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宗盛記  作者: 常磐林蔵
第4章 東市司正、結婚、宇野合戦

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宗盛記0110 応保二年二月 市司正

応保二年二月如月


一日

東市は月の前半しか開かない。しかも午後だけ。だから市司正いちのつかさのかみとしての俺の仕事も概ね前半だけだ。月の後半は主に遠江守としての仕事をしよう。月の前半は午前が訓練だな。


清子と糸子の眉が伸びてきた。しばらく四つ眉状態だったがそろそろ書き眉を止めるとのこと。

ん、季子姫も?そう言えば几帳の中にも入らなくなってるな。もちろんお歯黒もしていない。嫁入り前の娘がそれでいいのかと思うが、前世の感覚を引きずる俺は気にならないのでそのまま。というか、俺にはその方がずっと可愛く見える。時々母上から小言を言われている。でも母上もちょっと羨ましそう。


一日は上西門院の出仕日なので、午前はそちらに出仕。院庁の人々との面通しである。関係書類をまとめておいてもらう。ここは向こうの古参の職員や女房達がしっかりしてるから、大きな流れを見るだけでいいようだ。後は警備の指揮。俺が十日のうち一、六、の日、経盛叔父上が一、三、八、の日の出仕と決まった。後俺は六の日は宿直。叔父上は一の日が宿直となる。残りの日は警備のため、叔父上と俺の家人が常駐する。


少し早めに下がって市に。

午後の市司の方だが、そもそも上役がころころ代わっても市が機能しているということは、市司の下部組織がかなりしっかりとしているか、あるいはほとんど手を出さないでも自治で回る仕組みになっているということだろう。今月はその辺の見極めと書類のチェック。

「新しく東の市司正いちのつかさのかみとなった平宗盛だ。よろしく頼む」

俺の下官は二等官市司佑いちのつかさのじょうの橘良通と三等官市司令史いちのつかさのれいしの伴家茂。二人とも正六位上だ。市司令史ってなんか格好いいな。他史生一名、価長五名、物部二十名、使部六名、直丁一名と結構多い。十六歳の子供には過分だが、国衙に比べれば今さらか。

仕事の説明を受ける。

基本俺は統括と報告が仕事となる。


あとは銭の交換所の整備だ。実は私設なんだが、市司に付属していてもおかしくない施設。ウチに出入りの米商人の田尾丸たのおまるから人を紹介して貰って、米の目利きをさせる。米の質を四段階に分けて、優、良、可、不可と分類する。優は貢納米程度の上品質、良は価格が優の八割位のもの、可は六割、それ以下は不可だ。古米の混じり方や割れ米の多さで銭との交換比率を決める。優は一升十文となるが、不可でも三文位で引き取ってやれと言っておく。それ以下のカビ米や混じり物など、あまりに酷いものを持ってきたものは出禁にしていいとも。

不可の米は遠江と伊豆に運んで、豌豆瘡の隔離所の備蓄米にする予定。流行が終わったら罪人用。古くなったら馬用に使おう。

逆に銭を持ってきたものは米に換米できる。この時は等級は優のみ。

建屋が仕上がるまでは、米と銭は毎回持ち帰り。


この職を選んだ目的はこれだ。結局貨幣と言うのは信用が価値を生んでいる。国家が鋳造しない貨幣への信用は当然低い。しかし平家が貨幣の価値を担保すると言うならどうだろう。平家の財力の範囲ではあるが人は安心して貨幣を使おうとする、少なくとも比率は増える。ただ貨幣を輸入するだけで、利用が伸びないと、いずれ貨幣の価値は下がってくる。しかし人々の貨幣への需要が高まれば、逆に貨幣がむしろ不足がちになって、そうすると貨幣の価値は上がり、それを輸入するウチの財政は潤う⋯はずなのだ。これはデフレーションでもあり、あんまり極端に進むと弊害が大きいのはインフレーションと同じ。


