『消せない痕』
「えっ!謹慎?!
いつまで…、なんで?!」
瀧さんがそんな宣告をしてきた。
寮のベッドに実質的に縛り付けられていた私へ。
そのほんの数時間ですらちょっと辛かったというのに…。
一体いつまで…
「1週間。
俺は甘過ぎると思ってるよ。
別に。
悪いことした訳じゃないから、謹慎じゃなくて強制休みだけどさ」
言葉すら刺々しい瀧さんの顔は、いつもとは打って変わって、とても厳しい表情だ。
すぐにいつもと違う状況なんだって解る。
何とかこの空気を変えようと口を開こうとする前に、瀧さんが重ねて口を開く。
「解って欲しい。
高校生の君を過労で倒れさせるなんて、俺達にとって恥だ。」
「ご…、ごめんなさ」
「ちょっと。
暫く黙って欲しい。」
あまりに明らかな憤りを、怒りだけをまとった声に、体が震えた。
ごめんなさい。ごめんなさいと言わせて欲しい。
何をそんなに怒っているのか解らないけど、瀧さんや礼人やイーサンに恥をかかせてしまったのなら、せめて謝らせて欲しい。
もう…、もう二度と倒れたりなんてしないから…
「間違っても、間違っても勘違いしないでくれ。
これからは倒れないように気を張るとか…、
そんな考えは欠片も残さず捨ててくれ」
考えを見透かされたような言葉に、私は瀧さんを見ようとして、その顔を見るのが怖くて、握り締めるシーツを見つめた。
言葉をいくら探しても見つからなくて、短い時間が無限のような時間に思えた。
一瞬だったと思うけど、でも本当に、そんな長い時間に感じられた。
すると、瀧さんの深い、深い、溜め息が聞こえた。
怒りをどこかにやるみたいな…そんな声が聞こえて、シーツに見える私の頭の影に、瀧さんの手が伸びて…、思わず身を強ばらせた。
けど、その手は私の頭を撫でた。
「ごめん。
年甲斐もなく当たってしまった。
本当にごめん。」
その言葉を聞いて、私は弾かれたように瀧さんを見た。
謝ることなんて…と否定しようとしたけど、止めた。
瀧さんが頭を深く下げていたから。
それは求めていないんだと解ったから。
「理由が、解らないです」
求めることは解っても、その理由が私に解らない。
瀧さんが、私が私自身を大切にするよう求めてるのは解る。
けどそれは瀧さんの感情のほんの一部で、その殆どが瀧さん自身に向けられてる。
その感情が、良いものでないのも解る。
けれどそれがどうして生まれるのか、わからない。
「君は…頭が良いのに、本当に解らないんだね」
瀧さんはまたひとつ、溜め息を吐いた。
それは、さっきのとは違って、少し笑うような溜め息だった。
「確かに俺は、礼人やイーサンとは違って、君にそこまで執着はしてないよ。
知ってるかもしれないけど、俺は薄情だから
そうじゃなきゃ、実験なんてしてられないしね。」
私の中の瀧さんのイメージも、そんな感じだ。
執着と言うか、自分の興味があるもの以外には一律並列に善良で、広く浅くを体現してるような人。
けど反対に自分の興味があるもの。
自分の研究やそれに必要のあるもの、あと研修組のアカシヤさん。
それらに対して自分の労力を注ぐ人だ。
論理的で効率的で善良な人。
そんな瀧さんが、私が勝手に倒れたことで…心配こそすれ、怒るなんて思わなかった。
「それでも」
瀧さんは私の両肩に手を乗せて、ゆっくりと一つ一つの言葉にたくさんの感情を込めるように口を開いた。
「それでも自分より幼いものが、過度の疲労で倒れてしまうことに、何も感じない程馬鹿じゃない。
君にそこまでの負担を掛けているつもりはなかったし
ある程度の調整をしているつもりだった。
この程度なら大丈夫だろうと思っていた。
君が何も言わないから平気なんだと思い込んでいた。
今回のことで、それら全ては誤りだったと解った。
それだけの事だよ。
俺も大人じゃないからさ…、このくらいしか言えないんだ。
“解ってくれ。”」
要するに私は、瀧さんの矜持…プライドに反してしまった。
そしてまた、反してしまったのだと私が気負うこともまた、瀧さんの矜持に反する。
大学生の瀧さんにとって、私は守るべき対象なんだ。
きっとそれが、当たり前…?
