五歳児の育成計画
朝食を終えた俺は、机の上に一冊のノートを広げていた。
「……よし、こんなもんかな」
そこには、昨日の夜から考えていた訓練メニューが書かれている。
体力づくり。
剣術。
反応速度。
バランス感覚。
そして、魔力の訓練。
五歳児が考える内容にしては、なかなか本格的なんじゃないだろうか。
まあ、中身を考えているのは元大人なんだけど。
「さて、問題はこれをどうやって続けるかだな」
前世でも、運動が身体にいいことくらいは知っていた。
でも、やみくもに鍛えればいいわけじゃない。
確か、同じ運動ばかり繰り返すより、目的に合わせて練習を分けた方が効率的だったはずだ。
それに、休息も必要だ。
何より今の俺は五歳。
前世と同じ感覚で無茶をすれば、身体を壊しかねない。
そこで、俺は一日の訓練を短い時間に分けることにした。
朝は軽い運動。
午前はガルドさんとの剣術練習。
午後はバランスや反応速度を鍛える遊び。
夕方は《収集》を使った魔力訓練。
もちろん、家庭教師の授業や食事の時間もあるので、毎日全部できるとは限らない。
でも、できる範囲で続けていけばいいだろう。
「……継続は力なり、ってやつだな」
俺は満足してノートを閉じた。
◇
「おっ! レオン坊ちゃん!」
訓練場に到着すると、ガルドさんがいつもの豪快な笑顔で迎えてくれた。
「今日も元気そうですね!」
「おはよう、ガルドさん!」
「おはようございます。さて、今日は足運びを中心にやってみましょうか」
「うん! あ、その前にちょっと見てほしいものがあるんだけど」
「見てほしいもの?」
俺は持ってきたノートを差し出した。
「これ!」
ガルドさんは不思議そうに受け取り、ページをめくった。
「……ほう?」
そこには、俺が考えた訓練メニューが書かれている。
「朝は体操。午前は剣術。午後は……片足立ち?」
「うん! バランスを鍛えようと思って」
「なるほど……」
ガルドさんは感心したように頷いた。
「坊ちゃん、これをご自分で考えたんですか?」
「うん!」
「ほう……五歳でここまで考えるとは」
少し驚いた顔をしている。
まあ、普通の五歳児はこんなこと考えないよな。
「でも、どうして片足立ちなんです?」
「昨日、ガルドさんが剣を振るとき、身体が全然ぶれなかったから!」
「……ほう?」
「俺は剣を振るだけでふらふらするし、まずは身体を支えるのが大切かなって」
ガルドさんはしばらく俺を見つめた。
それから、にやりと笑った。
「いいところに気づきましたね」
「本当!?」
「ええ。剣術は腕だけで行うものではありません。足腰がしっかりしていなければ、どんなに強く剣を振っても姿勢が崩れてしまいます」
やっぱり!
俺の考えは間違っていなかったらしい。
「ただし」
ガルドさんはノートを指で軽く叩いた。
「これを毎日全部やるつもりなら、少し考え直した方がいいですね」
「えっ?」
「坊ちゃんはまだ五歳です。身体を鍛えることは大切ですが、疲れた状態で無理をすると、かえって上達を妨げることもあります」
「……なるほど」
「ですから、まずは短い時間で、いろいろな動きを経験することから始めましょう」
そう言って、ガルドさんはノートにいくつか印をつけた。
「今日は、この三つをやってみましょうか」
片足立ち。
左右への移動。
そして、足音を聞いて動く練習。
「……おお!」
いいじゃないか!
