01 思案とためらい
背筋に冷や汗が流れている。
ここまではっきりと感じるとは思わず、静は思わず後ろに控えているルイスに振り返った。しかしルイスは無慈悲にも頭ごと視線を窓がある方向へと向け、一切静を視界に入れないようにしていた。
なんてむごい。
静は少しだけ泣きそうになりながらも覚悟を決め、目の前にいる美しく可愛らしい女性、ミラベルへと向き直った。
「その、あのですね?」
「悲しいですわ。ここまで待たされるだなんて」
「いろいろとあったんですよぉ……」
ミラベルは表情豊かに顔を歪め、両手で口元を覆い静を全身で責め立てた。
静の歳よりも倍以上の歳を重ねているであろう女性であるはずなのに、妙に幼げに見えるその仕草に静はつい絆されてしまいそうになっていた。
「……その」
「どうされました? 静様」
どうにか言い訳を、と考えながらも考えなしについ、声を漏らす。するとミラベルは何故か笑顔を浮かべていた。
もう、この人が分からない。
静はそんな泣き言を抱きながらも率直な言葉を投げかけた。
「寂しく、は……」
「寂しいですわ」
思いついたままの言葉であったが、ミラベルは素直に頷いた。
「だってずっと静様ったら私を放っていたんですもの。ねぇ、もう少し一緒に過ごせませんの?」
「あ、いや。マティアス様が……」
やはり一人息子がいなくなって寂しいのだろう、と静は思っていたがどうやら違うらしい。静はあえて名前を出す。するとミラベルはぱちり、と目を瞬かせた。
「ああ、そうでしたわね」
「そう、でした?」
「どうかされまして?」
まるで、今の今まで存在自体を忘れていたような。そんな仕草と言葉だった。
静は意味が分からず、つい詰めるようにミラベルに言葉を向けてしまった。
「いなく、なられたんですよ?」
「ええ、そうですわね」
「寂しくは、ないんですか?」
ミラベルは静の問いに、心底不思議と言わんばかりに頬に手を添えて首を傾げた。
「どうして?」
なんともあどけない言葉をミラベルは言い放った。
それからすぐ、話を終えた静はルイスと共に部屋を後にした。
ミラベルがいる奥にある部屋からずいぶんと離れたところまで歩いた静は、ようやく口を開いた。
「あんなに話が出来ない人だったっけ?」
「最初からかと」
「……そっかぁ……」
隣に並ぶルイスからの容赦のない言葉に、静はゆっくりと相槌を打つ。しかし、前はまだ話せたはずだと静は記憶していた。
一体ミラベルに何があったのか。まさか敵に何かされたのか。
静は顔を大きくしかめ、小さく息をついた。
「……やっぱり伊織かぁ…」
あのミラベルに近づけて本当に良いのか、と静は不安を抱く。しかし全てを見る力を持つ伊織に頼らざる得ないような状況だった。
そして静はさらに重ねて、またしかし、と思考を続ける。
本当に見ても良いのか。その人の中身を問答無用で暴いても良いのだろうか。倫理的にそれは赦される行為なのか。
聖女という立場であるからこそ傲慢にそれを決めていないだろうか。罪を暴くから良いと決めつけていないだろうか。
そこまで思考して、静はいや、と否定の言葉を浮かべた。
自分如きがそこまで考えたところで仕方がない。というより、そこまで気にする資格すらないと静は自嘲する。
何せ静は、法で言うところの罪人達を拾い、勝手に赦した。確かに命を狙われたが、それはそれだと捨て置いた。これは正義というものではなく、ただの利用だ。しかし利用するのだから長く利用をしたい。だから大切にしている。そして離れていかないように言葉で縛り付ける。
そんなことをしているのだ。ミラベルに対してあれこれと慮るようなことをするなんてくだらない。
重要なのは伊織だ。伊織に被害がないように考えなければならない。
「静様、また変なことを考えていませんか」
「変なことって。いろいろと難しいなぁって思っただけだよ」
ユフィアータからもらった指輪のせいだろうか。妙にルイスは静の思考によく気づくようになった。
確かに基本的に碌でもないことを考えていることが多いが、もう少し言い方というのを変えてほしいと静は誤魔化しながら思った。
ルイスは静の誤魔化しか、それとも今の思考に気づいたのか、さらに視線が鋭くなった。
静はこの場からどうやって切り抜けようかと考えつつ、周囲を見渡す。と、遠くの方に数人の影が見えた。まるでこちらの様子を伺っているのか、静が視線を向けると同時、慌てて物陰に隠れてしまった。
「……遠くから見られてるけど」
「無視してください」
「はいはい」
姿形からして、この王城の侍女達のようだ。
そういえば、ルイスはここの侍女達に人気だったことに静は思い出した。
