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大切なもの

 「……まずいな」


 俺は自分の服を見下ろした。


 袖が破れている。


 昨日、森でグラスウィーゼルと戦ったときにつけられた傷だ。


 幸い、腕には怪我をしていない。


 でも、服の方はそうはいかなかった。


「……どう説明したものか」


 木の枝に引っかけた?


 いや、それにしては裂け方が不自然だ。


 転んだことにする?


 ……それも怪しい。


 そもそも、嘘をついたところで、いつかはバレる気がする。


「……まあ、仕方ないか」


 正直に話そう。


 そう決めたときだった。


「レオン様?」


「……ひゃっ!?」


 振り返ると、マリアが立っていた。


 そして、俺の袖を見るなり、目を丸くした。


「レオン様! そのお召し物はどうされたのですか!?」


「え、えっと……」


「まさか、お怪我を!?」


「怪我はしてないよ!」


「本当でございますか!?」


「う、うん!」


 マリアは慌てて俺の腕を確認した。


 袖をまくり、傷がないことを確かめる。


 それから、ようやく大きく息を吐いた。


「……よかった」


 その声が、思ったよりも小さかった。


「本当に、よかったです……」


「……マリア?」


 マリアは俺の腕を握ったまま、少し俯いていた。


 いつもなら、ここで「危険なことはなさらないでください」と注意されるところだ。


 でも、今日は違った。


「……レオン様。何があったのですか?」


 俺は少し迷ってから、正直に話した。


「森で、魔物と戦ったんだ」


「……森で?」


「うん。ホーンラビットを探してたら、違う魔物が出てきて……」


「お一人で、ですか?」


「……うん」


 マリアは何も言わなかった。


 ただ、俺の腕を握る手に、少しだけ力が入った。


「……ごめんなさい」


 俺がそう言うと、マリアはゆっくり顔を上げた。


「レオン様」


「……うん」


「私が心配しているのは、お召し物が破れたことではありません」


「……うん」


「もし、レオン様が帰ってこられなかったらと考えると……」


 そこで、言葉が途切れた。


 マリアは困ったように笑おうとした。


 でも、うまく笑えていなかった。


「……私は、とても怖いのです」


 俺は何も言えなくなった。


 これまで何度も心配されてきた。


 そのたびに、危ないことをしてはいけないとは思っていた。


 でも。


 マリアがこんな顔をするところは、初めて見た。


「……ごめん」


 俺はもう一度謝った。


 今度は、さっきよりも小さな声になった。


     ◇


 翌朝。


 俺はいつものように訓練場へ向かった。


「……せいっ!」


 ぶんっ!


