09 空は何を見つめるか
町から町へ移動するその道中。揺れる馬車の中、真咲はふと気になった。
婚姻の儀式って何だろうか、と。
昨日、静からの連絡を受けた真咲は正直興奮していたし、そこまで疑問に思わなかった。とにかくリーリアとジェイクのこの先の未来が幸せであるように。そしてお腹の中にいる子が無事に生まれるようにと祈り願っていたくらいだ。
そして一夜明け、そんな疑問を抱けるくらいにはようやく落ち着いたのだった。
「ねぇ、アリッサ。婚姻の儀式ってどうするの?」
「婚姻の、ですか」
膝の上で鳥達の餌を与えていたアリッサは目を瞬かせながら顔を上げた。
「……そうですね。一言で言うなら、我らが神の前で誓います」
「……それだけ?」
「本当に簡易的な方法になります。平民ですと文字が書けない場合がありますので、誓いと指輪。無ければその代わりとして常に身につけられる物を用います」
「文字書けないと駄目なの?」
「記帳をしなければならないので。ですから自分の名前だけは書ける者というのが多くおります」
「へぇ……」
誓いのキスとか、そういうものはないらしい。
良かったのか、良くなかったのか。これについて真咲は今、よく分からなかった。そしてふと、好奇心のせいで相反する疑問が浮かんできてしまった。
真咲はどうしようか、と迷いつつもつい、好奇心に負けてアリッサにさらに続けて問いかけた。
「あれよ? ちょっと、その興味本位って感じのだけど。別れたくなったら、とか」
「神殿により審議がかけられます」
「うわ、面倒」
「そういう物です。真咲様のお国では異なったのですか?」
逆に聞いてきたアリッサに、真咲はどう話そうかと迷った。
異世界のことを、この世界で教えることは理により禁じられている。とはいえ、ある程度のおこぼれがあることも知ってる。だから簡単な、本当に最低限のことだけを答えることにした。
「そうね。儀式……っぽいのは、いろいろとあるけど。基本的には書類に名前書けば良いだけよ。もちろん別れる時も一緒」
「……そんなもので……」
「そう、そんなものなのよ。だから気軽っていうか……。大事なものなのに」
結婚するのも、離婚するのも紙切れ一枚。お手軽簡単。だから余計に、一緒に生きるという意味がずいぶんと軽く聞こえてしまうような気がした。
あの時代の、あの世界では良い事なのかもしれない。そのうち、遠い未来にでも同じようになるのだろうか。そうなるのは、ちょっとだけ寂しいと真咲は思ってしまった。
長く馬車に揺られて、ようやく降りた町を見渡し、真咲は小さく首を傾げた。
「どうしましたか? 真咲様」
「え、ええ……。ここ、確か来た事があった、と思って。たぶん」
駆け寄ってきたオリヴィアに自信なさげに答えれば、さらに横に並んだイーサンが笑みを深めた。
「やっぱり覚えてましたか?」
「やっぱりって?」
「ほら、ここ。我らが神の像が壊されていた町ですよ」
ぴたり、と真咲は周囲を見渡すのを止め、イーサンをまっすぐに見やった。
「あの町?」
「はい。で、どうします?」
イーサンからのその問いの意味を真咲はすぐに理解した。そんな答えが分かりきっていることをあえて問いかけたイーサンに、真咲は笑みを深めた。
「もちろん、祈りに行くわよ」
あれからほぼ一年。いや、まだ一年は経っていないけども、だいたいはそのぐらいだ。だから何かしら、せめて壊された我らが神の彫像があれば良いと願いながら真咲は足を進めた。
この町の祈りの場をよく覚えている。
争いが起きたかのように荒らされ、祈れるような状態ではなかった。そして我らが神、アルカポルスの彫像の姿は無かった。
犯人はその町の町長だった。最後、どうなってしまったのか真咲は知らない。ただ、この町にはいられないだろうな、と他人事に思うくらいだった。
イーサンに案内されて、あの祈りの場へ行き、見えたその姿に思わず空色の瞳を細めた。
清廉とした空気に満ちた、美しい祈りの場。それを前に真咲は自然と微笑みを浮かべた。
「綺麗ね」
誰に言うでもなく、真咲は呟き後ろへ振り返る。
