの言葉に納得してしまう日が来るのかもしれない。
それでも、その過去から目を逸らすつもりはないし、だからこそより良い先へと導くために頑張ろうと思えるのだ。
そう、だから手始めに今、やるべきことをやらなければ。
真咲は口元を引き締め、カルロス達へと振り返った。
「メシュラルドって、どっちの方向?」
「あちらですよ、真咲様」
「ありがと、イーサン」
すかさずに教えてくれたイーサンの指し示す方へと向きながら、手に止まるディーヴァを肩へと移らせる。イーサンはしかし不思議そうに僅かに小首を傾げた。
「けど、真咲様。それ聞いてどうするんです?」
「ロビンがちゃんと帰って来られるよう、祈っておくわ」
まずは、外にいるロビンがちゃんと迷わずに帰れるようにしなければならない。故郷とは言え、故郷だからこそ、何かに迷う時があるかもしれない。そしてそのままあちらにいるのかもしれない。
これは帰ってきてほしいという、ただの真咲の我儘だ。そこまで深くは関わってはいないが、大事な人達の一人であることに変わりなかったのだから。
だが、真咲が我儘だと思ったことはどうやら違ったらしい。
オリヴィアとイーサンが二人して真咲に詰め寄り、懇願してきたのだ。
「お願いします。本当に、ちゃんと、早く帰って来られるように祈ってください……!」
「いや、本当に。あいつ、なんか知らないんですけどいつの間にか婚姻して、なんかガキが生まれるとかで」
「はぁ?! それ早く言いなさいよ!」
それは帰らなければならない。絶対にだ。
と、真咲はそう言えばと思い出し、ジェラルド達へと振り向いた。
「あ、リーリア……えっと、静の侍女なんですけど」
「はい、覚えていますよ」
「ジェイクとの間に子ども出来て、婚姻しました」
二人は無事に墓守がいる神殿で婚姻をしてきたと静から連絡が届いた。どうやらヴィンセントが手配した二人の神官がいたおかげで滞りなく行えたんだとか。
喜ばしい話だ。だからと真咲は二人に伝えれば、ジェラルドは眉を顰めて小さく唸った。対し、ヴィートは満面の笑みを浮かべ、ジェラルドの肩を掴んだ。
「祝いの品を用意しなければ」
「そりゃあ祝わねぇとだ! 何するかな」
「ヴィートはセレスに選んでもらいなさい。ところでヴィートはディーヴァ様とお会いするのは初めてだと言うのに驚かないんだね」
「いや、今更だろ?」
そういえばヴィートはディーヴァと会うのは初めてだと言うのに、全く驚く様子を見せなかった。
度胸があるのか、それとも驚きながらも隠しているだけだったのか。ここに伊織がいれば一発で分かるが、きっと伊織は教えてはくれないだろう。
それともかく、と自分で話題を広げたことを棚に上げて、真咲はまた南へと向き、先ほどまで降り続いていた薄紅の花弁はずいぶんと減っていたことに気付いた。
真咲は手を伸ばし、今度こそ花弁を一枚、そっと空中で捕まえた。
「ふふっ」
思わず笑みを零した真咲は、家に帰るための歌を歌う為に、大きく息を吸い込んだ。