警備は両替所に十人。

実は他に西と南にニ町ほど離れた所に家を借りて、十人ずつ待機させている。これは交替で市の巡回もする。もちろん普通の庶民の格好でだ。店と輸送用の車には、警報用の鐘をつけてある。鐘の合図で即座に向かうように。もちろん鐘の音を聞いたら近くの検非違使も来てくれるよう依頼してある。俺はそれなりの確率で盗難…というより襲撃があると考えているのだ。家人の警備訓練にもなるしな。


市の店には全て売値を銭で表記するように命じておく。当然かなりの不評である。そもそも字が読めん者の方が多い。商人でもだ。しかし店を出したいならこれ位は覚えろ。数字だけで良いのだ。

定価販売とかもしたくないだろう。別にそこは制限するつもりはないよ。銭と米の交換さえ定率なら後は干渉しない。これが俺の目的なんだから従わないなら市から締め出す。


後は毎日、時間をずらして直垂を着て巡回するだけのお仕事。これは是行と秀次と景経が交替で従う。

市は賑わっているが、貴族の姿はほとんどない。屋敷勤めっぽい雑仕たちや、物々交換に来た職人や近郊の農民なんかが、それぞれ目的の店で交渉している。扱っている品は布類と食品が多いが他にもとても多様だ。品目は昔は土器は西で武器は東とか東と西で分担していた様だが、今はそんなこともない。安い弓とか三十文位で有るのか。今更の丸木弓とかだが。感覚的に三千円位。高価なものは綾。一反二貫文。単純な色綾模様でそれ位である。二陪ふたえ織の上物などニ十貫文とかになる。ニ百万円位。これ位になると店にはサンプルしかなくて、注文主にお届けになるようだ。価格には護衛費なんかも入ってるとか。


市というのは、十字架の形をしている。

元々四町の正方形だった左京七条二坊三、四、五、六町を市町いちまちと呼び、拡張されて東西南北に二町ずつつけたされた区域を外町そとまちと呼ぶ。市町の東を堀川、西を細い大宮川と言う水路が流れている。

市町には南西に市舎(役所)、南東に唐物廛と空也上人が作った市堂、北東に市姫いちひめ大明神社、北西に畿内廛がある。みせとは店のこと。

東の外町は東海道廛、南は山陽道と山陰道廛の他に空也上人が建てた石塔婆、西は北陸道廛と東山道廛、北は南海道廛と西海道廛がある。

全体は周囲を簡単な塀で囲まれ、外側に板や杭で護岸された溝が掘られている。外町の外側中央に東西南北の門がある。



三日

景家と景高が遠江に向かうと言うので見送る。吉野もついていくことになった。遠江国衙まで六十里程。歩いて六日、馬で四日というところか。景家の屋敷には景経と嫁二人(笑)が暮らす。

俺の身の回りは清子と糸子と波路が雑仕達を使って見てくれる様になった。


遠江へのざっとした指示は現地向けには文書でも出しておいたが、まずは豌豆瘡の対策。随分下火になってきたが、有効な予防法のない感染症はなかなか終わりが見えない。そのため二人には蒸留装置を持たせて使い方を教える。蒸留の情報の秘匿よりも感染症対策の効率を選んだのだ。これでできるだけ消毒して、自分たちは患者に近づくなと言っておく。そうして隔離と罹患済みの者を選んで世話をさせる。直接の接触はするなと。

次いで遡れる範囲の大田文おおたぶみ(土地台帳兼納税文書)と国衙の会計文書との再計算と訴訟文書の写しを送るようにと。結構な量になるだろうが仕方ない。

農業なんかの基本施策は伊豆と同様。

浜名湖北部の街道と交差する河川に可能なら架橋。基本的なま街道の整備と治安維持。

さらに吉田と沼津の航路の便を図るように指示した。



市で働きだして数日も経つと、割と真面目な下級官僚達が市の仕組みを支えている構図が見えてくる。まぁ、仕事量も少ない。平安時代もこのころになると、朝廷の財政もカツカツだが、多少の融通は利く。働きに応じて三カ月単位の報奨金ボーナスでも考えるか。

