宗盛記0109 応保二年正月
応保二年正月睦月
十五日
朝から雪。少し積もっている。教盛叔父上が伊豆に発つ。併せて護衛として狩野茂光達が伊豆に帰る。
清子は引っ越しで疲れたのか、目を覚まさなかったので寝かせておいた。
「夏には時間を作って伊豆に行くよ 都の夏は暑いからな」
「冬も寒いですなぁ」
北条時政がしみじみ言う。
「そうだな。伊豆は良いところだった。俺はこれからもずっと伊豆を大事にする。気をつけてな。皆によろしく」
「「「「はっ」」」」
教盛叔父上達も含めて三十人ほどの姿が遠ざかっていく。これで俺の伊豆守の仕事は完全に終わった。
午後、上西門院に挨拶に伺う。小降りの雪が続いている。
統子様と打ち合わせ。俺は院庁次席官の判官代となる。俺のような年少の者でよろしいのですかとお尋ねしたが、従四位なら十分だと言われてしまった。
首席の別当は経盛叔父上となるらしい。月末からは平三郎判官宗盛である。女院庁だけど。
父上に報告すると本当に意外だったらしく喜ぶより頭を抱えていた。なんで?
新居での生活が始まった。
ここで清子と糸子に宣言しておく。
「時間が合えば、夕餉は皆で一緒に食べよう」
基本この時代の貴族は、宴の時以外は食事は側仕えを除けば一人で食べる。高貴な女性は人前で食事するのをはしたないと思ってる節がある。食事は係の者が部屋まで持ってきてくれるのでそこで摂る。みんなで旅行に行ってそれぞれ個室に泊まって各部屋で食事してる感じ…。まぁ、食べながら話すとかもちろん行儀悪いんであるが、みんな宴の時とかあんまり気にしないわけだし。
伝統だとわかっていてもこれは変えたかった。すぐ隣に居る嫁と別々に飯食うとか、早くも夫婦の危機みたいじゃないか。
幸い俺の南泉殿には塗籠の隣に空部屋がある。(宗盛家の)家長権限でそこに畳を敷いてみんなで食べることにする。そのうち椅子とテーブル置いてもいいかな。
十六日
時忠義兄上を山科まで送る日。晴れて良かった。
旅程に障るといけないので、朝一番に迎えに行く。清子はお留守番。今日の助手席は糸子である。
義兄上の従者が馬車を見て驚いていたが、季子姫は中でもっと驚いていた。主に座席のクッションに。そのまま山科へ。
と、その途中で季子が時忠義兄上にお願いラッシュ。一人になると心細いから、ウチに住みたいんだと言う。俺はもちろんOK。妹には弱い時忠義兄上も押されている。
糸子は微妙な顔をしていた。
「若い内にあれが普通と思うと苦労しないかしら」
…って何が?
