『鐘 懐 印 周 包 謙 金』
「もしかして、伊菜褒との不仲はそのせいか?」
綾雅さんの声に私はふと我に返った。
ご明察。
「人の目ばかり気にしているのもウザいですし
私達を信用してないのも苛立ちます。
私は志があって此所へ来たわけではありませんが、決して安易な気持ちで戦ってはいません。」
生まれた頃から画面越しに見てきた戦争。
避難シェルターのモニター越しに見えた、兄の戦う姿。
次々と途切れては空へ昇って逝く、糸。
だから救いたい…なんて、そんなことはないけれど。
ただ、この世界に、この時代に、この私が生まれたから、戦う。
この“日常”を戦う。
それに子供も大人も、家も力も何も関係ない。
「だから、私は変わりません。
理由はありませんが、私は私です。」
信仰も、誓いも、約束も、しがらみも、執着も、私には必要ない。
「そう、なのか。
俺には解らないが…」
でしょうね。
それだけ、ふっとーい糸を垂らしてる人が執着をしてないはずがない。
「伊菜褒は信用してない訳じゃないよ。
頼り方を知らないだけだ。」
「ふぅん。
どうでも良いけど。」
伊菜褒がどんな家で生まれて、どんな風に生きてきて、どんな性格で生きてるかなんて、私には関係ない。
今居て、今私の感じてるこれが、この私の世界のすべて。
だからそれ以下もそれ以上もない。
「でもまあ」
死んで欲しくないと思うくらいには、勝手に情はわいてきてるんですけど。
ほら、あんた達みたいにね。
お人好師弟
「誰?!」
咄嗟に、獣の悪魔を庇うように立ち上がった。
獣の悪魔とは言っても、パッと見は黒いだけの犬。
そりゃ反射的にかばってしまう。
見えはしないものの、後ろから聞こえる唸り声を察するに、その二重の口を、目の前のなにかに向けているのだろう。
…そう、目の前の…なにか、に。
『初めまして…ですかね。
私はエナク。
名は名でしかない、呼称にしか能がありませんから気安く呼んでください。』
白髪の男性はそう言いながら優雅そうにお辞儀をし、知的な笑みを浮かべた。
一瞬見えていた純白の翼は何処かへ仕舞い。
外見だけなら清廉そうだけど、知的さを感じる時点で…人間味があるというか。
とりあえず天使ではない。
だってそんな風に笑うんだもの。
『そう、エナク。
これが貴方のご両親を殺した私の名です。』
「え…?」
『貴方のご両親ですよ。
莉泰と輝。
あーそれと、ジニア…でしたね。
それの家族を皆殺しにした張本人でもありますねぇ?』
その瞬間、私は反射的にエナクという人へ刃を向けていた。
この感情が一体何なのか、何だったか解らないけれど、たぶん、そう。
これが、殺意。
『ああ…、良い。
何と心地の良いことか。』
その言葉のひとつひとつが気に障った。
ジニア…、確かあの時に…アリスを見つけたときに私を助けてくれた男性が、そういう名前だった。
『忘れるはずもないでしょう?
そう…忘れて良い筈も……
いえ、そうなのです…、忘れるなんて…、ええ、あり得ない。
有り得て良い筈も』
何か虚ろ気味にぶつぶつと呟きだしたエナクさんは、ふと私を見つめた。
『忘れるはずがないのです。
ですが…、貴方はそんな顔でしたっけ』
ドクンッ
音が聞こえた。
血の流れを感じて震えた。
その目と記憶を、私が何よりも恐れていた。
わた…わたしの……“わたし”の両親…って…そんなの……
『違う。
顔は同じだ…、それより、もっと根本的な何か……。』
そう。
もっとずっと貴方が思っているより根本的に間違っている。
“わたし”は貴方の思う“私”ではない。
もう何年も前に“私”は……
けれど、どうして…どうして“貴方”は………?
『君は一体、何者だ』
ああ、悪魔にまで私の正体を問われるだなんて。
とても不名誉なこと。
「わたしは…わたし?
