第17話 国のものにせよ
使者の名はシルワンといった。
三十代の半ば、細面で姿勢がよく、声は低く落ち着いていた。王国の紋章入りの上着は砂漠の中でも折り目正しく、汗も砂埃も、まるで寄り付かないかのようだった。輿を担いできた四人の兵士は後ろで控えており、武器は持っているが抜いていない。
礼儀を知っている、とアルブは思った。
それが余計に、怖かった。
「素晴らしい場所です」
シルワンはマニハを見渡して言った。感嘆の声ではなく、確認の声だった。すでに報告で知っていて、実物と照合しているような目だった。
「水があり、草が育ち、民が集まっている。このような場所が砂漠に生まれるとは、王国としても喜ばしい限りです」
マブロが前に出ようとした。アルブが袖を引いた。
「話を聞く」
小声で言った。マブロは止まった。腕を組んで、黙って聞く体勢になった。
「この力は、王国が管理すべきです」
シルワンは続けた。
「民のために、あなた方を保護します。王国の庇護のもとで、この庭をより大きく、より多くの民のために育てることができます。人材も、資材も、王国が提供します。あなた方はただ、その力を王国のために使っていただければいい」
声は穏やかだった。
脅しではなかった。
本当に、そう思っていた。
それがアルブには分かった。この男は悪人ではない。王国のために働いていて、王国が民を助けることを、心から信じている。そういう目だった。そういう声だった。
だから、怖い。
悪意からなら、跳ね返せるかもしれない。
善意からなら、跳ね返すことがそもそも難しい。
「保護、ね」
マブロが言った。
「保護というのは、守ってもらうことですよね」
「その通りです」
「じゃあ、何から守ってもらえるんですか」
シルワンが少し間を置いた。
「様々な脅威から、です。こうした場所は、多くの者が狙います。王国の管理下に置くことで、あなた方は安全になります」
「王国以外の脅威から守る、ということですね」
「……左様です」
「王国が脅威になる場合は?」
シルワンの目が、わずかに変わった。
「私どもは、民を傷つけることはしません」
「してきた」
マブロの声が低くなった。
「魔法祭。三日三晩、水の花火を上げた。あの間、この村の水脈がまた細くなった。魔法が真力を削るから。削られた分、砂漠が広がる。それを王国はしてきた。今もしてる」
シルワンが口を開きかけた。
マブロが続けた。
「俺たちの庭を管理するって言ったら、それも同じことをするんじゃないですか。王国の役に立てるために、庭の力を前借りする。庭が痩せるまで使い続ける。それが保護ですか」
「……力の適切な管理によって、そのようなことは」
「適切に管理して、川を三本枯らした。適切に管理して、この村の井戸を全部干上がらせた」
沈黙があった。
シルワンは否定しなかった。
できなかったのかもしれない。知っていたのだろう、とアルブは思った。知っていて、それでも王国の繁栄の方が大切だと思っている。悪人ではなく、ただ、土台が違う。
「検討する時間をいただけますか」
アルブが言った。
マブロが振り返った。「アルブ」
「今すぐ答えなくていいはずです。検討する時間が欲しい」
シルワンが頷いた。
「三日、差し上げましょう」
その時だった。
シルワンが手を上げた。何かを確認するように、指先に光を灯した。魔法の光だった。小さな光だ。脅しではなく、ただ所作として魔法を使った。
アルブの体を何かが走り抜けた。
痛みではない。抜けていく感覚だ。世界から何かが引かれる感覚。そしてすぐに、足の裏から悲鳴が上がった。土の悲鳴だ。水の悲鳴だ。
草が萎れた。
水場の端の、今朝まで元気だった草が、一瞬でしぼんだ。
アルブは息を呑んだ。
生まれたばかりの真庭は、まだ細い。つながりが細いからこそ、小さな魔法にも揺らいでしまう。
シルワンは気づいていなかった。光はもう消えていた。小さな魔法だった。王都では誰もが何でもないように使う、ほんの小さな光だった。それだけで、草が萎れた。
「では三日後に」
シルワンは礼をして、輿に乗った。
去り際に振り返って言った。
「念のため申し上げておきますが」
声は変わらず穏やかだった。
「次は、お願いでは済みません」
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砂煙が消えてから、誰も口を開かなかった。
ダウルがしゃがんで、萎れた草の葉に触れた。
「……取り返せるか」
アルブが草の根元に手を当てた。
役目はまだある。消えていない。ただ、奪われた分が欠けている。じわりと土から記憶を拾って、そっと戻した。草がゆっくりと、完全にではないが、少し起き上がった。
「時間があれば」
「時間はない」
マブロが言った。
「三日で来る。次は兵隊を連れてくる」
「分かってる」
「分かってんのか」
マブロが振り返った。目が怒っていた。怒っているが、アルブに怒っているのではない。何もできなかった自分に怒っている目だった。
「あの光一つで草が萎れるんだぞ。魔法使いを何人か連れてきたら、ここ全部終わる」
「分かってる」
「どうする」
アルブはしばらく黙った。
萎れかけの草を見ていた。
「守る」
「どうやって」
「拾う」
マブロが黙った。
「土地には、記憶がある。ここにも、昔の役目がある。砂に沈んでも、消えたわけじゃない」
アルブは砂を触った。
「拾える。まだ」
三日待たなかった。翌朝、砂煙が来た。今度は旗がなかった。旗を持たない兵が来るとき、それは交渉ではない。
アルブは砂の振動で、馬の数を数えた。
十二、いや十四。マブロが黒砂塊を握った。
「やるぞ」
「待って」
「何を待つ」
「読む。まず読む」
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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第17話では、王国の使者シルワンがマニハを訪れました。
今回書きたかったのは、分かりやすい悪人ではない相手の怖さです。
シルワンは、乱暴に奪いに来たわけではありません。
王国が管理すれば多くの民を救えると、本気で信じている。
だからこそ、アルブにとっては跳ね返しにくい相手でもあります。
けれど、小さな魔法の光ひとつで、マニハの草は萎れました。
王都では当たり前の便利な魔法が、生まれたばかりの真庭にとっては脅威になる。
その事実が、これから大きな意味を持っていきます。
次回は、旗を持たない兵たちがやって来ます。
交渉ではなく、力で動かそうとする相手に、双子がどう向き合うのか。
シルワンの言葉や、魔法で草が萎れる場面が印象に残りましたら、感想で聞かせていただけると嬉しいです。