商品の真偽と品質をあらため、売買価格の設定し、度量を管理して、違反を取り締まるのが市司の務めである。水路や塀、門などの管理費用も集める。が、真偽なんて極端な偽物、余程の粗悪品でないとわからないし、価格とか普通は売り手と買い手が決めるものだ。明らかなインチキ商売か飢饉とかで価格統制したいときしか役所は関係しない。結局はトラブル処理と監視がお仕事である。せいぜい度量衡管理位。これは曲尺や升、重りをいくつか集めて、俺の職人達の道具も含めて標準を作った。さらに物差しと升と秤を定期的に検定して焼印を押すことにした。標準器は市舎に置く。


豌豆瘡わんずがさ対策は感染済みの役人の中から感染担当を決めて熱のありそうなやつを商品ごと市門から放り出すだけ。後はその月の間立入禁止だ。もちろん発疹のあるものは入れない。衛生管理は東側の堀川から水を引いて手を洗わせるのがせいぜいだ。堀川は割と流れがあるので、水車で手水場に揚水することにした。一応排水は市の中央を南北に通る猪熊小路の溝に流すことにした。これだけで長さ一町分の排水溝が必要になるのだからやってられない。それでも庶民には上水路としても使われることもある堀川に流す気にはなれなかった。堀川の水自体清潔とは限らないんだけどね。北門、南門の脇に厠を作ることにする。その辺の辻で用を足されると迷惑だからだ。


そろそろウチの梅が終わりなんで、半分ほど花を摘んでもらう。全部摘むと実が取れないから、花がよく残っているものを万遍なく。これを瓶に詰めてアルコールに浸しておく。

いろいろやってみたが、どうやら梅から精油は採れないようだ。


六日

上西門院に出仕。ここでもひたすら書類整理だ。

ここの荘園が遠江にもあることを発見。大井川の南岸だ。蓁原郡はいばらぐん質侶しどろ荘。三十二年前に立券、献領された待賢門院領を統子様が継いだんだな。本家は円勝寺領になってるけど、この寺は統子様の発願で建てた寺なので、収入は寺の経費を除いて概ね上西門院庁に組み込まれる。荘園は以前は牧(草地)主体だったようで、総面積は千七百四十四町余、広いなぁ。約20平方キロ。質侶郷、湯日郷、大楊郷の三郷があって、うち大楊郷は大井川の氾濫で近年年貢未済。荘全体の内訳は田二百九町余、畠百二十六町余、原二百十町、山五百四十七町、野二百九十一町、河原三百六十町。家が二百二十軒程。

あぁ、微妙。そうか、これだけ広くとも農地は五分の一位。米二千石と畑からの貢納位か。米の年貢は一千石、領家はないので、荘官の取り分は四割、六割が本家に納められるとして六百石…さらに水に浸かって最大の大楊郷が税収なしとの理由で三百石。千七百町あってでだ。うーん。こんな物なのか。

荘園は全国に散らばってるから、全国合わせれば一万石を超える位の税収はあるが、待賢門院様と讃岐院の所領をほとんど継いでいるこの国最大級の荘園主の上西門院様でもそんなもんなんだなぁ。小大名位じゃないか。土地の広さと江戸期の大名の感覚で判断すると大きく間違いそう。

それにしても未開墾地が多い。現地見ないとわかんないのが歯がゆいなぁ。

全体の開発を下手に力を入れても在地領主が喜ぶだけか。

荘官、預所あずかりどころは…藤原永範ね。三十二年前に献領した当人でもあるからそれなりの歳だろうな。


あれ?じゃあ院の年収もそれほど多くない?あれ?仮に上西門院の十倍、十万石として、一万石につき二百五十人ってこの時代では怪しい数字でとりあえず計算すると、国家に頼らず動員できるの二千五百人位…?。俺でも五百人位は動員できそうなのに?でかい地方領主は一万人ぐらい動員するんだが。どっか計算間違えたかな。でなきゃ政体が相当おかしくなってるんじゃないか?