真咲が訪れたことはすぐに町に広がったはずだ。その証拠に隠れていた人達がこそり、と物陰や遠くから真咲達一向を見ていたのだから。
と、カルロスが真咲の肩を指先で軽く突く。どうしたのかと思いつつ、カルロスの視線の先を追う。
そこには、親子であろう男と女、そして二人の子どもがすぐ近くから見ていたのだ。きっと真咲が来るまで祈りを捧げていたのだろう。
不安げに見つめてくる大人二人と、きらきらとした目を向けてくる子ども二人。その四人に向け、真咲は言う。
「たくさん、お祈りするわね」
前、祈ることが出来なかった分を込めて、精一杯。
真咲は我らが神の彫像の前に立つ。そうして大きく息を吸い、喉を震わせた。
今日、歌うのは未来に進むための、希望の歌だ。
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南下しながら、さらにいくつかの町から町へ。そして村へと進んで行く。その途中で賊に会ったり、魔物に会ったりしながらも、前よりはずいぶんと安全に進むことが出来た。
どこも荒らされた祈りの場や神殿は綺麗に整えられており、そこにいる人達は以前にくらべて表情は明るいものになっていた。
良いことだと、真咲は分かっているし理解はもしている。けども、どうしても素直に喜ぶことは出来なかった。
「真咲様さぁ、見ねぇんだったら止めるぞ」
「ついでに魔術の練習も出来るでしょ? ほら、もっと見せてよ」
「あのなぁ」
ぼんやりと真咲がしていることに気づいたカルロスは、魔術で生み出した炎を消し去り、剣を鞘へと戻した。
今、真咲はあの夜会で願った通り、カルロスの魔術を見せてもらっていた。カルロスが嫌いな、炎の魔術。真咲にとっては美しい魔術だというのに、どうしても集中して見ることが出来なかった。
折角、アリッサ達が気を使ってか、一人で独占できる状態にしてくれたのに、だ。
「何が不満なんだよ」
「……別に、不満とかじゃないわよ」
「それなら、なんでそんな顔してんだよ」
カルロスは簡易的な椅子に座っている真咲の前まで歩みより、真咲の顔を覗き込むように片膝を着いた。
真咲は今、一体自分がどんな顔をしているのか分からず、両手で頬をもにゅ、と揉んでみるとカルロスは呆れたように息をついた。
「すっげぇ不満そうな顔」
うるさいな、と真咲は反射的にカルロスに言いかけ、言葉を飲み込んだ。事実、真咲は本当に不満で、不愉快で、いっぱいだったから。
頬から手をおろし、真咲はカルロスの青く凪いだ瞳から逃れるように視線を横へと動かした。
「……前、来たときは皆、あたしのこと嘘つきだって言ってたくせに……。それに、静のこと」
最初の巡礼の時、訪れた町や村では、真咲に対してそこまで好意的ではなかった。場所によっては祈りの場が悲惨なことになっていた。そして、銀の聖女である静に対して、残虐な聖女であるという話まで広がっていた。
だというのに、今はすっかりそれらの影はなかった。打って変わって真咲に対して好意的なものに変化し、祈りの場はすっかり綺麗になっていた。そして、残虐な聖女という話は何事もないように消えていた。まるで最初からなかったかのように。
良かった、と思えた。けども、なんでこの人達は自分達がしてきたことを忘れてしまい、当たり前に過ごしているのか意味が分からなかった。
「仕方がねぇって思わなきゃ、やってらんねぇよ」
「けど」
「それなら、いつまでも前はこうだったって、そいつらのこと赦さねぇつもりか? 静様もそうすると思うか?」
そんな真咲にカルロスは冷静に問う。卑怯で、簡単過ぎる問い。だから真咲はすぐに答えた。
「静はしないわ。むしろ赦し過ぎて心配になるくらいよ」
「だよなぁ」
何せ、自分の命を狙った刺客達を赦すだけではなく拾ってしまうのほどの器が大きすぎるのだ。もはや問いにもならない。
分かりきった問いをしたカルロスは、さらに真咲に問いかける。
「真咲様はさ、静様を大切にしてくれなかった奴らが気に入らねぇの?」
「……そうよ」
「けどさ、静様なら赦すかもしれねぇんだろ?」
「ええ、もちろん」
