03 甘味と虫
大神殿の奥にある、奈緒専用の小さな厨房。その中に奈緒の他に、ユアンの姿があった。
「ふふふっ……、これは確かにあちらでは味わえないものですねぇ」
「満足してもらって良かったわ。けど、悪いわね。ここで食べさせるなんて」
「いえいえ。出来立てを味わえるのでしたら些細なことですよぉ」
ユアンは言いながら、奈緒が用意した簡単なサンドを大きな口を開けて食べ続けた。中身は適当に今朝の朝食分で余った野菜と、卵。味付けもこちらの調味料と例のマヨネーズを使っている。
本当にあり合わせの物でしかないと言うのに、ユアンの周囲にはまるで花が飛んでいるかのようにご機嫌であった。
まさかこれほど喜んでもらえるなんて。
奈緒はユアンの喜びように自然と笑みをこぼし、ユアンが最後の一口を食べ終えた頃を見計らってから問いかけた。
「さっき、説明されなかったけど議会に出席ってどういうこと?」
「ああ、はい。是非とも奈緒様と静様に王城の陰鬱な話し合いの場に出ていただきたく」
「私達は関わらないって言ったわよね」
しかも、ヨカゼとシルドラに忠告されたのだ。魂までも消滅させられる、と。
たかが忠告ではあったが、結果として静は一人で動けなくなってしまうほどに体調を一気に悪くなった。あの時、静がどんなものを浴びていたのかは分からない。
ただ、何かの強い重圧のようなものを受けていたのは分かった。何せ、誰一人として動くことが出来なかったからだ。ルイス以外。
まさかヨカゼ相手にナイフを向けるとは思わなかったが、ルイスは静の騎士だ。たとえ、相手が何者であろうと静を守ろうとした姿はつい、見惚れてしまうほどだった。
そう、それほどのことがつい先ほどにあったのだ。だというのに、議会に出席して関われという話になっているのだ。一体どうしてそうなったのか。
奈緒は目を吊り上げ、ユアンを睨みつける。ユアンはわざとらしく大きな手ぶりで恭しく胸元に手をあて、わずかに身をかがめた。
「奈緒様はすでに彼らがどういう方々かご存知でしょう? ですから、彼らの喚きを抑える方法も存じ上げているはず、と思ったのですがねぇ」
「……まぁ、そうね。けど静は」
奈緒は以前、王城へと何度も足を運んでいた時がある。その際に深緑と純白の彼らと悶着があり、その後も実はいろいろと更に小さな悶着を重ねていたが前の話なので今更である。
だが、問題は静だ。
「はい。あのお方は神相手でも喧嘩を買う方じゃあないですかぁ。彼の神を拳で殴るだなんて……ふふっ」
静は喧嘩を売りはしないが、ちゃんと買う。しかもなかなかに言葉が強い。言論で喧嘩をするし、何なら拳でも喧嘩をする。
そんなのが議会へ。考えただけでも恐ろしいが、静も成人しているし、ちゃんと大人として弁えている、はず。と奈緒はついつい、静に対してそう願ってしまった。
「……別の、そう。他の事とか」
「一人で好きに動かれたり、敵に接触する可能性が高い方にいてもらうより安心という結論になりましてねぇ」
「ああ……、そうね。けどルイスは何か言わなかったの」
「むしろ護衛はしやすいということで異論はありませんでしたよぉ。どうせルイスも出席せざる得なかったわけですからねぇ」
「レイメイで勝手に使ったから?」
「はい。なので僕もおりますよぉ」
へらり、と笑うユアンだが、奈緒は顔をしかめるばかりだった。
何せそれは尋問とさして変わらないものだったからだ。
聖女という立場である奈緒は断るのは簡単だ。しかしあの場で出席を是と結論付けたのだ、ランスロットとヴィンセント、ルイスがいながら。つまりは、その方が都合が良い、という判断に至ったのだろう
「……分かったわ。で、私達はいるだけ?」
「はい。お側にアンジェリカ様がつきますのでご安心くださいねぇ」
