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小さな英雄

 北の森に近づくにつれ、景色が変わっていった。


 倒れた木々。地面に残る大きな溝。そして、途中からぷつりと途切れた獣道。


 森の一部を、巨大な何かが丸ごと持ち去ったようだった。


「……本当にスライムの仕業なのか?」


 俺は馬上から周囲を見渡した。


 父上から聞いた《グラトニア》という魔物。


 何でも飲み込み、取り込んだ分だけ身体を大きくしていく、災厄級のスライムらしい。


 スライムと聞くと、どうしても小さなぷるぷるしたやつを思い浮かべるんだけどな。


「レオン様、前方にアルベルト様の部隊が見えます」


 護衛の騎士に言われ、顔を上げた。


 木々の間から、見慣れた二人の姿が現れる。


「ガルドさん! 兄上!」


「おお、坊ちゃん!」


「レオンまで来たのか」


 馬から下りると、兄上が近づいてきた。


「無事でよかったです!」


「ああ。心配をかけたな」


 兄上は笑ったが、鎧には泥がつき、頬に小さな傷があった。


 ガルドさんも普段どおり立っているものの、いつもより表情が硬い。


「坊ちゃん。今回の相手は、これまでとは違いますぞ」


「はい。父上から聞いています」


「うむ。くれぐれも油断なさらぬよう」


 ガルドさんがそう言うなんて。


 よっぽど厄介な相手なんだろうな。


     ◇


「状況を報告しろ」


 父上の言葉に、兄上が地図を広げた。


「発見時より南下が進んでいます。周囲の木々や岩を取り込み、体積も増し続けています」


「現在地は?」


「ここです。最も近い集落までは、まだ距離があります」


「避難は?」


「北部の集落はほぼ完了しました。残る地域にも指示が届いています」


「よし」


 父上は地図をたたんだ。


「王都への援軍要請は済ませてある。だが、到着を待つ余裕はない」


 ガルドさんが頷いた。


「ええ。あれ以上巨大になれば、核へ攻撃を届かせること自体が不可能になるかもしれませぬ」


「ならば、今ある戦力で突破口を開く」


 父上は集まった騎士たちを見渡した。


「全員、戦闘準備!」


 力強い返事が響いた。


 俺も腰の《蒼牙》を確かめる。


 いよいよか。


     ◇


「…………は?」


 森の開けた場所に出た瞬間、思わず声が漏れた。


 目の前に、黒紫色の丘があった。


 いや、丘じゃない。


 動いている。


 ゆっくりと広がる半透明の巨体が、周囲の木々を次々と包み込んでいた。


 飲み込まれた大木は、幹も枝も身体の奥へ沈んでいく。


 そして、その分だけ巨体が膨らむ。


「……これが、グラトニア?」


「ええ」


 ガルドさんが答えた。


「もはや、通常のスライムとは似ても似つきませぬな」


 確かに。


 あんなものが村に入ったら、家も畑も全部飲み込まれてしまう。


 しかも、今この瞬間も大きくなっている。


「魔法部隊、前へ!」


 父上の号令が響いた。


 騎士たちが左右へ展開し、魔法使いたちが杖を掲げる。


「放て!」


 炎が走った。


 風の刃が空を裂き、岩の槍が巨大な身体へ突き刺さる。


 続いて騎士たちが前進し、斬撃を浴びせた。


 ドドドドンッ!


