10 約束を抱いて
あれから夜が明け、今は眠くなりそうな昼下がりの午後。そんな中、レイメイの執務室内には我が物顔で居座るヴィンセントに、静は小さく息をついた。
「楽しそうだね、ヴィンセント」
「まぁな」
にんまり、と笑みを浮かべるヴィンセントに静は窓の外へ視線を向けた。
ヴィンセントは何の用でもなく、突然やってきた。机仕事に飽きたらしい。ならば伊織の相手をすれば良いのだが、伊織は今頃、ウーロとシルドラを愛でているに違いない。
「それは寝てるのか?」
「そう。しばらくはこうなるんじゃない?」
「お前の溜め込んだ魔力だと言うのに、ずいぶんと他人事だな」
静もヴィンセントも、二人掛けのソファに座っている。もちろんだが隣に、ではなく机を挟んで向かい合って、だ。
静はヴィンセントがそれ、と指した者へと視線を向ける。
二人が座ってもまだ余裕がある大きなソファだ。だと言うのに、静は今なるべく隅に座り、ひじ掛けに大きく寄りかかっていた。というのも、この部屋の主であるルイスは今、静の膝を枕にして眠っていたからだ。
大きな二人掛けのソファではあるが、さすがに横になると小さい。おかげでルイスは足を大きく投げ出したまま、深い寝息を先ほどから立てていた。
さすがに上着は脱いでおり、眠りやすいようにとシャツの一番上の釦は外している。静でさえほとんど見ることがないルイスの無造作な姿は物珍しいが、これほどまでに魔力を請け負うだけでも疲弊することに静は驚くと同時、強い罪悪感のようなものが胸を締め付けた。
だから、というわけではない。ただ無理していつものように過ごそうとするルイスに見かね、静は何とかこうして寝かせたのだ、つい先ほど。
遠慮なく邪魔してきたヴィンセントに静はつい素っ気ない態度を見せれば、ヴィンセントはいつもよりも小さく笑みをこぼした。
「まるで魔鉱石なようだな」
「……何が?」
あまりにも唐突な言葉に、静はルイスが起きないように声を潜めながらヴィンセントの言葉を聞き返した。
ヴィンセントはくるり、と一度だけ琥珀の瞳を回し、静と同じようにひじ掛けに寄りかかった。
「魔鉱石がどうやって出来ているか知っているか?」
「確か、自然に発生したって」
前に一度、静達四人で開発局へと訪れた時、局長のエミリオから説明を受けた。
とは言っても一年近く前のことだ。静は薄ぼんやりとしか残っていない記憶をたどりながら答えれば、ヴィンセントは一つ頷いた。
「そうだ。そしてそれは普通の鉱石と何ら変わらない。ただ異なるのは、魔力を溜め込んでいるかどうかの違いのみ。だから魔鉱石であるかどうかは触れてみなくては分からないものがほとんどだ」
「へぇ。じゃあ銀とか、金属の魔鉱石を普通の金属の鉱石と混ぜたらどうなるの?」
「含有できる魔力量が減る。だから調整がしやすいんだが、下手をすれば暴発したり、もしくは一切魔力を溜め込まなくなり、普通の鉱石へと成り下がる」
ウーロが吐き出したいわゆる宝石と呼ばれるような石ならば違うだろうが、金属の場合は格段に自由度が上がるらしい。
なかなかに面白い性質だと思いつつ、静はヴィンセントが言った言葉を思い返した。
「嫌だなぁ。魔鉱石と同じとか」
つい、そんな言葉が喉からあふれ出たが、まさしく魔鉱石と大して変わらないものだと内心頷いた。
自然発生ではないが、魔力を蓄えてしまう状態になった。魔鉱石と同じく。そして、その魔力は誰かに使ってもらわなければ蓄える一方。
なんとも不便な体質になったものだと静はまた小さく息をつき、ふと、思い出した。
「ヴィンセントが相手をした人、魔鉱石を体に埋め込んでいたんだっけ」
あの時、溜め込まれた魔力のせいで半分意識がとこかへ向いていたが、しっかりと耳はヴィンセントの話を聞いていた。
「そうだ。そして突然目の前から消えた」
「……消えた?」