「ねぇ、アンジェリカって……」
「とても勤勉なお方ですよぉ。政に関しては殿下にも引けを取らないほどだとか」
アンジェリカ。ランスロット王太子殿下の婚約者にして、未来の国母となる可憐な令嬢。
奈緒の紫の瞳が、この国の国花の色である花であれば、アンジェリカの紫の瞳は力強い光を放っている宝石であった。
可愛らしい微笑みが印象的なアンジェリカはしかし、まさしく愛の人であると奈緒は思っている。年下であろうと関係ない。目指す姿は彼女であると、奈緒は確信していた。
とはいえ、そのお相手のランスロットに対して、奈緒はどうしたって尊敬の念は全く抱けなかった。
「ランスロットって、国民からどう思われてるの? 今まで気にしたことなかったけど」
「評判は良いですよぉ。ただ騎士からは多少の苦言が出ているようですが」
一体何をしているのか。
国民からの評判が良いのは素晴らしいが、内からの評判が悪ければどんなことになるか。
奈緒はつい額を押さえ、大きく息をつくとユアンは何故か面白そうに肩を揺らした。
「深紅の騎士に紛れてよく城下にいるそうですよ。必要に応じて殿下自ら動いているようで」
「……ああ、だから融通が利きそうなロビンを側に置いてるってわけ?」
「ええ、その通りです」
それは苦言が出るなと、奈緒は納得した。
何せ守らなければならない存在が騎士に紛れて表に出てくるのだ。より近くで国民に触れ合いたいのかもしれないが、騎士に紛れるのはどうかと思ってしまう。
奈緒はランスロットのことを好意的には思っているが、あくまでも良い協力関係としてだ。しかし今後、その関係を見直す必要がありそうだった。
と、台の上に置いていた時間を測る魔具が小さく震えた。
奈緒はすぐに手を取り、小さな突起を押して振動を止めた。
「ああ、それでなのですがねぇ?」
「何? プリン出来たわよ」
「いただきましょう……!」
ユアンがさらに別の話題を続けようとした。
だが奈緒はそれよりも、と先ほどから蒸していたプリンを早く食べてほしくて言葉を遮ると、すぐにユアンはそれは美しい満面の笑顔を浮かべた。
奈緒は笑顔を返しながら、鍋の蓋を取る。途端に目の前に白い水蒸気の煙がむわりと広がり、その中から並んだ白いカップに入った黄色が五つ、姿を見せた。火傷をしないように厚手のミトンをはめて一つだけ取り、小皿に乗せた。
「火傷しないようにしなさいよ」
「ええ! もちろん!」
最後にスプーンも小皿に乗せて渡せば、ユアンは無邪気に頷き、さっそく一口分を掬って食べ始めた。
「本当は冷やした方がおいしいんだけど」
「んふふっ……これもなかなか……。出来立てを食べられるなんて贅沢ですねぇ」
ゆらゆら、と落ち着かない様子でユアンは体を揺らす。やはり子供っぽい仕草に、プリンを落とさないかと奈緒は少しだけ注意しながら見つつ、残り四つを大きな皿へと移し、布をかぶせた。
これは奈緒達四人分だ。夕食時まで時間はあるが、それまでにちゃんと熱がしっかりと冷めるか少し心配になる。
「ねぇ、ユアン。魔術でこれ、冷ませたり出来ない?」
「出来ますよぉ」
ユアンはスプーンを片手に、指先を軽く振る。と、台の上に瞬く間に氷の丸い皿が出てきたのだ。
魔術で簡単に熱が消える、とかそういうものを想像していた奈緒は、まさか皿が出てくるとは思わず、少しだけ目を丸くした。
とはいえ、これを冷やすだけなのだから氷の皿でも十分なほどだった。有難く氷の皿に熱いプリンが乗っている皿を置かせてもらう。と、皿はまるで蔦を伸ばすように八方から上へと延び、最後にはドーム状に皿ごとプリンを包んでしまったのだ。
なんて便利な魔術だろうか。
「ありがと。これですぐ冷えると思う……けど、これ、どうやって中身を取れば」
「問題ありませんよぉ。もう分離させたんで」
