05 美しいドレスに花
日々はすぐに過ぎて、もう夜会当日だった。
「脱ぎたい」
ソファにぐったりとした様子で座っている静は、遠い目をして呟いたのを伊織は聞き逃さなかった。何せ隣に座っているのだから。
「綺麗だよ?」
「知ってる」
伊織の言葉に、静は迷わずに頷いているが絶対にドレスのことだと静は勘違いをしていた。
静が着ているドレスは首まで覆われた夜明け前の、夜の色。まさにレイメイのあの騎士服のような色だった。銀の刺繍で細かな花や雪模様が描かれていた。ただ袖の部分は薄い生地で、静の肌が薄っすらと見えている。それと首のレースリボンはドレスと同じ色のもので、花のように結ばれていた。
静はほとんど肌が隠れているものを着ているから、今の静の姿はとても珍しかった。
「……伊織のさ、その首の奴」
「うん、増えたし、ドレスも豪華になった」
そして伊織が着ているドレスであるが、神殿の紫紺の色より少し明るめのドレスだ。動きやすいように袖は短く、スカート部分も静のドレスと比べるとずいぶんと控えめな広がり方をしている。だが使われいるのは全て金糸。異なる花模様が可愛らしいドレスだが、今回は首に装飾品が追加された。
チョーカーというものらしいそれは、太いリボンを使われていて中央には金の雫のようなものがついている。もちろんリボンにも金の刺繍がされているので、とても豪華だ。
「重くない?」
「ちょっと」
なんだかいつもより首が重いが、太いリボンのお陰か痛みは無かった。それと、まるで静とおそろいのようで伊織は嬉しくて、重さなんて全く気にならなかった。
静は少しだけ顔をしかめ、けども納得したのか小さく頷くだけで、さらに静の右隣に座っているリーリアへと目を向けた。
「リーリア、大丈夫?」
「はい。大丈夫ですよ、静様」
リーリアも同じくドレスを着ている。大きく肩や胸元が開いた黒に近い紫のドレス。静のドレスともよく似ている色だが、こっちは少しだけ明るくて、装飾というのはほとんどない落ち着いたものだった。
笑顔で頷いたリーリアは、先ほどからじっと静を見つめては侍女服のままのクレアとこそこそと話をしている。少しだけ聞こえた会話は静のドレスの素晴らしさについてだった。本当にリーリアは静のドレス姿に満足しているらしい。
そうしておしゃべりしながら待っていると、扉が大きく開いた。
「準備だけで疲れたわ」
「静、ちゃんといるわね?」
遅れてやってきたのは奈緒と真咲だった。
奈緒は青紫のドレスだ。スカートはそこまで大きく膨らんでいないが、奈緒が歩くたびにキラキラと輝いている。よく見ると、何か石がそこに縫い付けられていた。どうやらそれで輝いているように見えたらしい。
胸元は控えめな感じだが、伊織よりは大きく開いている。そして上から青のショールを羽織っており、寒くなっても大丈夫そうだった。
真咲は大きめなスカートの濃い紫のドレスだが、膨らんだスカート部分には赤がいくつも重なっていてまるで花のドレスのように見えた。
腰がきゅっとしたものだから余計にスカート部分がよく目立つ。首まで覆う形だけれども袖がないのもあって、どこか大人っぽいような雰囲気があった。ただ寒くないのかななんて思っていたら、後から入ってきたアリッサが真咲に落ち着いた赤のショールを渡していた。
二人とも首や耳元に金や銀のよく目立つ装飾品をつけているが、どれもがよく似合っているものだった。
ただ、ちょっとだけ伊織が頑張って目を逸らそうとしたけれども目がいってしまう大きな膨らみを前に、伊織はそっと自身の胸元に手を添えた。そして隣を見れば静も同じように胸元に手を当て、大きく顔をしかめていた。
「気にしなくても大丈夫よ、静」
「そうよ。むしろ静は動くんだから胸があると邪魔でしょ?」
奈緒と真咲は、伊織も同じようなことをしているというのに静を狙い撃つ。反射的に静は吠える、かと思ったがとても冷静に二人に鋭い視線を向け、伊織に体を傾けた。