居心地の悪そうなルイスを見上げた静は、袖を軽く引く。ルイスは静を一瞥し、その手を優しく包みこんだ。
ルイスはそのまま、また前を向いて歩を進める。先ほどよりもより、時間をかけるようにゆっくりと。まるで周囲に見せつけるかのように。
もちろん静はそのつもりだったので、とくに文句はなかった。
むしろ静はルイスと同じように、見せる付けるようにわざと指を絡めて握り直す。ルイスはちらり、と静を一瞥したがそれだけで無言のままだった。ただ、手の力はより強まった。
素直な反応に静は小さく肩を揺らしながら、優しい白い光が降り注ぐ王城の長い廊下をゆっくりと散歩するように歩き続けた。
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レイメイの隊舎へと戻ってきて早々、ルイスは大きく息をついた。
「師匠、戻ってすぐにため息つかないでよ」
「……つきたくもなるだろ」
「分かるけどさ」
執務室にはジルとリーリアがルイスの戻りを待っていた。
ルイスは静を定位置であるソファに座らせ、そしてルイスは静の隣に腰かけた。どうやらまだ仕事には戻りたくないようだった。
「ルイス様。こちらに全て整理しておりますので」
「……助かる」
リーリアがジルと手分けして書類整理をしてくれたのだろう。ルイスがいつもいる机の上には分厚い書類の束が三つほど並んでいた。
さすがのルイスもあれからは逃げたくなるらしい。
「なんて言うか。まさか、あんなに来るとは思わなかった」
「聖女というお立場を理解していますか、静様」
「一応はしているよ?」
静は聖女である。とは言っても、他三人より禄でもない部類であると自覚している。
元の世界にいた時は、喧嘩三昧の日々を過ごし、結果として右足骨折。さらにその後遺症で右膝が痛みやすくなった。言動だって時折荒れるし、手だって出る。無茶無謀と言われる程度のことを好き勝手に動いては呆れたルイスに抱えられて運ばれる日々。
だからこそ、だ。まさかあれほどまでにその銀の聖女の為の隊、レイメイに入隊希望者が殺到するなんて静は欠片も想像していなかった。
「一番多く来ているのは深紅だっけ?」
「はい」
静が確認の為に聞けば、ルイスは頷く。
「続いて漆黒、平民、貴族です」
「結構満遍なく来るもんだよねぇ」
文字ばかりしかない経歴書には多くの記載がある。
静自身、ほとんどをルイスに任せているとはいえ最低限は目を通していた。
名前。年齢。出身地。爵位。性別。身長。体重。魔術、体術、剣術等に関する特記。犯罪歴。
レイメイのほとんどが罪を犯した者達である。故にか、前科持ちの希望者も複数静は確認していた。中には犯罪歴の行数に思わず二度見をしてしまいそうになった。
「静様はどんな人達が良いんですか」
「……どんな人達、かぁ」
ジルからの問いに静はうぅん、と天井を見上げた。
強さは当然のことだ。しかしそれ以前に、と静は思考を回して口を開いた。
「ちゃんと話聞いて動いてくれる人かなぁ」
「静様がそれを言いますか」
横でルイスが呆れているが、静はまるっと無視した。
「前科が別にあっても特に何も言わないけど、見る目は厳しくしないとかなぁとは思う。わたしが彼らを赦している手前ではあるんだけど、今回の前科がある希望者は一応は法に基づいて償っているわけだ。そうだよね?」
「はい。一応は」
「一応は、ね」
ルイスの曖昧な言い方に、静は肩をすくめた。
ということは、表に出せない方法で罪を償ったことにしている場合もある、というのとだ。
「同族意識。同族嫌悪。もしくは罪をすでに償ったからこその態度なんてされたら面倒なことにならないかなぁっていう懸念はあるよ」
静が今、一番に気にしていることは人間関係についてだった。
運の良いことに、今いる彼らはうまいこと関係性を築いているように静には見えた。そこへ新たに違う生き方をした者達を加えるのだ。一体どう変化するのか、静には予想するが出来なかった。
「後は……そうだなぁ。もし、この希望者の中に直接的に関わった被害者がいるなら、即座に調査を漆黒にしてもらうことは考えてる」
「あえて確認しますが、どちらを?」
「どっちも。だから第三者である漆黒に頼んだ方が良いでしょ?」
「承知しました」
また、彼らに復讐をしたいが為に紛れ込んでいる者だっている可能性もあった。
とは言え、それはそれ。粛々と対処する他ない。静の言葉にルイスは異論を唱え部ることなく一つ頷いた。
同時、視界の端でジルが大きく顔をしかめたが見え、静は困ったように笑みを浮かべた。
「どうしたの、ジル」
