01 そんな話は聞いていない
ゆっくりと冬へと向かっていくのが日に日に分かるようになってきた。暖かな日差しの中に吹き渡る風は冷たさを増し、今朝はずいぶんと肌寒さを覚えた。
そんな季節だった。
未だに敵の手がかりもなければ、ユフィアータが告げた、はじまりの神という存在の手がかりもつかめていない。そこへ長い冬が訪れようとしているのだから、今やるべきはその冬に備えることだった。
レイメイの隊舎はずいぶんと古い。どうやら隙間風があちらこちらから入り込んでいるらしく、今朝から隊舎内はあちらこちらで修繕の音が響いていた。
そんな中、相変わらずしかめっ面のルイスから放たれた言葉に、静は思わず聞き返した。
「夜会」
「はい、夜会です」
「その日、たぶん体調が悪くなると思います。ねぇ、アラレ。その日は静さんと一緒にいるもんねぇ?」
「お一人だけ逃げられるとお思いで?」
静は膝の上で丸くなるアラレを見下ろす。今は紅茶を飲んでいる為、撫でるのは遠慮した。アラレは撫でられないと分かると、不満げに大きく尾を叩くように振り下ろした。
ルイスは明後日の方向を向いた静を放置し、控えているリーリアへと目を向けた。
「それと、リーリア殿も出席だ」
「わ、私もですか……?!」
「加護を持っているだろう」
リーリアは驚きの声を上げたし、静も思わず目を丸くしてルイスを見上げた。何せリーリアは侍女なのだ。だが、普通のではなく、メルヴェアータから加護を受けた侍女である。
この国には、加護を受けた人間は、ルイスとリーリアだけだ。だからこそ出席を求められるのだろう。何せその夜会というのが、王族主催の大きなものであるのだから。
「一つ、確認だけど」
「はい」
「その、夜会ってパートナーがいないと、駄目なんだっけ?」
「そうなります。なので静様のお相手は私が務めます」
「ああ、うん。それは当然なんだろうけど」
静はそっとリーリアへと視線を向ける。ルイスも黙って同じようにリーリアを見つめた。
「な、なんでしょうか。お二方」
意味が分からない、と言わんばかりのりーリアに、静は少し歯切れ悪く問いかけた。
「いや、あのさ? 聞かなかったからあれだけど。ジェイクとは……」
「そういう仲なんだろう?」
静、ルイスからの言葉に、リーリアは瞬時に顔を淡く赤に染めた。
なんとなく、だった。なんとなく、二人の距離が近いな、とか。よく一緒にいるな、とか。ジェイクがすぐにリーリアを見つける、だとか。
そんな些細なことであったが、リーリアの反応を見てやはりという言葉しか思い浮かばなかった。
「とりあえず、ジェイク呼ぶ?」
「呼んできます」
そう言ってルイスは迷いなく執務室の窓から外へ出て行った。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
夜会に出ろ。
ルイスからの無慈悲な言葉にジェイクは大きく顔を歪めた。
「まじで言ってんのかよ……!」
「リーリア殿の番犬だ。やれ」
「いや、なんでリーリアが」
「加護を持っているから強制だ。後、お前達がそういう仲なのは知っているからな?」
「まさか、誰かから」
「見てたらなんとなく分かるだろ」
「……ルイスの癖に」
ジェイクの最後の一言に、ルイスは言い返すことはなかった。その代わり、机の上に置いてある書類を手に取った。
「これについての話を聞かせてもらおうか」
「悪かったって!」
何かをやらかしてしまったのだろうか。
即座に謝罪するジェイクを横目に、静は次に知っていそうなリーリアに行くことにした。
「リーリア。あれ、何?」
「北部の森にいる魔物討伐の報告書ですよ」
「……そんなのやってたの?」
そんな話を聞いていなかった静は、ほんの少しだけ顔をしかめた。
あら、とリーリアは口に手をあててルイスを見やる。ルイスは欠片もなく焦ることなく、むしろ開き直ったように静へ説明をした。
「事後報告になりますが、王都北部の森にて複数の魔物が確認されました。本来であれば深紅が対応をするのですが、あちらから是非ということで合同で対処をすることになったんです」
「ああ、そうなんだ。でさ、すごく今更なんだけど、北部の森って?」