さすが現役の騎士だ。
前世の知識だけでは分からない、実際の身体の動かし方を教えてくれる。
「ありがとう、ガルドさん!」
「はっはっは! 礼は訓練が終わってからにしてください!」
◇
最初の練習は片足立ちだった。
「じゃあ坊ちゃん、まずは右足で立ってみてください」
「うん!」
俺は片足を上げた。
ぐらっ。
「うわっ!」
危うく転びそうになる。
「はっはっは! 慌てなくていいですよ!」
ガルドさんが笑う。
「目線を一点に向けて、身体の力を抜いてみてください」
「……こう?」
「そうそう」
もう一度挑戦する。
一秒。
二秒。
三秒。
……ぐらっ。
「あっ!」
また失敗。
「……難しいな」
「最初はそんなもんです」
ガルドさんは笑った。
「でも、少しずつ続ければ、自然と身体が覚えていきますよ」
なるほど。
やっぱり、基礎からやるしかないか。
俺は何度か挑戦した。
右足。
左足。
また右足。
何度も繰り返すうちに、少しずつ長く立てるようになってきた。
「……五秒!」
「おお、いいですね!」
「やった!」
たった五秒。
でも、さっきまで三秒も立てなかったんだから、立派な進歩だ。
こういう小さな成長って、結構嬉しいものだな。
◇
次は左右への移動。
地面に引かれた二本の線の間を、素早く行き来する練習だ。
前世でいう反復横跳びに近い。
「よし、いきますよ!」
「うん!」
「右!」
俺は右へ跳ぶ。
「左!」
今度は左。
「右!」
「左!」
「右!」
……うわっ!
足がもつれた。
べしゃっ。
見事に転んだ。
「……いたた」
「大丈夫ですか?」
「うん……」
ガルドさんが手を差し伸べてくれる。
俺はその手を借りて立ち上がった。
「少し急ぎすぎましたね」
「……うん」
「速く動こうとするより、まずは正確に動くことです」
なるほど。
前世でも似たような話を聞いたことがある。
フォームを崩して速く動くより、正しい動きを身につけた方が結果的に上達する。
そういうことだろう。
「……よし、もう一回!」
「はっはっは! いいですね!」
◇
最後は、音を使った反応練習だった。
ガルドさんが俺の後ろに立ち、左右どちらかで手を叩く。
俺はその音を聞き、叩かれた方向へ身体を向ける。
簡単そうに見えるけど、これが意外と難しい。
特に、音が小さいと判断に迷う。
「……よし」
俺は小さく呟いた。
「聴覚強化」
周囲の音が、少しだけ鮮明になる。
昨日と同じ感覚だ。
「いきますよ!」
ぱんっ!
右!
俺はすぐに身体を向けた。
「正解!」
ぱんっ!
左!
「正解!」
ぱんっ!
右!
「正解!」
「おおっ!」
いい感じだ!
ただ、ガルドさんも簡単には褒めてくれなかった。
「じゃあ、今度は少し意地悪しますよ」
「えっ?」
「音を聞くだけじゃなく、周囲の状況も考えてみてください」
そう言って、ガルドさんは少し離れた場所へ移動した。
ぱんっ!
……右?
いや。
音が少し変だ。
俺は迷いながら左を向いた。
「残念!」
「ええっ!?」
ガルドさんが笑った。
「今のは、壁に反射した音です」
「……反射?」
「ええ。音というのは、必ずしも聞こえた方向から来るとは限りません」
なるほど……。
そういえば、前世でも音の反射について習ったことがある。
山で叫ぶと声が返ってくる、あの現象だ。
「……そっか」
単純に音が大きく聞こえる方向だけを頼りにしていたら、間違えることもある。
だったら、音の響き方や、周囲の状況も考えなくちゃいけない。
……面白い。
たった一つの《聴覚強化》でも、こんなに考えることがあるんだな。
◇
それから、俺は毎日のように訓練を続けた。
もちろん、家庭教師の授業がある日や、身体が疲れている日は休む。
無理をしても、いいことはないからだ。
訓練の内容も少しずつ変えていった。
片足立ちができるようになったら、今度は足を上げる高さを変えてみる。
左右への移動に慣れたら、動く方向をランダムにしてみる。
音の練習では、目を閉じたり、少し離れた場所から音を出してもらったり。
そして、毎日ノートに記録した。
何ができたか。
何ができなかったか。
どうすれば上手くいったか。
前世で何かを練習するときも、こうして振り返ることが大切だと聞いたことがある。
実際にやってみると、これが意外と面白い。
昨日できなかったことが、今日は少しできる。
今日できなかったことが、明日はできるかもしれない。
そんな小さな変化が、毎日の楽しみになっていた。
そして、三週間ほどが経ったある日。
俺はいつものように、訓練場で片足立ちをしていた。
「……よし」
右足を上げる。
身体の重心を意識する。
目線を一点に固定。
肩の力を抜く。
一秒。
二秒。
三秒。
……十秒。
……二十秒。
おお。
今日は調子がいい。
そう思った瞬間だった。
ぽんっ。
頭の中で、小さな音が響いた。
「……ん?」
目の前に、見慣れた半透明の文字が浮かんでいた。
【特定の習得条件を達成しました】
【新しいスキルを獲得しました】
【《平衡感覚 Lv.1》】
「…………え?」
俺は思わず足を下ろした。
平衡感覚?