「姿を隠したのかと思ったが、全く欠片もなく消えていた。後少したったんだが……問題は異なる」
ヴィンセントは顔を大きくしかめながら続けた。
「現存する魔術において姿を隠すことは出来ても、その場から瞬きの間にいなくなる、というものは存在しない」
よく、本やら漫画やら。物語には転移という魔法なりが出てくる時がある。ただそれは物語上の話であり、現実にはないらしい。
「塔への襲撃の件もそうだ。早朝にマティアスがいる階層の壁を破壊され、騎士達が集まった頃には誰もいなかった」
「それは……あれじゃないの? それこそ姿を隠した、とか」
「漆黒共も集まったんだぞ? 奴らは特にああいった魔術を得意としているからな、そんなものを使えば即座に見つけられる」
「……一つ聞くけどさ、ロトアロフのその騎士の人達って強い?」
「知らんが、今まで平穏であった程度には強いんじゃないか? 比べたことはないがな」
北の鉄壁と呼ばれる国だ。相当な強者であろうと静は想像しているが、実際の強さというものは分かっていないようだった。
確かに強さというのは実際に異国と比べてこそ分かるものだ。長らく戦いに巻き込まれていなければ、知りようもないものだった。
「とは言え、夜に襲撃してこないあたり、それなりに強いということだろうな」
「……そう言えば、襲撃は早朝だったけど。ああ言うのって夜とかじゃないの?」
「そう思うだろう?」
ヴィンセントはゆるり、と楽し気に笑みを浮かべた。
「我が国は数多く侵略されかけた歴史がある。だからとくに夜の襲撃に対しての警戒は昼間よりも厚いんだ。こちらはそうでもないが」
「隣にあるのになんでそんなに違うの?」
「ここはあの祈りの間を守れれば良いだけな上に、この大神殿の構造は砦に近いから、元からその前提でいるわけだ。対して王城の方は構造はただの城。権威ばかりを形にしたわけだ」
「辛辣だねぇ」
「これぐらい言わせろ」
大きく背もたれに寄りかかったヴィンセントは、不愉快そうにまた顔をしかめた。
よくもまぁ表情が良く変わる大神官である。静は呆れて小さく息をつきつつ、さらり、と膝の上で眠ったままのルイスの頭を何げなく撫でた。
「それで内乱が起きる度に、王城の一部は焼かれていたり、破壊されていたらしい」
「内乱……」
「詳しくは歴史書を見ろ。結果、とくに夜を警戒するようになったというわけだ。とくに今はユアンが開発した魔具があるから敵からしたら厄介極まりない。あの通信機だって後少しで認可が下りる」
写映機に、通信機。とくに写映機は、あちらの世界でも監視カメラとして使われているものとほとんど機能は変わらない。
その場に人がいなくとも、誰かが見張っているという状態は考えただけでも怖ろしいと言えた。
「そう言えば、奴はゴズが根源を破壊したと思っていた。おそらくはまだウーロが呪術、もしくはその類を食らうことは把握されていないはずだ」
「それは良かった」
見た目こそただの黒い蛇であるウーロの力が知られていないならば、例えその場に静がいなくとも、動き方は大きく変わってくる。
ほんの些細な事かもしれないが、静達からすれば大事な事だった。
とは言え、だ。
静はまたわしゃり、とルイスの頭を撫でつつ大きく背もたれに寄りかかった。
「……何にしても、人手が欲しいな」
「そうだろうな」
レイメイは僅か三十人程。精鋭とは聞こえが良いが、誰かが欠けた場合、その穴を埋めるのだって一苦労だ。
ヴィンセントは一つ頷きなから、窓へと視線を向けた。
「奴らに話したようだな」
「うん。おかげで皆、殺気立ってる」
「どこまで話した」
「全部。ノーマンの判断で、だけど」
「……そいつは」
「こんな調子だよ? 無理だって」
外から聞こえてくる、いつもの明るい喧騒はない。代わりに怒声にも近い声が時折聞こえてきていた。
