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09 二つの指輪

 ユフィアータは顔を強張らせる静に、ふっと微笑んだ。


『静、大丈夫だ。ちゃんと生きられる』

「……本当に?」

『ああ。だが、この凍土には眠られない。そればかりは赦しを得られなかった』


 つまりは、この命が終われば消滅する。

 死と消滅。似ているようで全く異なるその二つに、静は震えそうになる手を強く握りしめた。


『しかし、この凍土に眠られる為の条件を提示してもらった』

「その、条件って」

『はじまりの神を見つけること』

「……はじまりの神? え、どなた?」

『最初の神だ。我らのな』


 どんな条件なのかと覚悟したが、意外にもシンプルなものだった。とは言え、シンプルなものほど恐ろしいものはないと静は知っている。


『我らがいるということは、はじまりの神がまだ存在していると言うことだ。しかし行方が分からない』

「だから、探し出せって?」

『ああ、そうだ。ちなみに手がかりは一切ない』


 これである。

 神でさえ見つけられない存在を探し出せと、無理難題を容赦なく静に突きつけてきたのだ。


『それと、静』

「何」

『さすがに憐れに思ったらしくてな。一人ぐらいなら巻き込んでも良いらしい』

「どういう意味の巻き込み?」

『静が眠ると同時、消滅する。無論、巻き込まなくても良い』


 何ということか慈悲か。まるで人間のような言い草ではあるが、神の傲慢さが透けて見える提案だった。そも、ユフィアータはどのような相手から赦しを得たのか不明だったが、今はそれを考える時ではないだろう。

 静は小さく息をつき、即座に答えた。


「わたしが誰かを巻き込むと思ってるの?」

『ルイスが不満そうだぞ』

「知りません」


 じっとりとした視線を感じるが、静はそれを無視した。後で何かしらルイスから言われるだろうが、それも全て無視するつもりである。


『これを無理難題だと、こちらは理解している』

「理解しているからこそ、確実に抹消できる方法を提示した、と」

『そうだ。それと、そこまで長くないことを知っている』

「長くはないって?」

『言葉の通りだ、静』


 ユフィアータの細く白い指先が、静の胸を指す。その先は中央から、静から見て左側。静の心臓へ向けられていた。


『それはまだ種だ。しかし、そう遠くない先、それは芽吹く。異世界のもの故に、我らは手出しが出来ない』

「そっか。いつまで生きられそう?」

『不明だ。しかし、驚かないんだな』

「知ってるからね。夢の中で父に謝られたよ。ごめんって」


 隠すつもりは最初から静にはない。もちろん、ルイスにも秘密にしなくて良いと話はした。いずれ離さなければならないものだった。

 発病前でも、後であろうとどうせ何か言われるのだ。ならば、今が本当にちょうど良い機会だった。

 静はあ改めてユフィアータが告げた言葉の真意を周囲に聞かせるように口にした。


「いずれ、この心臓には病が巣食う。あちらでも治らない病。父も、そして祖母も、この病に掛かり若くして眠られた。だから、わたしが同じ病になることは……何もおかしいことじゃない」

『そうか。まぁ、確かに。静は……なんと言うか、元から好かれやすい性質ではあったから、それも余計なのだろうな』

「……何の?」

『我らのような存在に。故に獣達にも好かれるだろう?』


 その事実について、静は全くもって予想していないものだった。だが、よく元の世界でも耳にするような話だった。

 神。または近い存在に気に入られると長くは生きられない。


「ああ、うん。神が手元に置きたがるような魂ってこと?」

『そうだな。いい感じに遊ぶのにちょうど良さそう』

「遊ぶ」

『静は何があろうと耐えるだろう? 全く折れない。そこが良い』

「ユフィアータ?」

『安心しろ。私はまだ遊んでいない』


 まだ、ということはいずれ、という意味でもある。

 祖母は分からないが、父が異世界にいる静の夢の中へ現れた。ということは、ある程度の自由は得られている、はずだ。なにせあの父だ。むしろ神か、もしくはそれに近い相手を篭絡するのは容易い。それでおそらく母の側にいるはずだ、きっと、ずっと。


「話はそれだけ?」

『いや、まだあるとも。その溜め込んた魔力だ』

「や、けど。この魔具でどうにか出来ると……」

『ある一定の効果はあるが、結局は周囲に魔力を撒き散らしているだけでまた静に取り込まれている。本当に危険な時以外は無意味だな』


 今夜も静の首元には体内の魔力を体外へと放出する魔具をつけている。正しく作動しているらしいが、放出した側から、その分体内に戻ってきているらしい。

 とはいえ、ある一定の量が戻ってきているだけであり、過剰分はきちんと放出されたままらしい。良い事ではあるが完全に放出できていない以上、変に予断は許されない状況であることには変わらないままだった。


