02 友へお願い事
シルドラが言うには、なかなかに居心地が悪かったらしい。
「……伊織、シルドラに何したの」
「え、観察してた」
「……そっかぁ」
じっ、とあの何でも見える黄金の瞳を向けられていたらしい。静の袖の中に身を隠した、本当に小さな蜥蜴であるシルドラに申し訳なさを抱いた。
「それで? 呼んだ理由はなんだ」
「ヴィンセントはついでに呼んだだけなんだけどね」
「この大神官たる俺をついでとは」
静の目の前にある二人掛けのソファに座るヴィンセントは喉の奥を鳴らすように笑う。静は楽しげなヴィンセントを無視し、目の前にいる伊織に向き直った。
「一先ず、あれよ。話聞いてから判断してほしいんだけど」
「なぁに?」
わくわくとした空気をまとう伊織に、静はついあえて控えるように静の近くに立っているルイスを見上げた。だがルイスはそっと視線を無情にも外してきた。
後でその頭を撫で回そうと静は心に決めた。
「……ミラベルさんに会ったんだけどね?」
「言ってたね。どうだった?」
「なんかこう……、変になったというか、より話が通じなくなったというか……」
伊織の足元の籠からウーロが頭を伸ばし、間に置いてあるローテーブルの上に頭だけを乗せた。まるで自分も話を聞いている、と言わんばかりだった。
姿形は黒い蛇のよく分からないものに静はうっかり和みそうになりつつ、静はさらに続けた。
「今回のことがあったのに、ご自身の息子のことなんて忘れていた、みたいな……」
それこそ、赤の他人と言わんばかりだった。静が今まで相対したことのない相手だったからこそ、静は困惑し続けていた。
大きく顔を歪める伊織の隣で、何故かヴィンセントは納得したように一つ頷いた。
「あれは元からそうだった」
「……元から?」
「ああ、そうだ」
ヴィンセントの言葉の意味を静はうまく理解出来なかった。しかし伊織は、困惑する様子はなく普段通りだった。
対照的な反応。ヴィンセントは二人の反応を見て器用に片眉をあげつつ、説明をしてくれた。
「マティアスは一度だってミラベルから愛されることはなかった。ミラベルにとって、側妃としての義務で王の子を産みはした。それ以外は義務ではないからと最低限は側妃としてマティアスに接しはしたが、それだけだった」
塔の中で会ったマティアスの姿を静は思い出す。
ずいぶんと疲弊したような、どこか幼い、迷子になってしまったような男だった。
是非とも苦しんで生きて欲しいと静は思っている。それは今も変わらないが、愛されたくて足掻いた結果と知った今、少しばかり見方が変わってしまった。
かわいそう、なんていう傲慢な感情が湧き出た。
静はむくりむくりと煙が広がるようなそれに、無理やり思考を逸らそうとヴィンセントの話に必死に耳を傾けた。
「ミラベルの中にあるのは正妃アレクシアの姿のみ。我が母ながら、一体どんな手を使って懐かせたのか聞いてみたいところではあったな」
今は亡き、正妃アレクシア。そしてヴィンセントの母。
一体どのような人物であったのか。ついヴィンセントの言葉に静は小さく頷いた。
「しかしミラベルは異国ではあるが誇りある王族の一人だった。だからその役割はしっかりとこなしていた。つい最近までは」
「……最近って」
「自ら指輪を外したそうだ」
静も伊織も、そろって首を傾げた。ヴィンセントは当たり前に知らない二人に、呆れることなく教えてくれた。
「婚姻の指輪だ。罪人だからいらんと言い放ったらしい。あの塔にいた時はまだ側妃としての自覚はあったようだが、今やその唯一の身分を示す婚姻の指輪を手放した以上、王族の一人として扱えなくなった」
今、静は何故か妙に背筋に冷たいものが伝ったような、そんなものを感じた。
「結果、今に対してはミラベルは王族としての誇りが消え去った、ただの罪人のミラベルとして扱わなくなった、という状態だ」
ヴィンセントはさも、困ったと言わんばかりに大きく息をつく。まるでわざとらしい。
静は何故か妙にヴィンセントのわざとらしさに苛立ちを覚えたが、これは苛立ちでこの目を逸らしたくなる焦りを誤魔化そうとしているに過ぎないものだと静は理解した。
「……あのさぁ」
「なんだ」
「わたしのせいだよね?」
「うまくいくと思ったんだがな」
