06 進みゆく者を見る
それは翌日のことであった。
今日も今日とて静は執務室のいつものソファにいたわけだが、何故か今日もヴィンセントがやってきた。珍しくエドヴィンも連れて。
「思ったんだが」
「何が」
「一度、俺がルイスの相手をしても良いんじゃないか?」
静は膝の上にいるアラレを一度だけ見下ろし、もう一度目の前にいるヴィンセントを見やった。
「あえて聞くけど、何の?」
「魔術の」
「……そう言えば、ヴィンセントって戦えたね」
「ある程度はな」
あれをある程度と言っていいのか、と静は疑問を抱いた。
何せヴィンセントは襲撃にあった時に自ら前に出て戦ったのだが、まさか視界の映る全てを凍らせるとは思わなかったのだ。
ということはつまり、ヴィンセントはまだ実力を秘めている、ということに他ならなかった。
わくり、と確かな好奇心が静の中で沸いてきた。静はついつい無意識に笑みを深めつつ、視線を隣へと向けた。
「だってさ、ルイス」
隣にいるルイスは目元を押さえ、話を聞いただけだというのにずいぶんと疲れた様子を見せていた。
「……構いませんが、どこでやろうとお考えで?」
「外に決まっているだろ。ここを破壊されてはかなわん」
「外」
「当然だ。そんな面倒な顔をするな、ルイス。楽しくなるだろ」
それに対し、ヴィンセントは喉の奥を鳴らすように笑う。すでに疲労困憊な様子を見せるルイスは深く背もたれに寄りかかり、視線を窓の外へと向けた。まるで軽い現実逃避をしているかのようだった。
そんなルイスに変わり、静が交代でその理由を聞くことにした。
「その、いろいろと聞きたいんだけど。なんでルイスの相手をしようって?」
「俺自身、一度も本気で誰かとやりあったことがないからな。ジェイクが相手でも良いんだが、あれは魔術が苦手だろう? ならルイスとの方が良いかと思ってな」
「うん。それは分かった。で、なんで外? いや、別にほら、外に行かなくてもやり方があるんじゃないかなぁって」
「外に行きたくなっただけだ。恥ずかしながら儀式以外に外に出たことがないから、ついでだ」
なんて規模の大きい、ついで、だろうか。
ほとんど外に出たことがないことに対しては、ずいぶんと箱入りだなと素直に思いつつも、どうしていままでお忍びやらで外に出ようと思わなかったのかというのが静には不思議でならなかった。
「何か言いたげだな、静」
「ヴィンセントなら、こっそり外に出かけていてもおかしくはないな、と思ってたんだけど」
「お前、忘れてないか? 俺はある意味では、我らが神の供物だぞ? だから供物らしくこの大神殿の中だけで過ごしていただけだ」
「供物にしては、ずいぶんと大人しくはないね」
「暇だったからな」
ヴィンセントは王族の生まれである。しかしこの国の王族は、我らが神へ最上級の捧げものとして我が子を一人、神殿側へと渡すのがことが決まっていた。それがヴィンセントだ。
当然ながら、我らが神は供物を必要としない。愛娘達も、他の神々も。必要なのは祈りと願いのみ。ただその祈り方を人間が変え、供物を捧げるようになったというだけだった。
今後も続くのかは不明であるし、静はこれについて何か言うということはしない。それがこの国のやり方なのだ、聖女とはいえ部外者が言えることは何一つなかった。くわえて、この目の前にいるヴィンセントを見る限り王族から離れて良かったな、と思ってしまうのだから余計に何も言えなかった。
「それで? だからエドヴィンさん連れてきたってこと?」
「話が早いだろう?」
ソファに座らずに控えていたエドヴィンは険しい顔をさらに険しくさせ、ついには目元を押さえた。
「……止めは……。ええ、止めようとしても無駄でしょうから、止めませんが」
「さすがだな、エドヴィン」
今までのヴィンセントを知っているからなのだろう。エドヴィンからは多大な疲労が漏れ出ていた。この大神殿の中にずっといたと言う割には、ずいぶんとヴィンセントは好き勝手にしてきたらしい。
