04 騒がしい会話
レイメイの隊舎前の訓練場の隅。ちょうど大きな木の根元あたりに銀色の狼達が集まっていた。しかしあの中には黒銀の色はないところを見ると、ヨカゼは別の場所にいるらしい。
伊織は迷わずに狼達が集まっている場所へと向かう。外側にいる二頭の狼が先に頭をあげ、それが伊織だと分かってかまた頭を下ろす。近くで遊んでいた四頭の子狼達が伊織の元へと駆け寄り、確認するように匂いを嗅ぐ。ついでにウーロがいる籠へそれぞれ鼻先で突き、またぐるぐると遊び始めた。
純粋にかわいい、と伊織は子狼達の挨拶を見つめつつ、中心で埋もれていた静を上から覗き込む。そして朝はゆらゆらと眠たげに揺れていた光が、今は急に瞬いたり、小さくなったりと慌ただしく変化していたのが見えた。
「静、どうしたの?」
「……なんでもなぁい」
「嘘」
ぴたり、と止まった光はやがて淡く、しかし大きく瞬いた。
静は胸の上で丸くなっているアラレを持ち上げ、起き上がるのかと思ったら自分の顔にかぶせるように移動させた。アラレは不満げに尾を大きく揺らし、前足で静の頬を押した。
静は諦め、また胸の上へと戻し、大きく息をつく。すると枕がわりにされていた狼が顔を持ち上げ、静の様子を確認してすぐ、また寝る姿勢に入った。
この周りにいる狼達は皆、静の保護者なのだなと伊織は理解した。
「……いや、そのね? や、わたしが悪い、のかもしれないけど」
「うん?」
「……ルイスがですね? なんか、こう……。本当に遠慮がなくなった、というか」
言い淀む静の頬は薄らと赤い。滅多に見れないその姿に、伊織はつい少しだけ前のめりになる。そうすると、別の狼が静の隣から退いてくれたので、すぐに伊織はそこに座った。
「ほら、わたしさ、ルイスのこと子ども扱いするでしょ」
「そうだね」
「……いや、本当にさ? 理由なくやってた、つもりなんだけどね?」
何せ静はルイスよりも五つも上。ヴィンセントと同い年だ。ちなみに伊織はルイスと同い年なのでとても分かりやすいし、子ども扱いされるのがちょっと気に入らないというのを伊織は分かっているつもりだった。
さらに顔を赤らめる静は、ついに両手で顔を覆った。
「……ルイスを、その……男性として、見ないようにしてたんだなぁって」
「どうして見ないようにしてたの?」
「だって……! 恥ずかしいと言うかぁ……!」
へぇ、と伊織は何となくで相槌を打つ。静の光は鮮やかな赤や薄桃色の光を発す。しかし、すぐに落ち着いた白い光に戻り、何故か急に弱弱しいものに変わった。
「……それと、ちょっとだけ、怖いって思っちゃっていたのかも、しれなくって」
「怖いの?」
「まぁ、時々ね? 時々、ちょっと目が怖いなぁって思う時はあるんだけど……」
揺れる光。その周囲にはいつの間にか手が見えた。黒いものではないが、明るい色でもなく鈍い光を発する手。ルイスの手、なのか。きっとそうだろう。何せ片方には静と同じ指輪が見えたのだから。
「それとは別で。ルイスなら怖くないって思ってたんだけど……、やっぱりちょっと怖かったみたい」
「……そう、なんだ」
「だからってさぁ、じゃあどこまでなら平気なのかって試し始めてさぁ……!」
なんと言うべきか、と分からないないに考えようとした伊織だが、すぐに喚く静はまた色鮮やかな光を発した。ピカピカでとても綺麗な色だった。
今日の静はとても忙しいが、いつも落ち着いている静の色鮮やかな光が見られて伊織は少し満足していた。
まだ両手で顔を覆って唸る静を隣から見つめる伊織は、その光が少しずつ落ち着いてきた頃を見計らい、王城での出来事を口にした。
「あのね、ミラベルさんとお話したよ」
「……会った、じゃなくって?」
「うん。お話した」
前は会えたけども話が出来なかったが、ようやく話が出来たことを伝えればすぐに静は落ち着いた光へと戻り、伊織を見つめた。
「ミラベルさんって、アレクシアさんのこと、本当に大好きなんだね」
「うん。恋をしたらしいからね」
「……恋」
恋とは何なのか、伊織には分からない。きっと、この先もなんだかんだと分からない気がした。
ただヴィンセントに向けるものはそれに近いような、けども絶対に違う気がしていた。