この日は宿直もあるので市は休み。



市司の書類を調べてみても大した問題は見つからない。出店の優遇とかで多少の賄賂はあるだろうが気にしないでいいレベル。

うん、これ、俺がいなくても回るやつだ。まぁ陳情はいつでも受け入れると言っておく。

この職のいい点は直垂が違和感ないこと。その時々の市での売物と値段がリアルタイムでわかること。店のおっちゃんおばちゃんの知り合いができること、だな。まぁ、ここにいるのは割とちゃんとした店の方なんだろうが。

銭と米とで差をつける店が出るかと思ったが、さすがにそんなバカはいなかった。歩いて二町も行けば換金も換米もできるのだ。そんなことで市司から睨まれるとか、損得勘定ができるならやらないか。


この時代、スリはほとんど居ない。取引は物々交換主体で銭を持っていないからだ。かわりに多いのがひったくりだ。比較的高価な品物を奪って市門を抜けて逃げ切れば終わり。これは売り物を狙う奴と、持ち込みや購入後の客を狙う奴がいる。これまではそうだった。俺は各門に騎馬の武者と弓の武者を配置した。市の内部は巡回させる。市の中で走るのは許さないと言う通達とともに。路地の無い道幅の広い平安京で、馬から逃げ切るのはほぼ無理である。三人が手足を斬られたり射られたりして捕らえられた後は、ひったくりは姿を消した。これは商人にも客にもとても好評だった。

こんなことは誰でも思いつきそうなものだが、普通最高位が六位の市司に、馬や武者を常駐させるのは無理があるか。


十一日。

市で早摘みの苺が出ていたので、大量に買い込んで久しぶりに苺襲を作った。上西門院に持っていく。統子様がみんなに配ると歓声があがった。結構、待たれていたらしい。チヤホヤされて顔がニヨニヨする。書類の点検。前世と違って、都合の悪い書類を捨てるという悪習が無いので待賢門院たいけんもんいんの頃まで概ね辿れる。当分は読み込みだな。


市で銭の出回る量が増えてきた。それに併せて不満が減る。使ってみると便利さがわかってきたようだ。例えば重い米を持って買い物に来て目当てのものが無かった場合、銭に変えてもって帰ったほうがずっと楽なのだ。買い取りもそう。持ち込みの賞品の目利きなんて全ての商人ができるはずがない。得意不得意があるのだ。専門の業者で銭に変えてそれで別の買い物をしたほうが、結局は高く売れるし便利だと少しずつわかってくる。さらに米のように濡れると黴びたり、時間が経つと質が落ちてきたりしない。価値の安定性。父上が少しずつ銭の売り買いをさせていたので、これまでも市の中で出回ってはいたのだが、市司が決算手段として標準化した(様に見える)影響は予想通り大きいようだ。


十四日

夕方。明日には市が終わる。まぁ、西市に移るだけだが。市の店の皆は月の後半は仕入れに回る、という者が多い。ずっと見ていると、それなりにぼったくる者や真面目に交渉する者など、いろいろ見えてくるものだ。今月中には両替所の建屋もできそうなので、毎日金と米を運ばずに済む。

この頃は毎日、米三十石と銭三十貫を六波羅から運んでいる。行き帰りには具足(腹巻+兜+大盾+籠手+脛当+面頬+喉輪)をつけている。早く帰って清子と仲良くしよう。市からウチまでは大体半里。七条大路を東に進んで東洞院大路で北に折れて、七条坊門小路を渡って左女牛小路までのちょうど中間くらいで、後から走ってきた子供が車の中に手を伸ばす。が、銭は箱の中だ。米はかますの中。何も盗れないとわかるとそのまま走って逃げようとする。違うな。何かを盗るふりをしただけか。

