閑話 ジェイクの日常
何と言うか。生きていると何が起きるか分かったものじゃないと、俺は今になって思う。
「……あのよぉ、リーリア」
「黙っていてください。ジェイク」
ずっと黙って俺の隣で涙を流し続けるリーリアに、俺は少しだけ黙ることにした。
見慣れたリーリアの部屋は、相変わらずいつも綺麗に整っていた。棚には神話についての本があったり、机には針仕事の道具が置かれている。今度は何を作っているのかと俺は少しだけ気になった。
にしても、と俺は思う。俺が使っている隊舎の部屋はノーマンとの二人部屋だが、ノーマンがちょくちょく本を買ってきて一つしかない棚は全てノーマンの本をしまうのに取られてしまった。
まるで違う部屋だが、リーリアの立場で言うならもっと良い部屋に移っていてもおかしくはない。
何せリーリアは愛娘のお一方であるメルヴェアータから加護を受けている。だというのにリーリアは侍女だからという理由でこの部屋を使っていた。
勿体ない、とは思う。しかし余計な家具がないからこそ、こうしてベッドの上で並んで座っていてもおかしくはないんだなぁとつい、余計な事を考えてしまいそうになった。だから俺はそれ以上考えないよう、リーリアにまた声をかけた。
「ほら、さっさと寝ろって。な?」
「ですが……、まさか……」
リーリアが泣くのは決まって静様のことだ。それも一度や二度じゃない。静様が長い眠りについていた時も、こうして泣いていた。
けども静様は目覚めた。だからもうこうして泣く姿は見なくて済むと思えば、そうはいかなかった。
まさか、静様の存在全てが消滅するかもしれない、なんて。
もちろん他の聖女様であれば、なんて愚かしいことは思っていない。けども、なんでそれが静様なのかと言いたかった。ただそれは誰に言えば良いのかなんて分からない。それに俺がそんなことを言える立場じゃないのは分かりきっていることだった。
言えるのはルイスか。もしくはリーリアだけだった。
「分かってる。けど、疲れた顔していたら静様が心配しちまうだろ?」
卑怯かもしれないが、静様の名前を出してみれば、リーリアは顔を大きくしかめた。
「そう、ですわね。ええ、本当に」
そしてすぐ、小さく微笑みを浮かべ、ようやく流れ続けていた涙が止まった。
俺は内心胸を撫でおろす。もう少し泣き続けると思ったからだ。別に泣くのが駄目というわけではないが、俺がリーリアの泣く姿を見続けたくなかったというだけの理由だった。
なんてひどい理由なんだろうと自分のことながら思っていると、軽く袖を引かれた。
「……その、ジェイクは、もう……」
何かを言いたげなリーリアは俺を見上げてくる。さすがに何度もこうして隣にいるのだから、リーリアが言いたいことなんて分かりきっていた。
「まだいてやるよ」
「……ありがとうございます、ジェイク」
リーリアはそう言って、俺に寄りかかってきた。俺はつい、反射的に部屋の隅へと視線を向けた。
これも初めてのことではないし、リーリアとはもうすでに所謂、良い仲という奴だ。別におかしい事ではない。
とりあえず、今夜は眠れそうにないだろう。
視界の端で小さく羽ばたく白い蝶、ヴィラは分かっているかのように机の上に移動していった。
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あの大きすぎる出来事から三日が過ぎた。さすがに三日も過ぎれば皆はようやく落ち着いて、いつも通りに過ごしていた。
ルイス以外は。
「ルイス、生きてっか?」
「……見ての通りだが?」
いつものように俺は外から執務室に入り込み、窓枠に腰かけながら中にいるルイスの様子を見る。ルイスはいつもの場所で分厚い書類を目を通していた。目つきはとても悪いし、眉間の皺はいつもよりも深い。声だってどこか気だるげだ。
ルイスの言葉通り、体調を崩しているのは明白だった。
「休めよ」
「それなら、この書類を頼んでも良いんだな?」
「それは、ほら。な?」
