初めての魔物討伐
最近、少しだけ身体が軽くなった気がする。
いや、体重が減ったという意味じゃない。
動きやすくなった、という方が正しいだろう。
「よっ、と!」
俺は地面に引かれた線を飛び越え、着地と同時に身体の向きを変えた。
以前なら、ここでふらついていた。
でも、今は違う。
ぐらついた身体が、自然と元の姿勢に戻る。
「……おお、いい感じ!」
《平衡感覚 Lv.1》。
三週間ほど前に自然習得したスキルだ。
効果は、身体のバランスが少しよくなるだけ。
相変わらず地味な能力だけど、最近はそのありがたさが分かってきた。
特に、足運びの練習との相性がいい。
「レオン坊ちゃん、随分と動きがよくなりましたね!」
ガルドさんが感心したように言った。
「本当!?」
「ええ。最初の頃は木剣を構えるだけでふらふらしていましたから」
「……それは言わないでよ」
「はっはっは!」
ガルドさんは豪快に笑った。
俺もつられて笑う。
訓練を始めてから、毎日が楽しい。
前世では、運動が特別好きだったわけじゃない。
でも、この世界では違う。
自分の努力が、身体の動きやスキルという形で確認できる。
それが面白くて仕方ないのだ。
「ただし、坊ちゃん」
「ん?」
「動きがよくなったからといって、魔物と戦えるわけではありませんからね」
「……分かってるよ」
「本当ですか?」
「……たぶん」
「レオン坊ちゃん!」
あれ?
このやり取り、前にも誰かとしたような気がするな。
◇
その日の午後。
俺は屋敷の裏手にある菜園へ向かっていた。
目的は、もちろん《収集》の練習だ。
訓練場では身体を鍛え、午後は魔力を使う。
そんな生活を続けているうちに、最大MPも少しずつ増えていた。
今では三千を超えている。
鑑定の儀では九百八十七だったことを考えると、かなりの成長だ。
もっとも、魔法スキルを持っていない俺には、相変わらず使い道がほとんどない。
だから今日も、小石や木の実を引き寄せる練習をするつもりだった。
「……さて、今日はどこまで届くかな」
俺は菜園の外れに立ち、少し離れた場所にある木の実を見つめた。
「収集!」
ころころっ。
木の実が転がってくる。
「よし!」
今度は、もう少し遠くにある小石。
「収集!」
ころん。
「……うん。いい感じだ」
最近は、以前よりも遠くの物を引き寄せられるようになっている。
ただし、物が重くなるほど消費MPも増える。
そのため、まだ大きな石や木の枝を動かすのは難しい。
……まあ、焦る必要はない。
少しずつできることを増やしていけばいい。
そんなことを考えていたときだった。
がさっ。
「……ん?」
草むらの向こうで、何かが動いた。
俺は顔を上げた。
がさがさっ。
また音がする。
……何だろう?
庭師さんかな?
そう思いながら耳を澄ませる。
しかし、聞こえてきたのは人間の足音ではなかった。
小さく、素早い足音。
それに、何かが地面を引っかくような音。
「……まさか」
嫌な予感がした。
俺はゆっくりと後ろへ下がった。
その瞬間。
草むらから、一匹のウサギが飛び出してきた。
額には、小さな角が一本。
「……ホーンラビット!?」
思わず声が出た。
間違いない。
以前、死骸から《聴覚強化》を収集した、あの魔物だ。
ただし、今回は生きている。
そして、何より。
……めちゃくちゃこっちを見ている。
「……こんにちは?」
とりあえず挨拶してみた。
当然、返事はない。
代わりに、ホーンラビットが低く身体を沈めた。
……ん?
この姿勢、どこかで見たことがある。
確か、図鑑に書いてあった。
ホーンラビットは、額の角を使って突進する。
その直前には、後ろ足に力をためる。
つまり。
「……やばっ!」
俺は慌てて横へ跳んだ。
次の瞬間。
どんっ!
ホーンラビットが、さっきまで俺のいた場所へ突っ込んできた。
「うわあっ!」
危なっ!
今の、まともに食らっていたら絶対痛かったぞ!
いや、痛いどころじゃ済まないかもしれない。
相手は低級とはいえ魔物だ。
五歳児の身体で角を突き刺されたら、どうなるか分からない。
「……逃げよう!」
俺は迷わず走り出した。
別に、魔物と戦いたくてここに来たわけじゃない。
命あっての物種だ。
ところが。
がさっ!
