領主の決断
その日、グランフェルト家の屋敷は、いつになく慌ただしかった。
俺が訓練場で剣を振っていると、門の方から馬の蹄の音が聞こえてきた。
「急報! 北の森より急報です!」
聞き慣れない切迫した声。
振り返ると、泥だらけの騎士が馬から飛び降り、屋敷へ駆け込んでいくところだった。
北の森?
まさか、兄上たちに何かあったのか?
俺は木剣を置き、慌てて後を追った。
◇
「……グラトニア、だと?」
執務室の扉の向こうから、父上の声が聞こえた。
俺は思わず足を止めた。
グラトニア?
聞いたことのない名前だ。
「間違いありません。ガルド殿が古い戦記に記された魔物と一致すると判断されました」
伝令の騎士が答える。
「現在も北の森を南下中。すでに相当な大きさとなっており、調査隊だけでの討伐は不可能とのことです」
「アルベルトとガルドは?」
「ご無事です。現在は距離を取りながら、魔物の動向を監視しております」
俺は胸を撫で下ろした。
よかった。
二人とも無事なんだ。
だが、父上の表情は険しかった。
「……グラトニア。まさか、あれが再び現れるとはな」
父上は立ち上がり、机の上に広げられた領地の地図を見下ろした。
「北部の集落に避難命令を出せ。まずは森に近い村からだ。街道の通行も制限する」
「はっ!」
「領軍には出動準備を命じろ。魔法を扱える者を優先して集める。王都へも至急使者を送れ」
父上の指示を受け、控えていた家臣たちが次々と部屋を出ていく。
その動きに迷いはなかった。
どうやら、ただ事じゃないらしい。
俺は扉を軽く叩いた。
「父上、レオンです。入ってもよろしいですか?」
「……レオンか。入れ」
扉を開くと、父上は地図から顔を上げた。
「話を聞いていたのか?」
「はい。北の森で何かあったんですよね?」
父上は少し考えてから頷いた。
「ああ。非常に危険な魔物が現れた」
「どんな魔物なんですか?」
「《グラトニア》という、巨大なスライムだ」
「スライム?」
思わず聞き返した。
スライムなら、魔物の中でも比較的弱い種類のはずだ。
もちろん種類による違いはあるだろうけど、ガルドさんや兄上が苦戦する相手とは思えない。
「普通のスライムとは違う。あらゆるものを取り込み、自分の身体と一つにする。食えば食うほど巨大になる魔物だ」
「……そんなスライムがいるんですか?」
「ああ。かつて王国軍が総力を挙げて討伐した記録がある」
父上は地図の北側を指した。
「現在、グラトニアはこの辺りにいる。南下を続ければ、いずれ領内の集落に達するだろう」
「それなら、早く倒さないと……」
「そのとおりだ」
父上の声が低くなった。
「しかも、厄介なのは大きさだ。体内にある核を破壊しなければ倒せないが、巨大になるほど核まで攻撃が届かなくなる」
俺は息を呑んだ。
ガルドさんでも倒せないのか。
あの人は、俺が知る限りとんでもなく強い。
そのガルドさんが、手を焼いている。
「父上……俺も連れていってください」
気づけば、そう口にしていた。
父上が俺を見た。
「……何?」
「俺も討伐隊に加えてほしいんです」
「レオン。お前はまだ八歳だ」
「分かっています。でも、ガルドさんたちが倒せない相手なんですよね?」
「ああ」
「だったら、少しでも違う攻撃を試した方がいいんじゃないでしょうか」
俺は自分の手を見つめた。
《雷撃》。
ヴァルグリオンとの戦いで手に入れた能力だ。
あれから何度も練習し、以前より扱いには慣れてきている。
「俺には《雷撃》があります。剣が届かなくても、雷なら核まで届くかもしれません」
父上は黙った。
しばらく、俺の顔を見つめている。
「……確かに、お前の雷は通常の魔法とは異なる」
父上はゆっくりと口を開いた。
「だが、届く保証はない。相手は、王国を滅亡の危機に追い込んだと伝わる魔物だ」
「はい」
「何かあれば、命を落とす」
その言葉に、俺は思わず唾を飲み込んだ。
怖くないわけじゃない。
ヴァルグリオンとの戦いだって、今思い出せば危ない場面がいくつもあった。
でも――。
