93 過渡期
誰もが包丁を持ち歩く社会とはどのようなものだろう。
カッとなってすぐ振り回せる武器が手元にあるのはとても自制心が試されそうである。
他にも影響は多々あるだろうけど取りあえず物騒なことには違いないね。
誰もが先天スキルに目覚めた世界っていうのはそういうものだ。
全世界で同時に起こったために混乱の規模は既存の災禍の比じゃなくて、ニュースではそれはもう連日連夜事件の報道がなされていた。
とはいえ人間は慣れる生き物。
異常な法則にも順応しようと手を尽くしていて、実際に少しずつだけど社会も適応していっている。
多くの国家でまず初めに行われたのは犯罪者に対する<封印>の行使だった。
能力を剥奪することの人権問題は社会の混乱や多発した受刑者による脱獄騒動に掻き消され、反対意見がまともに出揃わない中で施行された。
まあ遡及処罰の禁止とか適正手続の保障とかに思いっきり抵触してるんだけどね。まともな法律家が聞いたら卒倒しそうな暴挙だ。
こういった無理を通すための根回しは袖下大先生がお得意とされる分野であるので、リアルタイムアタックみたいなスピーディーさで法改正は行われた。
そんなわけで日本のプレイヤーはここのところ暇をしている。
現実世界にダンジョンが現れたのを機に侵入できるダンジョンの数も大幅に減らしたしね。
外国の中には中々進展のないところもあるけど、そういう国ではプレイヤー達が暗躍したり不破勝君のようなアクティブなプレイヤーが集まったりしてどうにか持ち堪えている。
まあ彼はプレイヤーと言うか〔神〕側なんだけど。
はてさてそんな感じで進んでいる新世界だけど、社会はまだまだ過渡期。
人災にせよ天災にせよまだまだ問題は山積みで。だから、プレイヤー達が忙しくなるのはこれからだろう。
◆ ◆ ◆
退院した三笠百結はすっかり日常に戻っていた。
世間は浮足立っていたが皆そう簡単に日常を捨て去れはしない。サークルもバイトも普段通りに入っている。
通りを歩く三笠の耳を女性の悲鳴が劈いた。
そちらに目を遣り、絶句する。
成人男性くらいの体格をした鳥人が、鉤爪の付いた足で買い物帰りの主婦を襲っていた。
「モンスター……」
その正体にはすぐに思い至った。SNSやニュースサイトで散々目にした存在だったから。
曰く、世界中に現れた黒い亀裂──ダンジョンの中に棲まう存在。
長く放置されたダンジョンからは時折抜け出してくることが確認されている。
生物と見れば見境なく襲って来るため、発見したらすぐに逃げて通報するよう言われている。
先天スキルによってダンジョン内でライブ配信をしていたとある国の配信者が、豚と人間を合わせたような怪物の群れに惨殺された動画はここ数日で嫌でも目にした。
「……っ」
──大学を出るまで無茶はしない。
病室で泣きながら叱る両親と約束したことだった。
私の他にも通行人は数人。彼らが動くかもという期待が脚を鈍らせる。
けれど、買い物袋を振り回して抵抗する女性の必死の形相を見た瞬間、迷いは消えた。
「【ネクターパラソル】!」
折り畳んだ状態の蜜の傘を出して殴り付ける。
ガムシャラに振るった蜜傘は鳥人の足元に当たったみたいで茶色い羽を持つそいつはバランスを崩す。
「ピィアアアアッ!」
「くぅ……っ」
でも調子が良かったのはそこまで。
眩暈を引き起こす奇声を受けて怯んだところを蹴り飛ばされた。
アスファルトに倒れ込んだ私へ鳥人が追い打ちをかける、その直前。
タッタッタッ、と地を蹴る音が響いた。
「──獣真流体術・猿廻」
駆けて来た身長二メートルはありそうな大男は素早く鳥人の足首を掴むと、前転するように回る。
走る勢いを利用したその回転に鳥人も巻き込まれ、アスファルトへと墜落した。
一方、大男はくるりと前転して体を起こし即座に追撃。
鳥人の首を容易くへし折ってしまった。
「な、あ……」
「ちょっ、なに突っ込んでるんですか宗像さん!」
「いいだろぉ、能力もランク一並みに制限してんだからなぁ」
ツレと思しき男性の方へと向かっていく大男。
あまりにも自然体で怪物を『駆除』した彼を、私達はお礼を言うことも出来ずに見送ったのだった。
後から聞いた話によれば、近くの廃ビルの屋上にダンジョンがあったらしい。
ダンジョンは特異な【魔力】を放っているから近くにあれば気付けるらしいけど、今回みたいに人の寄りつかない場所にあると未発見のままフラッド──モンスターの脱出を起こしてしまう。
こういったことは世界中で起こり始めているらしく、SNSやワイドショーでは対策が頻り議論され、まるで世論が傾くのを待っていたかのように日本では新たな法案が可決された。
その名もダンジョン関連保安業務民間委託制度──通称、シーカー制度と言う。