 木剣を振り下ろす。


 足を踏み込み、腰を回し、剣へ力を伝える。


 以前よりずっと滑らかに動けるようになった。


 《剣術》を手に入れたことも大きい。


 でも、それ以上に、毎日繰り返してきた訓練の成果を感じていた。


「……よし!」


 俺が木剣を下ろすと、ガルドさんが近づいてきた。


「レオン坊ちゃん」


「おはよう、ガルドさん!」


「おはようございます」


 いつもなら、ここで豪快に笑ってくれる。


 でも、今日は少し違った。


「昨日、森へ行ったそうですね」


「……あ」


「しかも、一人で魔物を狩っていたとか」


「……うん」


 俺は小さく頷いた。


 ガルドさんは、しばらく黙っていた。


 それから、俺の目の前にしゃがみ込んだ。


「まず、怪我がなくて何よりです」


「……うん」


「それで、グラスウィーゼルを倒したというのは本当ですか?」


「……うん!」


「どうやって倒したんです?」


 俺は昨日の戦いを説明した。


 ホーンラビットとは動き方が違ったこと。


 相手の動きを観察しながら、回り込まれないように位置を変えたこと。


 《跳躍》で攻撃を避け、木にぶつかった隙を狙ったこと。


 スキルについては詳しく話さなかったけれど、戦い方はできるだけ正確に伝えた。


 ガルドさんは最後まで黙って聞いてくれた。


「……なるほど」


 そして、少しだけ笑った。


「よく考えて戦いましたね」


「……本当?」


「ええ。相手の特徴を見て、自分の戦い方を変えた。以前の坊ちゃんには難しかったことです」


「……えへへ」


 褒められた。


 やっぱり嬉しい。


 だけど。


「ですが、坊ちゃん」


 ガルドさんの声が少し低くなった。


「一人で森へ行ったことは、褒められません」


「……うん」


「以前、約束しましたよね?」


「……うん」


「どうして約束を破ったんです?」


 俺は少し考えた。


「……もっと強くなりたかったから」


「ええ」


「それに、魔物と戦えば、訓練したことが本当に役立つか分かるし……」


「それも分かります」


 ガルドさんは頷いた。


「坊ちゃんが強くなりたいと思うことは、俺も嬉しいですよ」


「……本当?」


「もちろんです。毎日あれだけ一生懸命に訓練しているんですから。もっと強くなりたいと思うのは、自然なことです」


 そう言って、ガルドさんは少し笑った。


「それに、実戦でしか学べないことがあるのも事実です」


「……うん!」


「ですが、それでも一人で森へ行ってはいけません」


 ガルドさんは、はっきりと言った。


 俺は思わず口を閉じた。


「……どうして?」


 いや、危険だからということは分かっている。


 でも、俺なりに準備もした。


 逃げ道も考えた。


 それに、実際に魔物を倒すこともできた。


 その気持ちが顔に出ていたのだろう。


 ガルドさんは少しだけ困ったように笑った。


「坊ちゃん。昨日の戦いで、もし腕を深く切られていたら、どうなっていたと思います?」


「……痛かったと思う」


「それだけですか?」


「……訓練ができなくなる?」


「そうですね。では、もっと大きな怪我だったら?」


「……」


「足を動かせなくなったら、逃げることもできません。倒したと思った魔物が、もう一度襲ってくることだってあります」


 ……確かに。


 俺は昨日の戦いを思い返した。


 グラスウィーゼルの爪が、袖をかすめた瞬間。


 ほんの少し動きが遅かったら、腕を切られていたかもしれない。


「……うん」


「ですが、俺が一番伝えたいのは、そこだけじゃありません」


「……え?」


 ガルドさんは、俺の肩にそっと手を置いた。


「坊ちゃんが森から帰ってこなかったら、どうなると思います?」


「……え?」


 俺は思わず首をかしげた。


 帰ってこなかったら?


 それは……。


「……兄さんが探しに来る?」


「ええ。きっとそうでしょう」


 ガルドさんは頷いた。


「アルベルト様は、坊ちゃんのことをとても大切にされていますからね」


「……うん」


「マリアも、俺も、屋敷中を探すでしょう」


 ……そうだろうな。


「そして、もし見つかった坊ちゃんが、もう動かなくなっていたら?」


「…………」


 俺は何も答えられなかった。


 ガルドさんは、静かに続けた。


「アルベルト様は、きっとご自分を責めるでしょう。もっと注意していればよかった。もっと一緒にいてやればよかった、と」


 ……兄さんが?