 轟音が森を揺らした。


 黒紫色の身体が吹き飛び、巨大な塊が周囲に飛び散る。


「おおっ!」


 思わず声が出た。


 すごい。


 あれなら――。


 ぐにゅり。


 地面に落ちた塊が動いた。


 いくつもの塊が互いに寄り合い、次々と一つになる。


 そして、再び巨体へ戻っていった。


「……嘘だろ」


 騎士の一人が呟いた。


 だが、父上は止まらない。


「攻撃を続けろ! 核の周囲へ集中させる!」


 魔法が再び放たれる。


 ガルドさんが地面を蹴った。


「ぬおおおっ!」


 巨大な触手を斬り飛ばし、そのまま本体へ斬り込む。


 一撃、二撃、三撃。


 剣が閃くたびに、黒紫色の巨体が裂けていく。


 兄上も別の方向から攻撃を仕掛けた。


 父上の剣が、巨体の側面を大きくえぐる。


 そこへ魔法部隊の炎が叩き込まれた。


 爆発。


 飛び散る黒紫色の塊。


 さらに追撃。


 息つく暇もないほどの猛攻だった。


 なのに。


 グラトニアは、倒れない。


 斬り飛ばした部分は再び一つになり、吹き飛ばした身体も戻ってくる。


 しかも、攻撃の間にも触れた木々を飲み込み、少しずつ大きくなっていた。


「……くそっ!」


 兄上が歯を食いしばった。


「ガルド! 右側を頼む!」


「承知!」


 ガルドさんが駆け、再び剣を振るう。


 その顔には、いつもの笑みがない。


 額には汗が浮かび、息も荒くなっていた。


 ……ガルドさんが、あんな顔をするなんて。


「レオン! 雷撃を!」


 父上の声が飛んだ。


「はい!」


 俺は右手を突き出した。


 狙うのは、半透明の身体の奥に見える赤黒い球体。


 あれが核だ。


「《雷撃》!」


 青白い雷が一直線に走った。


 バリバリバリッ!


 雷は黒紫色の身体へ食い込み、内部で激しく弾けた。


 しかし、核に届く前に勢いを失ってしまう。


「……駄目か」


 もう一度。


 今度は魔力を増やして放つ。


「《雷撃》!」


 激しい雷光が巨体を照らした。


 だが、結果は同じだった。


 赤黒い核は、何事もなかったように身体の奥で揺れている。


 俺は手を下ろした。


 ……雷も届かないのか。


     ◇


 どれほど攻撃を続けただろう。


 魔法が途切れ、剣を振るう音も次第に少なくなっていった。


「はぁ……はぁ……」


 ガルドさんが剣を地面に突き立てた。


 肩が大きく上下している。


「……これほどとは……」


 兄上も膝に手をつき、荒い息を吐いていた。


 父上は剣を握ったまま、グラトニアを睨んでいる。


 その額から、汗が滴り落ちた。


「魔法部隊! 攻撃を続けられる者は!」


「……申し訳ありません。もう、魔力が……」


 魔法使いの一人が、その場に膝をついた。


 ほかの者たちも疲れ切っている。


 それでも、目の前のグラトニアは動きを止めない。


 ずるり。


 また一本、大木が飲み込まれた。


「……くそっ!」


 若い騎士が地面を殴った。


「あと少しで、俺の村に着いちまう……!」


 隣にいた兵士が顔を向けた。


「お前、あの辺りの出身だったな」


「ああ。妻と娘がいるんだ。避難はしたって聞いたけど……家も、畑も、全部……」


 騎士は歯を食いしばった。


「……俺、何のために騎士になったんだよ……」


 誰も答えられなかった。


 少し離れた場所では、別の兵士がグラトニアを見上げている。


「……あんなもの、どうやって止めるんだ」


「ここを抜けられたら、次は別の領地だぞ……」


「……王都まで行くっていうのか?」


 その声には、隠しきれない恐怖が混じっていた。


 父上は、そんな兵士たちの前へ歩み出た。


「まだ終わっていない!」


 鋭い声が響いた。


「我々がここで倒れれば、領民を逃がす時間すら失われる。グランフェルト領だけではない。この魔物を止めなければ、いずれ王国全体が危険にさらされる!」


 父上は剣を握り直した。


「動ける者は防衛線を維持しろ。負傷者と魔力を使い果たした者は後退せよ!」


 兵士たちが、再び立ち上がろうとする。


 だが、身体は限界に近かった。


 ガルドさんも大きく息を吸い、剣を持ち上げた。


「……まだ、終わってはおりませぬぞ」


 その声にも、いつもの力強さはなかった。


 目の前では、巨大なスライムが何事もなかったように森を飲み込み続けている。


 ……なるほど。


 みんな、もう打つ手がないと思っているんだ。


 俺は周囲を見渡した。


 疲れ切った騎士たち。


 膝をついた魔法使いたち。


 必死に立ち上がろうとするガルドさん。


 ……でもなぁ。


 なんか、何とかなる気がするんだよな。


 いや、別に何か策があるわけじゃないんだけど。


 何でだろ?


 俺はもう一度、グラトニアを見上げた。


 半透明の巨体。


 その奥に浮かぶ、赤黒い球体。


 ……核か。


 あれさえ壊せば倒せるんだよな。


 でも、攻撃が届かない。


 直接攻撃できればいいんだけど……。


 んー。


 なんか引っかかるんだよなぁ。


 何だっけ?


