宗盛記0111 応保二年二月 鴨川通正
応保二年二月如月
十五日
寝坊したかったが体裁もあってそうもいかないのが武家と言うもの。なんとか起きて朝の訓練に入ったところで来客があった。名前を聞いたが直接お伝えしたいと言うので門のところに待たせてあると言う。昨日の今日なので秀次たちも連れて門のところに行くと、三十位の武士っぽい人が待っていた。
「お待たせいたしました。遠江守兼東市司正の平三郎宗盛です」
長いな。舌噛みそう。
「鴨川忠正の四男、鴨川通正と申します」
「鴨川?…おお、もしかして讃岐から?」
「は。父が宜しくと申しておりました。こちらは書状になります」
なんと…大叔父上の息子だったよ。
俺の…なんていうんだ?まぁ、大叔父上の息子。後で糸子に聞いたら従叔父というらしい。糸子ペディア凄い。
で、話を聞くと空性様が来られて院もお喜びになられて、讃岐も落ち着いてきたので俺の家人になりたいと言う。いいのかな?一族の目上の人の気もするんだが、と聞いたら平の名は捨てたので、という。信頼できる家人の増員は大歓迎…しかし父上の許しは得ないといけないだろうなぁ。
とりあえず、どうしようかと聞くと、いくつか所用も在るという。武者所に場所を設えて荷物を置かせ、夕方もう一度寝殿に来てもらうことにし、市へ向かう。
市では昨日の襲撃が噂になっていていろいろ聞かれた。
夕方、日没前に今月最後の東市を終えて、市蔵と市門を閉じ施錠してひと月目のお勤めおしまい。市司佑の橘良通と市司令史の伴家茂には、今月の報告書を書いて貰わないといけないし、俺はそれを点検して提出しないといけないので明後日までは仕事がある。が、今月は概ね終わりだ。
泉殿に帰ると、父上も鴨川通正も帰っていたので対面の席を設けてもらう。
さすがに父上も驚いていた。
「いとこ殿、儂、都の治安の責任者なんじゃが」
「はぁ…」
「六年も前のことじゃないですか。それにあの時の罪人は平通正殿です。鴨川通正殿とは別人別人」
説得に努める。
まぁ、舎人辺りに見知ったものがいるかもしれないが、あくまで他人で通す、ということで落ち着いた。そう鴨川鴨川。
家人を新たにゲット、それも讃岐に縁のある。
讃岐院は当時、都に送った自筆の経が突き返され、大層嘆いて気落ちして居られたようだが、空性様の便りなんかで徐々に落ち着かれ、去年の夏に空性様が讃岐に行ってからはすっかりスローライフを楽しんでおられるらしい。前世では、生活費とかどうしてたのかと思ってたんだが、院庁に勤めてる今ならわかる。ちゃんと上西門院から出てる。元々讃岐院の所有のものから。
お経を突き返された話は前世に地元で聞いて知っていたが、この時代でもう済んでた事だとは思わなかった。それにしても信西のクソ野郎はそんなことまでしていたのか。
その讃岐院は、空性様の命の恩人と俺に大層感謝してくださって居るとか。それを聞いて父上が驚いていた。あ、ヤバ。言ってなかったな。父上のジトッとした視線がイタい。
十六日
起きて出仕しようとすると清子に止められた。ん、俺もしたいけど出仕前はまずいよ、というと真っ赤になって叱られた。糸子にも出仕はダメだと言われる。というか当然らしい。一昨日の穢れがあるから出仕すると大変失礼にあたるそうだ。俺誰も斬ってないよ?と聞いたが駄目出しされた。
穢れちまった悲しみに…
よく考えたら父上に会っちゃったよ。良いの?と聞いたら、俺は南泉殿で蟄居してて、父上とは会ってないことになってるらしい。そういうものだと言う。
仕方ないので本日の物忌の使いを出す。
ちょうどいいから通正に行ってもらおう。後一人家人を付ける。讃岐院の近況など、お知りになりたいだろうかと。通正穢れてないし。いや、厳密には俺と話したからアウトなんだが、そこまでは気にする人も稀だとか。
この者は私の家人で、先頃まで讃岐に帰っていたので讃岐院や空性様の最近のご様子を知っております。一昨日の件には関わっておりません。ところで家の者が止めるんですけどいつまで休みましょうか?
