「緋い蜘蛛の巣」
「ごめんなさい、リアム、クリスタ。
彼女と二人きりにしてくれる?」
クレアの言葉に、戸惑いを纏ったまま部屋は静かになった。
人が消えていき誰も居なくなった部屋。
アイラは壁に背を預け、窓の向こうを見つめていた。
そこからマリーの家へ向かう四人が見える。
「…してやられたもんだ。
運命に。
これで一体全体何度目だ。
なぁ、クレア。
私達はもう、何度運命に裏切られている?」
アイラは知っていた。
クレアがクレアである以上、決して自分の思惑に協力することはないのだと。
「そうね…、本当に。」
クレアは知っていた。
アイラがアイラである以上、決して自分の思想に賛同することはないのだと。
生前から同じだった。
クレアもアイラも、互いの望む世界を目指しているだけ。
多少の考えや行動のずれはあっても、結局のところ世界をより良くしたい。
ただ、それだけ。
なのに…その多少のずれが為に、二人は決して交わり合うことはできない。
「貴方と始めて会った日の事…、今でも鮮明に覚えているわ。」
クレアが王になってから20年が過ぎた頃、怠惰が王が死んだ。
憤怒が王として、その追悼に行った時の話だ。
追悼を終え、帰る前に国外ギリギリの森を一人、散策しているとき。
何か大きな物が這う音、叫び声、そして最後に大きな物音が聞こえた。
その物音は…何とも言えぬ、生あるものを大きな力で潰してしまったような、忌まわしく、哀しげな音。
『これは…一体。』
その音を辿り、着いたときには全てが終わっていた。
幼子が血を流しながら生き絶え。
そして、それだけでなく傍らに、何故か大きな双頭の毒蛇までも死んでいた。
後に知ったことだが、その幼子はアイラの幼馴染みで家族も同然の存在だった。
『…っ!!』
幼馴染みに近寄ったその瞬間、それは襲い掛かってきた。
我を失ったアイラだった。
その目は紅く、鋭く、まるで獣のようで。
クレアは彼女を鎮圧。
その後に、彼女が王になった。
強い力を持った彼女が。
事実、まだ使い魔と契約すらしていなかったにも拘らず、彼女はクレアを手こずらせていたのだ。
使い魔と契約した王であるクレアを。
王となるであろうことは…クレアも予測していた。
「まさか、ここまでになるとは思っていなかったけれど…」
紅茶を一口飲み、クレアはアイラに微笑んだ。
「大きくなったわね。
アイラ?」
微笑まれたアイラは戸惑ったように目を泳がした。
「貴方から…、嫌味以外の言葉を聞くとは…」
「まあ!
失礼しちゃう。」
プイッと顔をそらし、クレアは頬を膨らませた。
思わず、アイラは吹き出し…それにつられクレアも笑った。
「…私が生まれる前の話だが、貴方にも大切な人が居たのだろう」
アイラの言葉にクレアはピクッと反応し、ゆっくりとカップを置いた。
「愛する人と好敵手。
そのどちらも死んだわ…、私の目の前で。
貴方と一緒ね」
クレアは茶化すような目ではなく、穏やかで懐かしむような目で、アイラを見つめた。
大切な人の死の痛みすら、懐かしみ、愛し気に思うその目は、昔から変わらない。
彼女はアイラと出会ったときから、もう、全てを受け入れ達観した人だった。
昔はそういう完璧超人なのだろうとアイラは思っていたが。
「時が流れ、私も随分と受け入れられるようになった。
良いことか悪いことかは解らないが。」
単に時の流れが、彼女の傷を塞いでいたのだと。
同じく年を重ねることでアイラも知った。
「それでも運命というやつは好きにはなれないが。」
…そして、時が流れても消えないものがあることも知った。
「ええ。そう。私も大嫌い。
だからこそ私は運命を利用して奪って、争いのない世界を作る。」
クレアは目を見開き、アイラを威圧するように見つめた。
アイラはそれを受け止め不敵に微笑む。
「その為に、君を神に仕立てあげる。
本当の神を殺し、君を未来永劫絶対的な神とさせる。」
クレアは眉を潜めた。
「神……?
神ですって?
まさか、使い魔達を全て殺そうとでも言うの?