分離、と言われて奈緒はよくよくと氷の塊を見ると、ユアンの言う通りに皿が乗っている部分と上の部分の間に綺麗に切れ込みが入っていたのだ。
つまり、後でドーム状の部分を蓋を外す要領で取れば良い、ということだ。
これはもう便利と片付けて良いものなのか、と奈緒は疑問を抱いた。
「一応はあるんですよ、保冷庫」
「え、あるの?」
保冷庫。とはつまり、冷蔵庫に似たようなものだと奈緒は判断した。
ということは、一々誰かの魔術に頼らずとも食べ物を冷やせるということだ。だと言うのに、何故ここにないのか。
奈緒の疑問に答えるように、ユアンはわざとらしく大きく肩をすくめた。
「はい。ただ魔術はもちろん、小型の魔具を使った方が早いうえに、これは国民性かもしれませんが冷たいものは好まれませんからねぇ。むしろ必要なのは保温庫。食材をどう凍らせずに長い冬を越せるか。これが重要になるんですよぉ」
「……ああ、そうね。確かに大変だったわ」
奈緒はまだこのロトアロフという国の冬全てを経験したわけではない。だが、冬至までの間の冬をこの身をもって強く経験したのだ。
本当に大変だった。毎朝、凍った食材の解凍から始まるのを。確かに切るのだけは楽だが、皮をむくとなると悲惨である。なので毎朝、食堂にいる料理人達からすでに下ごしらえをし終わった食材をもらったりということもあったわけである。
「けど、それなら何で保温庫がここにないのよ」
「魔力を大量に消費するからですよぉ。それを使うなら、湯を沸かし、部屋を暖めた方が良いでしょう?」
「そうね」
「それに我が国は、湯に浸かるのを好みますからねぇ。なおさらかと」
本当に文明の発達具合には気になるところだが、それはそれとしてこの文明の発達を許してくれたことに奈緒は強く感謝した。さらに素晴らしい国民性を持っている人々に内心称賛の拍手を送った。
「それで、なのですが。あの通信機の認可が下りた後、レイメイに入隊しますんでぇ」
奈緒の思考は一気に現実へと引っ張られた。
「は?」
「すでにヴィンセント様、ルイス。それと局長には話をしておりますんでぇ」
淡々と、ユアンはその決定事項を奈緒へと話す。最後のプリンの一口を名残惜し気に見つめながらユアンはぺろりと食べ終え、皿を台へと置いた。
その間も奈緒は、ユアンの言った意味をどうにか頭の中でかみ砕こうとしていた。ユアンはそんな奈緒の様子を見て、困ったように眉をひそめて小さく微笑んだ。
「ほらぁ、お伝えしたでしょう? 貴方のお側に参ります、と」
確かに、ユアンは奈緒に伝えていた。けども、まさかこんなに早くとは奈緒は全く予想していなかったのだ。
「貴族の籍も追々と抜く予定ですしねぇ」
「抜くって……」
「貴方のお側をお許しいただくのですからねぇ。余計なものは不要でしょう?」
一体どれほど驚かせるのが得意なのだろうか。
奈緒はユアンのその手際の良さというよりかは、用意周到さに驚きを通り越して呆れてしまった。
落ち着くために一度深呼吸をした後、奈緒はユアンに微笑みを向けた。
「ねぇ、ユアン。そうね。手だけで良いわ。貸してくれない?」
「あの時みたいに押し倒さないでくれるならば」
「仕方がないでしょ! だって……」
元の世界に帰らない。全てはユアンを好きになったから。だからなりふり構わずにユアンに迫り、挙句には押し倒してみたりとしたわけだが、今になって思うとやり過ぎたと奈緒は強く反省した。
それによく嫌われないで済んだと思うべきだろう。
それもこれも、ずっとユアンの優しさのおかげだ。ただ、とても捻くれていて素直ではないけども。
ユアンの白く細い手が奈緒に差し出される。一瞬、女性の手かと思うほどだが、やはり節々は男らしく少々武骨だった。
奈緒は差し出された手を両手でそっと包み込む。
