宗盛記0121 応保二年七月 渡し綱
応保二年七月文月
一日
月が替わってさあ旅行…ではなくて今日は出仕である。一日は来なさいと言われていたので。
仕事にかこつけて、東海道の円勝寺領を調べ直す。円勝寺は統子様の発願寺で、管理は上西門院庁で行っている女院領の受け口だ。
調べるのはやはり遠江と駿河。伊豆には無い。もちろん先月からやっていたんだけどね。
統子様から、用事が終わったら直ぐに帰ってくるようにと、前世のリーマンみたいなお達しを受ける。用事が終わるまでは帰れないよな…と、前世のリーマンみたいな解釈をする。
同行は伊東祐泰、秀次の二部隊四十二人と是行、景経、糸子、俺の総勢四十六人。通正はお留守番。多いと思ったが基盛兄上のことがあって家のみんながピリピリしてるので、これで最低限らしい。伊豆と坂東から来ている者中心に兵を選ぶ。交替時期だからだ。祐泰も今回で交替。
手配のための人員が先行して出発していく。
帰りは教盛叔父上の退任と帰京に合わせて帰る。
「今回は糸子に着いてきて貰うから」
糸子はずっと馬の稽古を続けていた。もう常歩ならかなりの時間が乗れると聞いている。それもちゃんと切袴で開き足で乗る。横乗りで稽古するようなら一年以上はかけるつもりだったが、気合を入れて練習している糸子に報いたい。清子がとても恨めしそうだが、納得してもらうしかない。なんせ今回余裕がひと月しかない。ほとんど馬に乗れない女性をずっと車に乗せて、は日程がキツすぎる。
昼から宴で、みんな呆れ気味だがとりあえず無事は祈ってくれた。夕暮れから南泉殿に籠もる。というか塗籠に籠もる。清子に納得してもらうために夜半まで慰めた。眠い。
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今回は糸子姉様が三郎⋯は、そのうち重盛様の所のお子になるのか。宗盛様と一緒に伊豆に行く。
出家して、そのままなんだか消えてしまいそうになってた維子⋯糸子姉様が家に来たとき、本当に良かったと思った。今でも一緒に居てくれて嬉しい。でも糸子姉様がどんどん三郎殿⋯宗盛様に惹かれていくのを見ると、モヤモヤするの。
宗盛様が私を一番大事にしてくれているのはよくわかってる。だけど宗盛様は私の姉妹下から五人みんな好きだ。見てれば分かる。あの節操なし。外ではそういう関係の人を作らないし、伊豆でも無かったというが、なんなのアレは。姉妹ならまとめてそういう関係になっても良いと思ってる?
糸子姉様は私の女房じゃない。宗盛様の女房だ。
そう言われたとき、糸子姉様はとても嬉しそうな顔をする。私はついむくれてしまう。
今回一緒に旅をして、糸子姉様に迫られたら二人は関係を結ぶかもしれない。そうして姉様が先に子供を生んだら、私はどうすればいいんだろう。家の者が呆れる位、ほとんど毎日あんなにいっぱいしたのに、どうして子供ができないんだろう。私がどこかおかしいのかな。
宗盛様が種無しじゃないかって雑仕女達が噂しているというのも聞いたけど。もしかして宗盛様も気にしてる?試してみたいとか思ってる?
馬の稽古、私ももっと頑張れば良かった。宗盛様が居ないひと月、私はずっと後悔して過ごすんだろうな…。
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二日
日取りもいいらしい。まぁ、いいにこしたことはない。悪いと言われても全く気にはならないが。
今月は小の月なんで、往復二十日かけて、予備に四日とっても伊豆に五日は居られるな。温泉と魚の日々だ。
今回の目的は遠江の視察。馬車以外に荷車が十台。徒の雑仕二十名。牽く馬は一刻交替で変える。乗り手はそのまま御者となる。
早朝に出発。清子が送ってくれたがふくれっ面。次は一緒に行けると⋯いいなぁ。
天気が良かったので、まだ皆が元気なうちになるべく進もうと言うことで、今日は柘植まで五刻ほどかけて十五里を進む。
糸子は頑張ったが最初の一刻で沈んだ。乗馬には普段使わない体幹の筋肉と内腿の筋肉が特に使われるからなぁ。遠乗りだと特に。ここからは車中の人となる。夜になっても、多分ちょっとガニ股で歩いてました。三日夜の清子を思い出す。
夕方柘植に着いて、様子を見に来てくれた時忠叔父上と会う。ついでにここに寺を建てることを話す。
「え?上野ではないのか?」
「東に行くには上野までちょろっと戻るのが面倒で…」
「せめて国司館を改造してくれんか?」
「わかりました。風呂と厠は快適にしちゃいましょう 代わりにこっちの寺の造営中の警護もお願いします」