「……あ、その」
ジルは一度、僅かに目を見開き、声を詰まらせた。
「静様は、あいつらが……」
声を絞り出すよう言うジルは、しかし最後まで言い切ることはしなかった。何と言えば良いのか、分からない様子だった。
あいつら、とは罪を背負っているレイメイの者達のことだ。
静はジルの言いたいことを汲み取り、誤魔化すことなく素直に答えた。
「守るよ。ちゃんと生きられるように。確かに命は狙われたけど、ルイス達のおかげで無傷だったから正直どうでも良いんだよね」
横からの視線と、額を抑えるリーリアを無視して静はさらに続けた。
「けど、それってわたし一人の意見なわけね? 他の直接的に被害にあわれた方々にとっては、どうしたって赦されざる行為でもあるんだよ。人によっては死をもって償うことを望む人だっているし、それが救いでもあるわけだ」
失ったものは戻ってこない。しかし、そいつさえいなくなれば、そうすればこの悲しみは終えられるはずだ。
だからこそ人は復讐する、と静は勝手に想像している。もしくは違う理由かもしれないが、それでも救いになる。でなければ、命を奪う法律はなぜ存在しているのか。
「聖女の言葉一つでどうとでもなるようなものではないからね。であれば感情論抜きに、この国が定めた法に基づいて判断した方が双方納得する方法なんだよ。とはいえ、こちらが不利にならないようにはするけども」
「それって……」
「やだなぁ、ジル。ただの手回しって奴だよ。それにわたし、正義なんて言葉は嫌いだからね」
「それ、聖女が言って良いんですか」
「良いんじゃない? ほら、わたしなんて神を殴った聖女だよ?」
わざとらしく肩をすくませる静に、ジルはルイスそっくりに顔をしかめた。
ジルはルイスの弟子であるが、そんな所が似てくるとは思わず、つい静は小さく肩を揺らした。そうするとジルは子供らしく表情豊かに不機嫌の色を浮かべた。
今度こそ笑い声を漏らした静は、ひとしきり笑った後、それに付け加えるように静はけども、と続けた。
「これについて意見するのは直接的な被害者のみ。代理やら第三者やらがとやかく言ってくるのもいるだろうけど、あれらは全部無視。正義、それから善意と言う名の傲慢強欲に付き合ってられないからね。分かった? ジル」
「はい、分かりました。とにかく、捻くれて考えとけば良いってことですよね」
「おかしいな?」
「嘘です」
一体どういう受け取り方をしたのかと思えば、ジルは嘘。つまりは冗談だと言いきった。
にしては、むしろその嘘と言った言葉の方が冗談のように静には聞こえた。
「……ああ、そうだ。ルイス、あれも駄目だ」
「あれ、とは?」
そしてふと、静は最後に一つ、大事なことを思い出した。
「わたし達に祈る人達。わたし達は愛娘達の為にいるわけで、祈られる対象ではないからね」
「はい。承知しております」
淀みのないルイスの返事に、静は満足して大きく頷き、しかしすぐに顔をしかめた。
問題は、どうやって静達を祈りの対象として見ていないかを知ることが出来るかということだ。言動での確認なんてしたところで虚偽申告されればそれまでだ。
我らが神に誓わせるという方法もあるが、そんな独裁的な方法を静は絶対に取りたくなかった。
ということは、方法は一つでしかなかった。
「……伊織、かぁ……」
ミラベルの件もあるが、入隊希望者の選別についても話さなくてはならなくなったことに、静は思わず両手で顔を覆った。
「ひとまず話されては」
「伊織なら絶対に喜んで頷く」
ルイスの言う通りであるが、伊織のことだ。とても可愛らしい元気いっぱいの笑顔を浮かべて頷き、すぐに予定を聞いてくる。さらに、伊織に話すということは当然ながらヴィンセントも同席してもらうわけだ。
敵の襲撃以降、ヴィンセントは伊織に付き合い、庭を散策している様子を見ることが増えた。伊織はちゃんと静達が言った通りにヴィンセントと共にあちらこちらに連れまわしているらしい。ヴィンセントにとってはちょうど良い息抜きらしく、なかなかに楽しそうな様子だった。
それはそれとして、ヴィンセントもまた愉快だと言わんばかりに参加するだろう。
ちなみに今日、いつも静と共にいたシルドラは伊織にとられた。蛇も好きだが蜥蜴も好きな伊織は、そろそろと蜥蜴の姿をしているシルドラを愛でたいらしい。
静は大きく息を吐きだしながら両手を下ろした。
「けど、うん。そうだね、まずは話をしなきゃ」
何事も話をしなければ始まらない。もう後は、なるようになるだけ。
そう思い、静は久しぶりに魔力を持たない静達用のスノードーム型の通信機をスカートのポケットから取り出した。