おそらく、面倒だったから言わなかったのだろう。
ルイスは時折こういうところがあるが、静も事後報告的なことは前にもやらかしている為、口煩いことは言える立場ではない。
それに静はレイメイの動きを把握していない。それどころかルイスに任せっぱなしだ。だから静はそうかと聞き入れるだけにして、初めて耳にした言葉を聞き返した。
ルイスは何故だろう、静をじっとりと見てきたがすぐに棚から筒状に丸めた厚手の紙を手に取った。
「こちらをご確認ください」
目の前のローテーブルに広げられたそれは地図だった。ルイスは地図の中央に人差し指を向ける。
「これが大神殿と王城。そこから南部地域、東部地域、西部地域と区画が分けられています。さらに商業地域、工業地域等々がありますが説明は割愛します」
話しながら中央から下を南部。右を東部。左を西部と告げた。分かりやすく区画位置に線が引かれている為、そう混乱することはなかった。
比較的、南部地域が広いように見える。大きな通りがいくつも書かれていることから、ここが王都の主要なものが集まっているからなのかもしれない。
今さらだが、別にこの大神殿、そして王城がある場所というのは王都の中央にあるわけではないのだと静は知った。歪な楕円。その半分から上にあった。
そして静は、色が濃く塗りつぶされている大神殿、王城よりも上の区画を指した。
「それで、ここが北部ってことだね」
「はい。元々ここにも人が住んでいたのですが、広大な森に隣接しているということもあり魔物被害が絶えず発生していました。なので今は冒険者達のギルドや、それに関連した者達が集まっている地域になりますので治安は良いとは言えない場所です」
確かに、この地区の上部。つまり北側は途中で途切れたようになっているが、このほとんどが森、ということなのだろう。
しかし、と静は疑問を抱いた。
「そういうギルドって魔物の討伐とかしないの?」
「依頼をすれば行いますが金銭が絡みますし、問題が起きると面倒なことになるんですよ」
ルイスはそう言いながら、さりげなく視線をジェイクに向ける。ジェイクはぐっと顔をしかめ、肩を落とした。
「だからさぁ」
「分かっている。どうせあちらから絡まれたんだろう?」
「……分かってんじゃねぇか」
二人の会話から、その討伐時にギルドの冒険者と何か接触があったのだと静は察した。
しかしルイスはそのことを静に知らせずにいたと言うことは、大きな問題になっていないと言うことだ。しかも書類で事足りている程度。
些細な事だったのだろう。であれば、静が改めて聞くことではない。
とは言え、静は少しだけ気になった。
「喧嘩でも売られたの?」
「あー……まぁ、そんなところです」
静の視線から逃れるようにジェイクは大きく顔を背けた。
「やり返したら問題起こる?」
「起こるんで止めてくださいよ。だからこうしてルイスに詰められてるんですから」
詰められるだけの程度にジェイクは抑えたらしい。
ちょっとばかし、つまらないなと思ってしまったのは静の気質ゆえである。仕方がないことだと静はうん、と開き直る。
そして笑顔をルイスに向けた。
「静様、お連れしませんからね」
「散歩」
「南部、もしくは東部ならお連れします」
「あれ、西は?」
「あちらは貴族の居住区なのでお勧めしません」
この世界は元の世界と同じく東から西へ太陽と月が巡っていく。そして南は雪が降らないほどで、北は雪が降る。
ということは、この国がある場所は元の世界で言うところの北半球に位置しているのだろうかと静は想像する。だが、それは前提として同じく世界が丸くて、そもそも動き方も同じであれば、である。
何せ聞こえてくる言葉は全て勝手に翻訳されて聞こえてくるのだから言葉の意味が本当に同じかさえも疑えばどこまでだって疑える。
が、そんなことは面倒なので、静は想像することをほどほどにした。
そう、南だ。
「南部とかじゃないんだ。日当たりとか良さそうなのに」
「南部は真正面ということもあって、何度か焼かれた歴史があるんですよ。後は人が多く行き交う場所なので、商人や平民が多いです。東部は工業が盛んです。開発局もこの地域にあります」
「そうなんだ」
