もう一つの限界
ガサガサッ!
頭上で枝が大きく揺れた。
「おっ、何かいるな!」
俺は足を止め、音のした方を見上げた。
木の枝に、一匹の猿がぶら下がっている。
赤茶色の毛並みに、身体よりも長い尻尾。両頬は不自然なくらい膨らんでいた。
「あれって、ブランチエイプか?」
見覚えのある姿に、思わず目が輝く。
木々の間を器用に飛び回る猿型の魔物だ。
実物を見るのは初めてだけど、あの長い尻尾は間違いない。
「へぇ、尻尾だけで身体を支えられるんだ」
ブランチエイプは尻尾を枝に巻きつけ、ぶら下がったまま器用に前足を動かしている。
なかなか面白い。
もう少し近くで見てみたいな。
そう思って一歩踏み出したときだった。
「キキッ!」
ブランチエイプが頬袋から何かを取り出した。
「ん?」
ヒュンッ!
「うわっ!?」
俺の頬をかすめるように、小さな何かが飛んでいった。
背後の木に当たり、乾いた音を立てる。
振り返ると、地面に硬そうな木の実が転がっていた。
「……なるほど。そういう攻撃か!」
感心している間にも、二つ目、三つ目と木の実が飛んでくる。
しかも、結構速い。
「よっと!」
俺は身体をひねって木の実をかわした。
ブランチエイプは枝の上からこちらを見下ろし、得意げに鳴いている。
「ふふっ、なかなかやるな!」
だけど、木の上が安全だと思っているなら大間違いだ。
俺は腰の《蒼牙》を抜いた。
「こっちも跳べるんだよ!」
《跳躍》!
地面を蹴った瞬間、身体が一気に持ち上がる。
「キキッ!?」
ブランチエイプが慌てて隣の枝へ飛び移った。
長い尻尾を使い、空中でくるりと向きを変える。
おお、器用だな!
だけど、もう動きは見えている。
俺は幹を軽く蹴って方向を変え、逃げようとするブランチエイプの前へ回り込んだ。
「そこっ!」
銀色の刃が一閃する。
ブランチエイプは枝から落下し、地面へ倒れた。
俺もその隣へ着地する。
「よし!」
初めて戦う魔物だったけど、なかなか面白かった。
あの尻尾の使い方は、ちょっと真似できそうにないな。
「さて、次はこっちだ」
俺はブランチエイプに右手をかざした。
「《収集》!」
淡い光が魔物の身体を包む。
昨日までなら、新しいスキルが出ることを期待していたところだ。
でも、今は違う。
俺のスキル枠は、すでに十個で埋まっている。
狙うのは、今持っているスキルのレベルアップだ。
『《跳躍》を獲得しました』
『《跳躍 Lv3》が《跳躍 Lv4》に上昇しました』
「よしっ!」
思わず拳を握った。
大当たりだ!
「早速、試してみようかな」
俺は近くの大きな木を見上げた。
枝までは、地面から五メートルほど。
さっきまでなら、少し余裕を持って踏み切る必要があった高さだ。
もう一度、《跳躍》を発動する。
タンッ!
「うおっ!?」
予想以上に身体が持ち上がった。
あっという間に枝の高さを越え、俺は慌てて身体をひねった。
空中で体勢を整え、枝の上へ着地する。
「……すごい!」
思わず笑ってしまった。
今までより、明らかに高く跳べる。
それに、踏み切ったときの感覚も少し違う。
強く地面を蹴ったというより、身体そのものが軽くなったみたいだ。
「これなら、もっと高いところにも行けそうだな!」
俺は枝から枝へ飛び移り、しばらく新しい《跳躍》の感覚を確かめた。
木々の間を駆け抜ける風が、気持ちいい。
……うん。
やっぱり、スキルが成長するのは楽しい!