愛本陽灯という個人に関係なく、永徳やジゼルも、等しく平等に。
ああ、なるほど。
それなら、私の返答は変わらない。
「ごめんなさい。
もう倒れないようにします。」
瀧さんは心底呆れたように溜め息を吐いたけど、私は微笑んだ。
「倒れないよう、自分でもちゃんと考えます。
心配を掛けないように、ちゃんと頼ります。
でもごめんなさい。
今回は本当に無理をしたつもりがなかったんです。
だからもし次があっても見捨てないでください」
こう言うしかない。
瀧さんはたぶん、私が無理をして、疲れていたのに言わなかったと思ってる。
まあ、私に体調管理が出来なかったと言う、過失がある事に違いはないけど、瀧さんや皆に心配をかけたくなくて黙っていた訳じゃない。
単純に、程度が解らなかっただけ。
その点、今回のことで少しは解ったから、少しずつは改善できると思う。
ゼロにはならないけど、努力しますと言うことだ。
言葉とは難しい。
全く同じ言葉でも意味が変わってくるのだから。
これ以上は言葉を重ねても変わらないので、私も言おう。
「“解ってください”」
ちょっと皮肉っぽい笑顔の言葉に、瀧さんは笑ってくれた。
そして私の頭を撫でて
「“解ったよ。”
解ってくれれば良いんだ」
愛本が倒れてから数日が経った。
アイツは謹慎になったらしく、更には桜庭と言う人物にオレの事がバレた。
愛本が色んなことを考えはじめて、色んな交遊関係が増えはじめて、それで…、それが…それ…が…もう……
「嫌だ。嫌なんだ。ヤダ、いやだ、嫌だ、嫌だ嫌だ
もうヤなんだよ!!!!」
そう喚き散らし、我を無くそうとして尚、アスターはここにある機器を壊せずにいた。
その理性を、失えないままでいた。
それでも
「嫌なんだ…。
もう嫌なんだよ…、何もかも嫌なんだ…
疲れた……」
四肢の力を抜き、そっとアスターは涙を流した。
そんな彼を抱き締めるジニアも、苦しそうな顔をしていた。
「すまない。」
ジニアにはそう謝ることしか出来ない。
抱き締めることなんて、アスターの力の前には本当は何の枷にもならない。
それでもアスターは現に何もせずにいて。
ジニアも、それが解っていて抱き締めていた。
すると、二人の頭上から声が降りてきた。
「アスター、アスター。
大丈夫。
大丈夫よ。」
コスモスはアスターを宥めるように、諌めるように、慈しむように、優しく撫で、彼の名を呼んだ。
ついでにジニアも撫でて。
「脅えなくて良い。
怖れなくて良い。
私はずっと、貴方の味方よ。
意味も理由もなくても、貴方の味方であり続けるわ。」
まるで呪いのようにコスモスはそう唱え続けた。
その手のひらから出る僅かな毒と共に。
それに気づいたジニアは驚き、自分を撫でる手を強く掴んで睨み付けた。
けれどコスモスは動じず、シー…と口で言って小さく微笑んだ。
「ねぇ、アスター。
貴方は何に怯えてるの?
それって、本当に貴方が恐るるに足るものかしら
私達が居ても消せないものかしら
どうしても忘れられないことかしら
忘れてはいけないものかしら」
ねぇ、アスター。
そうコスモスが囁くと、アスターはゆっくりと瞳を閉じ、眠りに堕された。
眠りが深くなったのを確認すると、ジニアは深く息を吐いた。
「ついにコスモスがサイコになったかと…
ヒヤッとしたわぁ…」
「アンタ正真正銘の馬鹿ね。
殺したら治るかしら?」
ジニアは何故かアスターを守るように抱き締め、全力で首を振った。
冗談よ。と笑い、コスモスはまたアスターの頭を撫でた。
「この毒、ちょっと眠らせるだけだから、直ぐに起きるわよ。
次起きたらどうするの?
今はこの子が自制出来てたけど…
前回だって、アンタの大事な機器壊しちゃって…」
ジニアはアスターをベッドに寝かせ、頭を撫でながら笑った。
「良いんだよ。
機械は治る。
俺らのボスの懐がちょ~っと寒くなるだけだ。
あの人だって、そんくらい良い!って大袈裟に笑うだろ」
ジニアの言葉にコスモスはそうだろうけど…と苦笑した。
「あの日までは、まだ先だ。」
コスモスはジニアの言葉を、とても苦しそうに聞いて、それでも微笑んだ。
「…そうね。
あの子は大丈夫なのかしら…」
「あの子って…
もしかして、愛本 陽灯のことか?