「マリアも同じです。昨日、あの人は本当に心配していましたよ」


「……うん」


「俺も、きっと後悔します。もっと教えられることがあったんじゃないか、どうして止められなかったんだ、と」


 ガルドさんは少し笑った。


 でも、その笑顔はいつもの豪快なものではなかった。


「坊ちゃんがいなくなったら、悲しむ人がいるんです」


「…………」


「そして、その悲しみは、簡単には消えません」


 俺は俯いた。


 昨日のマリアの顔を思い出した。


 俺の腕を確認したあと、ほっとしたように息を吐いたこと。


 うまく笑えなかったこと。


 ……そっか。


 俺は、自分が怪我をするかもしれないことばかり考えていた。


 自分が死ぬかもしれないことも、分かっていたつもりだった。


 でも。


 もし俺が死んだら、そのあとに残された人たちがどうなるのか。


 そこまでは、考えていなかった。


「……俺」


 小さな声が出た。


「自分のことしか考えてなかった」


 ガルドさんは何も言わず、俺の言葉を待ってくれた。


「強くなりたいとか、スキルを集めたいとか……そういうことばっかりで」


 俺は顔を上げた。


「兄さんも、マリアも、ガルドさんも……心配するって分かってたのに」


「……ええ」


「でも、勝てばいいって思ってた」


 ガルドさんは静かに頷いた。


「勝つことも大切です」


「……うん」


「ですが、勝って生きて帰ることは、もっと大切です」


 その言葉が、すとんと胸に落ちた。


 ……そうか。


 冒険者になる。


 自由に世界を旅する。


 それが俺の夢だ。


 でも、その夢を叶えるためには、生きていなくちゃいけない。


 そして、俺が生きて帰ることを願ってくれる人がいる。


 それを忘れてはいけないんだ。


「……ガルドさん」


「はい?」


「俺、もっと強くなりたい」


「ええ」


「でも、もう勝手に森へ行かない」


 ガルドさんは、少しだけ目を細めた。


「……本当ですか?」


「うん。ちゃんと強くなって、危ないときにどうすればいいかも考えられるようになる」


 俺は拳を握った。


「それで、いつか冒険者になって……ちゃんと帰ってくる」


 ガルドさんは、しばらく俺を見つめていた。


 そして、ふっと笑った。


「……いいですね」


「……え?」


「それなら、俺も喜んで力を貸しますよ」


 そう言って、いつもの豪快な笑顔を見せた。


「坊ちゃんが強くなるところを、俺も楽しみにしていますからね!」


「……うん!」


 俺は大きく頷いた。


「ありがとう、ガルドさん!」


「はっはっは! 礼はもっと強くなってからにしてください!」


     ◇


 その日の夜。


 俺は兄さんの部屋に呼ばれた。


「レオン」


「……うん」


「ガルドから話を聞いた」


「……ごめんなさい」


 俺は先に頭を下げた。


 兄さんは少し驚いた顔をした。


「……どうした?」


「俺、一人で森へ行った」


「……ああ」


「魔物を倒せると思ったし、実際に倒せた。でも……」


 俺は少し言葉を探した。


「……帰ってこられなかったら、兄さんが悲しむってこと、ちゃんと考えてなかった」


 兄さんは黙って俺を見つめていた。


「マリアも、ガルドさんも。みんな心配してくれてたのに」


「……レオン」


「ごめんなさい」


 俺はもう一度頭を下げた。


 しばらく沈黙が続いた。


 そして。


「……まったく」


 兄さんが小さく息を吐いた。


「お前は、本当に心配ばかりかけるな」


「……うん」


 でも、その声は怒っていなかった。


 兄さんは椅子から立ち上がり、俺の前にしゃがんだ。


「レオン。俺は、お前が強くなろうとしていることを嬉しく思っている」


「……本当?」


「ああ。毎日訓練している姿も見ているし、ガルドから成長の話も聞いている」


 兄さんは優しく笑った。


「だがな、俺はお前が強くなくても構わないんだ」


「……え?」


「剣が上手くなくても、魔法が使えなくても、スキルが少なくても」


 兄さんは、俺の頭に手を置いた。


「お前が元気に笑っていてくれれば、それでいい」


「…………」


 胸の奥が、少し熱くなった。


 この屋敷では、俺は期待外れの子どもだ。


 父上からも、ほかの兄弟からも、ほとんど相手にされない。