清子が許すなら、と、時忠家の者が世話に通うと言うことで許される。月のうちある程度は家に帰ることも条件。
でも親宗はそのまま山科暮らしらしい。誰も寄って行こうとも言わなかった。
半刻程で着いて、義兄上も曼荼羅寺に寄りたそうだったが、供の者もいるので追分で別れることになる。すぐそこが逢坂の関だ。
「伊賀はなんにもないんだよ」
…と、義兄上悲しそう。まぁ、上野城も忍者屋敷もないからなぁ。大和の影響が強すぎてあんまり大きな寺もないし、大きいのは敢国神社位か。赤目の滝もギリギリ伊賀だが、歌人が歌でも詠まない限り自然地形のウケはイマイチである。関宿は伊勢だし、この時代には特に見るものも無かろう。
一応、草津から柘植回りで関に抜ける道の整備を提案しておく。鈴鹿峠越えなくて良くなるから、上手く誘導すれば多分流通がかなり増える。後沿道に梅林なんか整備するといいかも、そうすれば金も人も増えて潤いますよ、と。
義兄上は、
「何年処れと言うのだ」
と愚痴っていたが。しばらくは帰れないから大丈夫ですよ。流罪よりはマシマシ。ふはは。
曼荼羅寺は梅の盛りだった。この時代の主流は紅梅。甘い匂いが一面に漂っている。ウチも梅林作ろうかと言う話になる。梅採れるし。ジャムや梅酒ももっと欲しい。
貴族の家では池の周辺に桜を植えるのが定番で、もちろん泉殿にもそれなりにあるんだが、桜は見るだけなのだ。毛虫はどっちも多いし。ヤマザクラは大きくなると木材としては優秀なんだが。
ときどきメジロが飛んできて、梅の枝に止まる。割と物怖じしない鳥なので近くで見れてかわいい。久しぶりにのんびりして、本堂にお参りして御布施を納めたあと六波羅に帰った。
十七日
次の日は清子と一緒に信子義姉上と滋子義姉上を迎えに行った。ウチの護衛も増えてる上に滋子義姉上の護衛も合わさって三十人程になる。二人共馬車に呆然としていたが、昨日行ったのなら別のところに、ということで、梅宮神社へ。四条大路を西に進む。ここも二里程だ。半刻少し。
いいところなんだが、街中から遠いので前世ではちょっと地味だった。花の綺麗な神社だ。阪急からも嵐電からも駅から少し離れる。桂川の近くだしなぁ。もう少し行くと松尾大社。
「ほんとにほとんど揺れないのね」
滋子義姉上が移動中の快適さに驚いている。そら時速6、7km位だからな。車輪径が大きいのとサスペンション、シートのクッションもあって前世の自動車程度にしか揺れない。新居の話なんかをしながら西へ。
梅宮神社は二十二社の一つで橘氏の氏神でもある。
「そういやここって、子授けと安産の神様だね」
と言ったら清子が虫垂れの衣越しにもわかるほど赤くなっていた。可愛いなぁ。
こちらでも梅を楽しんだあと滋子義姉上達を院御所に送り届けて、一度洛中に戻って季子姫を拾って泉殿に帰る。
車内では清子への我が家滞在のお願い攻撃。結果は季子姫の粘り勝ち。
俺の東市司就任が二十七日に決まった。
早速、梁夫達を呼んで、東市の南西角の一画に交渉がまとまりそうな土地に建屋を建ててもらう相談をする。まぁ、土地が手に入ってからだが準備だけでも。
その後は仁和寺に向かう。
先の豌豆瘡向け手拭いについてのお礼もあるが、覚性入道親王様と手紙でお伝えした賽銭箱の設置について相談するためだ。
仁和寺と東寺に置けないだろうかと。
「賽銭箱?どのようなものだ?」
と、入道親王様は訝しそう。
貴族はそんなもの使わないんだが、庶民が銭一文でも寄進して祈れるようにする仕組みを説明する。他に抹香一回分一包三文(線香はまだない)、供花一束五文、ミニ蝋燭十文で、お堂の前に香炉と花瓶と燭台を置く。あと礼拝前に使う手水。この辺はお遍路関連でいくらでも見本があった。ざっとした絵を書いて説明すると、乗り気になられた。東寺は急には無理だが仁和寺ならすぐなんとかなると言われる。
「そうか、庶民からも浄財を集めるのか」
「銭一文なら無理なく払えます。米や酒のように価値を確かめたり、保存の面倒さもない。香や花や蝋燭は功徳になりましょう。仏の救いは遍く行き渡らせるべきかと」
あと、版摺りの護符とかどうでしょう、月に一度位縁日を開いて仏の教えを説くのも良いかも、と言うと、ちょっと悪い顔で笑っていらした。いける。
俺からも香炉の寄付を約束する。もちろん寄進の銘は入れさせてもらうが。