◇
木から降りた俺は、小川の方へ向かうことにした。
ブランチエイプとの戦闘で少し汗をかいたし、水辺なら別の魔物にも出会えるかもしれない。
しばらく歩くと、木々の向こうから水の流れる音が聞こえてきた。
「おっ、着いた着いた」
小川のほとりには、小さな草地が広がっていた。
そこで、白いものがぴょんと跳ねた。
「……ん?」
よく見ると、草の陰に一匹の兎がいる。
ただし、普通の兎じゃない。
頭から伸びた二本の耳が、身体と同じくらい長いのだ。
「あれは……ロングイヤーだ!」
思わず声を弾ませた。
白い毛並みに、長い耳。
その耳が、右へ左へと絶えず動いている。
「へぇ……本当に長いなぁ」
俺は少し離れた場所から様子を眺めた。
ロングイヤーは草を食べながらも、周囲への警戒を怠らない。
遠くで鳥が鳴くと、片耳だけがそちらを向く。
水音が変わると、今度は反対側の耳が動いた。
「なるほど……耳を別々に動かせるのか」
面白い。
俺も《聴覚強化》を持っているけど、あんなふうに耳を動かすことはできない。
どうやって音を聞き分けているんだろう。
もっと近くで観察しようとした、そのとき。
ぴくっ!
ロングイヤーの耳が、まっすぐ俺の方を向いた。
「……あ」
目が合った。
次の瞬間。
ダンッ!
白い身体が、弾かれたように跳ねた。
「速っ!」
ロングイヤーは草むらを抜け、木々の間へ一直線に走っていく。
俺は慌てて後を追った。
《跳躍 Lv4》!
一気に距離を詰める。
しかし、ロングイヤーは突然右へ曲がり、木の根を飛び越えた。
「おっと!」
俺も着地地点を変えて追いかける。
……なるほど。
ただ速いだけじゃない。
地形をうまく使いながら、こっちを振り切ろうとしている。
「だったら!」
俺は《観察》を使い、ロングイヤーの動きを追った。
次に飛ぶ方向。
地面を蹴るタイミング。
身体の向き。
それらを見ながら、一歩先の位置へ回り込む。
そして――。
「そこだ!」
茂みから飛び出してきたロングイヤーへ、《蒼牙》を振るった。
ザシュッ!
白い身体が地面へ倒れた。
「ふぅ……なかなか速かったな」
俺は額の汗を拭った。
今の《跳躍》なら追いつけたけど、以前のレベルだったら、もっと手間取っていたかもしれない。
やっぱりスキルの成長は大きい。
「さて、何が出るかな?」
俺は期待しながら右手をかざした。
「《収集》!」
『《聴覚強化》を獲得しました』
『《聴覚強化 Lv4》が《聴覚強化 Lv5》に上昇しました』
「おおっ!」
思わず声を上げた。
「ついにLv5だ!」
《聴覚強化》は、俺が最初の頃から使ってきたスキルの一つだ。
それが、とうとうLv5になった。
「これは試さないとな!」
俺は目を閉じ、《聴覚強化》を発動した。
すると――。
「……おお!」
周囲の音が、さっきまでよりもはっきり聞こえる。
小川のせせらぎ。
木の枝で羽を休める鳥。
草むらを走る小動物。
いくつもの音が重なっているのに、それぞれを聞き分けやすくなっていた。
俺は耳を澄ませる。
右の茂みに、小さな足音。
左の木の上には、鳥が二羽。
少し離れた場所で、何かが地面を掘っている。
「すごいな……!」
目を閉じたままでも、周囲の様子がある程度分かる。
もちろん、すべてを正確に把握できるわけじゃない。
距離が離れると音は小さくなるし、風が強く吹けば葉の擦れる音に紛れてしまう。
それでも、以前よりずっと便利になった。
「これがLv5かぁ……!」
俺は満足げに頷いた。
……ただ。
正直なところ、もっと劇的な変化を期待していた気持ちもある。
Lv5なんだから、ものすごく遠くの音まで聞こえるようになるとか、そんなことを想像していたのだ。
でも、実際は今までの能力が順当に強くなった感じだった。
「まあ、十分すごいんだけどね!」
俺は笑いながら立ち上がった。
まだまだ使い方次第で役立つはずだ。
それに、ほかのスキルだって成長させられる。
「よし、次は何を育てようかな!」
◇
小川沿いを歩いていると、不意に甲高い音が聞こえてきた。
キィ……キィ……。
「ん?」
俺は足を止めた。
鳥の鳴き声とは違う。
もっと鋭くて、短い音だ。
しかも、頭上から聞こえる。
見上げると、枝葉の重なった薄暗い場所で黒い影が動いた。
「あっ、エコーバットか!」
翼を広げると、俺の両腕ほどもありそうな大きな蝙蝠だ。
細長い耳に、鋭い牙。
黒い翼を小刻みに動かしながら、木々の間を飛び回っている。
「へぇ、こんなところにもいるんだな」
エコーバットは、音を使って周囲の位置を把握する魔物だ。
俺は《聴覚強化》を使い、その鳴き声に耳を澄ませた。
キィッ!