いずれ酒をまた飲み交わした時にでも聞こうと静は決め、そして静含めて全員が窓へと視線を向けた。
「おっと、大事な話し中……にしちゃあ、防諜がねぇけど?」
「ヴィンセント様の思いつきだ。何か急ぎの用事か、ロビン」
そこには、当然のように窓から入ってきたロビンがいた。確かに話の内容的に防諜の魔術をする必要があったが、今更なものだった。
ロビンはそのまま窓枠に腰掛け、にやり、と口角を上げた。
「急ぎっていうか、あれよ。少し王都離れるからその前にって感じで顔見に来た」
「……離れる?」
長期の任務へ赴くのだろう。ロビンは会いに来たはずのルイスから視線を外し、静へと目を向けた。
「静様達もちょうど良くいるんで話しますけど。あの異国の魔鉱石、どうやらメシュラルドのものらしいんですよ」
静はふむ、と小さく頷き、ルイスの袖を軽く引いた。
「どこ?」
「我が国の南に位置する隣国です。後でご説明します」
「分かった」
今はそれを聞く場合ではない。だから静は素直に聞き入れた。
「だから、そのメシュラルド出身である俺が偵察に行くことになりまして」
「そう、なんだ」
「そうなんですよ。ああ、でも、そんな一年とか長期に行くわけじゃないですよ? ガキ産まれますし」
へらり、と笑いながらロビンは任務以上の爆弾をまるで天気の話をするかのように告げた。
隣に座っていたルイスは驚く静をそのままに立ち上がり、ロビンに詰め寄った。
「ロビン、どういう」
「ふはっ……! やっぱり驚くよな!」
ロビンはへらへらと笑い続けながら、詰め寄るルイスの肩を数度叩いた。ルイスは邪魔そうにその手を払い除け、そのまま詰めるように問いかけた。
「相手は」
「顔馴染みの娼婦。あ、元か」
「婚姻は」
「やったぜ? 馴染みの神官に頼んで、さくっと終わらせた。言っとくけど、婚姻を先にすましてからだからな?」
どうやら、そもそもとしてルイスには婚姻をしていたことさえも黙っていたらしい。ルイスはしばらくの沈黙の後、ルイスはまるでロビンを逃がさないと言わんばかりに肩を掴んだ。
「祝いの品を贈る」
「いらねぇって」
「しかし」
「お前、絶対高そうな奴、贈ってくるだろうが。せめてそれ以外な、それ以外」
ロビンは即座に断り、ルイスの手を外す。
ぐっと言葉を詰まらせるルイスには、だいぶ難しい注文なのだろう。何せルイスは貴族の出自である。それなりの物は知っていても、平民のそういった贈り物には疎いらしい。
静はどうしたものかと上を見上げ、そしてルイスを見て、そうだと思いついた。
「ルイス、ナイフか何かある?」
静は寄越せと言うように手を出して言う。ルイスは怪訝そうな顔をしつつも素直に腰から鞘にしまわれている小さなナイフを静の手に置いた。
静は鞘ごとナイフを両手で祈るように握りしめ、瞼を閉じる。
体に満ちる冷たい息吹。その息吹の力を、静は手の中に握りしめるナイフへと集め、閉じ込める。その最中、冬の凍えるような風がふわり、と静の頬を撫でた。
にゃあ、と静の膝で眠っていたアラレが不満げな声で鳴いた。静はその鳴き声に呼応するように瞼を開け、アラレに謝るように一つ撫でながらルイスへと差し出した。
「はい、ルイス」
「ありがとうございます、静様」
ルイスは静からナイフを受け取り、それをそのままロビンへと押し付ける。が、その前にロビンがルイスの手首を掴み、何とか防ごうとしていた。
「やる」
「よーし、待て。それはあれだろ? 静様の加護とか、そういうやつだろ?」
「祝いの品にはちょうど良いだろ?」
「静様ぁ?!」
ルイス越しにロビンが静を呼ぶ。まるで止めてくれ、と言わんばかりに。
静は機嫌の悪いアラレを宥めるように撫でまわしながら、へらり、と笑った。
「なんか危なさそうなところ行くんでしょ? だから盾の力にしたから安心してね」
