第14話 最初の水場
砂根草が一本だけ生えていた。
村外れから半刻ほど歩いた砂地の端、崩れかけた土の段差の脇に、砂根草が一本だけ、風もないのにわずかに揺れていた。葉は干からびている。茎は細い。だが根は生きている。根が生きているなら、根の先に何かある。
アルブは砂根草の根元に片膝をついて、砂に手を押し当てた。
冷たかった。
砂の表面は乾いているのに、指を差し込むと、数センチ下が、僅かに湿っている。
「何かある」
「分かった。ここか」
マブロがすぐ後ろで腕を組んでいた。昨日の朝、アルブが「村外れを調べたい」と言ったとき、理由も聞かずについてきた。今もそうだ。何も言わずにいる。待っている。
アルブはもっと深く手を沈めた。
その瞬間、来た。
土の記憶が、指先から這い上がってきた。
最初に来たのは渇きだった。長い、長い渇き。何十年分もの渇きが、どっと体に入ってくる。次に来たのは重さだった。砂の重さではない、水の重さだ。かつてここを流れていた水の重さが、体の芯を圧迫する。骨が軋む気がした。目の奥に、川が見えた。小さな川だが、透き通っていた。両岸に草が生えていた。虫が飛んでいた。子供が水に足をつけていた。
それがすべて消えた瞬間の痛みも来た。
川が消えた日の、土の悲鳴が体をすり抜けた。
「アルブ」
マブロの声が遠かった。
「アルブ、大丈夫か」
「……やれる」
「顔が白い」
「やれる」
アルブは歯を食いしばった。記憶が体をすり抜けていく。受け止める。流す。ばーちゃんがそう言った。受け止めて、でも呑まれるな、と。
水はここを流れていた。流れていたことを、水はまだ覚えている。
「マブロ。砂を払って」
「どこを」
「ここから、あっちの石まで。一直線に」
マブロが風を呼んだ。柔らかい、細い風だ。砂嵐にならないよう、加減している。砂の表面が薄く吹き飛んで、下の層が露わになった。色が違う。白い砂ではなく、少し赤みがかった砂だ。古い土が出てきた。
「次、温めて」
「土を? どこを」
「この赤い部分、全部」
「どんくらい?」
「……ばーちゃんの手の温かさで。冷え切った土を起こすには、強い火では駄目だ。眠っているものを驚かせない、手の温度がいる。」
マブロが動きを止めた。
一瞬だけ。ほんの一瞬だけ止まって、それから黒砂を取り出した。革袋の中で眠っていた黒い砂塊だ。手のひらで包み、じっと押さえた。炎にならなかった。煙も出なかった。ただ、じんわりと、熱が広がった。やわらかい熱だった。真冬の朝に誰かが手を握ってくれたときみたいな、そういう熱だった。
土が温まっていくのを、アルブは足の裏で感じた。
固まっていた何かが、ほぐれていく。
水脈は、命令されるのを待っていたわけじゃない。ただ、冷えて、固まって、長い時間をかけて眠っていただけだ。思い出してもらうのを、待っていた。
アルブは砂に両手を押し込んだ。
水が通っていたところを撫でた。ここを流れていたね、と伝えた。言葉ではない。言葉より下の、もっと古い何かで、伝えた。
――お前には、役目がある。
砂の下で、何かが動いた。
「アルブ」
マブロの声が変わった。
赤みがかった砂の表面が、わずかに盛り上がった。割れた。細い線が走った。その線の中から、水が滲んだ。
噴き出したわけではない。溢れたわけでもない。
じわり、と来た。
砂の隙間から、冷たい水が、じわりと滲んでくる。
アルブは両手を土の上に置いたまま動かなかった。体に入ってくる記憶がまだある。渇きと、重さと、失った日の痛みが、まだ体をすり抜けていく。それでも手を離さなかった。役目をつなげ返すまでは、離せない。
水は止まらなかった。
じわり、じわりと、少しずつ砂の表面を濡らしていった。
マブロは長いこと黙っていた。
濡れた砂を見ていた。水がじわりと広がるのを、しゃがんで、ただ見ていた。
手のひらを砂につけた。水が手のひらを濡らした。
「これ、魔法じゃないよな」
呟きだった。
「違う」
「……王都の噴水とは、全然違う」
「うん」
「あっちは命令して、出させてる」
「うん」
「こっちは」
マブロはしばらく黙った。濡れた手のひらを見ていた。
「こっちは、水が自分で来た」
アルブは答えなかった。
そうだ、と思った。命令したわけじゃない。引っ張ったわけじゃない。ただ、思い出してもらった。水が自分で、ここを通ることを思い出した。
砂根草の根が、少しだけ深く伸びる音がした気がした。
気のせいかもしれない。
気のせいでもよかった。
翌朝、水場に戻ると、砂の上に細い線がいくつも刻まれていた。夜露甲虫が這った跡だ。虫が来た。虫が来ている。アルブはその跡を踏まないように気をつけながら、膝をついた。水の滲む場所が、昨日より少し広がっていた。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第14話では、アルブとマブロが村外れで最初の水場を見つけました。
水を無理やり出すのではなく、眠っていた水脈に役目を思い出してもらう。
そして、冷え切った土をマブロの火で静かに温める。
アルブの水と土。
マブロの火と風。
二人の真法が重なって、ようやく小さな水が戻ってきました。
王都の噴水のように派手ではありません。
でも、砂の隙間からじわりと滲む水には、自分で戻ってきた命のような強さがあります。
次回は、その水場に虫が来て、草が芽吹き、少しずつ「真庭」へ近づいていきます。
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