背後から、再び足音が聞こえた。
振り返ると、ホーンラビットがこちらへ向かってきている。
「……しつこいな!」
俺は菜園の柵に沿って走った。
しかし、前方には木箱や農具が置かれていて、通り抜けられそうにない。
反対側は、背の高い生け垣。
……まずい。
逃げ道を間違えた!
慌てて引き返そうとした、そのとき。
ホーンラビットが再び身体を沈めた。
「……くっ!」
俺は咄嗟に《聴覚強化》を発動した。
周囲の音が鮮明になる。
後ろ足が地面を蹴る音。
草が擦れる音。
そして、一直線に迫ってくる足音。
……右!
俺は身体を横へ投げ出した。
どんっ!
ホーンラビットが木箱に激突する。
箱が大きく揺れ、中に入っていた木の実が地面に散らばった。
「……はぁ、はぁ……」
危なかった。
でも、避けられた。
ガルドさんとの訓練が役に立った!
《聴覚強化》で足音を聞き、《平衡感覚》で姿勢を保つ。
それだけのことだけど、確かに効果があった。
ただし。
「……これ、どうする?」
逃げ道は相変わらず塞がっている。
ホーンラビットはすぐに体勢を立て直し、こちらを睨んでいた。
……仕方ない。
ここを切り抜ける方法を考えよう。
◇
俺は周囲を見渡した。
木箱。
柵。
小石。
落ちている枝。
それから、菜園の端に置かれた小さな木の棒。
……ん?
あれ、何かに使えないだろうか。
俺はホーンラビットを警戒しながら、そっと右手を伸ばした。
「……収集!」
ころころっ。
木の棒が地面を滑り、俺の足元へ転がってきた。
「……よし!」
俺はそれを拾い上げた。
短いけれど、何も持っていないよりはマシだ。
ホーンラビットは再び身体を低くした。
……来る!
俺は木の棒を構えた。
しかし、正面から打ち合うつもりはない。
今の俺に、そんな力はないからだ。
狙うのは、相手の動きを少しだけ変えること。
俺は足元に散らばった木の実へ意識を向けた。
そして、ホーンラビットが動き出す直前。
「……収集!」
木の実の一つが、地面を転がった。
それが、ホーンラビットの前足に触れる。
ほんの小さな変化だった。
しかし。
ぐらっ。
突進しようとしたホーンラビットの身体が、わずかに傾いた。
「……今だ!」
俺は横へ跳びながら、木の棒を振り下ろした。
ごつんっ!
棒がホーンラビットの頭に当たる。
「……やった!?」
しかし。
ホーンラビットは倒れなかった。
むしろ、さらに怒ったようにこちらを睨んでいる。
「……ですよねー!」
分かってた!
五歳児が木の棒で叩いたくらいじゃ、魔物は倒せないよな!
俺は慌てて後ろへ下がった。
そのとき、ふと気づいた。
ホーンラビットの動きが、少し鈍くなっている。
さっき木箱にぶつかったとき、足を痛めたのだろうか。
……いや。
そうだとしても、油断はできない。
もう一度突進されたら、今度こそ危ないかもしれない。
「……どうする?」
考えろ。
前世の知識。
これまでの訓練。
今持っているスキル。
全部使って考えるんだ。
そのとき。
俺の目に、菜園の柵が映った。
木製の柵。
横板の間には、ちょうどホーンラビットの身体が通れそうな隙間がある。
しかし、額の角はどうだろう。
もし、あの隙間に突っ込んだら……。
「……いけるか?」
俺はゆっくりと柵の前へ移動した。
そして、ホーンラビットを見つめる。
「……こっちだ!」
木の棒を軽く振って注意を引く。
ホーンラビットがこちらを向いた。
そして、身体を低くする。
……よし。
来い!
ざっ!
後ろ足が地面を蹴る音。
ホーンラビットが一直線に突っ込んでくる。
俺はぎりぎりまで引きつけた。
近い。
思ったより速い。
……まだだ。
もう少し。
そして。
「……今!」
俺は横へ跳んだ。
身体がわずかに傾く。
でも、《平衡感覚》のおかげで、何とか姿勢を保てた。
次の瞬間。
がんっ!!
鈍い音が響いた。
振り返ると、ホーンラビットの角が柵の横板に深く突き刺さっていた。
「……おおっ!」
成功だ!