「全く安心出来ないんですけどね……! って、おい! どこにしまおうとしてんだ!」
「別にどこでも良いだろ」
静からルイスが何をしているのかはよく見えなかった。だが、ロビンの腰付近に触れているのだけは分かったので、たぶんベルトかどこかに挟もうとしているのだろうと理解した。
ちなみに目の前にいるヴィンセントは顔を伏せ、大きく肩を揺らしていた。
「返すなよ」
「……本当、変に頑固なところあるよなぁ……」
しばらくの攻防の後、ついに押し負けたロビンは大きく肩を落としつつも、静が力を込めたルイスのナイフを腰へと装着していた。
ルイスはしっかりとそれを確認し、満足げに頷いていた。
「くくっ……。さっさと受け取れば良かったものの」
「ですけどね?」
「にしても、よく兄上はお前に偵察の任務を渡したな。いや、アルベルトか?」
「殿下からの指示です。とはいえ、事前に何度も確認されましたよ?」
「ほぉ、それなのに受けたのか」
ようやく少し落ち着いたヴィンセントは、わずかに笑い声を漏らしながらもロビンを興味深げに見て、琥珀の瞳を細めた。
婚姻し、さらに言えばこれから赤子が生まれる。だと言うのに何故、この王都を離れ隣国へと行かねばならない任務を受けたのか。
ロビンは一度、視線を上へと動かす。そうしてヴィンセントへと目を向けた。
そこには先ほどまでのへらへらとした笑みはなく、代わりにわずかに口角を上げ、まっすぐにヴィンセントを見据えるロビンがいた。
「何ていうか、あれですよ。こんなんでも父親になるわけですし。それなら生まれてくるガキに、すげぇだろって言いたいだけです」
静はロビンが見せたその表情を前に、妙な既視感を覚えた。いや、覚えて当然だった。
何せ、それは父が静に向けていた表情そっくりだったからだ。
「……そうか。それなら余計に、五体満足で戻ってこなければならんな」
「ええ、もちろん。ちゃんと帰ってきますよ、この場所に」
まだ異国に対して厳しい、このロトアロフという国でロビンは家族を得た。そして迷わずにヴィンセントの言葉に頷いた。帰ると断言をした。それが当然であるかのように。
「それなら我らが神にお前の無事でも祈っておこう」
「大神官様から直々に祈られるとは光栄です」
ロビンはわざとらしく、大きい仕草で胸元に手をあて騎士の礼を見せた。ヴィンセントはまた大きく笑い、肩を揺らした。
「いつ、行くんだ」
ヴィンセントとの会話が終わったのを見計らい、ルイスがロビンに問いかけた。ロビンはまた姿勢を崩し、いつものようにへらりとした笑みを浮かべた。
「今日には出る。冬至は……状況によっては過ぎるかもなあ……」
「奥方を一人残すのか」
「奥方って。あいつ喜びそうだな」
クツクツと顔をくしゃりとさせて笑うロビンは、今度はルイスへと歩み寄った。
「問題ねぇよ。あいつ、かぁなり強いんだぜ?」
自慢げに答えたロビンはそのまま、何故かルイスの肩へ腕を回した。まるで先ほどとは逆のことが起きており、ルイスは何かを察したのかその腕をどかそうとした。
「でさ、ルイス。お前のその魔力のこと、隊長達が探ってくると思うが勘違いすんなよ? すっげぇ心配しているからって奴だからな?」
「……分かっている。だから面倒なんだ」
しかしなかなかにロビンの腕は外れない様子で、ルイスはすぐに諦めてされるがままに顔を背けた。
「まさかとは思うが、変な薬とかじゃねぇよな? 新薬の実験とか」
「隊長達に言われたか?」
「それもある。どうせ静様絡みなのは間違いないんだろうけどさ」
もはや、ルイスが無茶をするときは静が絡む時だと周知されているらしい。ただ何一つ間違っていないので、静は何も言えず、そっと顔を背けた。
ロビンはしっかりと静のその反応を目にし、そしてルイスが口を閉ざしたままの状態を前に、小さく息をついた。
「……今は、言えないって感じか」
「……ああ」
