第1話――ザイレン・ヴァルケン!
第1話――ザイレン・ヴァルケン!
朝日が目覚ましより先に窓から差し込んできた。
いつものことだった。
まるで夜明けそのものがザイレン・ヴァルケンに個人的な恨みでもあるみたいに。
光と世界が結託して、彼に「ちょうどいい睡眠時間」を絶対に与えないようにしているようだった。
目覚ましが鳴る。
ザイレンは目も開けないまま、それを殴り飛ばした。
長年の経験から生まれた、完璧な一撃だった。
目覚ましはベッド脇の机から吹っ飛ぶ。
静寂。
完璧だ。
「ザイレン!! 起きなさーい!!」
少年は枕に顔をうずめたまま唸った。
「母さん……あと二分だけ……本当に二分……」
「ザイレン! 早く起きなさい!!」
「……あそこ好きじゃないのに……」
ドアが開いた。
いや、開いたというより――爆発した。
「起きろおおお!!」
「うわぁっ!!」
ザイレンは飛び起き、そのままベッドの上で一瞬固まり、次の瞬間には毛布に足を取られて床に転がった。
「あと、部屋を出るときテレビ消しなさい! 毎晩つけっぱなしなんだから!」
メイがテレビを指差しながら言った。
返事を待たず、ドアはまた勢いよく閉まった。
ザイレンは床に座ったまま胸を押さえる。
……そんな大声出さなくてもいいだろ……
ようやく立ち上がり、テレビを消した。
その瞬間だった。
彼の目が見開かれる。
待て。
昨日、あの一番いい場面で止めたはず――
「……うそだろ!?」
顔色が変わる。
帰ったら最初から見直さないと……全部だ……
そんな重大事件を抱えたまま、彼は歯ブラシをくわえてスマホを開いた。
ニュースを流し見する。
そして止まった。
タイトルを二回読む。
三回読む。
「マジで!?」
歯磨き粉が鏡に飛んだ。
「新シーズン!?」
一気に目が覚める。
「十年後とかじゃなかったのかよ!? 本物!? マジの本物!?」
鏡をパジャマの袖で雑に拭きながら笑う。
月曜日は、正式に少しだけマシになった。
数分後。
寝癖を少し残したまま階段を下り、冷蔵庫へ向かった。
「おはよう、母さん」
扉を開ける。
中を見る。
考える。
「……あれ?」
背後からメイの声。
「そこに朝ごはん入ってると思った?」
ザイレンが振り返る。
テーブルにはパン、ジュース、コーヒー。
全部きれいに並んでいる。
そして、その隣の椅子。
そこに座っていたのは――
結われた髪。
制服は一切乱れなし。
朝五時起きが趣味みたいな顔。
ユナエ・ハヤツメだった。
「なんでまだパジャマなの!?」メイが頭を抱える。
「……あ」
「ユナエが来てるのにも気づいてなかったでしょ」
「……あ」
ザイレンは普通に席へ向かった。
「よう、ユナエ。いたのか」
ユナエは三秒黙った。
「おはよう、ザイレン。……今気づいたの?」
「なあユナエ」
「なに?」
「家ないの?」
「はぁ!?」
彼女が指をさした。
「幼なじみに言うことそれ!?」
ザイレンは笑った。
自然な笑いだった。
彼は通りながら、何気なく彼女の頭を撫でる。
「冗談だよ。いつでも来い」
ユナエの頬がわずかに赤く染まる。
「……覚えてるからね」
メイはその様子を静かに見ていた。
そして笑う。
「孫の顔を見る日も近いかしら」
二人同時に固まった。
「母さん!?!?」
「なによ~」
ユナエはテーブルクロスを真剣に見つめていた。
しばらくして。
制服姿になったザイレンが玄関に立つ。
「行ってくる!」
「いってらっしゃい!」
ドアを開け、肩越しに振り返る。
「ほら、ユナエ。行くぞ」
「急かさないでよ!」
朝の住宅街は静かだった。
二人は並んで歩く。
「ユナエ。俺と歩くと評判落ちるぞ」
両手を頭の後ろに組みながら言う。
「周りのやつらに睨まれるし」
ユナエは横目で見た。
「だから?」
「は?」
「あなたは私の一番大事な幼なじみ。そんなことで離れない」
ザイレンは視線を逸らす。
「……変なやつ」
「いつも距離取ろうとするよね」
「別に」
「でも私、追いかけるから」