思考が逸れそうになったのに気付いた伊織は、慌ててミラベルとの会話を思い出し、そのまま口にした。
「……静はね、あの子に似ているんだって」
「あの子?」
「分かんない。けど、あの子は遊戯盤が好きなんだって」
「……へぇ」
ぼんやりとした銀の瞳を瞬かせ、静はしばらく口を閉ざす。何を考えているのかは分からない。だが、光の明るさは少しだけ静まり、水底のように揺らいでいる。
静は何か大事なことを考えている時、ぐっと光を抑えてしまう。良くないことなんかを考えているとか関係なく、良い事でも悪い事でも同じように見せる。そしてその上に、もう一つの光を浮かべるのだ。蛍の光のような淡い光が、水底の光を見ているようだった。
「……お話したいんだけど」
「駄目」
「駄目かぁ」
「うん。後ね? 理想郷がどうのって言ってた」
「……何も分からないって言ってたくせに」
二つの光がまた一つになり、いつものように銀の近い白い光がぽう、と瞬く。ただ少しだけ苛立ったようで大きく瞬いたが、またすぐに落ち着いた。
「ようやく話す気になったのか、それとも伊織を手中に収めるためのものか」
「大丈夫だよ、静。ヴィンセントもいるし、今度はアンジェリカもいるから」
「アンジェリカも? 心強いねぇ」
「うん!」
伊織は偶然聞いてしまったアンジェリカの婚姻については沈黙し、今度は待ち合わせをしてミラベルと話をすることを伝えた。
静は少しだけ驚いた顔を見せたが、安心したように微笑んだ。
と、静の胸の上にいたアラレが頭をあげた。どうしたのかと伊織がその視線の先を見れば、コユキとコテツが姿を現し、他の狼達の背中に乗りつつ静の顔を覗き込んだ。
「……やぁ、えっと、何かな? うぶっ」
そしてコユキは遠慮なく静の顔の上に寝転がった。コテツはお利口に静の首のところで座り、大きく喉を鳴らした。
どうして静がこれほど好かれているのか。
本当にこればかりは伊織の目があっても分からないもので、しかし二匹の猫達がご機嫌な光を見せているので伊織は放置することにし、振り返った。
「何のお話してるの? あまり良い話じゃないみたいだけど」
「ミラベルさんのところに行ってきたんでしょ? どうだったのよ」
振り返り見た先にいる奈緒は顔をしかめ、真咲は足元に集まってきた子狼を蹴らないように慎重に歩を進めていた。真咲の肩には鳥が二羽、仲良くそろって止まっていた。
二人が来たことで狼達もまた少し場所を動き、それぞれ空いた場所へとそのまま腰を下ろした。静は顔に乗ってきたコユキと格闘しており、奈緒は一切助けようとはしていない。
伊織はその様子をちょっとだけ気にしつつも、静に話した通りのことを二人にも伝える。と、奈緒は大きく息をつき、目元を抑えた。
「その人大丈夫? なんか精神病んでない?」
「分かんない」
「分かんないって……」
何せよく見えないのだ。仕方が無い。
奈緒は耐えきれずにため息をこぼす。真咲は静の頭に鳥達を乗せつつ、さすがにと思ったのか、コユキを抱き上げてどかしてあげた。
「まぁ、良いわ。一応うまくはいっているってことなんでしょ?」
「うん。たぶん」
「そう思っておくわ」
奈緒はそれだけを確認するように聞き、そしてすでに疲れた様子の静へ視線を向けた。
「で、今日採寸したんでしょ。どんなドレスかは聞いたの?」
「……奈緒のは?」
「私の? 当日までのお楽しみらしいわ」
「それ怖くない?」
「静、ユアンよ? 魔具一つにしてもデザインを凝る人が、適当なドレスを贈ると思う?」
「無いな」
「それで?」
伊織がミラベルに会っている間、静は今日ドレスの採寸があったのだ。朝からすごく逃げたそうにしていたが、最終的にはルイスにいつものように抱きかかえられて運ばれていたのを伊織は思い出した。
「なんかぁ……。すごく動きにくそうな奴」
「ドレスなんてそんなものでしょ?」
「うぇえ」
「変な声出さない」
「だってぇ、絶対転ぶってぇ」
「その為にルイスがいるんでしょ? 諦めなさいよ」
静はドレスを絶対に着たくないらしいが、なんとなく伊織は理解出来た。