俺は宗教と言うのは人が死を受け入れるために発明した有用な装置だと思っていて、かなり肯定的である。さらにこうやってなぜか八百年前に居るわけで、実は信心深かったりするのだ。ただ、この装置がうまく機能するためには、その運用者である宗教者への信用が重要になる。俺は神仏は信じていても坊主は信用できないが、もちろんそんなことは表には出さない。
帰りに梁夫の所に寄ったら梁真しかいなかった。久しぶり。賽銭箱の図を見せて、作ってもらうことにする。かなりしっかりした造りにと頼む。あと地面への固定方法も。箱ごと持っていかれちゃうからね。
二十一日
上西門院に出仕。経盛叔父上と俺の任命は、二十七日の市司就任と併せて行うらしい。経盛叔父上も来ておられて、俺が判官というのに苦笑している。
直衣と馬車での出仕のお許しを頂く。
滋子義姉上から聞いたらしく、馬車が見たいそうだ。初耳の経盛叔父上も興味津々。
家に帰ると何故か母上と糸子と季子姫が清子の部屋でだべっている。そういえば昨日も、一昨日も。嫁姑の仲が良すぎる件について…
東市の南門の近くの土地が手に入ったので、米と銭の交換所を作ることにする。交換の受付の他、格納用の倉と門衛が常駐できる交番のような建屋のセット。二階建てにして、上は宿直部屋。非常報知用の鐘まで付ける。蔵は防火防犯にかなり力を入れる。十人程度の盗賊ならそうそう破れない設計。なんせ壁厚は二尺取る。煉瓦と漆喰とCLT製で掛矢で殴ったくらいでは崩れない筈。無理を言って悪いがなる早でと頼んだ。
沼津のいさなに手紙を書く。読字が怪しいと思うので、全部平仮名。伊豆の商人、できれば豆八を都に派遣してくれと。護衛は手紙を見せて官庁の俺の家人の誰かに言えと書いておく。
吉野に頼んで伊豆から持ってきた綿で敷布団を作ってもらう。
後、清子と糸子に少しできつつある木綿布の小袋に入れて使えば月の障りに使えるんじゃないかと脱脂綿を見せると、なんてこと言うのよと叱られた。でもしっかり持っていった。
京の仏師を探す。このあたりはやはり仁和寺、後六波羅蜜寺の住職様にも教えてもらって工房を見て回る。結果、居た。康朝。多分この人だ。訪ねてみる。作品を見ると間違いなさそうだ。普通の仏像と違って筋肉の作りがやたらリアル。奈良の人で、都には月のうち十日程出向いていると言う。忙しそうなので弟子も紹介してくれと言ったら出てきたのが康慶という仏師。慶派⋯大当たりだ。どちらかに香炉の脚の邪鬼の原型を彫ってもらいたいと頼む。詳しい話を聞きたいと言うので図を描いて、型取りして三脚にすること、鋳造して蝋付けで本体と接合するつもりなことなんかを話す。鋳物師はこちらでなんとかするから。盤の内径は二尺。
「かなり大きいですね。どこで使われるんですか」
と聞くので、まずは仁和寺と答える。
後気に入ったら俺の持仏とかも作ってもらおうかな。
夜になってもなかなか寝殿に帰ろうとしない母上。
「日が暮れましたよ?父上帰ってきますよ?」
とやんわり言っちゃうと、
「ここが一番暖かいの…動きたくないの…引っ越すから空いてる部屋一部屋頂戴?」
と可愛くおねだり。
「もちろんダメです」
新婚ですよ?ウチ。
できた敷布団を清子に見せると使ってみたいと言う。畳表と褥だけじゃ痛いよね。
その晩から役に立ってくれた。大好評だった。俺としても寝心地アップで嬉しい限り。寝るのは遅いけど。
面倒くさかったのはその後の問い合わせである。次の日には糸子や季子や母上、その次の日には父上、章子姉上、四郎、三の君、四の君にまで強請られた。三日後には信子義姉上と滋子義姉上から手紙がきた。次の日には忠子叔母上と正子姉上から。遅れて一門中から。情報交換早すぎである。このままでは持ってきた綿ではすぐに追いつかなくなる。とりあえず伊豆に早馬を送って在庫全て送ってくれと頼むことにする。
あと成人女性は皆脱脂綿と木綿布も欲しいとか。これは遠慮がちな波路からも頼まれた。綿というのは肌触りがよくて、化学繊維も含めても吸湿性がとても良いのだ。貴族の女性は月帯という紐パンみたいな下着で布を挟んで処理しているが、麻布なので大層気持ち悪いとのこと。糸子なんかもはやこれ以外考えられないと言っている。叱られたのはなんだったんだ。
伊豆から景経の嫁「達」と子供「達」が到着。すごいな、一緒に来たよ。呉越同舟ということばが浮かぶ。
景家の屋敷に収まる。治まる?