なんとも物騒な地域だ。北は魔物。南は人間。とすれば、東西に重要なものが置かれるのは当然だろうし、落ち着いて暮らすにもうってつけの場所だ。
いろいろと事情があるのだと思い、静は改めてこの国の詳しい歴史書に目を通してみようかと考えた。
その横、ルイスはようやく静が口を閉じたのを確認してからジェイクに向き直った。
「話を戻すが、夜会に出席は必ずしてもらう。やることは何もないし、最後までいる必要はない」
「……りょーかい。けどさぁ、ルイス。そういうのって何か高い服とか着ないとなんだろ? そんなものねぇよ」
「これで通す。俺も着たくない」
「よっしゃ」
アイヴィがデザインしたというレイメイの隊服。黒に近い、濃い紫の地は夜に紛れるのにちょうど良い色だ。しかし袖や襟に飾る橙か黄の美しい蔦と雪の結晶を模した刺繍は、さりげなく上品さを感じさせた。
とくにルイスは右肩に肩掛けをつけている。そこに金のモールなりをつければ、それだけでも十分に公式な場に出られるようなものだ。アイヴィのことだから作ってあるのかもしれないが、ルイスはきっとその場で燃やすだろう。何せ目立つことを嫌っているのだから。
しかし、静はルイスが豪華な衣服に身を包むところというのを一度くらいは目にしたいところではあった。それにジェイクも。別にジェイクはなかなかに厳つい方だが、整っているのだからそれなりの恰好をするだけでもだいぶ印象が変わるはずなのだ。
勿体ないなぁ、と静は呑気に思いながら丸いクッションのようになっているアラレの背中を撫でた。
「静様のドレスですが、すでにアイヴィに頼んでおります」
「は?」
「念の為に採寸をしたいそうです」
思わずアラレを撫でる手に力が入りそうになり、静はすぐに手を離してルイスを見上げた。
ルイスはすぐに静から視線を外し、リーリアを見やった。
「リーリア殿。アイヴィが良ければ用意するそうだがどうする」
「そ、それは……。しかし」
「頼めよ、せっかくだしさ。それに見たいし」
躊躇するリーリアに、ジェイクは静とルイスさえも見たことない笑みを向けた。
それは静やルイスに向けるような呆れたようなものではなく、ましてやレイメイの者達へと向ける豪快な笑みでもない。
眩しそうに目を細め、ただひたすらに柔らかく、薄く笑みを浮かべるジェイクのその姿。ルイスは目を思わず丸くし、静はどうしてか他人のことなのに恥ずかしさを覚えて視線を逸らした。
「あ、でも。ドレスって高いんだよな?」
「……費用については考えなくて良い。加護を得ているということで、大神殿から支払われる」
「助かるわ」
そんな笑みを瞬く間に消して、いつものように少し幼さが見え隠れする笑顔を浮かべた。
ルイスは先ほどの衝撃が大きかったのか、じっとりと、何か警戒するかのようにジェイクを見ていた。ジェイクはよく分からないと言うように顔を僅かにしかめ、わずかに首を傾げた。
「なんだよ」
「……いや、何でもない」
「……あ、ヴィラどうしよ」
「リーリア殿の側にいてもらえば良いんじゃないか」
「そうだな。ヴィラ、その時は頼んだ」
ジェイクの頭の上に止まっているヴィラは小さな白い羽を羽ばたかせ、ジェイクの鼻先に移動する。そして律儀にまた頭の上に戻っていくので、今のは是ということなのだろうと静は理解し、そういえばとリーリアに視線を向けた。
リーリアは何故か難しい顔を浮かべ、静を見たかと思うとルイスへと口を開いた。
「ところでルイス様。静様のドレスというのは、どのような……?」
何故今、それを気にするのか。静にはリーリアの思考が何一つ分からなかった。対してルイスは驚くこともなく一つ頷き、机へと戻る。引き出しから、ことさら重厚な木箱を取り出し、そこから紙を取り出す。
あれは一体何かと静はジェイクとそろって小首を傾げる横で、ルイスはリーリアにそれを手渡した。
「これだ」
「まぁ……!」
リーリアは口元に手を当てつつ、穴が開いてしまいそうなほどにその紙を見ていた。
「この静様のドレス姿が見られるのでしたら……、ええ、出なければなりませんね……!」
つまりあれは、ドレスのデザイン画ということだ。
何故そんなものを持っているのか。そもそもとして、いつから準備をしていたのか。なんであんな重厚な箱にたいそう大事にしまっているのか。