なにせ静は本当に転びやすい。骨折したときの後遺症で右膝が悪いというのは仕方が無いことだが、確かに静がドレスなんて着たらすぐに転んでしまうはずだ。
「……奈緒はすっごく乗り気だね?」
「当たり前でしょ? 堂々とユアンとくっつけるのよ?」
「……奈緒ってさ、ユアンと恋人同士でしょ?」
「ええ。あれでしょ? あんまりそういう所を見ないから疑ってるんでしょ?」
「ちょっと」
そういえば、と伊織は奈緒とユアンの二人の姿を思い返す。
二人が今、そういう仲というのは見れば分かるが静とルイスのようなことをしている所は全く見たことがなかった。静とルイスが特殊なのかもしれないけれども。
「私だって、静とルイスみたいなやり取りしたいし、くっつきたいわよ。けどユアンがまだ許されていないとかで、健全な距離を保たれてるのよ」
「どういうこと?」
「まだ貴族のままってこと。周りがうるさいらしいのよ」
奈緒が言ったことに、静はすぐに理解したようにああ、と声を漏らした。けども伊織はもちろん真咲も分からずに見ていると、奈緒は伊織と真咲を順番に見て続けて話をしてくれた。
「ユアンって生まれは伯爵家で、子爵家に養子出されたんだけど」
「はい! よく分かんない!」
「伯爵家が上ってことが分かれば大丈夫よ。それで、その元の家の方が問題になっているらしいのよ。詳しくは知らないけど」
奈緒は他人事のように言う。きっとユアンは詳しく奈緒に言ってはいないのだろうと言うのが、奈緒の苛立つ光を見て伊織は想像した。
ただ笑顔を見せるほどの苛立ちではないので大丈夫なはずだと思いつつ、伊織は何となく視線を逸らした先、その人物達がいることに気付いた。
「あれ、カルロスがいる」
「そうよ。あたしが巡礼に行くからって、その護衛の話をするらしいわ」
「あの隣にいる人は?」
「アンソニーさん。元深紅にいた人で前の巡礼でいろいろと手伝ってくれたの。で、遊戯盤がとっても強い人よ」
夜会が終わった後、真咲は巡礼に行く。その為の準備をしているらしい。
アンソニーと呼ばれた老人は自分よりも背の高いノーマンとフィル相手に物怖じする様子なく話をしている。二人は会話の途中でその場にしゃがみ、土を盛り上げてアンソニー用の椅子を一つ作り上げていた。
さすがにアンソニーはそれに驚いた様子を見せていたが、朗に笑いそこに座った。
和やかなやり取りに、伊織はつい頬が緩む。そして次に難しい顔をしてルイス、ジェイクと話をしているカルロスを見る。
相変わらずカルロスとジェイクが同じぐらいに大きいせいか、ルイスがちょっと小さく見えてしまうのは仕方が無いことだった。
そしてふと、カルロスを見ていて今更ながらに伊織はその存在に気付き、小さく首を傾げた。
「何か変なの見えたの?」
「……変なの、かも」
「うっそ、本当? あいつ何隠してるのよ」
「あ、えっとね?」
なんと言えば良いのだろうか、と伊織は顔をしかめた。
気づけたのはきっとヴィンセントのあの違和感のおかげだが、どうにもあれは良いものには見えなかった。
あれは隠してはいない。むしろ堂々としている。カルロスは光の周囲に炎がある。そう、伊織には見えていた。だが今、改めてみるとその炎だったものが不思議と妙に赤く、それ自体の光が見えなくなっていた。
「……炎、みたいな……赤いもの?」
「……ああ、あれかしら。血の誓い」
「血の誓い?」
真咲はそれが何か知っているようだった。しかし伊織は初めて聞くもので、問いかけると真咲は眉間にしわを寄せた。
するとすぐ、横から静が答えてくれた。
「本当は、書面に血を用いてサインだか何かして誓うらしいんだよ。で、誓い通りに出来なかったらそれ相応の報いを受ける。ただ書面だから途中破棄は可能。けどカルロスがやったのは、確か古い方法の書面無で、自身の血そのものに誓いを刻んだ方法。だったよね、真咲」
「そうよ! ありがと、静!」
「自分で説明しなさいよ。っていうか、私もカルロスがそんなことをしたの知らなかったんだけど」
「……そうだっけ?」
全部説明してくれた静に感謝をした真咲は、奈緒の鋭い視線から逃れるように顔を大きく背けた。
伊織はそのやり取りをそこそこに、改めてカルロスを見やる。