……スキル?
慌ててステータスを開く。
【レオン・グランフェルト】
【年齢:5】
【Lv.1】
【HP:38/38】
【MP:2,743/2,743】
【保有スキル】
《収集 Lv.1》
《聴覚強化 Lv.1》
《平衡感覚 Lv.1》
「……増えてる」
俺は何度も画面を見返した。
間違いない。
新しいスキルが増えている。
しかも、今回は魔物から収集したわけじゃない。
自分で訓練して、獲得したのだ。
「……マジか」
思わず笑みがこぼれる。
そういえば、兄さんが言っていた。
スキルは生まれ持ったものだけじゃなく、訓練や経験によって新しく習得することもできる、と。
でも、実際に自分で習得できるとは思わなかった。
「……すごい!」
俺は興奮しながら、もう一度片足立ちをしてみた。
すると。
「……おお?」
さっきより、少しだけ身体が安定している気がする。
大きな違いではない。
でも、確かに違う。
ふらついても、自然に姿勢を戻しやすくなっている。
「……これが、平衡感覚か」
地味だ。
ものすごく地味。
でも。
「……いいじゃん!」
俺は思わず笑ってしまった。
今までの練習が、ちゃんと形になった。
それが何より嬉しかった。
◇
「坊ちゃん、今日は随分と嬉しそうですね」
訓練を終えた俺に、ガルドさんが声をかけてきた。
「うん! ちょっといいことがあったんだ!」
「ほう?」
「片足立ちが上手くなった!」
「はっはっは! それは素晴らしい!」
ガルドさんは笑いながら、俺の頭を撫でた。
「毎日頑張った成果ですね」
「うん!」
「でも、これからが大切ですよ」
「これから?」
「ええ。できるようになったことを、今度は別の場面でも使えるようにするんです」
……なるほど。
確かに。
片足立ちができるようになったからといって、それだけで剣術が上手くなるわけじゃない。
動きながら姿勢を保てるようになって、初めて戦闘で役立つ。
「……分かった!」
俺は元気よく頷いた。
そして、心の中で考える。
もし、訓練で新しいスキルを獲得できるなら。
ほかにも、いろいろな能力を手に入れられるんじゃないだろうか。
例えば、足音を聞く練習を続ければ、音の方向を正確に判断するスキルが手に入るかもしれない。
周囲の変化を意識して見続ければ、観察に関するスキルが手に入るかもしれない。
……いや、待てよ。
これ、ものすごく面白いんじゃないか?
「……ふふふ」
俺は自然と笑っていた。
《収集》で魔物から能力を手に入れる。
訓練によって、自分でもスキルを獲得する。
その二つを組み合わせれば、もっといろいろなことができるようになるはずだ。
もちろん、簡単にはいかないだろう。
スキルを一つ獲得するのにも、何週間もかかったのだから。
でも、それでいい。
どうせ、今の俺には時間がたくさんある。
急ぐ必要なんてない。
少しずつ。
一つずつ。
できることを増やしていこう。
そして、いつか。
誰にも頼らず、自由に冒険できるようになってやる。
俺はそんな未来を思い描きながら、訓練場を後にした。