「それなら仕方がねぇや」
そしてロビンはあっさりとルイスの肩に回していた腕をどかし、先ほど入ってきた窓へと足を進めた。
「そんじゃ行ってくるわ」
「……余計な問題を起こすなよ」
「あったりまえだろ?」
ロビンは一切ルイスへと振り返らず、そのまま窓から外へと出て行った。
なんともあと腐れのない挨拶をしに来たものだと、静はロビンが出て行った何もない窓を眺める。と、同じように窓を見つめていたルイスが、口を開いた。
「……外ならば、王都の外まで出るのが無難かと思いますが」
「そうだろうな」
中断していた話の続きをまさかのルイスから再開し、さらに提案までした。
ヴィンセントは僅かに目を丸くし、しかしすぐに笑みを深めて瞳を細めた。
「……ああ、そうだ。ついでだから、あそこに行きたいな」
「あそことは?」
「報告に聞いていた、墓守殿がいる神殿に。我らが聖女達が世話になったんだ、礼をしたい」
さも、良いことを思いついたと言わんばかりに付け加えようとするヴィンセントに、ルイスはようやく振り返り、いつものように顔をしかめた。
しかしルイスはそれに対して否定するようなことは一切口にせず、承知しました、と口にした。
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まだ、ルイスが漆黒に入隊してそう時が経っていない時だった。
兄貴分だと、ロビンはいきなりルイスに対してそう告げた。
見目がまさしく、メシュラルド人と変わらない故だったからなのかもしれないとルイスは勝手ながらに想像している。
そしてロビンはそれ以来、しつこくルイスに構っていた。それはもう邪魔で仕方が無く、さりげなくルイスが避けるくらいには。
外はすっかり宵闇に包まれており、独特の静けさが満ちている。
ルイスは明かりをつけていない執務室に一人、そこにいた。深く椅子に座り、無機質な天井を見上げる。
ロビンが婚姻をしたのは雪解けの前だったらしい。それを告げたのは漆黒の隊長、副隊長。そして自身の主であるランスロット。そして何故か、ユアンの四人だけ。
ただ今回のことでロビンはようやく周りにそれを告白し、漆黒の中でも相当な騒ぎを起こしたらしい。そしてロビンが戻ってきたら全員で祝うから出席しろ、と先ほどまでいたオリヴィアとアイヴィが不満たっぷりに言い切った。
もちろんその時は参加するつもりである。
ルイスが知るロビンは、いつもヘラヘラと笑い、軽薄な空気をまとう姿だった。
だから昼間に見た、あの一人の父としての顔を見た時の衝撃は強かった。
まさか、あのロビンが、と。
いつまでも変わらないと、思っていた。それがどうした、あっという間に目の前で変わったのだ。
それを目の前にしたルイスは、ただ茫然とした。
これほどまでに変わるのか。変われるのか、と。
ルイスは自身の右手を上げ、視界に入れる。その薬指にはユフィアータから授かった銀の指輪がある。
魂の変質によって、静がため込んでしまった自身にとって毒である魔力を請け負う為の物だ。ある種、呪いのようなものであるが、ルイスにとっては何よりも喜ばしい鎖だった。
こんな鎖に喜んでいるだなんて、本当に変わらないとルイスはそのまま右手で目元を覆った。
子供だとルイスは自分に対してそう認識していた。いつまでも変わらない子供。肩書は隊長という物であるが、結局中身は何一つ変わってはいなかった。
「……変わらなければ……」
ロビンは瞬く間に変わった。あっという間に、背中は遠い場所にあった。
触発された、なんてまさに子供のそれのようだったが、ルイスはロビンの変化を見て焦燥を感じたのは確かだった。
置いていかれるのではないか、と。
しかし、どうすれば変われるのだろうか。否、そもそもとして、どう変わらなければならないのか。
ルイスは思考する。深く、深く。
答えは見つからないまま、夜は静かに更けていく。