「どう思いますか、伊織さん。あの二人」
「ちょっとうるさいと思いまーす」
静に聞かれた為、伊織は元気よく素直に答える。その答えを前に二人は顔を見合わせ、わざとらしく肩をすくませた。そして静は背もたれから体を起こし、ぎゃん、とやっぱり吠えた。
何も胸の大きさだけが全てではない。けども、それはそれ、これはこれ。今回ばかりは伊織は静の味方につき、同じくぎゃん、と吠えた。
「二人ともひどい!」
「ひどい!」
静と伊織が吠えると、奈緒と真咲は仕方が無さそうに宥めてきた。かわいいわよ、とか。似合っているわよ、とか。伊織はちょっと嬉しくなったけども、絶対に許さないぞと決め、頬を膨らませた。
そうして、少ししてから小さなノックの音が聞こえた。近くにいたアリッサとレオナが扉を開ければ、そこにいたのは今回伊織達のパートナーである男達がいた。
先に部屋に入ってきたのはユアンだった。一つに結ばれた腰までの長い銀髪を大きく揺らしながら、花というか蜂蜜というか。そんな笑顔を笑顔を浮かべながら一目散に奈緒の元へと歩み寄った。
「遅くなり申し訳ありません、奈緒様」
「そこまで待ってないわよ」
ユアンは自然な動作で奈緒に手を差し出す。そして奈緒は迷いなく手を取り、微笑みを浮かべた。
「お気に召していただけたようですねぇ」
「ええ、もちろん。けどそれだけ?」
「僕が奈緒様の為に用意したものですよぉ? お美しいに決まっているじゃあないですかぁ」
「はいはい、そうね」
いつも通りに話すユアンだが、視線はとろとろでドロドロだ。そして奈緒は仕方がないと言いながら、嬉しそうにユアンの腕に手を回した。
「どうよ」
「あー……なんていうか。中身はいつもの真咲様だな?」
「中身はってどういうことよ」
真咲の前にはカルロスがいる。いつもの深紅の騎士服ではなくて、装飾が多くてかっちりとした深紅色の服だ。すこしばかりユアンの服と似ていたけども、動きやすそうな作りだった。
「寒くねぇの?」
「寒くないわ。それにこういうのは我慢も大事なのよ」
「……よく分かんねぇ」
カルロスはざわざわと光を瞬かせている。そしてなるべく真咲を見ないようにしていた。
「ほら、行くわよ」
「はいはい」
そんな様子のカルロスに、真咲は不満げに口をへの字に曲げながらカルロスの袖を掴んだ。カルロスは掴まれている袖を少しだけ見て、真咲に対してはなるべくいつものように返事をしていた。
ざわざわしている光をもっと瞬かせていた。
カルロスの光の変化が面白くって、伊織はついつい見ていると目の前に白い手套がつけられた手が差し出されたことに気付いた。
「参りますよ、伊織様」
この手の主、深紅の騎士であるクラウスを見上げ、伊織は迷わずにその手を重ねて立ち上がった。
「ありがと、クラウス」
「いえ。しかし……」
「うん?」
クラウスは改めて少しだけ遠慮がちに、伊織のドレス姿を見てくる。その顔はどこか険しく、そしてエドヴィンのいつもの険しい顔を思い出させる。
やっぱり親子なんだな、と伊織はぼんやりと思いつつ言い淀んだクラウスに対し、小首を傾げた。
「何でもありません。ただ、少しばかり文句を言っても許されるだろうと思っただけです。もちろん、伊織様に対してではありませんからね」
「え、うん?」
正直全くクラウスの言っている意味を理解していない伊織は、強く言い切るクラウスの勢いに流されるがままに頷いた。
クラウスは伊織が頷いたのを確認し、自身の腕へと伊織の手を導く。
「ヴィンセント様から何かお言葉がありましたか?」
「え、どうして?」
「……見ていない、と」
「うん。だって先に行っているし」
一体それがどうしたのだろうか、と伊織はクラウスが額を抑える理由がどうしても分からなかった。
それよりも行かないのだろうかと思っていると、手を下ろしたクラウスはまっすぐに伊織を見つめてきた。
「とても、お似合いです。伊織様」
「ありがと!」
そして真っすぐな言葉をくれた。