机の上に置かれた分厚い書類の束。あれには一体何が書かれているのか、正直俺はよく分かっていない。確かにレイメイの中では小隊長という立場だが、それはそれだ。何であんなのが必要なのかと未だに思ってしまう。
けども管理するということは、ああいった書類が必要になってくるということらしい。リーリアが教えてくれた。
「魔術は使えんのか?」
「……見ての通りだ」
ルイスは手に持っていたペンを置き、手のひらを上へと向ける。そして周囲の魔力が揺らいだと思えば、その手にルイスが得意とする魔力の糸が現れた。
手を埋め尽くさんばかりの量だった。
「……静様の魔力、やばくね?」
「……ああ」
ルイスはすぐに糸を消し、深く背もたれに寄りかかった。
静様達、異世界からやってきた者達にとって、この世界に満ちている魔力は毒だ。他、三人の聖女様方は各々の愛娘達の力で守られている。ちなみにあの黒い蛇みたいなウーロも異世界から来ているらしいが、あれは良く分からない。
そして静様は魂が変質したせいで、その毒を溜め込んでしまうようになってしまった。だからその魔力をルイスが肩代わりしている状態なのだが、予想以上の魔力量だったらしく、ルイスはあれ以来、この調子だった。
どうすれば良いだろうか、とない頭で必死に考える。が、面倒になったので一先ず、ずっと閉じこもっているルイスを外に引っ張り出すことにした。
「とりあえず、なんかで魔力使おうぜ。手合わせするか?」
「やる」
断れるかと思ったが、即座にルイスは返事をして立ち上がった。
けども動きはやっぱり前よりもどこか遅い。今日は一先ず、ルイスの息抜きになる程度には相手をしようと決めた。
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仕方が無いと主張したかった。強く。
「ジェイク?」
「いや、けどさぁ、すっげぇ楽しくって」
「楽しいかったら壊して良い、と?」
「……すみません」
俺はリーリアに怒られていた。何せ、隊舎前の訓練場を壊したからだ。
ついうっかりという奴だ。思ったよりもルイスが膨大な魔力をうまく使えはじめたから、ちょっとだけ力を入れただけだ。
確かに地面は割れているし、一部なんか盛り上がっているけども。
そんな言い訳をつらつらと思い浮かべている俺の横で、ルイスは静様の前に跪き頭を下げていた。
「やっちゃったねぇ」
「……申し訳ありません」
「皆、怪我してないから良いよ」
「しかし……」
「うん。けどほら、わたしの魔力請け負ってもらっている手前、わたしがあれこれ言える立場じゃないのよ」
「ですが……」
「次から気をつけようねぇ」
「……はい」
ルイスが素直に返事をすると、静様は嬉しそうに笑い、そのまま両手でルイスの頭を撫でまわした。
静様は一切怒っていない。本当に仕方が無さそうに笑っているだけだった。
「……怒んねぇんだなぁ、静様」
「ルイス様にはあれが一番効くらしいですよ」
「こわ」
怒られたほうが気が楽になる。だからリーリアに怒られることに毎度甘えてしまっているわけだが、同じようなことをされた日には泣く。本当には泣かないが、泣きそうになる。
静様は優しいが、容赦もしない。それが例えルイス相手でも同じなのだろうが、あれは怖い。俺はつい同情してしまった。
「なぁ、リーリア。終わったなら、そいつに片付けさせても良いか?」
「はい。もう構いませんよ」
そんなことを思っていると、いつの間にかフィルがリーリアに許可をもらっていた。リーリアは笑顔で頷き、フィルはすぐに俺に言ってきた。
「そんじゃ、あれ。壊しといて」
「ゴズが……」
「ゴズはこっちの割れた方を直すんだよ。これ直せっていわれたら困るだろ?」
フィルが言うあれ、とは地面から盛り上がった土の塊だ。あれならゴズの力ですぐだろうが、割れた地面を直せと言われるよりもマシだった。
俺は小さく、おう、と答えてこの荒れ果てた訓練場の片付けを始めた。