「追うな!車を止めろ」

追おうとした家人と車が止まる。

「車を中に陣を組め」

案の定、七条坊門小路の角からわらわらと人が出てくる。三十人足らず。こちらは十四人。うち弓五人。

「鐘を!」

と、景経が言うが。

「待て。まだいい」

と、止める。

相手が走ってくる。鎧は着ていない。武器は…太刀が半数、残りは…棒だ。景経と是行が俺の前後に入る。

「弓、用意ができた者から射て。殺して構わん」

こちらの矢で五人が倒れ、見るからに勢いをなくす。それでも走ってくる男たちが、二射目でまた三人倒れる。

「弓と太刀、位置を代われ」

弓が車の両脇に、太刀が前に入れ代わる。後は走ってきた相手を斬るだけだ。

「太刀を持ったものを優先して斬れ」

こちらの家人は全員が武士だ。お仕事は人殺し。たとえ盗賊相手でもろくに統制が取れずに散発的に突っ込んでくる相手など、巻藁のようなものだった。

太刀を持っていながら突っ込んでこずに、命令を出している奴が居る。あ、俺もか。

「秀次。あいつだ。脚を射て」

目があったのに気付いて逃げようとするが、秀次の矢はそう簡単に外れない。腿を射られて倒れ込む。その時にはほとんど終わっていた。

「車から離れて追うな。これからはできるだけ殺すな」

逃げようとする者が何人か背中を斬られて倒れる。残りも脚か肩を射られて転ぶ。

六、七人ほど始めから近寄って来なかった奴が逃げおおせたか。それで終わりだった。


通報を受けた検非違使がやってくるのは早かった。大体半刻位。庁舎から一里近くあるだろうに、馬が泡を吹くほど急いで来たようだ。京の治安は安心です。そういや父上が別当で責任者だった。

それまでに相手の帯で縛り上げておいた襲撃者を引き渡す。生き残ったのは八人。指示役は縛った後首を締めて意識を落としてから猿轡を噛ませてある。気道は潰さないように両側の頸動脈を押さえるのがポイントだ。ばっちい物に触ったから、市まで戻っ手を洗ってから酒精で手を拭いておく。皆にも同様に指示。まだまだ豌豆瘡は収まりきっていないのだ。


「なぜお前はそんなに襲われるのだ?」

夜、帰ってきて俺の顔を見た父上の一言目がそれだった。結構ヒドい。

「卯年生まれだからですかね?」

「あほぅ」

かわいい息子に対するものにしては割とヒドい扱いだったが、犯人の詳細は教えてくれた。内容は盗賊と普通の貧民で、指揮したものは強盗の手配犯らしい。市での盗みを生業なりわいとし、俺が警備を強化したのが気に食わない連中を集めた様だ。

「平家に恨みを持つ者」に唆されたと言っているそうだ。まぁ、拷問したんだろうが。その相手の詳細は不明。武士のようだったと言っているとか。襲撃の直前は七条坊門小路沿いの廃屋に隠れて居たという。

まぁ、そんなものか。素人臭かったしな。予備の二十人も投入すれば、あの程度の相手だと百近くまでなら対応できそうだ。


侍所に酒を届ける。今日の対応はほぼ満点だった。鐘を鳴らさなかったので、前後に居た予備の兵達が姿を見せなかったのが素晴らしい。手柄欲しさに出てくる奴がいたら警護から外すつもりでいた。もちろん気づいては居たらしい。等距離を保って移動しているのだから当然だ。ねぎらいと評価と反省。

「ねぇ、三郎様。なんで鐘を鳴らさなかったんですか?」

と景経。

「みんなどう思う?」

すると秀次が、

「次があると思っておられるのでは?」

と、言う。

「そうだ。今日のは多分様子見だ。弓がなかったし、太刀すら揃えてなかった。警備体制を調べるために食い詰め者を扇動して使ったんだろう。建屋ができてからが本番だ。気を抜くなよ」

と伝えておく。皆が緊張する。


その夜は昂ぶってよく眠れなかった。二人とも♡



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― 新着の感想 ―
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