ホーンラビットは必死にもがいている。
しかし、角が抜けないらしい。
これなら、安全にとどめを刺せそうだ。
ただし、油断は禁物。
角が抜けたり、柵が壊れたりするかもしれないからな。
俺はホーンラビットの動きをよく観察した。
そして、木の棒を握り直す。
「……よし、一気にいくぞ!」
なるべく動かれないように、横から近づく。
狙うのは頭だ。
中途半端な攻撃では、かえって危険になる。
やるなら、確実に。
「……ていっ!」
俺は木の棒を思い切り振り下ろした。
ごつんっ!
ホーンラビットの動きが、一瞬止まる。
しかし、まだ倒れない。
「……硬いな!」
俺はもう一度、力いっぱい木の棒を振り下ろした。
ごつんっ!
さらに一撃。
ごつんっ!
やがて、ホーンラビットは動かなくなった。
「……はぁ、はぁ……」
俺は少し離れた場所に腰を下ろした。
腕が痛い。
足も震えている。
心臓が、ものすごい速さで鳴っている。
「……倒せた、かな?」
しばらく様子を確認する。
ホーンラビットは、もう動かなかった。
その瞬間。
ぽんっ。
見慣れた音が頭の中に響いた。
【ホーンラビットを討伐しました】
【経験値を獲得しました】
【レベルアップ】
【Lv.1 → Lv.2】
「…………おお?」
レベルアップ!
俺は慌ててステータスを開いた。
【レオン・グランフェルト】
【年齢:5】
【Lv.2】
【HP:38/44】
【MP:3,210/3,412】
【筋力:10】
【耐久:10】
【敏捷:12】
【器用:13】
【知力:14】
【精神:16】
【保有スキル】
《収集 Lv.1》
《聴覚強化 Lv.1》
《平衡感覚 Lv.1》
「……おおおっ!」
レベルが上がった!
HPもMPも、最大値が増えている。
それだけじゃない。
筋力や敏捷などの数値も上昇していた。
確か、以前の俺はこんな感じだったはずだ。
【Lv.1時の能力値】
【筋力:8】
【耐久:8】
【敏捷:9】
【器用:11】
【知力:14】
【精神:15】
……うん。
間違いない。
身体能力が全体的に上がっている。
特に、敏捷は三も増えた。
「……すごい!」
これが、レベルアップか!
今までの訓練でも少しずつ身体は鍛えられていたけれど、こうして数字が変わると、やっぱり嬉しい。
ただ、現在HPとMPは自動で全回復したわけではないらしい。
最大値だけが上昇している。
「……なるほど」
戦闘中にレベルアップしたからといって、無茶ができるわけじゃないんだな。
……っと。
喜んでいる場合じゃない。
せっかく倒したんだ。
今度こそ、《収集》を試さなくちゃ!
俺はホーンラビットへ向き直った。
まだ死んだばかり。
前に見つけた死骸と同じ条件のはずだ。
「……収集!」
【対象:ホーンラビット】
【スキル収集を開始します】
【必要MPを自動投入します】
【投入MP:2,431】
【収集成功率:100%】
【収集成功】
【獲得スキル:《跳躍 Lv.1》】
「……よっしゃあ!」
思わず拳を握った。
成功だ!
しかも、今回は《跳躍》!
ホーンラビットが持っていた、あの高く跳ぶ能力だろう。
「……試してみよう!」
俺はさっそくスキルを発動した。
「跳躍!」
ぴょんっ。
……。
「…………」
もう一度。
「跳躍!」
ぴょんっ。
「……うん」
少し高く跳べた。
ほんの少しだけ。
「……地味だなぁ」
思わず苦笑する。
でも、悪くない。
《平衡感覚》のおかげで着地も安定しているし、これなら訓練にも役立ちそうだ。
それに、今の俺には分かる。
弱いスキルでも、工夫すれば使い道はある。
「……よし!」
俺はステータスを確認した。
【レオン・グランフェルト】
【年齢:5】
【Lv.2】
【HP:38/44】
【MP:779/3,412】
【筋力:10】
【耐久:10】
【敏捷:12】
【器用:13】
【知力:14】
【精神:16】
【保有スキル】
《収集 Lv.1》
《聴覚強化 Lv.1》
《平衡感覚 Lv.1》
《跳躍 Lv.1》
四つ。
これで、スキルが四つになった。
しかも、今のところ全部Lv.1。
……なんだか、少しずつコレクションが増えていくみたいで楽しいな。
◇
「レオン坊ちゃん!!」
突然、背後から大きな声が響いた。
「うわっ!?」
振り返ると、ガルドさんがものすごい勢いで走ってきていた。