だから伊織は同じように真っすぐにお礼を言う。火花のように散る光の意味を知らずに。
そんな伊織にクラウスとほんの少しだけ困ったように笑った。
と、後ろから待って、と言う焦ったような声が聞こえ、伊織はどうしてそんな顔をしたのか、という疑問は瞬く間に消え去った。
「静様」
「転ぶ。絶対転ぶ」
「はい。しっかりと掴まっていてください」
「二度と着ない」
「では、次は違うドレスにします」
「そういう意味じゃなくってぇ……!」
静はいつもと変わらずにレイメイの騎士服を着ているルイスの手、というより腕を必死に掴んでいた。静は基本的に動きやすい恰好で、動きやすい靴しか履かない。何せ転ぶから。そのせいなのか、ドレスという足元が一切見えない服に、ちょっとだけ踵の高い硬い靴なんて全く慣れていなかった。
この部屋にたどり着くまで、静はずっと伊織の腕にしがみつき慎重に歩いていたぐらいだ。ルイスならこうなることぐらい分かっていただろうに、静を飾り立てたのだからきっとわざとだとさすがの伊織は目の前の様子を見てすぐに分かった。
けどもルイスの光が細かく揺れているのを見るに、ちょっとだけ機嫌は良くないようだ。ルイスはすがりつく静に向け、小さく息をつく。そして身をかがめたかと思うと、いつものように静を抱え上げた。
「さっさと行きますよ」
「静さん分かってた! こうなることぐらい!」
「だったら早く慣れてください。どうしたんですか、いつもすぐにあれこれと慣れるのに」
「慣れたくない!」
静は諦め悪く、ルイスにけど、ほら、なんて話しかけるがルイスは無視していた。あの二人は本当にこんな時も変わらないことに伊織はへぇ、と眺めているとさらに別の二人の声が耳に届いた。
「ふふっ」
「静様元気だなぁ」
リーリアとジェイクだ。ジェイクもまた、いつもと同じレイメイの騎士服を着ていたが、ちょっとだけいつもよりも真新しいものになっているように見えた。それに髪型だっていつもは寝癖も時々見えるくらいに跳ねているのに、今日は綺麗に整っていてヴィラの姿が良く見えた。
そんなジェイクは微笑むリーリアをじっと見つめる。リーリアは小首を傾げ、瞳を少しだけ細めた。
「どうかしましたか? ジェイク」
「すげぇ似合ってる」
「まぁ」
ほんの少しだけ大げさに驚いたような声を零し、口元に手を当てて微笑む。その頬は薄らと紅に染まっていた。
さすがの伊織も分かった。
絶対にあれが一番良い、理想的なやりとりだってことに。
「伊織様、おいてかれますよ」
「あ、ごめんね」
クラウスの声に伊織はすぐに歩き出して部屋から出る手前、クレアとそして籠の中にいるウーロに声をかけた。
「いってきまーす!」
すぐに戻ってくるね、という意味を込めて伊織は一人と一匹に手を振った。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
二度目の夜会のおかげで、伊織は落ち着いて周囲を見渡すことが出来た。あの時はあまりの人の多さにいろんな良く分からない何かが見えすぎて、気持ち悪くなったりしていた。それに比べて今は、いろんなものが見えすぎるのは変わらないが、いろんな光へと変化していた。
薄暗いものから、小さいもの。眩しいくらいに強ければ、大きいもの。色だって様々だ。
その中でひときわ目立っていたのは、光の集団。もしくは山だった。
「……ねぇ、あそこの女の人達って」
「ヴィンセント様が目的でしょうね」
光の集団。もしくは様々なドレスを着ている女の人達が集まっている中心にはヴィンセントがいるようだった。そういえば、と伊織は前回の夜会を思い出す。ヴィンセントはいつもと変わらないローブ姿のまま夜会に出ていた。
今回も同じなのだろうかと伊織は想像したが、ちょっとだけつまらないなと思ってしまった。それよりもクラウスの言った目的が気になり、クラウスの腕を軽く引いた。
「どうして?」
