06 四人のワルツ
そして夜会が始まった、わけであるが、伊織はどうすれば良いのか分からずにクラウスの袖を引いた。
「ねぇ、夜会ってなにするの……?」
「基本はただの交流です」
「そうなんだ」
伊織は分かったふりをして頷く。クラウスは少しだけ困ったたような顔をしながら小さく笑った。
「……何か、食べられますか?」
「ううん。大丈夫」
コルセットのせいで食欲がどうしてもわかず、伊織は首を横に振った。
真咲は並んでいる軽食を飽きずに見ている様子が見えた。静も、あのドレスでなかったらきっと一緒に見ていただろう。いや、もう食べているかもしれない。
そんな想像をし、伊織は人知れずに微笑みを浮かべる。もしかしたらルイスが持ってきているんじゃないかなんて思い、もう一度静がいる場所を見ようと思えば、女の人達のざわついた声が邪魔をした。
反射的に伊織は声が聞こえてきた方を振り返り見て、黄金の瞳を丸くした。
美しい黄金の人がいた。
神殿を示す紫紺。袖や裾には豪華な金の刺繍が施されているが、より荘厳さを際立てていた。いつも襟足のあたりで一つに結び、前に流している金糸のような髪型は変わらないが、紫紺色のリボンが見えた。
普段は重苦しいローブ姿ばかりだった。この前に見た平民の服装にはどこかおかしくて、つい笑ってしまった。そして今、他の貴族達ともよく似た形の服を身にまとったヴィンセントは、まるで別人のようだった。
けども光はいつもと変わらない輝きを放っていた。だからよく見えなかった。その後ろの赤い色に。
「何か言いたげだな、クラウス」
「ここまでなさるなら、はっきりとしたらどうです?」
「何がだ?」
見慣れない姿のヴィンセントは、クラウスが言った言葉の意味を本当に分からないようで、光がくるりと回った。
クラウスと言えば、また火花のような光を散らしていたがすぐに消え、頭を小さく抱えた。
「……そうか。この方は箱入りだから……」
「意味が分からん」
伊織も分からない。
大きく息をついたクラウスは鋭い視線で周囲を見渡し、どこかに軽く手を向けた。
「話をなさるなら、あちらのバルコニーがちょうど良いかと。邪魔が入らないよう、見張っております」
「悪いな」
ヴィンセントは当たり前のようにクラウスの提案を受け入れ、伊織に手を差し出した。
「ほら、伊織」
目の前にいるのは確かにヴィンセントだ。だと言うのに、別の誰かのように思えてしまう。
知らない格好だからなのか。知らない視線だからなのか。知らない瞬き方だからなのか。
伊織が少しだけ躊躇してしまう。けども呼ぶ声はいつもと同じで、だから差し出された手に自身の手を重ねる。
「よく似合っている」
ヴィンセントは伊織の手を柔らかく包み込み、軽くその手を引いた。周りがざわめくが伊織の耳にはこれっぽっちも入っては来なかった。
こんなの知らない。こんなに心臓がうるさくなるなんて、知らなかった。
伊織は無意識に空いている方の手で胸を少し強く抑えた。
バルコニーに出れば、一気に夜の冷たさが身を包む。
けどもどうしてか、隣にいるのがヴィンセントだからなのか。この冷たさが心地よいと思うくらいに体が妙に熱くてたまらなかった。
伊織は隣に立つヴィンセントを控えめに見上げる。
ヴィンセントはいつもの笑みよりずいぶんと優しく、あの春の木漏れ日のようだった。
「えっと、おそろい、だね?」
「確かに色合いはな。だが細かいところは異なるぞ?」
木漏れ日を向けてくるヴィンセントに耐えきれず、伊織は思いつくがままに言葉をこぼす。
ヴィンセントはそれに大きな反応を見せず、自身の服を見やった。
「紫紺は神殿の色。そして金は俺の色でもあるし、伊織の色でもあるから似るのも仕方が無い。とはいえ、刺繍の柄は大きく違うが」
「そうなの?」
「雪煌草と言う花だ」
「へぇ」
伊織は改めてドレスを彩る金糸の刺繍を見る。細かな花弁の花、なのだろう。花弁が舞っているような、そんな刺繍だった。
「夜にしか咲かない花だ。俺はまだ見たことがないが、とても美しいらしい。別名は旅人の導草」
「……私じゃなくって、真咲っぽい花だと思う。導くし」
「そうだろうな。だが俺にとっては伊織がそうだから仕方が無いだろう?」
それの口ぶりはまるで、ヴィンセントが選んだと言わんばかりだった。
「……このドレスとかって、ヴィンセントが?」
「ああ、少しだけ口を出させてもらった」
ドレス全体に施された刺繍が少しだけ。