「じゃあ、なんで真咲様が怒るわけ?」
「それは……」
真咲はつい、言葉をつまらせた。
けど、だって。静は仲間で、大切な人で。傷つけられたら怒るのは当然で。けども、静は笑って流すだけなのも知っていて。むしろ真咲が怒るときっと、困った顔をするのだって簡単に想像がついて。
カルロスは小さく息を吐き、しかし困ったように笑った。
「気に入らねぇのは分かる。すげぇ分かる。俺の見目はこの国の奴らと一緒で産まれはこの国だが、半分は異国の血が流れている。で、それを知った奴らは途端離れるか、訓練中にぶん殴ってくる」
「禄でもない奴らね」
「そう。んで、俺と同じ異国の血が流れている奴らがこぞって集まってくる。今まで敵対心向けてきやがったのにだ」
このロトアロフはまだ、異国に対して排他的だ。そんな中、カルロスは見目も、生まれもこのロトアロフの人間として産まれた。しかし半分、異国の血が流れている。
ルイスともまた違うが同じく異国の血が流れているからこそ、いろいろとあったのだろう。それこそ深紅だからこそ、分かりやすく暴力なんてものも会ったのかも知れない。
カルロスはさらに続けた。
「そりゃあ腹が立つが、一々気にしてられねぇってのが本音だ。たまぁに正義感が強い奴が異国なんて関係ないって言って、そういう奴らを怒るが正直止めてほしい」
「何でよ。怒ってくれているんでしょ?」
「余計な問題起こしたくねぇんだよ」
人のために怒れるのは良いことだと、思っていた。けども、それは人によっては迷惑なものだと続くカルロスの話を聞いて、真咲は理解した。
「俺が戦うことが嫌いなのは知ってんだろ? そういう争いも、喧嘩も当然避けたい。そんで理由が俺の為とか勝手に言って巻き込んでくるからたまったもんじゃねぇ」
カルロスは深紅の騎士ながら、戦いを好まない。ただ、戦えるだけの才を持っているだけだった。そんなカルロスだからこそ、極力争いを避けようとするのは当然で、むしろ迷惑になってしまうのだと知った。
誰も彼も、争いの元へと近づきたくない。そんな単純なこと、どうして分からずにいたのか真咲は自分のことなのに不思議でならなかった。
「……そう、そうね。静からしたら、たぶん赦して終わりにしたいだけかもしれないわね」
「あのお方、仲間相手はよく見ているけど、それ以外は本当に気にしねぇっていうか」
「そうなのよ。で、静って外から見るのが好きなのよ」
「真咲様達相手でも?」
「そうよ。静って雑談あんまり得意じゃないっぽいのよ。基本聞き役ね」
「じゃあ、ルイスと何話してるんだ?」
「知らないけど、ルイスの執務室にいるときはずっと本を読んでるらしいわよ。歴史書が難しいとか言っていたわ」
仕事の邪魔をしないように、なのだろう。けどもその間、ずっと本を読んでいるなんて眠くならないのだろうか。
真咲にはよく分からないことだ。そしてカルロスは大きく顔をさらに険しくさせているのだから、きっと同じことを考えていそうだと真咲は思った。
「……静は、そうね。ずっと前ばっかり見ているから、なのかもしれないわね」
「おかげで周囲は振り回されてばっかりだけどな」
「本当よ」
なるようにしかならない、と静は言った。けども静は、そんなことを言いながら、自分が望む未来になるように常に前を向いて歩き続けている。だから最後、望んだ結果が違っても納得しているから、なるようにしかならないと言えるのだと真咲は思う。
そして真咲は次に伊織の姿を思い浮かべた。
「伊織はよく分からないの見ているし」
「よく分からないって……」
「聞いても良く分からないもの。仕方がないでしょ?」
ふわふわ。つんつん。なんてことばかりを伊織は教える。本当にそう見えているのかもしれないけれども、あの目は伊織が知っている何かしか映らないのだから、一応はそれなりに見えているはずだと真咲は何となく想像している。
あえてそう言い換えているのかもしれない。何せ伊織は一番、本当のことを話そうとはしないのだ。下手したら静よりも黙っている方が多い。それでも楽しそうに話を聞いているのだから、無理に変える必要はなかった。