二十六日
上西門院に馬車で出仕。任官前だが。すると統子様と経盛叔父上が出てきて、馬車に乗ってみたいと言う。そのまま東寺に参拝する。半里ちょっと。凄く気に入られた。こんなの今まで乗ったことがないと。やっぱり欲しいって。ここは断れないんだよなぁ。経盛叔父上は順番待ちです。
二十七日
臨時の除目。
俺は正式に東市市司正と上西門院判官代に就任した。
女院庁の役人でも京官である。
重盛兄上が、内蔵頭を辞任、代わって里内裏建設がほぼ終わりつつある基盛兄上が着任。院判官代は継続で兼任。
経盛叔父上が左馬権頭兼上西門院別当に就任。
親隆様が参議と近江権守を兼任。
基盛兄上にいろいろ報告と新任のお祝いに行く。
馬車で行ったら祝いなら乗せてくれと言うので、六波羅一周ツアー。とても嬉しそう。
「くれ」
「やです」
「作って?」
「これはさすがに時間かかるんで、順番待ちです」
基盛兄上は去年の秋から、帝の御所の清涼殿の築造の責任者である。かなり仕上がって確認などの最終段階らしい。平治の乱で内裏が荒れてしまったので、里内裏の押小路南、東洞院西にある押小路殿にお住まいになるそうだ。修理職から声がかかったのはその辺かな?
兄上はちょっとお疲れ気味のご様子。
兄上の屋敷に戻って一休みすることに。
「大変ですか?」
「急に位が上がって、職もすぐに変わるんで慣れない仕事ばかりだからなぁ」
「たまには休まれたほうが」
「この際三郎に代わってもらおうかな。跡継ぎの予備とかもお前のほうがふさわしいと思うよ」
「それはない。父上とか俺がなにかやると思いっきり危ぶんでますもん」
「くくっ わからんでもないな」
「大体、予備とか公家でもあるまいし」
「武家だとどう違うんだ?」
「戦になれば、ちゃんと指揮できる者は一人でも多いほうがいい。それが武家です。だから父上はみんなに位を配っている。源家とかそこんとこがわかってなくて身内で争うから負けるんです」
「一門にこだわるのはそれでか?」
「指揮の統一は必須ですが、指揮官というのはすぐに育つものではありません。人は同時に二箇所に居られないし、いろんな方面で判断して動ける多様な人材が必要です」
「そういう風に考える所がお前が跡継ぎ向きってことなんだけどな」
「俺が跡を継ぐような博打を父上はしませんよ」
「それもそうか」
と二人で笑う。自虐ネタはちょっと哀しい。
基盛兄上の屋敷で去年の夏に生まれた赤子に初めて対面。基太郎になるのか。行子義姉上のお腹には二人目の子もいるらしい。
赤ん坊相手に、きたろうじゃないよ。もとたろうだよ〜。あ?香王子になるのかな〜?って言ってたら香王様に檜扇で叩かれた。行子義姉上が笑っておられた。