全てを聞いてしまった彼らは朝からあんな調子だ。どうすれば良いのか分からず、しかし焦りばかりが募っていく。だからあのように、八つ当たりにさえ近い手合わせをやり続けていた。
「そのうち落ち着くよ」
「……だろうな。何せ静があれだしな」
「あれって何」
「そう言えばユアンの件は聞いたか?」
「……何を?」
ヴィンセントの含みのある言葉に静は追求しようとするも、急に話題を変えられた。しかも何やら気になる言い方をするもので、静は顔をしかめながらもつい、聞いてしまった。
「通信機の認可が下り次第、奴は開発局からレイメイに異動する。すでにルイスは知っていることだ」
「……ああ、たぶん奈緒も知ってるな。すごく機嫌良いし」
当然のことながら、静は知らない話だが、そのあたりも全てルイスに任せていた為、今更異論なんてものはなかった。
それに奈緒の機嫌はここの所ずいぶんと良くなっている。ユアンが会いに来てくれているからかと思っていたが、それもあるのだろうと静は察した。
「さて、 そろそろと戻らんとエドヴィンが乗り込んできそうだな」
「ほどほどにしなよ」
「多少の休憩ぐらい良いだろう?」
くつくつと、ヴィンセントは喉奥を鳴らすように笑みをこぼし、ようやくソファから立ち上がった。
ヴィンセントが執務室を後にした室内は、より外の音がよく聞こえた。
静はしばらくそのまま耳を傾けたながら、ルイスの頭を撫で続け、言葉を落とした。
「聞いてた?」
「……少しだけですが」
ルイスの閉じられていた瞼が僅かに開く。しかしまた、すぐに閉じられ、ルイスは片手で両目を覆った。
その手は律儀にも黒革の手套は嵌められたままだ。寝ている時ぐらい外せば良いものの、と静は思いつつ、囁くようにルイスに話しかけた。
「頭痛い?」
「耐えられないほどではありません」
「痛いのね」
ルイスは答えず、ようやっと、と言うように体を起こした。それでもすぐに立ち上がらずに座ったままだった。
静はルイスの隣に体を寄せ、いつもよりはなるべく優しい手つきで頭を撫でてやる。そうするとルイスは静に控えめに寄りかかり、腰を引き寄せてきた。
これはもう部屋に戻らせた方が良いのではないか、と静が思案していると、首のいつものレースリボンが突然緩んだ。
「……ルイス?」
「何ですか?」
「何しているのかな?」
「解いているだけですが?」
緩めてきた犯人であるルイスは、片手で器用にレースリボンを外してきたのだ。
一体何を考えているのか分からず、静はまだ眠たげな目をするルイスを見やった。
「うん、分かった。それは分かった。何で?」
「邪魔なので」
「おい、具合悪いんじゃねぇのかよ」
「口調が乱れていますよ、静様」
丁寧にレースリボンを外したルイスは、それをソファの上に無造作に置いた。そしてルイスは当然のように、静の無防備な首に顔を埋めてきたのだ。
「ちょ、ちょっと、まっ……!」
首に、何か柔らかいものが触れた。静は慌てて口を閉じ、くすぐったさと、胸の内でぐらつく何かに耐えながらルイスの肩を押す。
しかしルイスはその手を掴み、握りしめる。そして自身の指を絡めるよう握り直し、突然その手が緩んだ。
ルイスが掴んだ手。それは指輪をつけている右手だった。
静の首に顔を埋めたまま動かなくなったルイスの頭をわしゃりと撫で、何となく察してしまった。
「……拗ねてる?」
「黙らせますよ」
図星らしい。
「別の指でも良かったのに」
「静様は……」
「どうしたの?」
「……俺と、共に生きたいと……。だから……」
静はただ、ルイスと共に生きると決めた。だから今、この世界で生きている。それだけで幸せだと思えた。
けどもルイスは、単純なことを考える静よりも、もっと複雑な未来を見据えていた。だから指輪を贈ろうと決めていたのだろう。
きっと、ルイスにとって大切なことだった。そうなるはずだった。
未だに顔を埋めたままのルイスの背を軽く叩き、頬を擦り寄せた。