伊織は全く意味が分からなかった。
ヴィンセントは伊織の不審な視線を受けてか、笑みを深める。
「そのチョーカーの刺繍は護りを意味する文様だ。だいぶ崩しているが、やはり選んで良かった」
どうやらお守りみたいなチョーカーらしい。
それなら普段から付けられるものが良かった気にもなってしまう。全てが見えるようで案外見えないからこそ、伊織はヴィンセントの考えが欠片も分からずに聞いた。
「なんで、血の誓いしているの」
伊織の口から出てきたのは、目の前のことだった。
ヴィンセントの光。その後ろに隠れていたものがようやく見えたのは、この光がいつもよりも柔らかく瞬いていたからだ。
「バレたか」
ヴィンセントは誤魔化さず、しかも悪びれることなく笑った。
「どう見えるんだ?」
「……赤い、氷」
「そうか。俺が凍結の魔術が得意だからか?」
カルロスは剣だった。そしてヴィンセントは宝石のような、真っ赤な氷だった。
どうしてそんな違いがあるのかと思っていたが、たぶんヴィンセントが言った通りなのだろうと伊織は理解した。
ヴィンセントは少し思案するように琥珀の瞳をくるりと回す。そしてまた伊織に微笑みを向けた。
「そうだな。一先ずは俺と踊ってくれたら教えても良いぞ?」
「……教えないかもしれないってこと?」
「気分によるな」
「ずるい」
「そういうものだ。で、どうする?」
伊織に手を差し出すヴィンセントに、ずるい、と言葉にはしなかったが伊織はもう一度思った。
こんな時、三人はどうするだろうかと思ったが、迷いなくこうするだろうと思い、伊織はその手に自分の小さな手を重ねた。
「練習したもん」
「そうか。それは楽しみだな」
また、そのままヴィンセントは伊織の手を軽く握りしめて大広間の中へと戻る。
途中、ヴィンセントはずっとバルコニー手前の場所にいてくれたクラウスに目を向けずに言った。
「借りるぞ」
「元からそのおつもりでしょうに」
クラウスはため息交じりに言葉を返した。振り返り見た伊織に、クラウスはいつものように、騎士達がよくやる胸元に手を当てる仕草を見せた。
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ちょうど、注目がヴィンセントと伊織に集まっている。二人はゆっくりと、優雅にくるりと踊っているわけだが、注目を集めている理由はその衣装だった。
何故かお揃いの衣装。それを目にした周囲は先ほどから顔を寄せ合って囁きあっている。それは良いことも、悪いことも両方だ。
しかしあのヴィンセントだ。うまくやるだろうと思い、真咲はさっさとまた軽食が並ぶ壁際まで下がった。
「やりきったわ」
「……二度と踊らねぇ」
やるべきことをやり終えた真咲は晴れやかな笑顔を浮かべ、対してカルロスはどんよりとした疲労感溢れる顔を浮かべている。
たかがワルツを一回踊っただけでこの違いだ。
同じく近くで踊っいた奈緒とユアンは、もう一曲そのまま踊っているのを横目に真咲は大きくため息をついた。
「情けないわね」
「仕方がねぇだろ」
「そんな感じで巡礼の護衛とか、大丈夫なの?」
「それとは関係ねぇし、準備は終えている」
「知ってるわよ」
少しだけ機嫌を悪くするカルロスに、真咲は小さく肩をすくませた。
カルロスは僅かに視線を遠くへと向けた。
「今回の巡礼は、前よりは安全だろうが……」
「早めに行くから回れる場所多いわね」
「……そうだな」
「ねぇ、カルロス」
「なんだよ」
「外なら魔術見せてもらっても大丈夫でしょ?」
カルロスは真咲を凝視し、いつもよりも一層、顔を険しくさせた。
「……見てもつまんねぇってのに」
「綺麗だったもの」
「はいはい」
ついぞ、カルロスは大きくため息をつき、周囲にまた目を向けた。
そんなに怖い顔をしなくても良いのにと思いつつ、真咲はまた並ぶ軽食を物色し始めた。
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さすがに二曲続けて踊るのは疲れる。奈緒はユアンから手渡された美しいグラスに注がれた葡萄酒をこくりと飲む。
芳醇な香りが立つ良い葡萄酒だ。そう言えば最後に飲んだのはルイスの隊長就任した時だったはずだが、途中から記憶がどこかに消えた。
今度はユアンと二人で飲みたいが、ほどほどに留めなければと思いつつもまた奈緒は飲み進め、少しだけ顔をしかめた。
「すごく見られているんだけど」
「奈緒様がお綺麗だからですよぉ」