彼は少し黙った。
……なんで俺なんだろうな。
「気にしすぎだよ」
ユナエの声が少しだけ真面目になる。
「他人の目とか、噂とか」
「……」
「前だって、あなたの悪口言った人に私――」
ザイレンが苦笑する。
「マジで怖かったからな、あの時」
「だって」
彼女は言った。
「私の大事な人を傷つける人、嫌いだもん」
風が吹いた。
沈黙。
二人同時に顔を背けた。
「へ、変なこと言うなよ」
「う、うるさい!」
肩を押される。
ザイレンは笑った。
学校。
当然のようにユナエの周りには人が集まる。
人気者。
ザイレンは少し離れて眺めていた。
数人の男子が彼を見る。
ユナエが気づいた。
ゆっくり振り返る。
その一瞬で男子たちは凍った。
怖い。
昼休み。
教室はほとんど空。
ザイレンは伸びをした。
そして固まる。
「あっ」
立ち上がる。
「弁当忘れた!!」
「やっぱり」
入口にユナエ。
弁当を持っている。
「絶対忘れると思った」
「……ごめん」
「別に」
彼女はそっぽを向いた。
「わ、私が作っただけだし」
「屋上行くか」
風が気持ちいい。
ユナエは向かいに座る。
ザイレンは一口食べた。
止まる。
彼女を見る。
「……え?」
「な、なに」
笑顔。
素の笑顔。
「ユナエ、もう結婚できるぞ。母さんと同じくらいうまい」
真っ赤。
「ちょっと!?」
「なんでそんな赤いんだ?」
「忘れて!!」
「でも本当にうまい」
彼女は視線を逸らす。
「……いい先生がいたから」
ザイレンが教室へ戻ったあと。
ユナエは一人。
スマホを耳へ。
「……まだ時間が必要なの」
父の声。
「本当に大丈夫なのか」
「お願い。まだ彼に知られたくない」
空を見上げた。
「騙してたって思われたくないの」
放課後。
ザイレンは待っていた。
ユナエが遅い。
珍しい。
電話する。
出ない。
角を曲がる。
止まる。
校門の横。
シン・アカムラがユナエの前にいた。
「なあ、ザイレンなんか放っとけよ」
笑っている。
「俺の方が――」
「死にたいの?」
ユナエの声は低かった。
そこへ。
「何やってんだ」
ザイレン。
シンが笑う。
「お前が英雄気取り――」
終わらなかった。
一瞬だった。
ザイレンの姿が消える。
空気を裂く音。
――ドンッ!!
回し蹴り。
信じられない速さ。
シンの顔面に直撃。
壁に叩きつけられた。
血。
静寂。
ユナエが目を見開く。
ザイレンの左目。
黄金だった。
金色に光る瞳。
ヴォルク。
でも彼は知らない。
何も。
ただ、自分の体が勝手に動いた。
「な、何だ今の!?」
「ここを出るよ!」
ユナエが手を掴む。
走る。
「死んでないよな!?」
「死んでない!!」
裏路地へ。
息を切らす。
「説明してくれ」
「……今は信じられない」
「いや信じる!」
ユナエは深呼吸した。
左手を出す。
鍵が現れる。
「……え?」
幻じゃない。
彼女は壁に鍵を当てた。
空気が変わる。
声。
『合言葉を言え』
壁そのものが喋る。
ユナエは目を閉じた。
「生まれし時より――私は花開く」
黄金の線が壁を走る。
扉の輪郭。
光。
扉が開いた。
向こうに広がるのは――空。
魔女たちが箒で飛ぶ。
剣士が戦う。
忍が屋根を走る。
その先。
巨大な学院。
雲を突き抜ける塔。
ユナエは中へ入る。
立ち止まる。
振り返る。
少しだけ震えていた。
でも笑った。
「ザイレン」
風が髪を揺らす。
「ようこそ――隠された世界へ」
小さく。
「……お願い。嫌いにならないで」
ザイレンは入口に立ち尽くす。
世界が書き換わった。
三十メートル先にあったはずの路地の向こうに、
まったく別の世界がある。
「隠された……世界……?」
声が震えた。
恐怖じゃない。
現実が塗り替えられた時の震え。
その瞬間。
ザイレン・ヴァルケンは初めて足を踏み入れた。
父の人生を壊した世界。
自分の真実が眠る世界。
そしてこれから――
彼自身の世界になる場所へ。
彼の物語は、
ついに始まる。
第1話 完




