天才少女の素顔
「レオン、準備はできている?」
「もちろん!」
翌朝。
俺は屋敷の訓練場で、セレスティアを待っていた。
昨日、魔法を見せてくれると約束してくれたのだ。
「……そんなに楽しみだったの?」
「そりゃそうだよ! 黒魔法と炎魔法でしょ?」
「ええ」
「しかも両方Lv.5なんだよね?」
「……よく知っているわね」
「兄さんが教えてくれた!」
セレスティアは少しだけ得意そうに微笑んだ。
「そう。なら、見せてあげる」
彼女が右手を持ち上げる。
ぼうっ!
何もない空間に、赤い炎が生まれた。
「……おおっ!」
炎は彼女の手のひらの上で揺らめいている。
「熱くないの!?」
「自分の魔力で制御しているから、大丈夫よ」
「へえ! じゃあ、形も変えられる?」
「もちろん」
セレスティアが指先を動かす。
すると、炎は細長く伸び、輪を描いた。
そして、訓練場の的へ向かって飛んでいく。
どんっ!
的に命中した瞬間、炎が大きく広がった。
「……すっげぇ!」
俺は思わず拍手した。
「じゃあ、黒魔法は!?」
「……少し落ち着きなさいよ」
呆れたように言いながらも、彼女はどこか嬉しそうだった。
今度は左手を前へ伸ばす。
「《影縛り》」
地面に落ちた影が、まるで生き物のように動き始める。
黒い帯となった影は、的へ絡みついた。
「おおおっ!」
炎で攻撃して、影で動きを封じる。
……これ、組み合わせたら相当強いぞ。
「セレスティアって、本当にすごいな!」
「……当然よ」
彼女は少しだけ胸を張った。
「これくらいはできないと、公爵家の娘として恥ずかしいもの」
……ん?
俺は少しだけ引っかかった。
今の言い方。
何だか、楽しそうじゃないな。
◇
「ねえ、セレスティア」
「何?」
「魔力って、どうやって動かすの?」
「……魔力操作のこと?」
「そう、それ!」
セレスティアは少し考えた。
「あなたもやってみたいの?」
「うん!」
「……魔法が使えないのに?」
「魔力そのものはあるんだし、動かせるかもしれないだろ?」
「……なるほど」
彼女は小さく頷いた。
「いいわ。教えてあげる」
「やった!」
セレスティアの説明によると、まず身体の中にある魔力を感じ取ることが必要らしい。
それを意識して、少しずつ手のひらへ集めていく。
……ふむふむ。
「じゃあ、やってみて」
「よし!」
俺は目を閉じた。
魔力。
魔力……。
…………。
「……分からん!」
「早いわよ!」
セレスティアが思わず声を上げた。
「まだ始めて一分も経っていないでしょう!」
「いやぁ、何かつかめるかなと思ったんだけど」
「そんなに簡単なものではないわ」
「そうなの?」
「ええ。私だって最初は何日も練習したんだから」
「……へえ!」
俺は驚いた。
「セレスティアでも、そんなにかかったんだ」
「当然でしょう。何でも最初からできるわけではないもの」
そう言ってから、彼女は少しだけ口を閉じた。
「……でも、今の話は忘れてちょうだい」
「何で?」
「……何でもないわ」
……変なの。
まあ、いいか。
「じゃあ、もう一回教えて!」
「……仕方ないわね」
◇
その日の夕方。
俺は訓練場へ忘れた木剣を取りに戻った。
すると、聞き覚えのある声がした。
「……もう一度」
セレスティアだ。
彼女は一人で魔法の練習をしていた。
手のひらに小さな炎を浮かべ、細い輪を作ろうとしている。
だが。
ぼふっ。
途中で形が崩れた。
「……っ!」
セレスティアが唇を噛む。
再び炎を生み出す。
今度は輪の半分ほどまで形ができた。
しかし。
ぼふっ。
「……どうして……」
彼女は悔しそうに俯いた。
「セレスティア?」
「……っ!?」
声をかけると、彼女は慌てて振り返った。
「レオン!? いつからそこに!?」
「今来たところ。練習してたの?」
「……ええ」
「そっか。俺も木剣忘れちゃってさ」
俺は壁際に置いてあった木剣を拾った。
そのまま帰ろうとしたが、ふと彼女が気になった。
「……なあ、ちょっと見ててもいい?」
「……え?」
「炎の練習」
セレスティアは驚いたように俺を見た。
「……失敗しているのよ?」
「うん」
「……それでも?」
「別にいいじゃん。練習なんだし」
「…………」
彼女は何か言いたそうに口を開いたが、結局何も言わなかった。
俺は近くのベンチに腰掛けた。
「じゃあ、もう一回やってみてよ」
「……仕方ないわね」
そう言って、彼女は再び炎を生み出した。
◇
それから、何度か練習を繰り返した。
だが、思うようにはいかなかった。
「……もう嫌」
セレスティアは小さく呟き、ベンチの端に腰を下ろした。
「疲れた?」
「……少し」
「じゃあ、休もうぜ」
俺は隣に座った。
しばらく二人で黙っていた。
やがて、セレスティアがぽつりと口を開いた。
「……ねえ、レオン」
「ん?」
「あなたは、私が失敗しても何とも思わないの?」
「……え?」
「だって、私は天才って呼ばれているのよ」
「うん。知ってる」
「それなのに、こんな魔法も上手く使えないなんて……」
俺は少し考えた。
「でも、今練習してるのって、新しい魔法なんだろ?」
