迫る異変①
「レオン! まだ準備できないの?」
「あとちょっと!」
今日は、セラと約束した林の散策だ。
水筒にタオル、それから腰には木剣。
「……散歩に木剣まで持っていくの?」
「備えあれば憂いなし!」
「屋敷のすぐ近くでしょう?」
「だから使わずに済めば一番だよ」
俺が笑うと、セラは呆れたように肩をすくめた。
「お二人とも、お待たせしましたな!」
そこへガルドさんがやってきた。
今日は、ガルドさんと護衛の騎士二人も同行してくれる。
「坊ちゃん。林の奥には入りませんぞ」
「分かってる!」
「何かあれば、すぐに引き返すこと。よろしいですな?」
「もちろん!」
俺は大きく頷いた。
前に一人で森へ入って、どれだけ心配をかけたか。
あのときの約束は、忘れていない。
◇
「わあ……!」
林に入ると、セラが目を輝かせた。
木漏れ日が差し込み、小鳥の声が響いている。
「レオン、あの青い鳥は?」
「よく見かけるんだ。名前は知らないけど!」
「……知らないの?」
「うん!」
「案内役なのに?」
「場所なら任せて!」
「もう……!」
セラが楽しそうに笑った。
普段は落ち着いているけど、こういう顔もするんだな。
「王都には、こういう場所はないの?」
「公爵家の庭園はあるわ。でも、好きなときに出歩けるわけじゃないもの」
「そっか。じゃあ、今日は楽しんでいってよ!」
「ええ!」
その笑顔を見て、俺まで嬉しくなった。
……案内してよかったな。
そう思った、そのときだった。
がさっ!
「……ん?」
林の奥で、大きな枝が折れる音がした。
俺は足を止める。
《聴覚強化》で拾ったのは、重い足音。
ホーンラビットなんかとは明らかに違う。
「……ガルドさん」
「ええ。気づきましたか」
ガルドさんが俺たちの前に出た。
「お二人とも、動かずに」
茂みが大きく揺れる。
次の瞬間。
どさっ!
見たこともない魔物が姿を現した。
鹿に似た四本の脚。
全身を覆う、岩のような黒い甲殻。
頭には、ねじれた大きな角が二本。
「……何だ、あれ!?」
俺は思わず声を上げた。
こんな魔物、見たことがない。
「……鎧角鹿ですな」
ガルドさんの声が低くなった。
「知ってるの?」
「ええ。北の森の深部に生息する魔物です。通常、こんな浅い場所には現れません」
「……深部?」
俺は魔物を見た。
鎧角鹿は俺たちに目もくれず、荒い息をついている。
そして、何かを恐れるように振り返った。
……逃げてる?
魔物は再び走り出し、林の外へ消えていった。
「……ガルドさん、今のって」
「分かりません。ただ、普通ではありませんな」
ガルドさんは護衛に目配せした。
「散策はここまでです。屋敷へ戻りましょう」
「……うん!」
俺はすぐに頷いた。
セラも黙って俺の隣に並ぶ。
……あんな魔物が、どうしてここに?
◇
屋敷へ戻る道すがら、セラが小さく口を開いた。
「……少し怖かったわ」
「俺も。あんなの初めて見たよ」
「でも、あなた、追いかけようとしなかったのね」
「そりゃそうだよ。危ないし」
「……冒険者になりたいのに?」
「冒険者になりたいからこそ、こんなところで死にたくないよ」
俺は笑った。
「それに、セラを連れてきたのは俺だし。ちゃんと一緒に帰らないと!」
「…………」
セラは少し驚いた顔をした。
そして、小さく微笑んだ。
「……そうね」
◇
その日の夕方。
父上の執務室には、険しい表情の大人たちが集まっていた。
「……鎧角鹿が、屋敷の近くに?」
エドガーが眉をひそめる。
「間違いありません」
ガルドが答えた。
「こちらへ襲いかかる様子はありませんでした。むしろ、何かから逃げていたように見えます」
「……やはりな」
バルドリック公爵が腕を組んだ。
「今回ここへ来たのも、その異変について相談するためだった。だが、想像以上に深刻らしい」
公爵は机の上の報告書を指さした。
「森の深部から魔物が移動している。それも、一種類ではない」
「……原因は?」
「まだ分からん。ただ、木々が不自然に焼け焦げた場所も見つかっている」
エドガーはしばらく考え込んだ。
「……警戒を強めよう」
「ええ。私も賛成です」
ガルドが頷いた。
窓の向こうには、いつもと変わらない北の森が広がっていた。
だが、その奥で何かが起きていることだけは、確かだった。