 核……直接……。


 見えてはいるんだよな。


 こんなにはっきり。


 ……ん?


 そもそも、こっちから攻撃を届かせる必要があるのか?


 あの核を、こっちに持ってくれば……。


 …………あっ!


 そうか、《収集》!


 核をこっちに引き寄せればいいんじゃないか?


 ……いやいや、待て待て。


 そんな簡単にいくか?


 相手は災厄級だぞ?


 ゲームでラスボスに即死魔法が効いちゃうようなもんだろ、それ。


 いや、でも……。


 別に核を壊そうってわけじゃない。


 ただ、こっちに持ってくるだけだ。


 小枝を拾うのと、やることは変わらない……はず。


 ……いやいや! 小枝と災厄級の魔物の核を一緒にするなよ、俺!


 どう考えても無理があるだろ。


 ……でもなぁ。


 そもそも、生きている魔物の身体の中にあるものまで取れるのか?


 ……知らん。


 試したことないし。


 んー……。


 できないと決まったわけでもないんだよな。


 ……まあ、試すだけならいいか。


 俺は何気なく右手を伸ばした。


「《収集》」


 スポンッ!


「……お?」


 赤黒い核が、俺の手のひらに収まった。


 抵抗も、手応えもない。


 本当に、小枝を引き寄せたときと同じ感覚だった。


 俺は反対の手を振り下ろした。


「えいっ」


 ピシッ。


 パキンッ!


 核が割れた。


 その瞬間。


 ずるっ。


 山のようなグラトニアの身体が、崩れ始めた。


 黒紫色の巨体が形を失い、地面へ広がっていく。


 そして、跡形もなく消え去った。


「…………」


 俺は手元に残った核の欠片を見た。


 それから、周囲を見渡す。


 ガルドさんは剣を地面に突いたまま、固まっていた。


 兄上は膝に手をついた姿勢のまま、こちらを見ている。


 父上も剣を握ったまま、動かない。


 さっきまで家族や故郷を案じていた騎士たちも、呆然と俺を見つめていた。


 ……あー。


 えっと。


 この空気、どうしたらいいんだ?


「……なんか、本当にすみません」


 誰も答えない。


 いや、何か言ってくれ。


 ものすごく気まずいんだけど。


「…………坊ちゃん」


 最初に口を開いたのは、ガルドさんだった。


「は、はい」


「……今、何をなされた?」


「えっと……核を取って、割りました」


「…………」


 ガルドさんは、俺の手元を見た。


 それから、グラトニアがいた場所を見た。


 もう一度、俺を見る。


「……そう、ですか」


 どさっ。


 ガルドさんが、その場に座り込んだ。


「ガ、ガルドさん!?」


「……はっ」


 小さな笑い声が漏れた。


「はっはっは……」


 そして。


「がっはっはっはっは!」


 突然、ガルドさんが腹を抱えて笑い始めた。


「坊ちゃん! いやはや、参りましたぞ!」


「えっ?」


「あれほど斬っても斬っても倒せなかった相手を、核を取って一撃とは! がっはっは!」


 笑いながら、ガルドさんは額の汗を拭った。


 兄上も、ようやく顔を上げた。


「……レオン。お前、本当に……」


 そこまで言って、言葉を失う。


 代わりに、苦笑が浮かんだ。


「……いや、何でもない。助かったよ」


「兄上……」


 父上はしばらく黙っていた。


 そして、ゆっくりと剣を鞘へ納めた。


「……レオン」


「はい!」


「お前という子は、本当に……」


 父上は大きく息を吐いた。


 その表情から、ようやく緊張が抜けた。


「……よくやった」


 そう言って、俺の頭に手を置いた。


「お前のおかげで、多くの命が救われた」


「……はい!」


 周囲から、ぽつりぽつりと声が上がり始める。


「……助かったのか?」


「本当に……終わったのか?」


「……俺たち、生きてる……?」


 誰かが笑った。


 別の誰かが、その場に座り込んだ。


 そして、ようやく歓声が上がった。


「うおおおおっ!」


「やったぞ!」


「グラトニアを倒したんだ!英雄だ!英雄の誕生だ!」


 さっきまで絶望に沈んでいた人たちが、抱き合って喜んでいる。


 俺はその様子を眺めながら、ようやく少しだけ笑った。


 ……まあ、何はともあれ。


 みんな無事でよかった。

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