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ZAYREN  作者: Takumi Camargo
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第0章 ― プロローグ:ヴァルッケンの夜

ザイレン・ヴァルッケン

第0章 ― プロローグ:ヴァルッケンの夜

十二年前――

この世界には、二つの世界が存在する。

一つ目は、普通の世界。

人々が朝に目を覚まし、働き、眠りにつく世界。

大都市の向こうに何があるのか想像することもなく、ただ日々を生きている。

すぐ隣の影の中で、もっと巨大な何かが息づいていることを知らないまま。

そしてもう一つ――

それは、隠された世界。

何世紀にもわたり、忍者、魔術師、剣士、魔女たちが闇の中で存在し続けてきた場所。

決して表に出ることのない戦争を繰り返してきた世界。

もし明かされれば、普通の人間の理性では耐えられない。

山を動かし、海を裂き、都市を跡形もなく消し去る戦い。

夜明け前には地図から消されてしまうほどの戦争。

その秘密の世界で、戦士の強さを決めるものはただ一つ。

ヴェナ。

肉体、精神、魂を巡る根源の力。

見えない血流のように身体の中を駆け巡る。

それによって戦士は人の限界を超え、

属性の技で地形を変え、

武器に力を宿し、

一撃で地平線さえ断ち切る。

だが、それ以上に稀なものがあった。

戦士と怪物を分けるもの。

ヴォルク。

黄金の瞳。

世界のさらに向こう側へ通じる扉。

既知の理を超えた規模でヴェナを引き出す器官。

それを持たぬ者が隠された世界で長く生きるのは、運次第だった。

だがその時代――

運すら必要としない男がいた。

アズリオン・ヴァルッケン。

“ヴァルッケンの災厄”。

“三つのヴェナを持つ男”。

その名だけで、歴戦の戦士たちは頭を下げた。

六歳にして、大人が何十年もかけて習得しようとした技をすでに使いこなしていた。

怪物。

天才。

この世界に誤って落とされた異物。

忍術。

属性魔法。

剣術。

三つすべてを同時に、しかも完璧に扱った。

本来、一人の人間に許されるはずのない力。

だから人々は彼を“不可能”と呼んだ。

だが、本当に彼を知る者は別のことを知っていた。

何より――

彼は優しかった。

外では雨が静かに降っていた。

激しい雨ではない。

屋根を優しく叩き、世界を少しだけ狭く、近く、そして脆く見せるような雨。

メイは部屋の扉のそばで、

アズリオンがゆっくりと黒い外套を身に着ける姿を見ていた。

一つ一つの動きは、正確で、迷いがなく、見慣れすぎていた。

腰帯を締める手。

剣を差す前に、刃へそっと触れる癖。

その全部が嫌だった。

このあと何が来るか知っていたから。

「……本当に行かなきゃいけないの?」

彼女は小さく尋ねた。

アズリオンは少しだけ動きを止めた。

振り向かないまま答える。

「これしかないんだ。」

穏やかな声だった。

「この戦争が隠された世界を壊す前に止めるには。

下手をすれば、普通の世界まで巻き込む。」

剣を腰に固定した。

「ザイレンが生まれるのを待って、ずっと離れていた。

でもあそこも俺の居場所だ。

仲間が死んでる。」

メイは目を伏せた。

「でも……どうやって無事って分かるの?

私たちの関係は禁じられてる。

私は本来この世界を知るはずじゃない。

もし何かあっても誰も知らせてくれない。

私はただ待つしか――」

「メイ。」

彼は振り向いた。

そして笑った。

偽物ではない。

温かくて、少しだけいたずらっぽくて、どうしようもなく自信に満ちた笑顔。

「俺が“天上の者たち”のルールなんて気にしたことあるか?」

メイは目を見開いた。

彼はゆっくり歩み寄る。

「愛してる。」

まっすぐな言葉だった。

「それだけで十分だ。」

彼女の頬が赤くなる。

「最初から、お前だけは信じてくれた。

誰が聞いても狂ってるって思う話を。」

少し口元を緩めた。

「……まあ正直、あの頃のお前は誰の話でも信じてたけど。」

空気が凍った。

メイは彼の服を掴んだ。

「ア・ズ・リ・オ・ン。」

彼は笑った。

それから揺りかごへ歩いた。

ザイレン。

まだ何も知らず、静かに眠っている。

アズリオンの目がやわらかくなる。

(必ず守る。)

(お前がこの戦争を終わらせる鍵になる。)

(信じてる。)

(ずっと。)

「……死なないで。」

メイの声が震えた。

「もちろんだ。」

「本当に聞いてるの!?

あなたが必要なの!