と約束ができた。上野の国庁、柘植間は三里ほど。国庁は敢國神社の近くだから、前世の伊賀上野城より一里余り北東の柘植川の北辺りだ。この往復六里をケチりたいのだ。ゆくゆくは一万位の兵が野営できる拠点にしたいというと仰天していた。ざっと考えて広さ十町ほどかな。水利や地形で農地に向いていない荒地はいくらでもある。土地は街道近くを時忠義兄上に頼んで押さえてある。
キャンプ場の様に、垣で囲って水場と駐車場(厩)、食堂(竈)、厠、寺域内に事務所(お堂)位整備すればいいよな。平時は東国の武士の上洛の際に貸し出してもいいし。大番役とか訴訟ごととか。
実をいうと別に関ヶ原ルートも考えているんだが、平家と近江美濃との関係がイマイチなのである。源氏方も多いし。伊賀伊勢ルート重視はその反映。
時忠叔父上は咄嗟の時にうろたえるし、要らんこと口走るし、人を見る目もあんまりないが、行政官としては有能で、加太を通って関に抜ける大和街道の整備がかなり進んでいた。鈴鹿越が迂回できるのは大きいので、人通りも以前よりずっと増えている。馬車も難なく通れる様になっていた。ただし雨のときはきついかもなぁ。舗装や排水の整備は金がかかる。でも軍事輸送には荷車通せないと話にならんので、ゆくゆくはなんとかしないとね。
三日
二日目はこれまた桑名まで強行する。距離は昨日と同じ約十五里。鈴鹿越が無いと馬ならこれくらいはなんとかなる。筋肉痛でうめきながら挑戦した糸子は半刻でリタイア。俺達も五刻位馬に乗るのでさすがに体はバキバキいうが、ウチの家人や兵でこれで音を上げる者は連れてきて居ない。徒の者は半刻交替で荷車に乗せて休ませている。でも馬には少しきついかもなぁ。
別行動で先発して実家に寄っていた是行と合流する。
四日
桑名からはどの経路も必ず船だ。これは濃尾三川、揖斐川、長良川、木曽川を越えないといけないからで、我が国有数の大河に当然橋なんてものはないからだ。馬車で強行することも考えたが川幅が広くて速くて深すぎる。荷車も多いし。馬車筏を舟で曳くくらいなら初めから載せたほうがいい。
ちなみに外洋に出るのは怖いので、遠江まで一気に進むのは期間的にどうやっても無理。どうせ舟に乗るなら豊橋あたりまで一気に船で行きたいところだが、舟が未発達なんでほとんど帆走では間切れない。風待と櫓走の組み合わせなら陸のほうが早い。ということで熱田辺りで一泊して乗り換えるしかない。
舟は初めての糸子が最初に音を上げるかと思っていたが、ケロッとしている。馬より遥かに楽だとのこと。虫の垂れ衣越しだが顔色も良くなっている。
「ずっと舟で行ければいいのに」
だそうだ。
逆に舟に弱い景経は直ぐにダウン。秀次も元気がないが他の家人や兵の手前見栄を張っている。
上陸したあと多少時間があるので、熱田神社に行きたいという糸子のリクエストに応えて、参拝する。例によって俺の名は出さずに、今回は伊東祐泰の名で参拝した。
五日
豊川まで十四里。糸子は頑張って朝から一刻馬に乗った。さらに頑張って午後に半刻馬に乗った。見ても姿勢が馬に馴染んできた。余計な力が抜けて居るんだろう。遠乗りはかなり練習になるようだ。このまま行くと帰りはほとんど馬で帰れるかもしれない。
めげずに馬に乗る糸子に皆も慣れて、下にも置かぬ有り様でチヤホヤされている。ほとんどアイドル、もといお姫様扱いだ。その度に照れる糸子が可愛い。
尾張国衙から三河国衙に連絡が行っていたので、国庁に泊まるが、宿の空きが少なくて一行の多くは民家に分宿となる。すまん明日は遠江入なので許してくれ。ここも宿舎が欲しい所。
六日
豊川を出て二刻、五里余り行くと国境。国衙より迎えの一行が来ていた。景家、景高には正式な国入りではないので迎えは不要と言っていたのだが、気を使って来てくれたらしい。今日は糸子は車の中。小袿姿に笠、虫の垂絹の姫様モードである。
景家、景高から基盛兄上の件で悔やみの言葉を受ける。
迎えと合流して百人近くになって進む。
浜名湖の南を回って、三里ほど行くと午の刻頃、浜松の手前で天竜川(広瀬川)を渡る。前世よりずっと西を流れている様だ。
今日はここで大事な仕事がある。準備は景家達に頼んでおいたが…できてるようだな。
伊豆から煉瓦と漆喰を送ってもらって、舟型の枠に入れて蓋をして固めてひっくり返したもの。橋脚?の土台である。大きさは小さなユニットバス位だろうか。これが十個。注文通り中央と前後左右に根本が埋め込まれた青銅製の環が取り付けてある。見た目ヒートン。さらに中央の環には青銅製の鎖と木製の浮きもついている。環の直径は五寸、太さは五分。相当太い。環の根本は錨のように拡がっているので、これで全体を釣り上げられることも確認して貰っている。長さ五尺、幅三尺、厚さ一尺。両端が流線形なのと上に行くほど狭くしてあるので、重さはざっと計算して五十貫(約187kg)余り位かな。