すると見えていたものがいつの間にか変化し、光の周囲にあったそれは明確に揺れる血として姿を見せた。しかしそれは光を襲うようなことはせず、周囲をゆったりと漂うだけであった。
「……血……」
「一応言うと、漆黒の人達はわたし達の護衛に着いた時全員やっているらしいよ。ルイスもやっている」
「そうなんだ。じゃあ、アイヴィも?」
「らしいよ」
書面でやっていたから伊織には見えなかったのか。それともまだ、あの時は伊織の力が良かったせいなのかは不明だった。今度改めてアイヴィに会った時はもっとちゃんと見てみようと決めた。
そして、ヴィンセントも。
「ねぇ、静。ちょっと聞いても良い?」
「何?」
「首のそのレースリボン、朝と結び方違うけど」
伊織がそう決めた横で、奈緒が静の変化に気付いたように指摘した。その静の変化に気付かなかった伊織はすぐに静の首に巻かれているレースリボンを見るが、朝はどんな結び方だったか覚えていなかったので首を傾げるしかなかった。
そして指摘された静はというと、また顔を真っ赤にして両手で顔を覆い隠してしまった。
「あらぁ? 何があったの?」
「へぇ、静。ちょっと教えなさいよ」
「うるさいなぁ……!」
にんまり、と笑う奈緒。そして真咲もそこに乗っかり、二人して静ににじり寄る。静は大きく声を張り上げ、コテツとアラレにうるさいと言わんばかりに前足で顔を叩かれてしまった。
ちょっとかわいそうだなと伊織は思いつつ、その下に何があるのか気になってしまったので止めずに三人のやり取りに耳を傾けることにした。
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騒がしい声に、カルロスは顔をしかめて狼達が集まっている場所を見やる。
「なんだぁ……?」
「あー……」
カルロスの隣にいるジェイクはその騒がしい声の主が静だったことに気付き、わずかに視線を落として目の前にいるルイスへと目を向けた。
「ルイス。静様に何かしたろ」
「それがどうした?」
「静様が吠えてんぞ」
そしてルイスと言えば、手に持っている書類に視線を落としたまま涼しい顔をして素直に認める。と、また一度聞こえてきた静の大きな声に、ジェイクは疲労混じりに大きく息をついた。
「別に、どこまで触れてい良いか試しただけだ」
「普通に言うじゃねぇか。おい、隊長」
「俺相手でも怖がられるというのが分かったから、必要な確認だろう?」
「……マジで?」
つい、カルロスは驚きの声をこぼした。ルイスはようやく書類から顔を上げた。
「なんだ、カルロス」
「……いや。だってあれだろ? ほら、いつも運んでるっていうか……」
静は男性恐怖症だ。今でこそ少人数で、囲わずに立ったままでなければ近くで話をしても問題はなく、ヘクター相手ぐらいだったら頭も撫でられるほどに回復していた。
だが、ルイスだけは怖がらずにいた。おかげでよく手をつながれて、最終的にルイスに抱え上げられて運ばれる姿が目撃されるくらいだ。そして二人は恋人同士である。だというのにまさかと言わざる得ないことを耳にし、カルロスはもちろん、ジェイクもまた無言で驚いたように目を見開いていた。
そんな二人にルイスは僅かに視線を逸らし、またカルロスとジェイクを見やった。
「直接触れなければ平気らしい」
「……何か、聞かなきゃ良かったこと聞いちまった気がする」
「馬鹿だな」
ルイスは遠慮なくカルロスに言い放った。カルロスはぐっと反射的に出てきそうになる言葉を飲み込む横で、ジェイクが遠慮なく口を開いた。
「それ、リーリアは知ってんのか?」
「話はした」
「それなら良いか……。いや、良いのか?」
ジェイクが小さく小首を傾げる。思わずカルロスはジェイクの肩を掴んだ。
「馬鹿! 普通にそれ以上は聞いたらまずいだろ!」
「お前、さっきルイスに馬鹿って言われた癖に何言ってんだよ」
「うっせぇな!」
カルロスは一先ず、今ルイスから聞いたことをなるべく最小限の情報へと思い込み、隅に押しやった。
そして大きくため息をつく元凶のルイスへと視線を向けた。
「話を戻すが良いか」
「てめぇのせいだよ」
つい、本音を漏らしたが自分は絶対に悪くないとカルロスは強く思ったのだった。