肯定するヴィンセントに、静は両手で今すぐに自分の顔を叩きのめしたかった。
失敗した。いつものように話せば何となく大丈夫だと高を括っていた。静はばっと控えていたルイスを睨みつけるように見上げた。
「ねぇ、ルイス。わたし、何が良くなかった?」
「……強いて言うなら、ですが。親しみを向けてしまったこと、かと」
「遊戯盤の相手お願いしただけなのに?」
「強いて言うならば、です。ですが、本当にそれだけで……」
ルイスは困惑した様子で、言い淀んだ。
本当に、静は特別なことなんて一つもせずに言葉を交わしたたけなのだ。しかも、そんな追い詰めるようなものではない。むしろ関係のない話をしただけ。
それの何が悪かったのか。静にはどうしたって原因までたどり着けなかった。
「……ミラベルさん、どうなる?」
「重要参考人というのは変わらんからな。陛下は心の病ということで周りを説き伏せたらしい。だからあの場にいることは変わらんが、騎士の数が増えるぐらいだ」
「……そっかぁ」
塔のとは違い、王城の奥まった場所だ。行こうとすれば、どこまでも行けてしまう。だからこそ、見張りの目を増やさざる得ない。
ユアンが開発した写映機が役立ちそうだ。
静はまた思考が逸れそうになり、すぐに余計な考えを叩き落とした。そして、にやついた顔を向けてくるヴィンセントに、静は声を荒げないようにしながら口を開いた。
「何、ヴィンセント」
「いや。静でも失敗することはあるんだな、と思ってな」
「相手によるでしょ。後は、どういう状況かっていう……」
まるで言い訳のようだった。静はすぐに口を閉ざし、喉からあふれ出てくる言葉を飲み込んだ。
そうして一度、静は大きく息を吐き出して、いつもよりもずいぶんと萎れたように肩を小さく丸めた。
「……これ以上、わたしが関わったらまずいなぁ……」
「じゃあ、代わりに私がお話すれば良いんだよね?」
「いや、その。確かに伊織には、その力を借りたいなとは思ったけど、なんだかそういう状況ではないかなぁ……って」
「けど、お話出来ないんだから余計に見た方が早いでしょ?」
その為に伊織を呼んだのは言うまでもない。ぐうの音も出ない静は、いや、でも、しかし、と考える。
けども何も言葉らしい言葉は思い浮かばず、空虚がぽこぽこと生まれるだけだった。
あくまでも静は、ミラベルが今どういう状態なのかを知りたかった。もしかしたら敵の置土産か何かが理由ではないかと都合よく考えいた。しかし蓋をあければ、自分が原因だった。
それならば、と静はいつもであれば自分で何とか解決する為に考えて行動するが、今回はむしろ関わってはいけない状況。八方塞がりとはまさにこの事。
だから尚更に、別の第三者に交代するしかない。ただ、静にとって、それが伊織である必要はない、と静は無意識な傲慢を振りかざしていた。
伊織はそんな静を目の前に、黄金の瞳を真っ直ぐに向けていた。まるで、何一つ見逃さないように。
「静って戦えるでしょ。後は、呪術を浄化できるし……すっごく大変だし」
「……まぁ、うん。そうね」
「それで、真咲は鳥呼んで、いろいろと行き先教えてくれるし」
「うん」
「奈緒はあんまり力は使いたからないけど、傷を癒せる」
「そうだね」
それぞれが異なる力を持っている。そこに優劣というものはない。あるのは役割の違いだけ。
しかし何故、今そんな話をしたのか。静は伊織の考えを知る為に続きを待った。伊織は、少しだけ顔を曇らせどうしてか不器用そうに笑みを小さく浮かべた。
「それに比べたら見ることしか出来ないんだなぁって思った」
「それは」
「その通りでしょ、静」
伊織は見える。この世界にあるもの全て。
感情も、想いも、魂も、嘘も真実も、全てが常に見えている。ただ、それらは伊織が知っている知識、または想像力によって見え方が変わってくるが、それでも強大な力だと静は認識していた。
けども、伊織には常に見えるからこその悩みをいつからか抱いていることを静は今になってようやく知った。
「私には見えるだけ。たぶん、いろいろとたくさん知ったら、もっと見えるようになるとは思うけど、本当に見ることしか出来ないもん。戦えないし、遠くの場所にある探し物なんて出来ないし、傷も癒せない」
伊織の黄金の瞳は、静を捕らえて離さない。それどころかよく深く掴もうとしてきた。