『だから、別の器に移す必要がもっとも効果的と言える』


 静はユフィアータが言った、言葉の意味を理解することが出来なかった。

 その間にもユフィアータは足取り軽く、今度はルイスの前へと立った。


『魂が削れる覚悟はあるか? ルイス』

「はい」


 一体どういう意味かさえ分からないというのに、ルイスは何一つ迷うことなく明朗な返事をしていた。


「ユフィアータ!」

『駄目だ。これは静さえ介入出来ない、我らとルイスとの間のものだ』


 慌てて静が間に入り込もうとする。だが、フィアータからのなんとも言えぬ圧、のようなものを向けられ、静は足をすくませた。

 ユフィアータは顔を僅かに歪ませたがすぐにまたルイスを見上げた。


『静の魔力を請け負え、ルイスよ。結果、器は歪み、魂が削られ、魔術さえろくに扱えなくなるような結果になるやもしれない。それでもか?』

「構いません。むしろ、願っていたことです」

『ああ、知っている。だからこそ、その願いは聞き入れられ、赦された』


 静は欠片もルイスの言葉の意味を正しく理解することは出来なかった。ただ、話の流れからして、何かしらの力を得たいと願ったということだけは、どうにか察することが出来た。

 静の介入は赦されていない。なんとも言えぬ歯がゆさについ拳を握りしめるが、自分もまた周囲に同じようなことをさせているのだとすぐに思い至った。

 なんとも、身勝手であろうか。

 握った拳を時間をかけ緩め、一つ息をつく。そして続く目の前で行われるやり取りを静は黙って見届ける姿勢に入った。


『ルイスはすでに二つの加護を持っている。その為に、直接的に力を与えることはせん。さすがにジーンの二の舞にはさせられんからな』

「……どのように……」

『消えた、全て。故に会えない。二度と』


 消滅、したのだろう。

 だから、これほどまでに重く、苦しい愛をずっと抱いていたのかと静はようやく理解出来た。そして何故、ユフィアータが静の為にここまでするのか、も。


『さすがに二度目を目の当たりにはしたくないのでな』


 ユフィアータは顔を一度しかめながら、両手を合わせたかと思うとそこから銀の光が溢れた。そうして、ゆっくりと銀の光をこぼすように両手を開き、ルイスへと差し出した。


『メル姉上と私の力を込めている指輪だ。静にもつけさせろ』

「……何故、指輪なのですか」

『紛失しかねないだろう? 静が』

「ああ……」


 不満げな顔を浮かべていたルイスは納得したように相槌を打ち、指輪をユフィアータから受けとった。

 なんと失礼なことであろうかと静はさすがに口を挟もうかと思っていれば、いつの間にかルイスは静の右手を手に取り、薬指に指輪をはめた。

 一見すればシンプルな銀の指輪だった。しかし表面には細かな模様か、文字か。それが薄く刻まれており、とても美しいものだった。しかもサイズはぴったりである。これもユフィアータの力なのだろうかと思いながら、静はルイスを見上げた。


「なんで勝手につけてんの。ルイス」

「面倒だったので」

「そうですかぁ。この位置の理由は何かあるの?」

「婚前の相手がいるという意味です。いずれは私から贈りたかったのですが、仕方がありません」


 なるほど。だから先ほど、ユフィアータにずいぶんと不満げにしていたのかと静は理解したが、そんなものがどうでも良くなるほどに静はぴしり、と思考が止まった。

 こいつは今、何を言ったのか。

 婚前の相手、だと。

 それは、つまり。あれだ。ある意味で言うと、婚約している相手がいる、という意味にもとられるわけで。

 静は集まる生暖かい無言の視線に対し、大きく吠えた。


「こっち見んな!」


 とくにヴィンセント、奈緒に至っては大きくにやついた顔を浮かべていた。

 奈緒については酒でつぶそうと静は心の中で強く決意し、ヴィンセントについては後ほど仕返しを何かしらの形でしてやろうと決めた。

 そんな静を横目にルイスは右の黒革の手套を外し、同じように薬指に銀の指輪をはめる。そして、大っきく体がゆらりと傾きかけ、その場で片膝をついた。


「え、ルイス?!」


 静は慌ててルイスの隣にしゃがみ込み、肩に触れる。ルイスはしばらく強く瞼を閉じていたが、気だるそうに息を吐きだしながらようやく瞼を開いた。


「その……ルイス、平気?」

「……どれほど魔力を溜め込んでいたんですか、静様」

「え、そんなに? おかしいなぁ……」


 ようやく、と言わんばかりに声を発するルイスは立ち上がろうとするが、どうやら静が蓄えていた魔力の多さにまたすぐに片膝をつき、目元を強く抑えていた。


「静様。俺がこいつ運びますんで」

「あ、ありがとう、ジェイク」


 その様子を見かねてか、すぐにジェイクが動いてくれた。そしてルイスの体を無遠慮に、いつもリーリアを担ぐように、ルイスを軽々と肩に担いだ。


「静様、を……」

「あ、やべ。静様を運ばなきゃならねぇんだった」


 他にも体の不調が出ているのか、ぼんやりとする声でルイスがようやっと口を開き、ジェイクは顔を大きく歪めた。

 ルイスやジェイクが心配してくれているのはよく分かる。何せこの右膝は傷みやすい。とくに階段の上り下りでは。だから新しい靴となっても長い階段の時はルイスが運んでくれていたが、そのルイスは今やあの調子だ。