大丈夫だろ。
アイツはアスターと違って何にも考えてないし覚えてない。」
ジニアのその言葉に、コスモスは驚いたように見開き、そしてクスッと笑った。
「なーにもう!
変なとこ可愛いんだから!」
満面の笑みでジニアの頭を撫でて、不機嫌そうな彼をからかった。
「あの子の事も大事よ。
けどそれ以上にこの子の方が可愛いわ。
だからもしものその時が来たら、私はあの子を…陽灯ちゃんを殺す。」
コスモスは厳しい顔で。
苦悩などしていない、決心だけが満ちた、確かな表情でそう言った。
ジニアはそれを、驚くことしかできなかった。
今までに目にしたことがなかったその顔に、その覚悟に。
その執着のようなものに。
「それより心配なのは貴方よ。
ねぇ、ジニア。
貴方はどうなの?
もしものその時、貴方がその役目を負ったのなら
貴方はアスターの為に、陽灯ちゃんを殺せる?
いいえ、千葉 寿幸。
貴方は恩人の愛したアノコに誰よりも似た、彼女を殺せる?」
「違う!」
思わず、と言った風にジニアは声をあらげた。
そしてすぐに我に返って、バツが悪そうに
「悪い…
けど、俺はアスターのことも愛本のことも
坊と似てると思ったことは…。
輝さんと莉泰さんとも似てると思ったことはない。
誰が何と言おうとコイツらはコイツらだ。
誰かや何かのコピーじゃない。
そうじゃなきゃ…、そうじゃないと…」
深い苦悩を滲ませ、ジニアは機器に触れ、拳を握りしめる。
「それでも、そんなものお構いなしに、
紛れもなく、変わりようもなく、アノコの全部はこの子達に在続けるわ。
絶対に。
だけど、それでも望むものがあるから、アスターは生きようとしてるんでしょ?
アノコさえ含めた全部を知りたいから。
始まりはなんだって良い。
生きてさえ、くれるなら…。
ジニア、貴方は違うの?!」
責めるような咎めるような、すがるような声でコスモスはジニアに叫び掛けた。
けれどジニアはそれに首を振って
「無理だコスモス。
俺に愛本 陽灯は殺せない…。
恩人とか、光のとか、そんなのどうだって良い…。
ただ、ただ、俺には生きてるものを殺せない。
尚久は絶対にそんなこと望まない…、だけど、だけど…!」
コスモスは、はぁっ…と息を吐いて、その激情を何処かへやった。
「ええ…!
ええ、そう。貴方はそれで良いと思うわ…。
この子達には執着による守護が必要でも、
本人達はアノコから刻まれた因子のせいで、それを怯える。
でも、…それにbutが付くってどういうこと?」
コスモスは自分を落ち着かせるように、機器にもたれ、深く息を吐いた。
「解らないんだ。
そうまでして生かすことが、本当にアスターの為になるのか?
恐いんだよ。
もしものその時を越えて、アスターが全部知った
その時に、アスターが潰れるのが怖い。
知りたくなかったって言われるのが怖い。
生きてたくないって言われるのが恐ろしいんだ。
本当に。
あの顔を、あの声を、あの姿を、亡くしてしまったら…
そしたら俺はどうしたら良いんだ。
そしたら俺は、今まで一体…、何の…、ために……?」
堪らなく、コスモスはジニアを抱き締めた。
傷を舐め合ってるみたい。と何処かで自嘲しながら、それでも、コスモスもジニアも、アスターも、全て、生きるために、生かすために、迷い、苦しんでいる。
それはきっと、誰にも否定できない。
誰にも肯定できない。
そして、コスモスは心のなかで呟いた。
(嗚呼、寿幸。
無意識にアノコと二人を重ねてしまってる事に、貴方は気づかないのね。
アスターは、そんなに弱くないのに…)
「今日は…ちょっと寒いわね」
まるで、あの日みたいに。
はぁ…とコスモスは息を漏らし、暗く高く無機質な、まだ10月の天井を見あげていた。