 だから、いつか自分の力で生きられるようになりたいと思っていた。


 でも。


 兄さんは、俺が強いかどうかなんて関係ないと言ってくれる。


「……兄さん」


「ん?」


「俺、絶対に強くなるよ」


 兄さんは少し困ったように笑った。


「……今の話、聞いていたか?」


「聞いてた!」


 俺は大きく頷いた。


「でも、強くなりたいんだ!」


「……そうか」


「それで、いつかいろんなところへ行って……ちゃんと帰ってきて、兄さんに話をする!」


 兄さんは一瞬、目を丸くした。


 それから、嬉しそうに笑った。


「ああ。楽しみにしているよ」


 そう言って、俺をぎゅっと抱きしめた。


「……約束だぞ」


「うん!」


 俺も兄さんの背中に腕を回した。


 ……よし。


 約束だ。


     ◇


 数日後。


 俺はガルドさんと一緒に、屋敷の裏手にある庭園を歩いていた。


 今日は剣術の訓練ではない。


 野外での行動を学ぶための時間だ。


「坊ちゃん。森で魔物を見つけたら、まず何を考えます?」


「……相手の種類と、周りの地形!」


「ほう。それから?」


「逃げ道!」


「いいですね!」


 ガルドさんが笑った。


「では、相手がこちらに気づいていなかったら?」


「……戦わなくてもいいか考える!」


「そのとおりです!」


 俺は少し得意になった。


 でも、今度はちゃんと理由も分かっているつもりだ。


 戦わなくてもいいなら、戦わない。


 危ない相手なら、逃げる。


 そして、戦うと決めたなら、どうすれば生きて帰れるかまで考える。


 強くなるためには、そういう判断も必要なんだ。


 それから、ガルドさんは森の近くにある植物や足跡について教えてくれた。


 どんな場所に魔物が現れやすいのか。


 どんな痕跡が危険の知らせになるのか。


 そして、魔物の種類によって、行動がどう違うのか。


「……面白いなぁ」


 俺は《観察》を使いながら、一つずつ確かめていった。


 すると。


「……ん?」


 庭園の端にある石の近くで、何かが動いた。


 小さな影。


 丸い背中。


 そして、ごつごつした甲羅。


「……亀?」


 俺は足を止めた。


 ガルドさんも俺の視線を追う。


「……おや。ストーンタートルですね」


「ストーンタートル?」


「ええ。森の浅い場所に生息する魔物です」


 俺は少し離れたところから、その姿を観察した。


 大きさは、俺の両手で抱えられるくらい。


 背中の甲羅は、まるで石のように硬そうだ。


「……動きが遅いね」


「ええ。ですが、見た目以上に体力があります。長時間歩き続けることができますし、甲羅も非常に硬い」


「……へえ」


 ホーンラビットは突進。


 グラスウィーゼルは素早い動き。


 そして、ストーンタートルは硬い甲羅。


 本当に、魔物によって特徴が違う。


「……こういう魔物は、どうやって倒すの?」


 俺が尋ねると、ガルドさんは笑った。


「まず、甲羅を正面から叩かないことですね」


「……うん」


「硬い部分を避けて、弱いところを狙うのが基本です」


 ガルドさんはストーンタートルを指さした。


「例えば、首や足の付け根です」


 ……なるほど。


 硬い甲羅があっても、全身が硬いわけじゃない。


 だったら、そこを狙えばいいのか。


「……面白い!」


 俺は思わず笑った。


     ◇


 そのときだった。


 ストーンタートルが、小さな石段へ向かって歩き始めた。


 そして、段差を登ろうとして。


 ごろんっ。


「……あっ!」


 ひっくり返った。


 甲羅を下にして、四本の足をばたばたと動かしている。


「……おお」


 俺は思わず目を丸くした。


 硬い甲羅が、逆に邪魔になっている。


 これなら、弱い腹側が丸見えだ。


「……ガルドさん!」


「ええ。こういうこともあります」


 ガルドさんは頷いた。


「どんな魔物にも、得意な状況と苦手な状況があります。そこを見つけることが大切なんですよ」


「……なるほど!」


 確かに。


 硬い相手には、力で勝とうとする必要はない。


 姿勢を崩して、弱い部分を狙えばいい。


 ……これ、前世でいう柔道にも似た考え方だな。


 相手の重心を利用する。


 単純な力比べではなく、工夫して有利な状況を作る。


 ……面白い!