 もはや荷物扱いではあるが、静はとくにそれに不満はない。むしろ荷物で結構である。しかし運ぶ相手が男であるならば自分で一段ずつ慎重に上がるつもりではいた。


「ああ、そうね。レオナに背負ってもらう?」

「静様お一人なら大丈夫ですよ!」


 静がちょっとばかり覚悟を決めかけていたら、奈緒がすぐに提案してくれた。奈緒付きの侍女、レオナはとても力持ちなのだ。

 それならばと、静は今回ばかりは素直に甘えることにした。


「で、静はそのまま私の部屋ね?」

「あ、はい」


 にっこりと綺麗に微笑む奈緒と、無言でじっと静を見つめてくる真咲と伊織の視線を前に、静には一切の拒否権なんてものはなく、すぐに素直に頷くのだった。

 そうだ、と静はユフィアータへと振り向き、そして眉間にしわを寄せた。

 もうすでに、そこには何もない空虚しかなかった。どうやらユフィアータは戻ったらしい。

 ここまで介入してくれたことへの感謝と、せっかくだからと抱きしめたかったなと静は肩を小さく落とし、打って変わって空気が殺伐としている奈緒達の元へ、歩みよった。



 ジェイクは肩に担いでいるルイスへと声をかける。


「で? うちの奴らにはどこまで話すつもりだ? 隊長」

「全部沈黙する、なんてことはないよね?」


 さらに畳みかけるようにノーマンが問えば、ルイスは僅かに身じろぎながら大きく息をついた。


「分かっている。が……」

「が?」

「……後にしてくれ。とにかく、この魔力が……」


 相当の魔力量を請け負っているらしく、ルイスはだいぶ参っているようだった。

 前にいるヘクターとフィルが心配そうな顔を浮かべたのを見て、ジェイクは器用にルイスを担いでいない方の肩をすくめて見せた。



 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-



 王城の夜もまた、静寂に満ちていた。とくにこの場が王城の奥まった場所であるからだろう。

 ミラベルは一人、薔薇が咲き誇る庭園をゆっくりと歩を進めていた。


「あまり、自由に動き回られてもな」

「けども自由にさせているのはそちらではなくって?」


 ミラベルは足を止め、その声の主、アウグストへと振り返り見た。


「何故、マティアスを見なかった」

「何故、と言われましても」

「散々、私が……」


 美しい月明かり。そのおかげでアウグストの歪んだ顔がよく見えた。


「私は私の務めを果たしただけでしかありませんわ。何せここはロトアロフ。異国の人間である私にとって、ここは常に氷に閉ざされた場所。その中で唯一の灯火であった私の愛しい方がいなくなってしまいましたもの。見ていられるほど、私はよく出来てはおりませんわ」


 ミラベルはゆるり、と微笑みを浮かべた。


「ねぇ、静様とは今度いつお会い出来ますの? 私、とてもお利口に待っておりますのよ?」

「……静様はお忙しい身だ。まだ先であろう」

「まぁ、大変ですのね」


 ミラベルは頬に手を当て、ほんの少しだけわざとらしく声をあげた。

 そしてふと、ミラベルは自身の左手を見た。


「ああ、そうですわ」


 ミラベルは何か思いついたのだろう、おもむろに薬指にずっとはめていた金の指輪を外し、無造作に地面に落とした。


「私、罪人ですものね。こんなものをしていてはよろしくはないでしょう?」


 くすくす、とミラベルは笑みをこぼす。

 アウグストはそれに何も言わず、しかし何か言いたげにミラベルを睨むように見つめていた。


「どうなさいました?」

「……もはや、私が何を言った所で聞かんのだろうな。お前は」


 アウグストは自ら、ミラベルが落とした指輪を拾い上げる。その際、アウグストの指輪が小さく瞬くように月光により輝いていた。


「しかし、まさか、そこまでになっていたとは思わなかった」

「……そこまで……?」

「いや、こちらの話だ」


 アウグストはゆるく首を横にふり、深く息をついた。


「この庭先までは自由にして良い」

「あら、先ほどは注意をしてきたというのに」

「気が変わった」


 アウグストはゆったりと踵を返す。


「それでは、おやすみ、ミラベル」


 そしてお休みの挨拶をミラベルに告げた。告げられたミラベルはするり、と言葉を横へと流した。

 ミラベルはゆっくりとまた、庭園を見渡しながら歩を進めた。

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