「私、ユアンの手、好きよ」
「手だけ、ですかぁ?」
「全部好きに決まっているでしょ」
手も。そしてその全てが好き。貴方が好き。
奈緒は溢れ出そうとする気持ちを抑えながら笑って見せれば、何故かユアンは口を手で覆い隠しながら大きく顔を逸らしていた。
この国の人々の肌はとても白い。だからか、赤の色がとても良く映えていた。
「……ねぇ、ユアン。手を出してくれても良いのよ?」
「隙あらば、そうお誘いするのは控えていただけませんかねぇ。僕はまだ許されない立場なのをお分かりですかぁ?」
「ルイスはどうなのよ」
「あれは介護と変わりないと思いますけどぉ? というか、何のために手を握っているんですかぁ?」
「好きな人の手を握ったらいけないの?」
照れ隠しに失敗したユアンはぐっと顔をしかめる。まるで、耐えるように。
笑ってはいけないのに、奈緒はつい小さく噴き出してしまった。笑いながら肩を大きく揺らす奈緒に、ユアンは面白くなさそうに顔をさらにしかめ、そして、いきなり奈緒の手を強く握りしめた。
「え?」
ユアンは驚く奈緒には目もくれず、出入り口の方へとじっと見つめる。
一体どれほどそうしていたか、ユアンはそっと奈緒の手を離す。そしてすぐ、恭しく奈緒の手を下から掬いあげるように奈緒の指先に触れた。
「奈緒様、侍女殿は?」
「部屋にいると思うけど……」
「それならばお部屋までお送りいたしましょう」
ユアンはいつものように微笑みを浮かべている。
しかし、その纏う空気は先ほどと打って変わり、どこか殺伐としていた。
「……誰か、いたの?」
「ええ、虫が」
「伊織が好きそうね」
「さすがに好まれないと思いますがねぇ」
さぁ、とユアンは奈緒の手を引く。奈緒は大人しくユアンに従い、その場から離れた。
後片付けは後でやれば問題ない。とにかく今は、安全な場所へと移動をしなければいけなかったから。
奈緒は本当は良くないと理解しつつ、ほんの少しだけユアンとの距離を詰めて隣に並ぶ。ユアンはそんな奈緒に気付いたようで小さく肩をすくませたが何も言わず、ゆっくりと大神殿の長い廊下を歩くのだった。
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金髪の女は大きく息をつき、遠慮なく舌打ちをこぼした。
まさか、気付かれるだなんて。
この国は確かに特殊ではあるが、外に比べたらずいぶんと遅れた国だ。何もかもが古めかしい。笑ってしまうほどに。
だが、この国は鉄壁と言うだけあってか、魔術の技術だけは異様に高い。だからこそ慎重に慎重を重ねて姿を消し、気配までも極限までに消したと言うのに気付かれたのだ。
ただの、開発者だという男に。
「……むかつく」
しかもだ。どうやら時間がほとんど残されていないような話がわずかに聞こえてきた。
今まで、どんなことがあってもほとんど騒がず、それこそ一年前にあの聖女と呼ばれている四人が現れてからも危機感がずいぶんと薄く、日和っていたというのに。今やそれが嘘のようにすぐ様に動き出そうとしているではないか。
それもこれも全て、あいつのせいだと金髪の女は灰の目の男の姿を思い浮かべる。
とはいえ、灰の目の男に文句を言える立場ではないことを金髪の女は自覚している為、心の内で存分に吐き出すだけにしておいた。
「夜……は無理ね」
本当は夜に動き出せれば良い。
だが、この大神殿も王城も含め、夜の警備は尋常なく厚い。むしろ昼間の方が手薄な分、動きやすいくらいだ。
動き出すのは明日の朝、だろうか。
とにもかくにも、灰の目の男の指示を聞かねばならない。
金髪の女は大きく息を吐き、影へと音も無く姿を滑り込ませる。そして、瞬きの間にその場から姿が消え去ったのだった。