この子にも、私にも!」

「心配するな。」

彼は扉に手をかけた。

「すぐ戻る。」

少しだけ振り返る。

笑った。

「今の俺は――父親だからな。」

扉が閉まった。

雨だけが残った。

そして――

それが二人の最後の会話になった。


同じ夜――

炎の国と雷の国の間で戦争が勃発した。

大国同士の争いは、以前からくすぶっていた。

消えきらない火種のように。

だがその夜――

火種は地獄へ変わった。

何百もの戦士が倒れた。

そして犠牲がそれ以上増えなかったのは、

たった一人の男のおかげだった。

戦場は、まるで世界の終わりだった。

大地は何層にも裂け、

平原だった場所には巨大なクレーターが残り、

燃え続ける炎は普通の火ではなく、

空気にも、大地にも、倒れた者たちの身体にも

ヴェナそのものが燃え移っていた。

濃い煙がすべてを覆っていた。

その時――

霧の中で足音が響いた。

ゆっくり。

規則正しく。

まるで急ぐ必要などないかのように。

まだ立っていた戦士たちが一人、また一人と目を見開く。

「……まさか」

「来たのか」

「ヴァルッケンの災厄……」

アズリオンは無言で戦場を横切った。

剣は腰に収まったまま。

一冊の魔導書が彼の隣に浮かび、

風もないのにページがゆっくりとめくられていた。

その目は周囲の破壊を見渡していた。

驚きではない。

あまりにも多くを見てきた者だけが持つ静かな目だった。

そして彼は止まる。

霧の向こう。

影に包まれた一人の男。

「まだ終わらせる気はないのか。」

アズリオンが言う。

男は笑った。

長く。

低く。

気味の悪い笑い。

「もし諦めていたなら……

お前の前に立ってると思うか?」

空気が震えた。

爆発ではない。

圧力。

男のヴェナは生き物のようだった。

息をするだけで肺が重くなる。

「相変わらずだな、アズリオン。」

「……」

「今ごろ妻と子供を守っているべきじゃないのか?」

その瞬間。

アズリオンの目がわずかに暗くなった。

そして――

数日前の記憶。

親友に向けた言葉。

「もし俺が死んだら……

メイと息子を守ってくれ。」

親友は凍りついた。

「……何だって?」

「……」

アズリオンは懐から巻物を取り出し、差し出した。

親友は受け取る。

開いた。

読んだ。

そして血の気が引いた。

「……あり得ない。」

「分かっただろ。」

アズリオンの声は平坦だった。

沈黙。

重い沈黙。

「よく聞け。」

今までになく真剣な声。

「戦いの間、何があっても手を出すな。」

「アズリオン――」

「勝てない。

近づくことすらできない。」

親友は拳を握りしめた。

「じゃあ俺に何をしろっていうんだ!

黙って見てろってのか!?」

「……ああ。」

沈黙。

「お前が次の統治者になれ。」

「ふざけるな。」

「それと――」

アズリオンの目が少しだけやわらぐ。

「俺の息子が学院に入ったら……助けてやってくれ。」

返事はなかった。

アズリオンは空を見る。

もっと遠くを見ているような目。

「信じてる。」

風が吹いた。

「ザイレンが――この世界を救う。」

長い沈黙。

そして再び親友を見る。

「たぶん俺は、生き残れない。」

「くだらないこと言うな。」

「最後まで聞け。」

その声は鋭かった。

「お前だけだ。

メイ以外で信じられるのは。」

静かな声。

疲れた声。

「俺が死んだら……メイにはお前が伝えてくれ。

あいつには、大切な人の口から聞く権利がある。」

沈黙。

さらに重くなる。

「それからもう一度言う。」

アズリオンの目が鋭くなる。

「絶対に手を出すな。

遠くから見ていろ。」

記憶が消える。

再び戦場。

アズリオンは影の男を見つめた。

そして笑う。

「……あいつらの心配はしなくていい。」

男はゆっくり武器を持ち上げた。

「最後まで愚かだな。

自分の存在すら知らない世界を救おうとしている。」

アズリオンは剣を抜く。

一閃。

迷いのない動き。

「その言葉、そっくり返す。」

次の瞬間。

二人は同時に消えた。

そして――

空が裂けた。

「ヴォルク・忍術――」

「火爆弾・燦炎!」

「黒水の大嵐!」

声が同時に響く。

黒い水と深紅の炎が空中で衝突した。

まるで二つの星がぶつかり合うようだった。

衝撃波が戦士たちを吹き飛ばす。

誰一人立っていられない。

誰も二人の動きを目で追えない。

影。

閃光。

爆発。

一瞬ごとに方向が変わる。

戦いは夜通し続いた。

大地は裂け続けた。

山は真っ二つに割れた。

空は何度も、戦いではあり得ない色で輝いた。

そして――

夜明け。


夜明けが訪れた時――

戦場は静まり返っていた。

そして。

アズリオンは倒れていた。

全身が血に染まっていた。

外套は裂け、

剣は数メートル先へ弾き飛ばされている。

呼吸をするたびに胸が痛む。

短く。

不規則に。

聞いているだけで苦しくなるほどに。

影の男がゆっくり近づく。

刀を持ち上げた。

その切っ先を、アズリオンの胸へ向ける。

「……お前なら生き残れた。」

アズリオンはゆっくり目を開いた。

その瞳に恐れはなかった。

ザイレン――

まっすぐ育て。

母さんを守れ。

そして。

この世界を救え。

俺は信じている。

最初から。

ずっと。

唇に笑みが浮かぶ。

弱く。

それでも確かな笑み。

男の声が落ちる。

冷たい刃のように。

「さらば――アズリオン・ヴァルッケン。」

刀が振り下ろされた。

その日――

世界は一つの伝説を失った。

そしてアズリオンの願い通り、

彼の親友はメイのもとへ向かった。

その夜。

メイは泣いた。

涙が枯れるまで。

もう何も残らなくなるまで。

そして涙の代わりに残った沈黙は、

どんな叫びよりも重かった。

だが。

本当の悪夢はまだ始まったばかりだった。

噂が広がった。

大地を燃やす炎のように。

「アズリオンは裏切り者だった。」

「炎の国に加担していた。」

「死んで当然だった。」

嘘だった。

全部。

彼は数え切れない命を救った。

何度も。

何度も。

それでも。

“ヴァルッケンの災厄”と呼ばれた男の名は、

世界によって汚された。

誰も疑わなかった。

誰も真実を確かめようとしなかった。

こうして――

一人の伝説が死に。

その名誉が奪われ。

そして。

何も知らない赤子が残された。

ここから。

ザイレンの物語が始まる。


第0章・プロローグ 完

第1章「隠された世界」へ続く。


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