「貴方に言われてもねぇ?」
密着するように隣に立つユアンはずっと奈緒の腰に手を回し、周囲に微笑みを向けていた。
これは見せつけているのだと理解した奈緒は内心小さく息をつきつつも、つよい満足感を感じてしまっていた。
何せ、ようやくユアンと堂々と一緒にいられるのだ。満足しないはずがない。とは言え、静達のようにいつもくっくかれても困るのだが。
「奈緒様。近々、会っていただきたい者達がいるのですけどもぉ」
「会わせたいって、誰?」
そんなことを考えている奈緒を他所に、急にユアンがそんなことを言って来た。妙に口元を強張らせ、緊張しているような面持ちで。
あのユアンが、緊張をしている。なんて珍しいこともあるものだと奈緒はグラスを少しだけ傾けつつ、聞き返した。
「僕の家の者達に」
奈緒は更に傾きそうになったグラスを両手で持ち直し、紫の瞳を限界まで丸くしてユアンを見上げた。ユアンはそんな奈緒の反応に、わずかに目を見開きつつもその緊張は解かずに続けた。
「僕が貴族の籍から抜ける前に、一度だけ会っていただけないでしょうか」
「……そんなの、ええ……もちろんよ。貴方の大事な家族なんでしょう?」
「義理、ですよ?」
「貴方を愛してくれている家族なんでしょう?」
ユアンは僅かに唇を震わせ、しかし終ぞ閉じる。そして奈緒の頭に、自身の頭を摺り寄せた。その通りだと言わんばかりに。
「とても楽しみにしていると伝えてくれる?」
「……ええ、もちろんですよぉ」
ユアンはいつもよりも少しだけ声を落とし、素直に頷いた。あまりにも分かりやすい反応に、奈緒は小さく笑みをこぼしながら何気なく周りを見渡し、眉をひそめた。
「……静がいないわね。リーリアも」
「先ほど、我々が中央で踊っていた時にそれぞれバルコニーへと出ていきましたよぉ。きっと、もういないでしょうがねぇ」
「本当に出席しただけなのね……」
ジェイクは踊れないらしいから、リーリアもすぐにいなくなる理由は分かる。だが静とルイスも早々にいなくなるなんて奈緒は正直想像していなかった。
夜明け色のドレスに身を包んだ静と、夜明けの隊の隊長であるルイス。この二人が踊っているところを見てみたい気持ちがあったが、仕方がないと奈緒はすぐに切り替えた。
「まぁ、良いわ。真咲のところに行きましょ。ちょっとお腹空いたわ」
「おやおや、あの二人の邪魔をなさるおつもりで?」
「むしろ行った方が良さそうだけど」
ユアンは奈緒に倣って軽食が並ぶ場所へと目を向ける。呑気に次は何を食べようかと選ぶ真咲と、周囲に睨みを利かせるカルロス。そしてカルロスのせいで近づけない不相応な男達。
確かにあれでは休まらないだろうと、ユアンは理解した。
「仕方がありませんねぇ」
あれでは会話なんてろくに出来やしない。ユアンは大きくため息交じりに呟いた。
奈緒は隠しきれない面倒見の良いユアンに笑みが零れそうになり、誤魔化すために残りの葡萄酒を飲み干した。
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人の気配は微かにある。おそらくは警邏を担当している騎士達の気配だった。
こんな物静かな庭園にまで警戒をしているとは大変だと他人事に静は思いながら、聞こえる音楽に耳を傾けた。
「ここまで聞こえるんだね」
「そうですね」
ルイスも同じように耳を傾けながら、珍しく首元を少しだけ緩めた。どうやらあの場所にいるだけで相当疲れてしまったらしい。
アウグストの演説後、静達はリーリア達と同時にあの大広間を後にした。
後で何か言われるだろうが出席はしたし、ちゃんと演説を聞いたのだからそこまでの文句は言われないだろう。おそらく。
静はその時はその時。なるようにしかならないと開き直り、ルイスを腕に必死と抱きつくように掴み、歩を進める。
まだ残っている薔薇の花はしかし数が少ない。これが最後の見頃なのだろうと眺めつつ、静は視線を足元へ向けた。
「何で奈緒達、こんな靴で平気そうに歩いてるのか意味分かんない」
「慣れでは?」
「そうだろうけどさぁ……」
「本当にお嫌なら二度と選びませんが」
ルイスのその言葉に、静は喜ぶことはせず、むしろ少しだけ頬を膨らませた。
「……確かにちょっと嫌だけど。そこまでじゃない」
「そうですか」
「うん。後、ドレスもね」
「お気に召していただけましたか?」
「もちろん。レイメイの色だもの」
「しかし二度と着ないとおっしゃられておりましたが」