「……ガルドさん」


「はい?」


「俺でも、倒せるかな?」


 ガルドさんは少し考え込んだ。


「今の坊ちゃんには、まだ難しいでしょうね」


「……そっか」


「ですが、どうすれば倒せるか考えることはできますよ」


 そう言って、ガルドさんは笑った。


「例えば、今の状態なら、どこを狙います?」


「……お腹!」


「そのとおりです」


 俺は嬉しくなった。


 こういうふうに、相手の特徴を考えるのは楽しい。


 でも。


 今日は、無理に戦おうとは思わなかった。


 俺には、まだ知らないことが多い。


 それに、ガルドさんとの約束もある。


     ◇


 しばらくして、ストーンタートルは何とか身体を起こした。


 そして、ゆっくりと歩き始める。


 だが、向かっているのは使用人たちが作業している庭園の奥だった。


「……ガルドさん」


「ええ。ここは人が通る場所ですからね」


 ガルドさんは頷いた。


「放っておくわけにはいきません」


 そう言って、俺を安全な場所へ下がらせた。


「坊ちゃん。よく見ていてください」


「……うん!」


 ガルドさんは短剣を抜いた。


 そして、ストーンタートルの前へ回り込んだ。


 魔物が首を引っ込める。


 ……守りに入った!


 俺は《観察》を使って、その動きを見つめた。


 ガルドさんはすぐには攻撃しなかった。


 相手が首を伸ばすのを待っている。


 そして。


 すっ。


 短剣が、甲羅の隙間へ滑り込んだ。


 一瞬だった。


 ストーンタートルの動きが止まる。


「……おお」


 俺は思わず声を漏らした。


 速い。


 しかも、無駄がない。


「……すごい!」


 ガルドさんが振り返る。


「どうでした?」


「甲羅を叩かなくても、倒せるんだね!」


「ええ。相手の特徴を理解すれば、必要以上に力を使わずに済みます」


「……なるほど!」


 俺は大きく頷いた。


 やっぱり、経験の差は大きい。


 いつか、俺もあんなふうに戦えるようになりたい。


 そのときだった。


 ふと、倒れたストーンタートルが目に入った。


 ……あ。


 今、倒したばかりだよな?