とお手紙。
一日空いてしまった。じゃぁもう一度仲良く…と清子に言ったら真っ赤になってポカポカ叩かれた。なんとなく嬉しそうだからもう一押しでいけそうな気がするけど、糸子と季子姫の目が冷たすぎる。
仕方ないので、馬車で康慶の所に進捗を見に行くと、鋳物師の圭助の所で鋳込みも終わったとかで香炉ができてるそうだ。今日使いを出そうと思ってたらしい。惜しいな。今月の市には間に合わなかったよ。流石の新進気鋭の仏師。彫ってもらったのは香炉の脚の鬼だけどいい味出てる。銘も指定通り。
「平三郎宗盛 依縁祈贈之 平家皆安寧 平安京遍和 平国家安康」
聞いた様な言葉も入れておいた。これで後の世に難癖もつけにくかろう。
康慶には、続けて薬師如来像を依頼する。
鋳青銅製の香炉はかなり重い。多分四十貫(約150kg)を超えるが、バレット代わりの厚板の上に乗せて寄って集ってみんなで持ち上げて、馬車のトランクスペースに。みんなには直訳で荷間と言ってある。
ついでに梁夫の所に回ったら、賽銭箱もできてた。これも回収。結構サスが沈む。まぁ、重量積んでの試験にちょうど良い。車軸折れたら泣くけど。
梁夫には両替所の建設で無理を言っているので気が咎めるが、そっちが終わったら次は俺の家人の武者所の建屋を作ってくれと頼む。ブラックなクライアントですまんね。
市に行って報告書を見て、わかりやすいように三年前からの同月比の表を書き足して、橘良通と伴家茂をねぎらう。銭の便利さと治安改善もあってか人の出入りも堅調に伸びてるな。
明日は報告に出仕…ん?俺穢れてたんだっけ?人死の触穢はひと月?中身を改めて判だけ押して、届けは悪いが良通に頼むことにする。俺とは文書でやりとりしたと。
父上用に市での毎日の銭の換金数もまとめておこう。
帰ったら通正も帰っていた。統子様からは讃岐院のご様子をいろいろ尋ねられたそうだ。
俺は二十一日には来ていいとのこと。七日後⋯六畜の死穢が五日だから、それ並みか。
午後は汗をかいて風呂で流して、夜は仲良く寝た♡
十七日
今月行ってなかったご機嫌伺い…穢れが嫌がられるかなぁ。
覚性法親王様にお伺いの手紙を書く。
朝は届いている遠江の書類読み。在宅勤務である。
小さな計算間違いはあるし、怪しいところもチラホラあるが、とりあえず置いておく。
先の乱で井介八郎というのが義朝の下で戦っている。在所は…浜名湖の北東。あれ?井伊関係かな?にしても井介って名字なのか?と調べてみたら、何代か前の当主が在地任官の介だった様だ。なら氏は井、か。珍しいなぁ。うーん、それなりに有力な名主らしい。八郎で当主か。
まぁ、要警戒、と。
後は藤原永範 質侶荘の預所。金谷辺りに小さな領地もあるようだ。ああ、小夜の中山の東か。金谷の北側。
小夜の中山、あそこは馬車通るかなぁ。従来の車をとおすのも苦労した覚えがある。ちなみに官道の東海道はちゃんと整備してれば狭くても幅二丈(約6m)はある。規定では平地だと六丈(約18m)ある。奈良時代には十丈あったとか。幅30mである。馬鹿みたいだ。摂関期以前は公用でしか使えなかった。規律が緩みきった今では多くが農地に侵食されている。
おっと、思考が逸れた。道を整えて小夜の中山の両側に荷牛の待機所と牧草地を作ってレンタルでもしようかな。農繁期は農家に貸し出せばいいしな。昔の地元にも太平洋戦争前はそういう習慣があったらしい。
やはり広瀬川(天竜川)と大井川の氾濫で時々税や貢納がとんでる。大井川位の大河になると、治水ってかなりツラいんだよな。隣国の駿河との折衝も要るし。腰掛け国守が手を出せるようなものじゃない。天竜川もその辺は同じだが、遠江一国のことなのでまだやりやすい。
早めに取り掛かるのは渡し舟の整備だなぁ。
仁和寺から手紙が届く。僧侶が触穢を気にするはずがあるまい、と。
ですよね~。墓地が隣りにあってしょっちゅう葬式出してんだし。
午後から仁和寺へ。まず穢落としの呪を唱えて祓って貰った。
「ナウマクサンマンダバサラダンセンダマカロシャダソワタヤウンタラタカンマン」
不動明王中咒ですねと聞いたら、なんか凄く驚かれた。いや、お遍路さんのお堂には真言が普通に書いてあるのだ。俺の前にいた所では。
馬車に乗せてた香炉と賽銭箱を奉納する。門跡寺院である仁和寺に庶民をそのまま入れるわけにもいかないので、隣接する院(僧院)のひとつをそれに当てることになったそうだ。本尊をどうするかという話になって、今、薬師如来像を依頼してある、と話すと、薬師堂としてつなぎに薬師如来の仏画を懸けることになった。薬師如来の縁日は八日なので、来月の八日に堂を開くことに決まった。これがうまくいくと真言宗と更に太いパイプが作れる。南無薬師如来。