200kgまでなら、人力で事故なくなんとかなると見込んでの設計。神輿なんかより軽い。
馬車の天井から馬車筏を下ろし、頼んでいた木枠に固定して、綱で環と結ぶ。土台の上に筏が来て水中で吊り下げる形。下にコロを入れて、川まで転がして、最後は水の中に押し込むと浮いた。そりゃぁ筏の浮力は百貫はあるからな。
この辺りの天竜川の川幅は三町程。
深さも今日は深いところで胸くらいだ。岸近くは五丈、後は十丈程の間隔でこれを沈めていく。深いところなら水面下一尺程まで沈むだろう。もちろん尖った方を流れに沿って。具体的には筏を二段外すと土台が沈み始めるので、最後に綱を切って木枠を浮かせれば設置できる。上が底面よりも小さいのは、流れの圧を受けて下向きの力が働く様にだ。一つやって見せれば、後は各隊の工兵徽章持ちを中心に作業が進む。一刻もかからずに川面に十の浮きが浮かんだ。後は浮きに綱を通して出来上がり。
要は川を横断するようにガイドロープを張ったのだ。
「すごい…川を渡るのがずっと楽になる…人や物の動きが変わるのね」
糸子が呆然と呟いた。早速使い方がわかったようだ。俺の女房もすごい。
実は俺の知識を使えば木製の橋は架けられるだろう。費用が憂鬱だが。しかし結局維持できないだろう。天竜川の水量と流速なら、増水すればそのうち流される。鉄が十分に用意できない現状で、俺が死んだら橋もすぐなくなる。
前世が四国生まれの俺は沈下橋も考えたが、天竜川のような流れの早い大河ではそれもしんどい。
だがずっと沈下する橋桁なしの土台だけなら長くもたせる事ができるだろう。そこから浮きを使って綱を水面に渡しておく。そうして綱一本あるだけで、それを伝って川を渡ることができる。貧しい者は捕まって渡るだろう。舟もそれを手繰って移動できる。必要なら水が荒れていない時なら仮橋を架けることもできるだろう。例え浮きになにか当たって壊れたとしても、修復もすぐできる。何より俺がいなくても資材さえあれば新たに壊れた部分を作れる。コストと維持管理と拡張性を考えれば、この辺がベストだと考えたのだ。川幅がもっと狭ければ岸から曳くこともできるんだが。
一仕事終わって、馬車に筏を取り付けて川を渡る。まずは試験運用なので糸子を降ろす。車体の前後から鈎を取り付けた縄を、川の綱と繋ぐ。鈎はカラビナみたいなのものを鉄雄に作ってもらっている。これを浮きのところで向こう岸側に繋ぎ替えながら進む。要は高所作業の安全帯と同じだ。リフトの様に滑車を使うことも考えたが水の中に浸かるとメンテが大変そうなので当面これでいいだろう。男一人でも川上側の側面の筏に立って綱を手繰れば川が渡れることがわかった。車体後部にもう一人立って、棹を使うとより効率がいい。
一往復した後、糸子を乗せて川を渡る。初めて川を渡る糸子は大はしゃぎである。可愛い。国衙からの迎えは川を渡る車を見て言葉を失っている。
舟も用意してあったので、それも併用して荷車や馬を順次渡して渡河完了。この川は深さと速さのせいで、馬を泳がすのはキツい。人数が多いので一刻程かかったが、綱があるので効率はかなりいい。
「あぁ⋯このやり方なら、岸に舟がなくても車用の筏さえ用意しておけば川を渡れるのね…」
糸子マジ最高。そう、最終的にはそれを考えている。軍事輸送が俺の思考の根幹なのだ。さらにいざという時には浮きを外して綱を沈めてしまえば敵の渡河を妨害できる。
「これ、何ていうの?」
「ぁ…ええと、渡し綱…だよ?」
「今考えたのね」
残り三里を踏破して国衙に入ったのは、さすがに夕暮れ直前だった。宴の用意をしてくれていたが、飯だけ食って今日は寝る。国衙の者も含め、みんな賛成してくれた。
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宗盛様は間違いなく天才だ。私のことを賢いといつも褒めてくれるが、発想の枠が違うのだ。親宗のように宗盛様のことをうつけなんて呼んでた人たちを全て集めても、この人には叶わないだろう。この人と一緒にいるといつも驚くことばかりだ。でもそれだけじゃない。
私がなにか言ってそれが正解のとき、宗盛様はすごく嬉しそうな顔をする。多分本人は気づいてないんじゃないかしら。
女のくせに賢しらな…、っていつも言われた。認めてくれる人はわずかにいても、喜んでくれる人なんていなかった。重盛様も…。
宗盛様が嬉しそうな顔をするたびに、お父様に頭を撫でて貰ったときのように、胸がポカポカするの…。幸せになるの…。
もう気がついてしまった。私は宗盛様が好き。ずっと宗盛様の側にいたい。でも清子を悲しませたくないの。苦しいの。好きなの。どうしよう…。
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