「何をしているんですか!!」
「え、えっと……」
ガルドさんは俺の前にしゃがみ込み、全身を確認し始めた。
「怪我は!? どこか痛いところはありませんか!?」
「だ、大丈夫だよ!」
「本当ですね!?」
「うん!」
ガルドさんは大きく息を吐いた。
そして、地面に倒れているホーンラビットを見た。
「……まさか、これを坊ちゃんが?」
「……うん」
「一人で?」
「……うん」
沈黙。
ガルドさんはしばらく何も言わなかった。
そして。
「……馬鹿者!!」
「ひゃっ!?」
ものすごい声で怒鳴られた。
「五歳の子どもが魔物と戦うなど、何を考えているんですか!!」
「だ、だって、逃げられなくて……」
「だったら大声で助けを呼びなさい!!」
「……はい」
ごもっともです。
確かに、逃げることばかり考えて、助けを呼ぶという発想がなかった。
前世の記憶があるくせに、こういうところはまだまだだな。
「……まったく」
ガルドさんは頭を抱えた。
しかし、やがて少しだけ表情を緩めた。
「……よく無事でしたね」
「……うん」
「怖かったでしょう?」
「……ちょっと」
「ちょっと、ですか」
ガルドさんは苦笑した。
「ですが、よく頑張りました」
そう言って、俺の頭を撫でた。
「ただし、二度と一人で魔物と戦おうなどとは考えないこと。いいですね?」
「……分かった」
「本当に?」
「……うん!」
ガルドさんは、もう一度大きなため息をついた。
「……これはアルベルト様にも報告しなければなりませんね」
「……えっ?」
兄さんに?
それは……。
「……怒られる?」
「当然です!」
「……ですよねー」
俺はがっくりと肩を落とした。
初めて魔物を倒したという達成感は、どこかへ吹き飛んでしまった。
……まあ、仕方ない。
命があっただけでも、ありがたいと思うことにしよう。
◇
その日の夜。
俺は兄さんに、たっぷりと説教された。
魔物がどれほど危険なのか。
なぜ子どもだけで戦ってはいけないのか。
何かあったら、まず大人を呼ぶこと。
……全部、正論だった。
「分かったか、レオン?」
「……はい」
「本当に分かったな?」
「……はい」
兄さんは深いため息をついた。
「……まったく。お前は昔から、興味を持つと周りが見えなくなるところがある」
「……ごめんなさい」
「謝るくらいなら、次から気をつけてくれ」
「うん」
兄さんはしばらく俺を見つめていた。
そして、少しだけ笑った。
「……でも、無事でよかった」
「……兄さん」
「お前に何かあったら、俺はどうすればいいか分からないからな」
その言葉が、妙に胸に響いた。
この屋敷では、俺に期待している人間はほとんどいない。
父上も、ほかの兄弟も、俺には興味がない。
でも。
兄さんだけは違う。
「……ありがとう、兄さん」
「礼を言うことじゃないさ」
兄さんは笑って、俺の頭を撫でた。
「さあ、今日はもう休め。疲れただろう」
「うん!」
俺はベッドに潜り込んだ。
そして、兄さんが部屋を出ていった後。
こっそりとステータスを開いた。
【レオン・グランフェルト】
【年齢:5】
【Lv.2】
【HP:38/44】
【MP:779/3,412】
【筋力:10】
【耐久:10】
【敏捷:12】
【器用:13】
【知力:14】
【精神:16】
【保有スキル】
《収集 Lv.1》
《聴覚強化 Lv.1》
《平衡感覚 Lv.1》
《跳躍 Lv.1》
……うん。
間違いない。
レベルが上がっている。
スキルも増えている。
それに、最大MPもまた少し増えた。
「……ふふふ」
思わず笑みがこぼれた。
今日の戦いは危なかった。
もっと余裕を持って戦えるようにならないと、自由な冒険者生活なんて夢のまた夢だ。
でも、確かな手応えもあった。
今までの訓練は、無駄じゃなかった。
《聴覚強化》も、《平衡感覚》も。
あんなに地味だと思っていた能力が、ちゃんと役に立った。
そして、今度は《跳躍》。
これも、使い方次第でいろいろなことができそうだ。
「……よし」
明日からは、もっと工夫して訓練しよう。
ただし、危険な魔物とは戦わない。
少なくとも、今はまだ。
もっと強くなってから。
自分の身を守れるようになってから。
それまでは、できることを一つずつ増やしていこう。
そう決めて、俺は目を閉じた。
いつか、自由に世界を冒険できる日を夢見ながら。