市も休みで出仕も無いのでしばらくは自宅で待機。といっても遠江守の仕事はする。まずは豌豆瘡対策の確認、次いで吉田港の整備の細部、後は浜名湖北と小夜の中山の街道整備についての報告を手紙で指示する。
朝の時間を気にしないでいいのは色々よろしい♡。
まったり過ごしていたら、藤原親隆様が不出仕のため恐懼となされたと父上が教えてくれた。休みすぎて出勤停止処分を受けたというのだ。参議の親隆様が恐懼となるとか、相当厳しい処分である。父上によると、年が明けてからかなり休みがちで、先月の正月行事も数えるほどしか出られてないらしい。ご様子を伺いに行きたいが、こちらも物忌で出仕停止している身なので少しためらう。
二十一日
久しぶりの出仕。青柳の色目に浮線綾の織模様の直衣を着て、上西門院に向かう。新しく仕立てた敷布団とこの間習慣になりつつある苺襲も持っていく。
統子様に先日の休みを詫びて、祓いも済ませた事を伝えて仕事に入ろうとしたら、色々話を聞かれた。襲撃の話とかは概要だけにして、市の話と銭の話などお話する。
特に市の売物の話は新鮮だったようで、話が結構盛り上がった。
空き時間には統子様とのんびりお話など。先日作った梅の花の香りの酒精をお渡しする。花は濾してある。
「あ、酒精と梅の香がするのね」
「酒精はすぐ飛ぶので、梅の香りだけが残ります」
「貰っていいの?」
「もちろんです。そのために作りました」
梅の香りももって半日程度だが密閉した瓶に入れておくと日持ちするだろう。大層喜ばれた。
もちろん母上姉上や清子たちにも持っていかれた。家の中が十日程梅の香りで包まれた。
午後、せっかく直衣を着たんだからと確認をとってから親隆様のお見舞いに行く。恐懼の最中なんで出仕しないから大丈夫だそうだ。こちらも敷布団付。最近臥せりがちだとかで、床についておられた。敷布団がとても喜ばれる。忠子叔母上が羨ましそうにしているので、原料の綿が入ったらお持ちする約束をする。恐懼はやはり節句を休んだことによるらしい。にしても厳しいと言うと、院近臣の嫌がらせも入っているらしい。叔父上は今の帝の東宮亮だったからだな。
体調不良でも致仕(退官)するまで長期病欠できない、高齢者にはキツい仕組みである。
二十二日
正子姉上の所に顔を出す。散位の信隆様もすることなくってへニャッとしてる。お土産の苺襲を渡して市の話をしたら、そう言えば、襲われたんだって?と、そっちの話に。さらに敷布団が欲しいという話に移る。いや、一年目の試作品なんでそんな大量にないんですよ。まぁなるはやで、という辺りでお暇する。次はなんか作ってね、とリクエストも貰った。姉には逆らえん…。
二十五日
基盛兄上が造っていた清涼殿が完成したらしい。出来上がる前に見せてもらおうと思っていたのに、穢れのせいで言い出せなかったよ。無念。
ちなみに襲撃犯の残りは六条河原経由で左獄の門にいるらしい。正確には首になって樗の木に掛かっている。獄門の語源はこの辺なんだろうなぁ。場所は前世の京都府庁辺り。そういや府警もあったな。
歴史が大きく変わらなければ俺の首もここに掛かるかも。
主犯は残しておいて欲しかったが、庶民を長期捕らえておくという体制が整ってないので仕方ない。
清涼殿の完成を賞して、基盛兄上が正四位下に昇位された…おめでとうございます。夜は宴。
二十六日
宿直の日なんで、鰹節を持って上西門院に。午前は真面目に仕事をして、午後はお話しの時間である。今日は鰹節の作り方の話など。追加の料理は蓮根の煮物とふろふき大根。もちろんメインは厨の者が作る。
三十日
今月は大の月なので二月は三十日まで。前世では一生回ってこなかった日だ。
親隆様の恐懼が終わった。しかし体調は優れないようだ。六十五だしなぁ。
辺りはもう春めいてきていて、家の桃が花をつけている。ちなみにこの時代の桃の実はあんまり美味しくない。小さくて固く、酸っぱいだけでさほど甘くもないのだ。中国のは違うのかなぁ。
庭師に断って一枝切って、花瓶に入れて飾る。
桃の花 その桃色の 艶やかに
花色づくを 今宵めでたき
夜、ちゃんと桃色の料紙に書いて花と一緒に清子の部屋に送ったら、慌ててやって来た。
「だ、誰にも見せてないわよね?」
「もちろん、見るのは二人だけだよ」
清子の眉も生え揃って一層可愛い。
それを褒めると真っ赤になってなお可愛い。
そのままお姫様抱っこして塗籠に移る♡。
作中の季節と同期してきました。
作中でもそろそろ春分。
新暦ではひな祭りですね。こっちは旧暦でも三月なので、もう少し後になります。