そもそも未来永劫何て…」
アイラは一層不気味な笑みを浮かべ、クレアのその目の奥を見た。
「力さえあれば不可能なんてない…!」
クレアはその目を見て知った。
アイラの思惑などではない。そんな粗末なことではなく…。
この体の持ち主はきっと、今の今まで力だけを求められて生きてきたのだろうと。
一体、12歳の子供は何を思っていたのだろう。
周りの大人のことをどんな風に思っていたのだろう。
周りの子供をどんな風に見てきたのだろう。
家族が居たのならどんな風に……。
「ねぇ、アイラ。
いえ貴方だけじゃない。
この体の持ち主のこと…教えてくれない?
もしかしたら、私達…」
クレアの、少し怯えたような表情にアイラは嘲笑うような笑い声をあげた。
「…なに?
クレア、怖じ気づいた?」
すると、クレアは少し苛立ったようにアイラを睨み付けた。
「お花畑も大概枯れた方が良いんじゃないかしら。
そんなことじゃない。
そんなレベルの話じゃないのよ…。
私達…、運命ごと、騙されているんじゃないの?」
アイラはそっと首をかしげた。
そのあまりに無知な様子を見て、クレアは恐ろしさと困惑を覚え、取り繕うように笑った。
「いえ…、あくまで推測よ。
けれど彼女と関わってきた人物の話を聞く限り、彼女は愚者とは思えない。
そんなある程度賢いはずの彼女が、何の目的も見返りもなしに、私達に協力するかしら?
いえ、仮に目的があったとしても私が今ここに居る以上、それを実現するのは不可能でしょう…。
けれど…、それが、私が今ここに居るという事実が、より一層に…」
クレアはこう考えていた。
自分が何故、運命に呼ばれたのか。
それは…もしかしたら、彼女に目的があって、その目的が運命…神にとって都合の悪いもので…それを実現しうる可能性が高いから、そんな目的もなく、かつ世界に害をもたらさなかったという実績のある自分が…呼ばれたのではないかと……。
「胸騒ぎがしてならない…。
この肉体に居るのは私なのに…、何か、誰かに、運命ごと私を征服されているような。」
クレアは額に手を当て、ゆっくりと美しい黒い髪を無造作にかきあげた。
深淵を、地獄の底を見つめるように、目を見開いて。
「彼女の思惑に嵌まってはいけない…
それだけは、解る」
そしてだらんと腕を下ろし、鋭く、そして澄んだ目で、アイラを見つめた。
「彼女の思考を奪うのよ。」
クレアの瞳に射抜かれ、アイラは息を飲んだ。
誰でもない。
クレアの言葉だから、アイラは真に受けた。
自分の生きてきたこの長い人生のなかで間違いなく、クレアは“偉大な人物”だったからだ。
アイラが今までの人生でそう思ったのは、彼女含めたった三人だけ。
今目の前に居る、クレア憤怒が王。
そして、ルチアーノ色欲が王。
最後に彼女の体の持ち主…華綾の曾祖母にあたる、カグヤ嫉妬が王。
だからこそアイラには、今目の前に居る人物の言葉が…偉大なる三人の総意に聞こえてならなかった。
「きっと、きっと、これは今の私にしか出来ない。
彼女の肉体を持って、クレアの記憶を持った、今の“私”にしか…!
彼女のことなんて誰も理解し得ない!」
クレアはそう豪語し、満足気に、そして誰よりも傲慢に、怒りすら感じるような笑みと瞳でアイラを見つめた。
これが、クレアの生きていた時代の憤怒が王だった。
傲慢さえも含んだ憤りと怒り。
全てを覆い、呑み込み、利用してしまう。
きっとアイラはこの長い人生でそんな王を望んでいたのだろう。
誰よりも自信に溢れた、人を正しく導ける…王を。
だからアイラは、もう笑うしかなかった。
自暴自棄になったわけではない。
もう哀しみも嘆きも何かを投げ棄てることも…まして、怠ける必要も惰る必要もない。
笑う以外の感情を選ばなくて良いのだ。
何故なら、ここに彼女が居る。
彼女が王なのだ。
絶対不変の…未来永劫変わらない。
彼女が…皇だ!
だからアイラは笑って、彼女に跪く。
「貴方に付いて行くよ。
我が皇」
そしてクレアはそれが当然であるように笑う。
彼女に怯える汗を…民に悟られぬよう、けれど決してその怯えを忘れぬように。
その怯えと、怯えを知ることが、彼女を強くしたのだから。




