第41話 役目のない緑
木が多い都だった。
街路に並ぶ木、広場の木、建物の壁を這う蔦、窓辺の花。緑があちこちにあった。
アルブは歩きながら、木の一本一本を見た。
葉が豊かだった。枝が広がっていた。影を落としていた。木として、十分な形をしていた。
でも、何かがいなかった。
虫がいない。
木に虫がいない。葉の裏に虫がいない。幹に虫がいない。土の中から虫が出てこない。木が虫を寄せつけていないのではなく、虫が来る理由がないのだった。
花が咲いていた。
色鮮やかな花だった。でも花の周りに虫が来なかった。虫が来ないから、花粉が運ばれない。花粉が運ばれないから、種ができない。この花は、今季限りの花だった。来年また咲くには、魔法でまた作らなければならない。
アルブは木の幹に手を当てた。
記憶が薄かった。
土の記憶と同じだった。木として存在しているが、木の記憶が積み重なっていない。何年生きてきたかが、幹の中にない。輪があるはずの場所に、輪がなかった。
幹は太いのに、内側へ積み重なった時間がなかった。一年ごとに太ったのではなく、最初からこの太さに作られたようだった。
成長しているのではなく、形だけが維持されている木だった。
「木陰に入っても」
アルブは言った。
「涼しくない」
ウラが木陰に入った。
「……本当だ。影はあるのに」
「木が蒸散していない。葉から水が蒸発しないから、周りの温度が下がらない。緑の影は涼しいはずなのに、この木陰は石の影と同じだ」
ソウダが幹を手のひらで叩いた。
「生きてる音じゃない」
木の音がした。
乾いた、空洞の音だった。
「形だけがある」
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マブロは都の端まで歩いた。
一人で歩いた。センに「一人か」と聞かれたが、「少し」とだけ言った。センは来なかった。分かったのだろう。
都の外壁の近くに、空中通路の支柱があった。支柱の根元に、魔法の光源装置があった。常に光を出し続ける装置だった。
装置の周りに、熱があった。
微かな、でも確かな熱だった。
マブロは鼻を使った。
焦げた匂いがした。
真力が燃える匂いだった。
火の国の中央炉で嗅いだことがある。王都の地下の真力炉で嗅いだことがある。同じ匂いがした。でもここのは、もっと広範囲だった。都全体から、微かに焦げた匂いがした。
一か所で集中的に燃えているのではない。
都全体が、少しずつ、絶えず、真力を燃やしていた。
美しい都が、毎日、どこかの土地の未来を少しずつ焼いていた。
マブロは外壁に背を預けた。
怒りが来なかった。
来るべき怒りが来なかった。
以前の自分なら怒っていた。叫んでいた。正しい怒りを、正しくない場所にぶつけていた。
今は怒りより先に、悲しみが来た。
悲しみというより、重さだった。
この都が美しいことは本当だ。治療院の子供が笑ったことは本当だ。橋の上を走る子供たちが幸せそうなことも本当だ。
それが全部、本当のことなのに、代償がある。
代償を払っているのが、名前を知らない遠くの人たちだ。
名前を知っている人たちもいる。ばーちゃんが死んだ村の人たちだ。枯れた井戸の前で泣いていた老人だ。ダウルが砂漠で拾ってきた子供たちだ。
その人たちの未来が、この光になっている。
マブロは都を見た。
夕暮れの都が光っていた。
光が美しかった。
美しいことが、苦しかった。
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夕食のとき、全員が集まった。
アルブが木について話した。役目のない緑の話をした。
ソウダが「種がない」と言った。ウラが「水が巡っていない」と言った。ニルが「土が呼吸していない」と言った。センが「この都に風は来るが、届けるものを持っていない風だ」と言った。
六人の観察が、一つの絵になった。
美しい都が、どういう都か。
緑があって、水があって、光があって、病を治す力があって、子供が笑っている都が、どういう都か。
「生きてる形をしてるのに」
アルブが言った。
「何もつながってない」
誰も答えなかった。
マブロが椀を置いた。
「変えるか」
「変える」
「どうやって」
「まだ分からない。でも、まだある。消えていない」
「何が」
「都が作られる前の土の記憶が、深い場所に残っていた。どんなに削られても、どんなに上を塗り固められても、一番深い場所の記憶は、まだあった」
「それが頼みの綱か」
「それだけじゃない。この都の人間も、全員が仕組みに賛成しているわけじゃないはずだ。王都のシルワンがそうだったように、喉の奥に、土のなさを感じている人間が、きっとここにもいる」
マブロは少し考えた。
「その人間を探すか」
「まず、探す」
センが「砂を感じている人間、どうやって見つける?」と聞いた。
「匂いで分かる」とソウダが言った。
「土の匂いを知っている人間は、この都の土のなさを感じているはずだ。その人間は、どこかに素足で立ちたがる顔をしているはずだ」
全員がソウダを見た。
七十三歳の老農師が、素足で石畳の上に座って言った。
「勘だがな。大体合ってる」
翌日、市場を歩いていたとき、ソウダが立ち止まった。
果物を売っている老人の前で、立ち止まった。
老人は靴を履いていたが、果物を並べるたびに石畳を素足で踏もうとするような、中途半端な立ち方をしていた。
ソウダが老人に声をかけた。
「土の国の人ですか」
老人が顔を上げた。
「どうして分かった」
ソウダが
「足が知ってる」
と言った。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第41話では、魔法の国にあふれる緑の正体が明らかになりました。
木はある。
花も咲いている。
けれど虫が来ず、花粉が運ばれず、種が生まれない。
木陰があっても涼しくなく、幹は太くても、内側に積み重なった時間がない。
生きている形をしていても、次の命へ何もつながっていない緑です。
一方で、マブロは都全体から漂う、真力が燃える匂いを感じ取りました。
美しい都も、治療の光も、子供たちの笑顔も本物です。
同時に、その代償として、遠くの土地の未来が燃えていることも本物です。
どちらか一方を嘘にしなければならないわけではありません。
両方が本当だからこそ、この問題は苦しいのだと思います。
それでも、都が作られる前の古い土の記憶は、深い場所に残っていました。
完全には消えていない。
だから、つなぎ直す道もまだ残されています。
次回、六人は魔法の国の中で、同じ違和感を抱えている人間を探し始めます。
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