「だからね、静が私に頼ってくれるのすごく嬉しかったの。ようやく役に立てるって。だから、お願い。私、がんばるから」
伊織は言いながらも、静を見る。何かを見ていた。
まるで静は心の臓を掴まれている気分だった。いつの間に、伊織はこれほどまでに薄らと恐ろしさまで感じてしまうほどのものを得たのだろうが。
静から見た伊織はずっと幼かった。子供であった。しかし、いつの間にその皮を脱ぎ去ったのか。本当に脱皮でもしたんじゃないとつい、ふざけたことを考えてしまう。
伊織は途端、眉をひそめた。ちゃんと見えてしまったらしいが、一体どんな風に見えているのか静は少しだけ好奇心が湧きそうになった。
「……クレアとはもちろん一緒だけども。他にヴィンセントでも良いし、誰か護衛はつけてね。そうしてくれるなら、お願いする」
「ありがと! 静!」
両手を胸の前で握りしめ、大きく喜ぶ伊織に、静はつられて笑みをこぼし、またすぐに静は眉間に小さくしわを寄せた。
「そんなやる気のある伊織に、もう一つだけお願いがあって」
「え? 何? 何でもやるよ!」
「何でもやるって言わないの。あそこに書類の山があるでしょ?」
「忙しいんだね?」
「あれ全部、入隊志願者の書類」
伊織は机の上に置かれている書類の束から山に変貌したそれに対し、綺麗に二度見した。
使われている用紙自体、そこそこの厚みがあるものだ。だから見た目よりはずっと少ないが、それにしたって山になるほどとは誰が予想出来たであろうか。いや、いないだろうと静は勝手に決めつけた。
「選別か」
「実力だけ見るって言っても、中身が糞だったら駄目でしょ?」
「確かにな」
ヴィンセントは納得したかと思うと立ち上がり、興味本位に志願者の書類を眺め始めた。
「深紅が多そうだな。やはり、レナートとジェイクが手合わせをしたからだろうな」
「はい。おそらく、ですが。他に漆黒や平民からも志願者が集まっています」
「そのようだな」
ルイスからの報告に、ヴィンセントは想像していた通りだったのだろう、一つ頷くだけだった。
へぇ、と伊織が小さく声を漏らした。そしてすぐ、小さく首を傾げた。
「この大神殿の人達からは来てないの?」
「ここにいる奴等は知っているからこそ誰も志願しなかった」
「そうなの?」
伊織の素朴な疑問に、ヴィンセントが答えた。
「あの隊は皆、相当の実力者ばかりだ。もちろん、その背景については言及しないが」
「うん。皆強いよね」
「求められる力量がそれなりのものというのは明白だ。そして静は守られる側だと言うのに、自ら戦いに出ようとする。守る側からしたらたまったものではない」
呆れたように言うヴィンセントに、静はそっと視線を部屋の隅っこに向けた。
「また、レイメイには眷属が常に側におり、下手をすればどこかの神と相対する可能性が一番高い。神に仕える為にここにいる騎士達にとってみれば、恐ろしい隊だと言わざるえない」
「そっかぁ……」
伊織は分かったような、分かっていないような相槌を打つ。静もまた、そういうものなのかと無言で相槌を打ち、未だに興味深そうに書類を眺めているヴィンセントの横顔に目を向けた。
その目は、見定めるようなものではなく、むしろ羨ましげなものを向けていた。
「じゃあ、ヴィンセントは?」
「この立場が無ければ諸手を上げるに決まっているだろ。面白そうじゃないか」
静はつい、ルイスを見上げる。ルイスは思い切り顔をしかめ、一目で嫌だと言うことを語っていた。
ヴィンセントはルイスの様子に気づいたようで、愉快と言わんばかりにいつものように笑みを零した。
「なんだ、ルイス。有能だぞ、俺は」
「存じ上げていますが、それとこれとでは」
「うるさいな。なぁ、静。俺のような有能な人材がいると便利だと思わないか?」
続くルイスの言葉を遮ったヴィンセントは、続いて静に問いかけた。それも大変自信ありげに。
ここでいらない、なんて言ったらどんな反応をするかと気になるところではあるが、静は素直に答えることにした。
「来てくれると嬉しいな」
「だろう?」
もしもという例え話だ。あくまでも。けどもし、そのもしもが現実になったらならば力強い存在になるのは間違いなかった。