「……それはぁ、勢いって言うかぁ。あんまりにも慣れなさすぎたっていうだけでぇ……。失言的なやつなんで流してください」
「承知しました」
「ただあれよ。またドレス着た時、同じ事言うと思うってだけ理解しといて」
「はい。無視すれば良いということですね?」
「極論はそうだね」
静だってこういった格好に憧れがないわけではないが、高頻度では着たくないというだけたった。年に一度、もしくは数回程度なら良いとさえ思っている。
が、それを素直に伝えれば確実にルイスはいろいろと用意し始めるのが目に見えた。だから静ははっきりとは言わず、ルイスに察してもらうことにした。ちゃんとうまく伝わっているかは不明だが。
静はいや、でも、とまた余計なことを考えそうになり、切り替えるためにそうだ、とルイスに提案した。
「踊ろ、ルイス」
「……静様」
「うん?」
当然の静からの提案に慣れているはずのルイスは何故か顔を大きくしかめ、さらにため息までついてきた。
何故、と静はそんな反応をするルイスを見上げていると、ルイスはまた静を抱え上げてきた。大神殿にでも戻るつもりなのかと思えば、ルイスはすぐに静を降ろした。
そこは庭園の少し開けた場所。小振りの可愛らしい薔薇がまだ残っている。
そんな場所で、ルイスは静の前に跪き、手を差し出しながら口を開いた。
「私と一曲、踊っていただけませんか?」
静は大きく銀の瞳を丸くし、そしてすぐに自身の手を重ねて微笑みを浮かべた。
「かっこつけちゃって」
「いけませんか?」
「全く」
重ねられた静の手を握りしめながらルイスはすぐに立ち上がる。その様子はいつもと欠片も変わらず、開き直っているように静には見えた。
聞こえてくる音楽が、まるで待っていたかのようにちょうど良く変わった。ルイスと静は互いに視線を合わせ、ゆったりと銀の月の下で抱き合うように踊り始める。
「とても……。いえ、今宵は一段とよりお美しいですよ。静様」
薄く微笑むルイスが、言葉を零すように囁く。静はその甘ったるい囁きに、体が一気に熱を持つのを感じた。
何故、今更照れてしまうのか。
静は緩みそうになる頬を必死に力を籠めて、すぐに思考を別方向へと向けた。
そう、美しいのはこのドレスだ。そして、それに合わせた装飾品と言っても、いつものレースが同じ夜明け色に変わったぐらいである。しかしドレスというのはどうしてこうも着るのに手間がいるのか。ドレスに着替えたリーリアの手を借りてようやっと着替えられほど。
そう、だから、また着替えるときも人手がいるのだ。
静はそしてルイスに、少しだけ口元を引きつらせながら問いかけた。
「一つ聞くけどさ」
「何でしょう?」
「この後の着替え、とか」
「私が手伝います」
ルイスは何か不思議なものでも見るかのように静を見やり、くるり、と静の小さな体を回す。
わぁい、と静は綺麗に回ったことに感動して、もう一度、と強請りそうになって慌てて思考を掴み寄せた。
「いや、ルイス待って。手伝うって?」
「そのまま聞き入れてくださって良いというのに」
「リーリアは」
「ジェイクとの邪魔をするつもりですか?」
「それは駄目だ。いや、その。これ一人で」
「着替えられませんね」
「二度と着ない」
「無視してよろしいんですよね?」
「それはそれ。これはこれ」
このドレスに文句はない。ただし、一人で着替えられるものを所望したい。
ルイスは絶対に静の言いたいことを分かっているはずだというのに、今だけはずいぶんと察しの悪い男に変わっていた。
とはいえ、ルイスは純粋に着替えを手伝うだけのことをするだろう。そのあたりはきっちりと分けることぐらい静は分かっているが、やはりそれはそれ、これはこれだ。
気づけばルイスの足が止まり、ワルツが終わったのだと静は理解した。
静はぐっと顔をしかめ、無駄な足掻きだと分かっていながらルイスの服を軽く引いた。
「ねぇ、もう一曲」
「ふっ……はい、もちろんです」
ルイスは僅かに肩を震わせる。静は何も言わない代わりに拳を握り、その胸目掛け、少し強めに拳を振り下ろした。
その後、大神殿へと戻った静は結局押し切られ、ルイスに着替えを手伝ってもらったのは言うまでもない。
ルイスはちゃんと紳士的に、そして侍従として手伝ってくれた。もちろん直接、静に触れるという行為もなく安心して着替えることが出来たのだが、今後はこれが当たり前になってくるのだろうと静は想像し、大きく息をついたのだった。




