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アルカナの戦慄  作者: 三古谷
00章 「望月の訣別」
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「闇の懐中時計」

少女の持つ古びた懐中時計が、ある時間を示そうとして止まっていた。


けれど少女は胸元のその懐中時計には目もくれず、目の前の本に夢中になっていた。

「…」

やがて少女は、長い睫をもたげ、静かに本を閉じた。


独り、少女は佇む。

無限とも思えるような、この広い空間で…

たくさんの本のなかで…

この本を手にしたのは、偶然だったのか運命だったのか…。

別に大した問題ではない。

少女にとって重要なのは、この本を、この時に読んだということだ。


「それなら、選択肢は一つね」

少女が呟くと、まるでそれが正解だ。とでも言うように空間はみるみるうちに闇に消え…

少女は見慣れた部屋へ戻っていた。


運命だったのなら…、少し、腹立たしい…と瞳を閉じた。


窓から差し込む月明かりが華綾を包み込む。

「居るんでしょう」

華綾が凛とした声を出すと、窓際に人影が現れた。


「連れていくと良いわ。」

華綾はその深紅の瞳で人影を冷たく見つめながら言った。

その判断を下したとは思えない、あまりにも生気のない…熱のない瞳だ。


人影は動揺したように揺らめいたが、すぐに平静を取り戻し少女へ漆黒の手を伸ばした。


この手を取ると言うことの意味を、華綾は目の前にいる人物以上に、深く、知っていた。

自分の犯す蛮行が、どれほどの罪を持つのか。

自分からどれほどの物を失わせるのか。


解らないことは、手に入るものが在るかどうかだけ。

きっと…何もないだろう。

しかし華綾は、そんなものには微塵の興味もない。

その行動は極当然だった。

何か他の道があったはずだ…と誰かが言おうと、華綾はそれを鼻で笑ってこう言う。


『無い。』


故に華綾は、何の躊躇もなく、その手を取るのだ。

「貴方に遣えます。

 おうよ。」

人影は闇から姿を現し深々とかしずき、そして華綾はニヤリと不敵に微笑む。

その笑みの意味が何なのか、人影には解るはずもない。

けれど、人影は華綾へ絶対の忠誠を誓う。


「例え世界を敵に回そうとも」


人影には、華綾の純黒の髪が闇夜にも輝く、黄金の髪に見えていた。











「華綾…?」

俺は誰もいない部屋を前に立ち尽くした。

いつもはベッドの上に丸まっているはずの、双子の姉。

華綾の姿がなかったからだ。


全身から血の気が―


「っ…」

思わず出そうになった声を、俺はなんとか圧し殺した。

下には咲耶しょうか輝耶あきやが居るんだ。

そう。

そうだ。

もしかしたら、すぐに帰ってくるかもしれない。

二人に、無闇に心配させるわけにはいかないだろ…?

まずは父さんと母さんに連絡して…


「…っ」

文字を打つ手が震えてうまくいかない。

早く。早く。と思うほど何度も打ち間違えてしまう。

後から考えてみれば初めから電話で良かったんじゃないかと思ったが、それを考える余裕がないほど俺は動揺していた。


…いや、これは怯えだ。


俺が、こんなにも…、異常なほどに怯えるのには訳がある。

華綾が居なくなったのは、これが初めてではないからだ。


あれはもう、何年前のことだったか。

俺達が二歳の誕生日を前にした…

…そう、1月11日の、満月の…夜明けに近い時間だった。

母さんは今では想像もつかないほど、動揺して…。

父さんもそれを落ち着かせようとしてたけど、父さん自身も憤っている様子だった。

でも、そんな二人をよそに、華綾は2週間後にひょっこり帰ってきた。

母さんも父さんも泣いて喜んでいたのをよく覚えてる。

俺も離れたところで安心したのは覚えてる。


「…」

そんなことを思い出していると、俺は少しだけ安心してきて連絡を終えられた。

…とりあえず、咲耶と輝泰を学校に送って…。

俺は、今日は休もう………。

もしかしたら、まだ近くに居るかもしれない。


「お兄ちゃーん?」

下から聞こえてきた咲耶の声に、俺は肩を震わせた。


「ぉ…おお!」

俺は声を震わせないように全力で意識を集中させた。

自信はないが、そこまではおかしくなかったはずだ。

俺は深呼吸を数回してから、二人の居る下に降りた。


「…姉さんは?」

朝メシを食べてた輝耶が、一人で降りてきた俺に聞いてきた。


「ああ、先に行くって行ってたの忘れてた。」

「先に?」

「ああ、父さん達の手伝いだって。」

ポッと出た答えにしては我ながら良い言い訳だった。

華綾は俺ら四人のなかで、ずば抜けて…?