私って誰…?私は…………」
わたしなんて、どこにもないよ…、はじめから…。
私はただ、貴方の身代わりでしか、ずっとないの…。
それならわたしの存在は、何が証明するの
わたしに意思って、心って、体って、誰のもの…
わかってる。
わたしに意思なんてないんでしょう。
わかってる。ずぅっと…、すべては貴方のため。
なのに…、なのに、どうしてなの?
どうして…どうして貴方はかえってこないの…?
わたしはいつまで…、もしかしたら、えいえんに…?
それとも、貴方じゃない、私が…
「愛本!」
ああ、やっぱりそうのかな。
『…いや、あれも違う。』
その呟きに驚いてエナクさんを見つめると、エナクさんは目が合った私に微笑みかけ、ゆっくり私へ歩み寄った。
『まあ、別にどちらでも良いけど。
俺にとってはどちらにしても、君は光の子ですから。』
私の両親を殺したと言ったエナクさんは、ジニアさんの家族を皆殺しにしたと嗤ったエナクさんは、そんな風に私に笑っていた。
『そんなものを助けたいと言うのなら、私は止めませんよ。
ただ側に居て、語りかけ、ゆっくり想いを注げば、戻るんじゃないですか?
私は御免ですけどね。
この世を呪って悪魔に成ったのに。』
パァンッ
弾丸が放たれる音が聞こえた。
それなのにエナクさんは焦りもしないで、また咲った。
『まあ、嫌いじゃないですよ。』
そして海に映る月のように、弾丸に揺られ姿を消した。
「愛本!
怪我は!?大丈夫か?!」
礼人は私の顔を覗き混んで、肩を掴んで、凄く心配そうな顔をした。
アスターと同じ顔。私と同じ顔。
でも、けれど、アスターは私をそんな風には心配しない。
アスターは私をジッと見つめて、安心して笑って、皮肉を言うだけ。
こんな風には心配しない。
なのに、『あれも違う』……。
「愛本、どうした?
何か…、こう、呪いでも掛けられたのか?!」
「ぷっ」
思わず吹き出してしまった。
まじないって…まじないって!
「なにそれ」
礼人は少し安心したような顔をして笑った。
「いや…解らんが、そういう…なぁ?」
「どういうのよ。」
クスクスと笑ってしまう。
私が笑うせいで、礼人もちょっと笑ってる。
そうよね。当たり前のことだわ。
貴方も、私も、アスターも、…あの子も、みんな違うの。
今もあの子が誰かは解らないけれど、確かに存在していたはずの、あの子。
それでも今を生きているのは私。
…そう、私なのよ。
借り物でも、私は確かに生きたの。生きてるの。
可笑しいでしょ?
それでもね、生きてるの。生を望んでるの。
貴方とは比べるまでもなく、生きたいと…そう、思うようになったの。
成ったの。
それでも私は死ぬけれど…それでも
生きたいのよ。
「悪魔だ」
心結さんの呟きに私は天空を見上げた。
太陽の眩しさに一瞬眩んだ目を閉じ…、そしてまた目を開いた。
そこにはグレーの翼を6枚持つ…人があった。
私はそのまま固まってしまった。
動けなかった。
心結さんの言う通り、そこに居たのは、紛れもない悪魔だったから。
その顔を、確かに“覚えて”いたから。
その人の事を“知って”いたから。
「なんてことなの…」
そして、理解してしまったから。
この“超記憶”と言う、私の特殊能力は…。
まさか、人智さえも越えてしまうものだったんだわ。
『おや、これはこれは…。
樹家のご令嬢。初めましてと言うべきかい?
人を探しているんだが、案内とかしてくれるものだろうか?』
そう笑う顔は私の知る頃とは随分と変わっていた。
あまりにもスムーズに、何もかもに絶望し、終わったあとの穏やかな笑い方。
「誰を…探しているの」
貴方は、貴方は誰なの?
何を求めて、何が…そう、一体何があったというの?