いくつもの疑問が一気に静の中から溢れてくるが、至極真面目にデザイン画を覗き込んではあれやこれと話始める二人を前に、静は口を閉ざした。
ルイスは静の好みを把握している。だからこの幼い見目が際立つようなものではないはずだ、きっと。
静はそう信じることにした。
と、外からいくつもの狼の遠吠えが聞こえてきた。
ルイスはデザイン画から顔をあげて窓へと見やり、そのまま静へと声だけを向けた。
「静様、呼ばれてますよ」
「……夜に遠吠えがないのはありがたいけど」
あれは静を呼ぶ声だ。
狼達はとても利口だが、ああやって日に少なくとも一度は静を呼ぶのだ。最初はなんだろうかと思いつつ放置していたら更に遠吠えが続き、最終的には隊舎へと乗り込もうとしてきた。
静は小さく息をつき、膝で眠るアラレの背を軽く触れた。
「アラレ。ちょっと動くね?」
そしてそのまま持ち上げ、右肩に前足を乗せるようにアラレを抱きかかえた。アラレは大人しく静にされるがままで助かるが、日に日に重くなる体重に静は思わずちょっとした文句をこぼした。
「……アラレさぁ、少しは自分で動こうよ。太るよ」
みゃ。
「嫌なんですかぁ」
にぃ。
可愛らしい甘えるような鳴き声に、静は思わず頬が緩みそうになる。だが自分は犬派である。いや、でも、可愛いのは事実であるのだ。
静は揺れ動く自分の中の派閥に、思わず顔をしかめる。
「静様。重いなら俺が持ちますよ」
ジェイクはアラレの重さに顔をしかめたと思ったらしい。
「や、大丈夫。良い運動になるから」
「……それで転ばないでくださいよ?」
「その前にルイスがどうにかするよ。たぶん」
横から鋭い視線を静は気づかないふりをして、そそくさと踵を返した。
背中から二回目の遠吠えが聞こえた。静は早く行かなければと思い、少しだけ足を速めた。階段から降りる途中に踏み外しかけ、そのままルイスに抱きかかえられたのは言うまでもない。
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そしてこれである。
「静様ぁ。それ、楽しい?」
リオンが上から覗き込んできた。
それ、とは静が狼達に埋もれている状態のことだ。上にのしかかられ、寄りかかられ、中でも一回り大きな狼が静の下へと入り込んでくれたおかげで、前後左右、狼まみれの状態だった。
ちなみにアラレは静の胸の上を陣取っていた。そこそこ重たい。
「ちょっと。リオンもやる?」
「うん」
どうやら興味があったらしい。
静はすぐに右にいた狼の額を軽く叩いた。狼は頭を上げ、さらに隣にいた狼他、子狼達を移動させる。すごく利口な狼達はすぐにリオンが入れるスペースをつくり、リオンはそこに迷いなく入り込んだ。
リオンは同じように静と同様にぼんやりと上を見上げる。
ちょうど木陰の下だからというのもあり、日差しの眩しさはない。肌寒さを感じるようになった風が通り過ぎるが、狼達のおかげで寒さは一切感じなかった。
「……ねそう……」
「……うん」
思わず眠たげな声で静が呟いた言葉に、リオンもずいぶんと眠たそうな声で頷いた。
静は重たくなる瞼に抗うことなく、そのまま下ろす。
通り過ぎる風が、木々の枝葉を揺らす。隊舎の修繕の音と、今日もしっかりと訓練をしている皆の声が耳をかすめる。
疲れたなぁ、だなんて。
対して何もしていないはずだというのに、そんな言葉が静の中で浮かんできた。しかし疲れたと思う程度に何かの疲労は感じていたのだろう。だからもう、このまま眠ってしまおう。
そう思っていると、ノーマンとルイスの声が聞こえてきた。
「ルイス、静様寝てない?」
「……そうだな」
「あ、リオンも寝てるかも」
二人して律儀に声を潜めて会話をしている。まだ静が完全に眠っていないのには気づいていないようだった。
「しばらくしたら起こす」
「じゃあリオンもそのぐらいかな」
今もまだ、ちゃんと眠れていないのだろうか。それともただ単に昼寝をしたかったのだろうか。
どちらにせよ、リオンが眠っていることに静は強い安堵を感じ、静は無意識に口元を和らげる。そして、そのまま静は狼達の温もりを感じながら眠りについた。