「ああ、いや。えっとね? そんなに大事なことだから尚更に、場所を空けておけば良かったのになぁって。だからね、嫌じゃない。すごく嬉しい」
「……本当に?」
「本当」
まるで幼い子供のようなルイスの声が、鼓膜を震わせる。
静は何故だろうか、愛おしさが胸の内から溢れてくるのを感じ、そのままルイスを強く抱きしめた。
「婚前ということは、婚姻後の場所もあるんでしょう? それならそこの指輪を頂戴よ。ね、ルイス」
ようやく、ルイスは顔を上げる。いつも通りの仏頂面で、静をまっすぐに見つめてくれた。
「はい、必ず」
そしていつもと変わらない声の調子と、返事に静はふっと微笑みを浮かべた。ルイスはそんな静に顔を近づけると、まだまだ甘えたりないのか頬に瞼と、唇を落としてきた。
くすぐったいほどの優しく触れてくるもので、静はつい小さく肩を揺らす。ルイスは眉間にしわを薄らと寄せ、そのまま最後に静の唇へと合わせてきた。
触れるだけ、かと思いきや深いものだった。慌ててルイスの肩や胸を押すも全て無視され、静はそのままソファへと押し倒された。
先ほどの弱気で幼いルイスは一体どこへ消え去ったのか。しかもこいつ、体調が悪いんじゃなかったのかと静は思いつつ、もう一度強く肩を押し、ルイスはようやく離れた。とても不満げな顔をして。
「ちょっと聞いていい? ルイス」
「はい」
「ここ、レイメイの執務室だよね?」
「はい」
「何してるの?」
乱れた呼吸を必死に整えながら静はルイスに問う。ルイスはその不満げな顔を浮かべたまま、静の頬に触れた。
「俺も、男なんですよ。静様」
それは誰だって知っている事実だ。だが、ルイスが言っているのは生物学的なそういうものではなく、男故のそういう欲、という意味であることを静はすぐに理解した。
ふい、とルイスは視線を顔ごと逸らした。静はそれがなんとなく気に入らなくて、無理やり顔を自分の方へと向き直させた。
「……恐ろしくは、無いですか」
「ルイスなのに?」
静は相も変わらずに男性恐怖症と言うものを抱えていた。見知った相手であれば、近くで話すことは可能だ。だが触れることはまだ出来ない。ルイス以外。
そも、こんな風に押し倒されているというのに静は逃げ出したいとは思わないのだ。それは全て相手がルイスだからだ。もちろん驚くし、何かと待ってほしいという思いはあれど、恐怖なんてものは一かけらさえなかった。
ルイスは数度、静の言葉に瞬き、そうしてゆるりと笑みを微かに浮かべた。
「では、今後は遠慮せずともよろしいですね?」
ただ、少しだけ早まったかもしれないという後悔は確かに抱いた。
「どうされましたか、静様」
「何でもないですぅ……」
ようやく満足したらしいルイスは静を抱き起し、いつものように腕の中へと閉じ込めた。静はぐっと顔をしかめ、この先のことを覚悟しようと決めている間にも、ルイスは手早く静の首に解いたレースリボンを巻きつけ結んだ。
「ああ、そうだ。ルイス」
「何ですか?」
「ちょっと手、貸して。どっちでも良いよ」
静の突然の言葉に、ルイスは不審げな目を向けつつも右手を差し出してきた。静はルイスの手をむんず、と掴み手のひらを自分の方へと向けた後、少し迷ってから同じ右手の小指を、ルイスの小指に絡めた。
「……これは」
「えぇっと……あれだ。約束を誓う、的な?」
「何故、そんな曖昧なんですか」
「いやね? なんて説明すれば良いのか分からなかったというか」
指切りげんまん。嘘ついたら針千本飲ませるぞ。
心の内で唱えた静は、改めてルイスへと微笑みを向けた。
「約束ね、ルイス」
「はい、静様」
静はそうして、気まぐれにルイスの唇に触れるだけのくちづけを落とした。ルイスは僅かに目を見開き、また頭が痛そうに両目を片手で覆い、小さく唸った。
いろいろと耐えているらしいルイスに、静は今度こそ声をあげて笑いながら小指が離れないようにと強く絡めた。