あの日、その場所で、一体貴方達に…何が
『これは驚いた。
悪魔と意思の疎通を取ろうなんて愚か者が居るとは。
俺が探してるのはね、えーっと…今の名は何と言うのだろう。
孤児の子だよ。
黒い髪と、金色の眼の子。
年は…あ、そう、君くらいかな。』
そう言う悪魔がその目に映したのは澤田さんだった。
澤田さんは途端に悪魔を睨み付け、その銃を取った。
澤田さんだけじゃない…、この場に居た私以外の全員が、その…悪魔へ殺意を示した。
その探している相手が、きっと陽灯ちゃんと解ったから。
彼女は誰もが守りたいと、側に居たいと執着する存在だから。
私だって…私だって……
けれど、やめてほしい。
今だけは、今、私の見ているこの瞬間だけは、どうかあの人を傷付けないで欲しい。
涙が零れて仕方がないから…。
「伊菜褒…?!」
ふと私を見た心結さんが、とても驚いた顔をして居た。
多分、ああ、そう、私の糸を見たんだわ。
きっと今この瞬間だけは、私はあの悪魔に糸を垂らしてる。
「貴方の名前は?
陽灯ちゃんに会って、どうするの…」
いまさら…。
本当に、いまさら。
『ああ、名乗り忘れていたか。
私の名はエナクだよ?
…何で泣いてるんだい?
別に取って食ったりしないよ?
やめておくれよ、私が虐めているみたいだ。』
エナクと名乗った悪魔はほんの少しだけ眉を下げ、嫌そうな顔をした。迷惑そうな、そう言う顔。
ああ、これは、見覚えのある表情だった。
これが、こんなものが、悪魔なの…?
「違う、貴方は、スロじゃないの……」
顔も、記憶も、その何もかもが…、スロそのもの。
「あの悪魔を知っているの…?!」
『……冗談だろ?
何故君が俺を覚えている?』
これが冗談だったら、どんなに楽なことか!!
でも冗談じゃないんでしょ!?
貴方が、私の記憶が…何よりの証拠よ。
一体…一体、何をどうしたら、そんな結果になるのよ。
「私は覚えてたんじゃないわ。
今、貴方の顔を、声を知って、それではじめて“思い出した”の。」
未だかつて、何もかもの記憶を忘れたことがない、この私が…、貴方のことを忘れていた。
私が忘れるなんて、ハッキリ言って有り得ない。
忘れられるのなら…、どれだけ楽なことか。
だから私は忘れてたんじゃない。
スロの存在が消えてるの。
この世から、綺麗サッパリ跡形もなく。
『この世と言うやつは……、余程自殺をしたいらしい…。
私は止めないけどね。
どうでも良いことだし。』
スロはとても冷めた目で言った。
いや、冷めた目とも違う。
空虚な、絶望の、黒でも白でもない。
灰色の錆びた目。
その目は、見たことがあった…、そう、1度だけ。
「貴方達のこと、貴方のこと、貴方のしたこと
私は永遠に忘れないわ。
全ては無理だけど私の見たこと、聞いたことは、絶対に忘れない。」
一体何があってそうなってしまったのか、私には予測することしかできないけれど。
でも、貴方達の生きた日々は少しなら知ってる。
間接的にならもっと知ってる。
貴方が生前、何に時間を費やして、それにどんな苦悩があったのか。
『私のこと、恨まないの…?』
酷く驚いた…もうクマのない、幼く見える顔でスロは言った。
まるで自分が当然な常識と思っていたことが、思わぬ形で覆されたみたいに。
まるで自分を、人類の悪とでも思っているように…。
「恨まない。
だって私、貴方に遊んでもらったもの
ムニョンに…文仍に、寿幸に、頭を撫でてもらったもの
そんな人を恨むわけがないわ。」
これが私にとって当たり前のことよ。
貴方は何か悪いことをしたんじゃない。
自分のとっても大切な人を助けるために頑張っただけだもの。
その結果、神に障っただけ。