「奈緒は本当、よく周りを見ているっていうか」
「すげぇよなぁ……。ユアンもいい加減に片付けなりすりゃあ良いのに」
「あれ、甘えてるだけよ。きっと」
そして奈緒は本当によく周りを見ている。隙あらばさりげなく手を貸そうとするのが厄介だが、助かっているのは本当なので不満は抱くも次こそは、と真咲は朝食を作る時いつも思う。
真咲は奈緒と一番よく会話をする。昨日はこんなことがあって、だから今日はきっとこうなるんじゃないか、とか。ユアンの話とか、レイメイの話とか。しばらく開発局に行っていないから、そろそろ行こうかな、とか。
本当に他愛もない話ばかりだ。だから一番気が抜ける相手でもあり、ついつい我儘ばかりを言いそうになる。
母のような人。包み込んでくれる人。まっすぐに今の自分を見つめてくれる人。
「じゃあ、真咲様は何を見てるんだ?」
「あたしは……」
カルロスの意地悪な問いに、真咲は空色の瞳を彷徨わせた。
静は前を見ている。伊織は深い所を見ている。奈緒は今を見ている。
それならば。
「あたし、なるようにしかならない未来にしたくないのよ」
誰もが静のようには進めないことを真咲は知っている。
あれを諦めて、それを諦めて、楽な方に行って。仕方がなかったと後悔しながら進むしかない人達がいることを真咲はちゃんと知っている。
「諦めるしかない未来に、導きたくないの。だから」
出会った全員が、静へ向けていた悪意にも似たものをまるでなかったかのように振る舞っていたわけではなかった。
真咲に出会い、そして深く懺悔をしてきた人達だっていたのだ。赦されることは望まずとも、ただこれを罪だと言って悔やむ人だっていたのだ。
「今までの道を、もっとちゃんと見るわ。どうしてここまで来たのか、とか。本当はどんな場所に行きたかったのか、とか。そういう話もして、知って、見て。そしたらもっと良い未来に導けると思うのよ。だからあたしは、今まであった過去を見るわ」
きっと静は、その人達を見ても困ったねと言って、それでも生きてねと言う。伊織はきっと沈黙する。奈緒はついついかまって休ませるか、度合いによっては切り捨てるかもしれない。奈緒だって冷たいところはある。真咲もきっとそうする。
それでも、その罪に苦しんでどうしようもなくって、進み方が分からなくなりながらも進もうとするなら力になりたいと望んでいる。
聖女だからだとか関係ないが、その力がある。それなら出来ることをしようと、その為に今までの過去を見ようと決意した。
「……本当、真咲様はすっかり聖女様だよなぁ」
「最初から聖女様よ」
「知ってる」
カルロスは真咲が導き出した答えに、分かりにくい笑みを浮かべていた。そして変わらずに凪いだままの青い瞳に、真咲は素直に見ることが出来ず、視線を反らした。
「ねぇ、カルロス」
「何だ?」
「カルロスは……」
思うのだ。この、今の道はカルロスが本当に望んだものなのだろうかと。
戦うことを嫌う騎士。しかし真咲を唯一の主として血の誓いまでしてしまった真咲だけの騎士。二度と戦いから逃れることが出来なくさせてしまった。
無意識に真咲は膝の上に乗せていた両手を握りしめ、視線を落とした。
ふっと、カルロスが僅かに笑ったような音が耳に届いた。
「俺は、俺が選んだ未来に進んでいる。諦めとかじゃねぇからな?」
「……けど。戦うの嫌いなのに」
「嫌いだな。けど、それ以上に真咲様を守れねぇ方がもっと嫌だったから仕方がねぇだろ?」
明るいカルロスの声に誘われるように、真咲は顔を上げた。カルロスはただ、困ったように笑っていて、本当に変わらない凪いだ青い瞳は真っ直ぐに真咲を見つめていた。
「本当、馬鹿ね」
「馬鹿なりに考えたんだから言うなって。それよりさ、過去を見るって言うなら歴史書とかは読んだ方が良いんじゃねぇの?」
「……それは……、あれよ。頑張るわよ」
せっかく良い雰囲気になったというのに、この男は即座に破壊してきた。しかしそれがカルロスという男だ。
真咲は大きく顔を反らしつつ、変わらないカルロスに恥じない聖女であろうと決意するのだった。