強いらしいから、偶にだけど父さんか母さんの手伝いに行くことがある。

個人的には、そんなに変わらないと思うが。

手伝いって言うのは要するにアンゲルスの仕事だ。

一応、華綾はアンゲルスに所属している。

正確には能力者である認定を受けているだけで、戦う義務はない。

権利があるだけだな。


俺は…と言うと、華綾の稀に見る大反対で結局入らなかった。

あの時は…ホント修羅場だったなぁ…。

咲耶も同様だったが、俺を見てたのですぐ折れた。

輝耶は、そもそも行きたいと言わなかった。


「そうなんだ!

 ごちそうさまー!」

朝メシを食べ終えた咲耶は、特に気に止めない様子で食器をシンクに置いた。


「あ、ぼ、僕も!」

輝泰も食べ終えた食器を慌ててシンクに置いた。


「じゃあ、お兄ちゃん!

 行ってきまーす」

「行ってきます」

二人はランドセルを背負って、玄関の外へ出ていった。


「おお、いってらっしゃい。

 車には気を付けてなー」

俺は玄関まで二人を見送った。


俺はポケットから端末を取り出して学校に電話を掛けた。

休む理由は…まあ、体調不良でいいだろう。




「…」

連絡を終え端末を見ると、父さんから連絡が来ていた。

俺は驚いて、慌てて折り返しを掛けた。

どうやら、学校と連絡している間に来ていたらしい。


僅かな呼び出し音の後に、すぐに父さんが出た。

『綾雅か!

 華綾は何時から居なかった!?』


『わかんねぇ!

 朝起こしに行ったら、もう居なかった!』

夜におやすみを言ったのは家族全員が知っていることだ。

そこから朝までだから…俺が知る限りの空白は九時間だ。


『わかった。

 とりあえずお前はアンゲルスに来い。

 咲耶と輝泰は?』


父さんの問いに、俺は首を振った。

「伝えてない。

 …とりあえず、学校に行かせた。

 さっき行かせたばっかだから、呼び戻すか?」

今走れば間に合うだろう。

ケータイも持ってるはずだし。


『いや、良い。

 お前も、学校に行けるならその方が良いが…』


「俺も探したい!」

間髪入れずに俺は言った。

絶対に。

絶対に何もしないでいるなんて嫌だ。


『だよな…。

 お前も十分危険だ。』

父さんの言葉に、俺は唇を噛んだ。

危険なら…本当に危険なら、どれほど良かったか!!!

「俺は誘拐されない!」

されないから…、だから余計に…。


『は…?

 何でそう言える?!』


「前だってされたのは華綾だけだろ!?」

アンゲルスのことだって、何時だって華綾だけだ。

華綾だけが、危ない目に遭って、大勢に必要とされて、奪われて。

俺たち、四人姉弟のなかで…華綾だけが。


『覚えてたか…。

 だが、次はされない保証がどこにある?

 お前達は姉弟なんだ。』

しっかりと、ハッキリ父さんは口にした。

それに偽りがないことは犇々と伝わってくる。


けど…だけど、

「じゃあ!

 じゃあなんで華綾だけ…!」

華綾だけが、俺たち他の姉弟と違うんだ。

何で…何で…、華綾の能力は父さんも母さんも持たない闇なんだ!


『長女だからだ!』


高らかに宣言した父さん。

「…………なんだその理由。」

父さんはそういう人だ。

元気一杯に訳の解らない言動を取る。


『適当につけた!』

ホントに…意味わかんねぇ…………


『大丈夫だ。

 華綾は絶対帰ってくる。

 お前は、アンゲルスで待っててくれ。』

丸め込められそうになって、俺は慌てて口を開いた。

「でも…!」


『…咲耶と輝泰を守ってくれ。』

優しい、穏やかな声に、俺は押し黙った。

そんな言い方をされたら…、何も言えない。

だって、俺が一番解ってる。


俺は無力だ。


喚いて騒ぐことしかできない。

何かを倒すことも、誰かを見つけることも、何かを決断することも出来ない。

ただ、現状に甘えて、そこに居続けたいと願うことしか出来なかった。

俺は餓鬼だ。

無力で無能な、お荷物でしかない。


「………解った。」

俺の返答に電話は切られた。

俺は項垂れ、重い足取りでアンゲルスへ向かった。

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