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あの頃は、まさかこうなるなんて思わなかった。
俺は周りに比べて魔力を多く持って生まれてきた。平民だって言うのに。そして周りが平民だから使い方なんて分からず、よく物を壊していた。
そのせいで家族からも、周りの奴等からも遠巻きに見られて、ついには追い出された。
化物だそうだ、俺は。
そして俺は適当にそのあたりをふらふらとしながら生きてきた。とは言え、まだ小さいガキだったから飢え死にしかけるのも時間の問題だったし、何よりも真冬だったからそれよりも先に凍死するかどうかだった。
とは言え、俺は今、生きている。
白に包まれて眠りについた。そして気付いたら供物として生かされたからだ。
生きていて良かったとは思わなかった。けど、この魔力が供物として使えると聞いた時は嬉しかった。
化物でも役に立てると思ったからだ。
だが、生き延びてしまった。
自由なんていらない。もう終わらせてほしい。化物と呼ばれるようなこの力なんてどうでも良い。
化物とは呼ばれたくなかった。であれば供物でも良かった。そして終わることが出来れば、なんだって良かった。
そのはず、だった。
俺は何気なく手を伸ばして、俺に寄りかかっているリーリアの長い胡桃色のような髪に触れた。
いつも頭の後ろにひっつめているから分からないが、リーリアの髪はとても綺麗だった。
「どうしました? ジェイク」
リーリアは静様の為にと、ハンカチに刺繍をする手を止めずに囁くように言った。
「いや、何でもねぇよ」
「そうです? つまらなくなったと思ったのですけど」
「……それは、まぁ」
そろそろといい加減に相手をしてくれても良いんじゃないかとは思っている。
けども静様の為の物を作っているのだから邪魔をしてはいけない。それは分かっているのだけども、俺はついついまたリーリアの髪に触れてしまった。
「ふふっ……」
リーリアはくすぐったそうに笑い、顔をあげたかと思うと顔を近づけてきた。
ほんの一瞬、触れるだけ。
それがすごくもどかしくって、余計に耐えきれなくなりそうだった。
「もう少しお待ちくださいね?」
「ひでぇ……!」
「昼間のお仕置きも兼ねていますもの」
リーリアは楽しそうにまた小さく笑い声をこぼした。
春の季節のような笑い声に、俺は何も言えずに無言でリーリアに少しだけ寄りかかった。
「もうジェイク。怒りますよ?」
「はいはい」
俺は適当に返事をする。
様子を見ていたであろうヴィラは、呆れたのかまたいつものように机の方へと飛んでいった。
本当に、生きていると何が起きるか分かったもんじゃない。
半ば無理やりに生かされて、神を相手に戦って、ついでにワイバーンをぶん殴った。
俺達を生かした静様は、存在自体が危なくなって、ましてやいつの日か病にもなられるかもしれないなんて。
けども静様はルイスと幸せそうに笑っている。ルイスはほとんど笑わないが、狼の尾があったらぶん回しているくらいに嬉しそうにしている。
そして、俺にもまさか、そういう相手と出会うことが出来るとは思わなかった。
「……俺さぁ」
「何です?」
「いや、何ていうか。生きててよかったなぁって思った」
思ったことをそのままに言う。
するとリーリアは真っ直ぐに俺を見てきたかと思うと、もう一度唇を合わせてきた。さっきよりも長く、しっかりと。
「何だよ、リーリア」
「いえ。急にしたくなりまして」
リーリアはそう言いながら、刺繍の道具を机の上に置きに行った。そして戻ってくると、そのまま俺をすごく弱い力で押し倒してきた。
もちろん俺はそれに従って後ろに倒れれば、上からリーリアの胡桃色の髪が降ってきた。
「良いのか?」
「また明日、続きをします」
「そうか」
リーリアは微笑んだ。少し悪い顔をしていた。そんなことをさせているのは俺のせいだが、静様よりも優先してくれたことに俺は正直とんでもなく嬉しくなった。
とりあえず、明日、絶対に響かせないようにしようと心に決めて、部屋の明かりを消した。




