迫る異変②
「レオン坊ちゃん。しばらく屋敷の外へは出られませんよ」
翌朝、マリアからそう告げられた。
「昨日の魔物のこと?」
「はい。旦那様からのご指示です」
「そっか。分かった!」
俺が頷くと、隣にいたセラが少し残念そうな顔をした。
「せっかく、また案内してもらおうと思っていたのに」
「大丈夫! また今度行こう!」
「……そうね」
そのとき。
廊下の向こうから、慌ただしい足音が響いた。
◇
「……今度は街道に現れたのか」
執務室で、エドガーが報告書を握りしめた。
「はい。北の街道で、大型魔物の群れが確認されました!」
報告に来た騎士が答える。
「その中には、森の深部にしか生息しない鎧角鹿が三頭。さらに、確認されているだけで十数体の魔物が……!」
「……種類の違う魔物が、群れを作っているのか?」
「いえ。それぞれが勝手な方向へ走っています。まるで、何かから逃げるように」
エドガーとバルドリックは顔を見合わせた。
「……ガルドを呼べ」
◇
昼過ぎ。
屋敷の正門には、討伐隊が集まっていた。
ガルドさんを中心に、兄さんや領内の精鋭騎士たちが並んでいる。
「……兄さんも行くの?」
「ああ。街道に魔物が出ている以上、放っておけないからね」
アルベルト兄さんは穏やかに答えた。
「大丈夫。ガルド殿も一緒だよ」
「……うん」
ガルドさんが俺の肩に手を置いた。
「坊ちゃん。留守の間は、屋敷から出てはなりませんぞ」
「分かってる!」
「屋敷には十分な護衛を残します。何かあれば、必ずその者たちの指示に従うのです」
「うん!」
俺が頷くと、ガルドさんは満足そうに笑った。
「……よろしい!」
父上とバルドリック公爵も、討伐隊に同行して前線の指揮所へ向かうらしい。
ただし、父上は屋敷の警備隊長に、何度も確認をしていた。
「屋敷周辺の巡回を増やせ。異変があれば、すぐに避難を始めること」
「はっ!」
……これなら、屋敷も大丈夫そうだ。
「レオン!」
馬に乗った兄さんが手を振った。
「行ってくるよ!」
「兄さん! 絶対に帰ってきてね!」
「もちろん!」
俺は、討伐隊の背中が見えなくなるまで手を振っていた。
◇
夕方。
北の街道では、すでに戦闘が始まっていた。
「右翼、隊列を崩すな!」
アルベルトの声が響く。
森から次々と魔物が飛び出してくる。
ホーンラビット。
グラスウィーゼル。
鎧角鹿。
そして、それ以上に大きな魔物まで。
「……くっ!」
騎士の一人が、大型魔物の突進を受け止めきれず後退した。
その瞬間。
ごうっ!
巨大な剣が横から振るわれた。
魔物の甲殻が砕け、巨体が地面に倒れる。
「……ガルド殿!」
「油断するでない!」
ガルドは大剣を担ぎ直した。
「……しかし、妙ですな」
「何がです?」
アルベルトが尋ねる。
「こやつら、我々を襲おうとしているのではない」
「……え?」
「逃げ道を塞がれ、暴れているだけです」
アルベルトが森の奥を見た。
「……では、何から逃げているのでしょう」
ガルドは答えなかった。
ただ、森のさらに奥を見据えた。
そのときだった。
――ごろごろ……。
遠くから、雷鳴のような音が響いた。
だが、見上げた空には雲ひとつない。
「……雷?」
「……分かりません」
ガルドは眉をひそめた。
その直後、森の別方向から新たな魔物の群れが現れた。
「ガルド殿! 東側にも魔物が!」
「……むう。まずは街道の者たちを守らねばなりません!」
ガルドは大剣を構えた。
討伐隊は再び迫り来る魔物たちに向き直った。
◇
その夜。
俺とセラは、屋敷の窓から北の森を眺めていた。
「……まだ帰ってこないわね」
「うん。でも、きっと大丈夫だよ」
俺はそう答えた。
ガルドさんも兄さんも、めちゃくちゃ強い。
それに、父上たちも一緒だ。
「……早く帰ってきてほしいわ」
「俺も」
そのとき。
ぴかっ!
遠くの森が、青白く光った。
「……え?」
セラが窓に近づく。
「今の……雷?」
「でも、雲なんてないよ?」
俺たちは顔を見合わせた。
やがて、遠くから低い音が響いた。
――ごろろろ……。
何だか、嫌な感じがする。
「……セラ、部屋に戻ろう」
「……ええ」
俺たちは窓を閉めた。
廊下には、警戒を強めた騎士たちの姿があった。
……大丈夫。
ここは屋敷だ。
森からも離れているし、護衛だっている。
そう自分に言い聞かせながら、俺は部屋へ戻った。
◇
その頃。
北の森の外れを、一つの巨大な影が歩いていた。
黒い毛並み。
銀色に輝くたてがみ。
全身を走る、青白い稲妻。
その魔物が足を踏み出すたび、地面に小さな火花が散った。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
青い瞳の先には、遠くに灯る屋敷の明かり。
魔物は一度だけ、低く唸った。
――グルルル……。
次の瞬間。
その巨体は、音もなく闇の中へ消えた。