「……ええ」
「だったら、できなくても普通じゃない?」
「…………」
セレスティアは、驚いたように俺を見た。
「……あなたは、そう思うのね」
「うん」
すると、彼女は俯いた。
「……私はね、みんなから期待されているの」
俺は黙って聞いていた。
「新しい魔法を覚えれば褒められる。でも、できるようになると、今度はもっと難しい魔法を期待されるわ」
「……そっか」
「先生も、親戚も、会うたびに次は何ができるようになったのかって聞いてくるの」
彼女は膝の上で、ぎゅっと手を握った。
「最初は嬉しかったわ。私の魔法を、みんな喜んでくれるから」
「うん」
「でも……最近は少し怖いの」
「……怖い?」
「いつか、みんなの期待に応えられなくなったらどうしようって」
セレスティアの声が小さくなった。
「もし、私が天才じゃなくなったら……みんな、がっかりするのかしら」
……なるほど。
そういうことか。
セレスティアは、ただ魔法が上手くなりたいだけじゃない。
周りの期待に応えたいんだ。
でも、それがいつの間にか、重荷になってしまったのかもしれない。
「……それ、誰かに話したことある?」
俺が尋ねると、彼女は首を横に振った。
「ないわ」
「お父さんにも?」
「……お父様は、私が魔法を使えるようになるたび、大喜びしてくださるの」
……ああ。
あの公爵様なら、何となく想像できる。
「だから、余計に言えないの。期待されるのが怖いなんて……」
「……そっか」
俺は少し考えた。
きっと、俺には全部は分からない。
公爵家の娘として育つ大変さなんて、経験したことがないからな。
「……セレスティアはさ」
「何?」
「魔法、好きなんだよな?」
「……ええ」
「じゃあ、本当はどうしたいの?」
「……え?」
「みんなに期待されてるとかじゃなくて、セレスティア自身は」
彼女は少し黙った。
そして、ゆっくり口を開いた。
「……もっと、いろいろな魔法を使えるようになりたいわ」
「うん」
「でも、できないときは……少し休みたい」
「……そっか」
「それに……誰かに、できなかったって話してみたかった」
彼女は俯いたまま続けた。
「私だって、失敗することがあるって。悔しくて泣きたくなることもあるって」
俺は静かに頷いた。
「……うん。聞いてるよ」
セレスティアは顔を上げた。
「……それだけ?」
「ん?」
「もっと、何か言わないの?」
俺は少し考えた。
「……じゃあ、今日はよく頑張ったし、もう休もうぜ!」
「……え?」
「俺も今日は剣の練習終わりにする。明日またやればいいじゃん」
「…………」
彼女はしばらくぽかんとしていた。
そして。
「……ふふっ」
小さく笑った。
「……あなた、本当に変わっているわね」
「またそれ!?」
「ふふふっ!」
今度は、さっきよりも楽しそうに笑った。
◇
「……レオン」
「ん?」
しばらくして、セレスティアが静かに口を開いた。
「今日の話、誰にも言わないでくれる?」
「もちろん」
「……ありがとう」
「うん!」
彼女は少しだけ微笑んだ。
「……こんなこと、誰にも話したことがなかったの」
「そっか」
「話したら、がっかりされると思っていたから」
「俺が?」
「……ええ」
「何で?」
「何でって……」
「いや、セレスティアが悩んでたって、別にがっかりしないよ」
俺は肩をすくめた。
「魔法が上手くいっても、失敗しても、セレスティアはセレスティアだろ?」
「…………」
「それに、今日は魔力操作を教えてくれたし。俺はそれだけで嬉しかったけどな」
彼女は何も言わなかった。
ただ、しばらく俺を見つめていた。
そして、小さく笑った。
「……そうね」
その声は、どこか安心したように聞こえた。
「……ねえ、レオン」
「何?」
「一つ、お願いしてもいい?」
「いいよ!」
セレスティアは少しためらってから、俺を見た。
「……これからは、セラって呼んでくれる?」
「セラ?」
「ええ。親しい人は、そう呼ぶの」
「……そっか!」
俺は笑った。
「じゃあ、よろしくな! セラ!」
彼女は一瞬、驚いたような顔をした。
それから、嬉しそうに微笑んだ。
「……ええ。よろしく、レオン」
◇
その夜。
セレスティアは自分の部屋で、今日のことを思い返していた。
今まで誰にも言えなかったこと。
天才と呼ばれることへの不安。
期待に応えられなくなるかもしれないという恐怖。
そんな話をしても、レオンは態度を変えなかった。
可哀想だと同情することも、天才なのだから頑張れと励ますこともしなかった。
ただ、話を聞いてくれた。
そして、当たり前のように言った。
『魔法が上手くいっても、失敗しても、セレスティアはセレスティアだろ?』
「……ふふっ」
思わず笑みがこぼれた。
最初は、才能のない少年だと思っていた。
でも、今は違う。
レオンは、自分を特別扱いしない。
天才でも、公爵令嬢でもなく。
ただのセラとして、接してくれる。
「……明日も、会えるかしら」
セレスティアは窓の外を眺めた。
そして、小さく微笑んだ。
「……楽しみね」
その夜、彼女は久しぶりに、魔法のことを考えずに眠りについた。