「……それでも、俺にできることがあるなら試したいです」
父上は目を閉じた。
しばらく、何も言わなかった。
やがて、静かに息を吐く。
「レオン。私はお前を危険な目に遭わせたいわけではない」
「……はい」
「だが、領主として、この土地に暮らす者たちを守る責任がある」
父上は地図へ視線を落とした。
「王都からの援軍を待つ時間すら惜しい。使える手段を、最初から捨てるわけにはいかん」
そして、再び俺を見た。
「条件がある」
「……!」
「お前を討伐隊に同行させる。ただし、現地での指揮は私とアルベルトが執る。ガルドの護衛から離れることも、勝手に敵へ近づくことも許さん」
「はい!」
「攻撃が通じなければ、直ちに撤退する。どれだけ悔しくてもだ」
「分かりました!」
父上は真剣な表情のまま続けた。
「これは遊びでも、力試しでもない。お前一人の判断が、周囲の者たちを危険にさらすこともある。そのことを忘れるな」
「……はい。絶対に忘れません」
俺が答えると、父上はようやく少しだけ表情を緩めた。
「……まったく。八歳の息子と、こんな話をする日が来るとはな」
「すみません……」
「謝る必要はない。だが、必ず生きて帰れ」
父上は俺の肩に手を置いた。
「それが、同行を認める最後の条件だ」
「……はい!」
俺は力強く頷いた。
◇
自室に戻った俺は、《蒼牙》を鞘から抜いた。
銀色の刀身に、青黒い筋が走っている。
ロイドが作ってくれた、俺だけの剣。
軽く握り直すと、手に吸い付くような感覚があった。
「……よし」
鞘に納め、腰へ差す。
続いて、スキル一覧を開いた。
《収集 Lv3》。
その文字が目に入る。
昨日、ようやく成長したばかりの能力だ。
《硬化》を削除したことで、所持スキルは九種類になっている。
新しいスキルを手に入れる余裕はできた。
けれど、今回の相手は、そんなことを考えていられる魔物じゃない。
王国軍が総力を挙げて討伐したほどの存在。
俺の雷が通じるかどうかも、まだ分からない。
「……ガルドさん、兄上」
二人の顔が浮かぶ。
いつも豪快に笑うガルドさん。
穏やかで、頼りになる兄上。
絶対に、無事でいてほしい。
「俺にも、何かできるはずだ」
そう呟いて、俺は剣の柄を握った。
◇
屋敷の前庭には、すでに多くの騎士や兵士が集まっていた。
鎧を身につけた兵士たちが整列し、馬の背には必要な物資が積まれている。
魔法を扱える者たちも、数人加わっているようだった。
俺が前庭に出ると、何人かの兵士が驚いた顔をした。
……まあ、八歳の子供が討伐隊に混じっていたら、そうなるよな。
それでも、誰も口を挟まなかった。
父上が認めた以上、俺もこの隊の一員だ。
「レオン」
声をかけられ、振り返る。
そこには父上が立っていた。
いつもの執務室で見る姿とは違う。
鎧を身につけ、腰には剣を差している。
領主としてではなく、一人の武人としての姿だった。
「準備はできたか?」
「はい!」
「よし」
父上は頷き、兵士たちの前へ進んだ。
前庭が静まり返る。
「北の森に、災厄級の魔物が現れた」
父上の声が響く。
「このまま放置すれば、我が領地に甚大な被害が及ぶ。だが、我々には守るべき人々がいる」
兵士たちが真剣な表情で耳を傾ける。
「敵は巨大で、通常の攻撃では倒せない。決して油断するな。各自の役目を果たし、必ず仲間とともに帰還せよ!」
「はっ!」
力強い声が前庭に響いた。
父上は馬にまたがり、剣を掲げた。
「出陣する!」
馬の蹄が石畳を打ち始める。
俺も用意された馬に乗り、隊列へ加わった。
向かう先は、北の森。
王国を滅亡の危機に追い込んだという、災厄級のスライム。
正直、少し怖い。
でも、俺には《蒼牙》がある。
ガルドさんから教わった剣術がある。
そして、俺だけの《収集》がある。
……もっとも、今回は何を集めるかなんて考えていない。
今はただ、兄上たちと領地のみんなを守りたい。
俺は手綱を握り直した。
「……行くぞ!」
こうして俺は、父上率いる討伐隊とともに北の森へ向かった。