何せヴィンセントはここら一体を氷の世界へと変えてしまうほどの強い力を持っているのだから。しかも、書類仕事も難なくこなすのは大きい。一人でも増えたらルイス達の負担が減るのは間違いない。
静は心の隅で現実にならないかとつい、願いそうになり、無感情な伊織の視線に気づいた。
「伊織。言っておくけど、あくまでも有能だからとか、そういう理由です」
「けどさ、静。ヴィンセントのこと、結構違う感じで見てるよね?」
「ああ、はい。友達枠で見てますとも」
伊織はヴィンセントに対し、特別なものを向けている。だから取られると思ったのかも知れないが、あくまでもレイメイに必要な人物として言ったまでのことだった。
さらにそこに付け加えるならば、あくまでも対等な友人として、という意味でも欲しい相手であった。
「……友?」
「……うん?」
すると何故か、ヴィンセントは琥珀の瞳を僅かに丸くし、穴が開くほどに静を見てきた。まるで信じられないものを見てくるかのようで、静はつい不愉快なものを抱いた。
「なんだ、お前。俺を友だと思っているのか?」
「え、うん。そうだけど? ああでも、あれだよ。悪友的な感じ」
友。中でも悪友として静はヴィンセントを見ていた。
事実、ルイスを除いて静が一番、異性として関わりが持てる相手はヴィンセントであった。しかも考え方というべきか、感性というべきか。そういったものの波長が妙に合っている、と静は一方的に感じていた。もちろんヴィンセントの意見は一度だって聞いたことはないのだが。
「そうかっ……! 悪友かっ……!」
そして突然に大きく笑い出すヴィンセネトに、静はどういうことかとつい、伊織に目を向けた。だが伊織はヴィンセントを見て、妙に嬉しそうな笑顔を浮かべており、静には一切気付いていない様子だった。
伊織はヴィンセントの光を見るために残った。おそらくその光を見ているのだろうが、表情を見る限り、とても良いものではあるのは確かだった。
「あのさ、ヴィンセント。何でそんなに笑ってんの」
とは言え、何故そんなに笑うのか分からず、静はたまらずにヴィンセントに問う。ヴィンセントは数度、深呼吸を繰り返してようやく落ち着きを見せたが、その顔は未だに笑みが張り付いたままだった。
「いや何、生まれてこの方、友人なんぞいないなからな。だがいきなり悪友とは思わんかったぞ。しかも、我らが銀の聖女のな」
そうしてまた、ヴィンセントはまた笑みを零した。
「じゃあ私と同じだ!」
「待って、伊織。それは一緒だって喜んで良い奴?!」
伊織もまた、この世界へと落ちる前。それこそ静達に出会う前は友達という存在がいなかった。だからこそ、ヴィンセントとの共通点に伊織は嬉しそうな声をあげたが、それはおそらく違うと静は即座に止めようとした。
「ん? 伊織もそうなのか?」
「うん。静がはじめての友達!」
「そうかそうか。ところで友人とはどういうことをするんだ?」
「……お、おしゃべり?」
「なるほどな。じゃあ、遠慮なくここに訪れて良いということだな」
友達初心者の伊織にあえて聞くヴィンセントは、さも良いことを思いついたと言わんばかりに言った。
「そっか!」
「伊織、そっかじゃないのよ。ここはレイメイの隊舎なのね?」
「けど、静はいつもここにいるよね?」
「……いるけどさぁ」
「遊びに来るね! それにほら、ウーロの浄化もあるし」
確かにウーロが体内に溜め込んだ呪術の浄化を少しずつしなければならないが、別に毎朝しているため、ここの来る必要はないはずだ。
静はどうしようかと、ルイスを見ると完全に視線を窓の外へと向けており、何もかも諦めている様子が伺えた。何気なくリーリアとクレアも見れば、そっと視線がそらされた。
答えは一つだった。
「……皆の邪魔、しないようにね?」
「うん!」
伊織は素直に頷いた。
そうだ、今後は伊織にもいろいろとお願いするわけだから都合が良いし、探しに行く必要はない。そう思えば結果として良かった、と静は判断した。
とりあえず、今後二人が来たらレイメイの誰かに相手をしてもらおうと静はこっそりと決めた。
何故かなんて、理由は単純だ。せっかくルイスと一緒にいるのに邪魔されたくないからというだけである。
静は無意識に小さく息をつき、ルイスと同じように窓の外へと視線を向けるのだった。