「……ヴィンセント様は大神官という立場はありますが、婚約者がいても良い年齢ですからね。当然ながら大神官の婚約者になるということは身分を捨てることを意味していますが、ヴィンセント様は王族の血筋を持つお方。だからその繋がりが欲しいという家は多いのです」
「あの人達、じゃなくって?」
「あの中には本当に理解しているご令嬢もいるでしょうが、一部は身分を捨てる意味を理解していない者もいるでしょうね」
ヴィンセントは寂しい薔薇の庭園を前に、供物で良かった、と言ったことを伊織は思い出した。
一体、あの中に本当に自由な女の人達はどれほどいるのだろうか。そう思いながら伊織は光の集団を見ていると、ふっといくつかの光に鎖や縄、なんて物が浮かび上がってきた。
「……そっかー……」
伊織は無意識に視線を落とした。
また、見てはいけないものを見てしまったなぁ、なんて思いながら。
静は今、壁際に置かれているソファに座っている。もちろんその隣にはリーリアが座っていて、その二人の隣にはそれぞれルイスとジェイクが立っていた。奈緒はと言えば、壁際にユアンと隣り合って立っていて、楽しそうに会話をしている。そして真咲は軽食として並べられている食事をカルロスと一緒に見ていた。後で自分も見に行こう、と伊織はこっそり決めた。
「伊織様。陛下がいらっしゃいました」
壁にぴったりと寄りかかっていた伊織に、僅かに身体を傾けクラウスが囁いた。
囁き声につられ、伊織は大広間の前へと目を向ける。ちょうど前を見ればアウグストが一人、三段ほど高くなっている上段へと登っていた。
アウグストはそして中央に一人立つ。近くに臣下も誰もつけていない。だというのにその堂々とした出で立ち、さらに威厳のせいか、その姿はとても大きく見えた。
「また、こうして集まってくれたことに感謝する」
ゆったりと、厳かなアウグストの声が先程まで騒がしいほどだったこの広い空間に波紋のように広がる。それにつれ、騒がしさは消え去り、僅かな足音でも良く聞こえてしまいそうなほどに静まり返った。
「昨年、あの残虐な事件がこの場で起きた。その一件については私が国王として不甲斐ない故に起きたことだ。さらに判断を見誤り、銀の聖女を貶めることをしたことは永劫赦されざることである」
残虐な事件。この場にいた貴族の半数が突如、狂ったように自害した。誰もがユフィアータに赦しを請いながら。
それは大神殿に侵入した賊を捕らえた深紅の騎士達も同じようなことをした。
あれは今にして思えば、呪術によって操られたのだとはっきりと理解出来た。ただ、どこまで操られていたのかは今も伊織には何一つ分からないままだった。
そして、あのせいでユフィアータは眠り、静は倒れた。
全身に痛みで焼かれ、言葉も通じなくなり、食事さえもできなくなったと伊織は聞いている。
だというのに、静はアウグストを赦した。
「だが銀の聖女は私に、ならば生きよ、と告げた。凍土の揺り籠たるユフィアータが誇れる程に」
ただ、生きること。それが罰だと言うように。
とても優しくて、厳しい罰だ。だってどんなことがあっても死を逃げ道には出来ないのだから。
アウグストはその罰をことさら大事に抱えるように胸に手を当て続ける。
「されど、王としてこの座にしがみつき生きるのは愚の極みである。であるからに、私はこの座をランスロットに渡す所存だ。とは言え、ランスロットはまだ若い。支える者が必要だ」
その言葉と共に、アウグストは下段にいるランスロットと、そして隣り合うアンジェリカを見つめた。
とても優しい眼差しと声で、アウグストは告げた。
「ここにランスロットとアンジェリカの婚姻を認める」
僅かにざわつく貴族達。しかしその声はどれも非難の声では無かった。
「どうか若き二人に祝福を。そして我らが凍土に新たな春を呼ぶことを期待する」
間違いなく、二人は祝福されるだろう。
何せ伊織の黄金に映る景色は、色鮮やかな花々が舞い踊っていたのだから。