キィッ!
高い音が、規則的に繰り返されている。
「……なるほど」
音を出して、周囲の様子を調べているわけか。
しかも、その音を使いながら木の枝を器用に避けている。
すごいな。
俺も、あんなふうに音だけで動けるようになるんだろうか。
そんなことを考えていると、エコーバットが突然こちらへ向きを変えた。
「……お?」
黒い影が、一気に近づいてくる。
鋭い牙が見えた。
「うわっ!」
俺は身をかがめ、急降下してきたエコーバットをかわした。
頭上を黒い翼が通り過ぎる。
「なるほど、攻撃も速いな!」
俺は《蒼牙》を抜いた。
エコーバットは一度上昇すると、再びこちらへ向きを変えた。
左右へ不規則に揺れながら近づいてくる。
だけど――。
「聞こえてるよ!」
《聴覚強化 Lv5》が、羽音をはっきり捉えていた。
俺は剣を構え、相手の動きを待つ。
そして、エコーバットが急降下してきた瞬間。
「はっ!」
地面を蹴り、下から斬り上げた。
ザシュッ!
銀色の刃が黒い翼を捉えた。
エコーバットは地面へ落下し、そのまま動かなくなった。
「よし!」
俺は軽く着地する。
うん。
やっぱり《聴覚強化》は便利だ。
相手の動きが分かるだけでも、戦いやすさが全然違う。
「さて、こっちも忘れずに!」
俺はエコーバットへ手をかざした。
「《収集》!」
淡い光が魔物の身体を包み込む。
そして。
『《聴覚強化》を獲得しました』
「おっ!」
また《聴覚強化》か!
さっきLv5になったばかりだけど、これでさらにレベルが上がるのか?
俺は期待して表示を待った。
ところが――。
『《聴覚強化》は最大レベルに達しています』
「……え?」
最大レベル?
俺は慌ててスキル一覧を開いた。
すると、そこには見慣れない表示があった。
『《聴覚強化 Lv5/MAX》』
「…………」
少しの間、言葉が出なかった。
そして。
「レベルにも上限があるのかよ!?」
俺の声が林の中に響き渡った。
◇
「うーん……」
俺は小川のほとりに座り込み、スキル一覧を眺めていた。
昨日まで、《収集》は魔物を倒せばどんどん強くなれる能力だと思っていた。
でも、どうやら違うらしい。
まず、所持できるスキルは十種類まで。
そして、スキルのレベルも五が上限。
「……思っていたより、ずっと制限が多いなぁ」
俺は小さくため息をついた。
今持っているスキルをすべてLv5まで育てたら、その先はどうなるんだろう。
新しいスキルは覚えられない。
レベルも上がらない。
それで、俺の成長は終わってしまうのだろうか。
「……いや、そんなわけないよな」
俺は腰の《蒼牙》に目を落とした。
この剣を作ったロイドだって、最初からあんなにすごい剣を作れたわけじゃない。
何度も工夫して、失敗して、ようやく完成させてくれた。
ガルドさんだってそうだ。
あの人の剣技は、長い年月をかけて磨き上げたものだ。
スキルのレベルが上がらなくても、技術は成長させられる。
それに、まだ俺の知らない仕組みがあるかもしれない。
「……よし!」
俺は立ち上がった。
分からないことがあるなら、調べればいい。
今すぐ答えが出なくたって構わない。
この世界には、まだ見たことのない魔物も、知らないスキルも、きっと山ほどある。
「まずはガルドさんに聞いてみようかな」
あの人なら、スキルの上限について何か知っているかもしれない。
それに、今日の探索の話もしたい。
ブランチエイプの器用な動き。
ロングイヤーの驚くほど長い耳。
エコーバットの不思議な飛び方。
そして、《蒼牙》を使った戦闘。
話したいことは、たくさんある。
「ふふっ……なんだか楽しみだな!」
俺は剣帯を整え、屋敷へ向かって歩き出した。
今日の探索では、二つのスキルが成長した。
《跳躍》はLv4。
《聴覚強化》はLv5。
そして、もう一つの限界も発見した。
思い通りにいかないこともあるけれど、それも含めて冒険なんだろう。
俺は木々の間から見える青空を見上げた。
「さて、明日は何が待ってるかな!」
胸の奥で、次の冒険への期待が膨らんでいた。




