第28話 博守の掟
ガラムが掟を語り始めたのは、サニワが南へ向かって二日目の夜だった。
火種部屋の小窓から漏れる光の前に、ガラムは座っていた。アルブとマブロが横にいた。砂漠の夜は冷える。昼間の熱が砂から抜けていくとき、温度が急に落ちる。マブロが膝を抱えていた。
「博守の掟は七つある」
ガラムは言った。
「俺が師匠から聞いた掟だ。師匠もその師匠から聞いたという。どこから始まったかは誰も知らない」
「どんな掟ですか」
アルブが聞いた。
「一つ。枯れ井戸の底を全部さらうな」
「なんで」
「迷信だと言われてきた。枯れ井戸には死者の怨念がこもっているから、かき乱すと祟られると。俺の師匠もそう説明した。本当の理由は知らなかった」
アルブは少し考えた。
「枯れ井戸の底には、水脈の痕跡が残っています。かつて水が通っていた砂の層が、底の土の中に残っている。全部さらうと、その層まで崩れる。水脈の記憶が消える」
ガラムが少し目を細めた。
「続けろ」
「二つ目は」
「砂根草は三本に一本残せ」
「根が砂を固定しているから。根を全部抜けば、砂が崩れる。一本残せば、根のネットワークが切れない。隣の砂根草と根が絡んでいれば、抜いた後の砂もしばらく保つ」
「三つ目。ワームの古い巣は壊すな」
「ワームが掘った穴は、水脈の通り道になっている。巣を壊せば穴が塞がる。水が流れなくなる」
ガラムが頷いた。
「四つ目。夜に鳴く虫は捕るな」
「夜に鳴く虫は、交尾の季節に鳴く。捕れば繁殖が減る。砂漠の虫が減れば、土をほぐすものが減る。土が固まれば、根が入らなくなる」
「五つ目。人骨のそばの藻は薬にするな」
アルブは少し間を置いた。
「……人骨のそばの藻は、腐敗した有機物を分解して育っている。その藻が育つ場所は、土の微生物が豊富な場所だ。薬のために根こそぎ取れば、その土の分解サイクルが壊れる。藻は薬として使えても、土の役目を失う」
「残り二つは自分で考えてみろ」
「残りは」
「水辺の石を動かすな。と、砂の色が変わる日は採取するな、だ」
アルブはしばらく黙った。
水辺の石の下には、藻が生えている。石を動かせば藻が乾く。藻は水辺の生態系の起点だ。砂の色が変わる日は、深層の砂が表面に出てきている日だ。深層の砂は乾ききっていて、採取すると表面の湿った砂が混ざり、周囲の水分バランスが乱れる。
「七つ全部」
アルブは言った。
「真力を守る知恵だ。迷信じゃない。真法の名残じゃなくて、真法を知っていた人間が、知識を残す方法として掟にした」
火の光が、ガラムの横顔を照らしていた。
ガラムは何も言わなかった。
「ガラム」
マブロが言った。
「あんたは知ってたのか。掟の本当の意味を」
「知らなかった」
ガラムは短く答えた。
「師匠から教わったまま守ってきた。なぜかは聞かなかった。博守の掟だから守るものだ、と思っていた」
「でも守ってきた」
「守ってきた」
マブロが膝から顔を上げた。
「ばーちゃん、知ってたんだな」
「何を」
「掟の意味。ばーちゃんは博守じゃなかったけど、同じことを言ってた。拾ったもんは、つなげ返さんとな、って。掟が言ってることと、同じことを自分の言葉で言ってた」
誰も答えなかった。
砂漠の夜の風が、サニワの帆を揺らした。骨格が小さく軋んだ。
「屑守、か」
ガラムが呟いた。
「俺も若い頃、言われたよ。砂の屑を拾ってくる奴、って」
「今も言われる」
「今も言われる。だがな」
ガラムは火を見た。
「掟を守り続けたのは、博守だ。迷信と笑われながら、意味も分からず守り続けた。その結果、砂根草が残った。ワームの巣が残った。夜の虫が残った。全部さらっていたら、今頃この砂漠に何も残っていなかった」
アルブは砂読み台に手を置いた。
薄い床越しに、砂漠の声が伝わってくる。
俺たちは何をしてきたのか、とアルブは思った。
屑守と呼ばれて、砂漠に出て、乾いた骨や虫の殻や枯れた根を拾い続けた。誰も感謝しなかった。誰も意味を教えてくれなかった。それでも続けてきた。
「屑を拾ってたんじゃない」
アルブは言った。
自分に言い聞かせるような声だった。
「まだ失くしてないものを、残してたんだ」
ガラムが少し目を伏せた。
照れているのだ、とアルブには分かった。荒っぽい顔のままで、少し照れていた。
マブロが何も言わなかった。
珍しく、何も言わなかった。
翌朝、ダウルが博守の掟を全員に語り直した。
子供たちが前列に座って聞いた。
掟の意味を初めて知った老元博守が、一度だけ目を閉じた。
それから
「もっとはやく知りたかった」
と言った。
アルブは
「今知れた」
と言った。
老人はしばらくして、
「そうだな」
と答えた。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第28話では、博守に古くから伝わる七つの掟が語られました。
枯れ井戸を全部さらわない。
砂根草を残す。
ワームの巣を壊さない。
夜に鳴く虫を捕らない。
長いあいだ迷信として伝えられてきた掟は、実は砂漠に残った役目を守るための知恵でした。
意味を知らなくても、博守たちは掟を守り続けた。
その積み重ねが、砂根草や虫や水脈の記憶を、完全に失わせずに残していたのだと思います。
屑を拾っていたのではなく、まだ失くしていないものを残していた。
今回は「屑守」という仕事の本当の価値が、少し見えてくる回でした。
次回、サニワはいよいよ本当の出航を迎えます。
掟を受け継いだ人々が、庭ごと新しい土地へ向かいます。
七つの掟の中で、特に印象に残ったものがあれば、感想で教えていただけると嬉しいです。