 ということは。


 今なら《収集》できる。


 新しい魔物だ。


 もしかしたら、今まで持っていないスキルが手に入るかもしれない。


「……」


 俺はそっと右手を持ち上げた。


 だが。


 すぐに、その手を止めた。


 ……待てよ。


 俺は、ガルドさんの戦いを見ていた。


 相手の特徴を理解し、弱点を狙い、確実に倒す。


 今の俺には、まだできないことだ。


 でも、だからこそ。


 いつか、自分の力で倒してみたい。


 ただスキルを集めるだけじゃなく、そのスキルを手に入れるまでの過程も大切にしたい。


 それに、今日の俺は戦う準備をしてきたわけじゃない。


 ガルドさんから、野外での行動を学びに来たんだ。


「……よし」


 俺は右手を下ろした。


 今日は《収集》しない。


 もちろん、ほかの人が倒した魔物からスキルを集めることが悪いとは思わない。


 でも、今回のストーンタートルは違う。


 こいつを倒せるようになることを、次の目標にしたいんだ。


 そして、ちゃんと準備して、自分の力で倒したときに《収集》してみたい。


「……ふふふ」


 俺は小さく笑った。


 新しい楽しみができた。


     ◇


「坊ちゃん?」


「……ん?」


 ガルドさんがこちらを見ていた。


「何か考え事ですか?」


「……うん!」


「ほう?」


 俺はガルドさんを見上げた。


「俺、いつかストーンタートルを自分で倒してみたい!」


 ガルドさんは少し驚いた顔をした。


「ストーンタートルを?」


「うん! 今日、ガルドさんの戦い方を見て、もっと練習したいと思ったんだ!」


 ガルドさんは、しばらく俺を見つめていた。


 そして。


「……いいですねぇ」


 嬉しそうに笑った。


「そういう目標は大歓迎ですよ」


「……本当!?」


「ええ。ただし、今すぐではありません」


「分かってる!」


 俺は大きく頷いた。


「もっと練習して、ちゃんと勝てるようになってから挑戦する!」


 ガルドさんは満足そうに頷いた。


「ええ。それでこそ、俺の弟子です」


「……弟子?」


「おや、違いましたか?」


「……ううん!」


 俺は思わず笑った。


「俺、ガルドさんの弟子になる!」


「はっはっは! では、師匠としてしっかり鍛えなくてはいけませんね!」


 ガルドさんも豪快に笑った。


「ただし、もう一つ約束してください」


「……何?」


「強くなっても、今日話したことを忘れないことです」


 俺はガルドさんを見上げた。


「自分の命を大切にすること。そして、坊ちゃんの帰りを待っている人がいることを忘れないこと」


「…………うん」


 俺は、しっかりと頷いた。


「忘れないよ」


 ガルドさんは優しく笑った。


「それなら、いつか一緒に冒険できる日も来るかもしれませんね」


「……本当!?」


「ええ。その日まで、しっかり鍛えましょう!」


「うん!」


     ◇


 その日の夜。


 俺は自分の部屋で、いつもの訓練ノートを開いていた。


 まず、今日学んだことを書き込む。


『ストーンタートル』


『特徴:甲羅が硬い。動きは遅いが、体力がある』


『弱点:首、足の付け根、腹側』


『目標:いつか自分の力で倒す』


 ……よし。


 それから、少し考えて、新しいページを開いた。


 そこには、いつもと違うことを書いた。


『強くなるために忘れないこと』


 一、勝つことだけを考えない。


 二、危険なときは逃げる。


 三、無理な戦いをしない。


 四、自分がいなくなったら、悲しむ人がいることを忘れない。


 五、必ず生きて帰る。


「……うん」


 俺は、しばらくその文字を見つめていた。


 前世では、こんなことを真剣に考えたことはなかったかもしれない。


 でも、この世界では違う。


 魔物がいる。


 危険な場所がある。


 少しの判断ミスで、命を落とすことだってある。


 そして、俺には兄さんがいる。


 ガルドさんがいる。


 マリアもいる。


 俺を心配してくれる人たちがいる。


 ……それを、忘れちゃいけない。


「……よし!」


 俺はノートを閉じた。


 もっと強くなろう。


 もっと知識を増やそう。


 もっとたくさんのスキルを集めよう。


 でも、何よりも。


 ちゃんと生きて帰れる強さを身につけよう。


 いつか冒険者になって、世界中を旅する。


 いろんな魔物と戦って、知らない場所を見て、たくさんの経験をする。


 そして、屋敷に帰ってきたら、兄さんにその話を聞かせるんだ。


 ガルドさんにも、自分がどれくらい強くなったか見てもらおう。


 マリアには、旅先で見つけた珍しいお土産を買ってこようかな。


「……ふふふ」


 想像しただけで、楽しくなってきた。


 俺はベッドに潜り込んだ。


 今日、新しいスキルは手に入らなかった。


 でも、それ以上に大切なことを学べた気がする。


 明日から、また頑張ろう。


 もっと強くなるために。


 そして、俺の帰りを待ってくれる人たちに、ちゃんと笑って会うために。

すみません。投稿ミスで1話抜けてました。

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