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宗盛記  作者: 常磐林蔵
第4章 東市司正、結婚、宇野合戦

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宗盛記0112 応保二年閏二月

三本目の刀の説明を少しだけ追加しました。

馬上の抜き付けの説明を足しました。

応保二年閏二月如月


二回目の二月。今年はなかなか逃げていかない。まぁ、他の月と日数同じだし。


一日

上西門院様への出仕をして、経盛叔父上と打ち合わせ。仕事の面では特に問題ないのだが、敷布団とか馬車とか色々強請られる。一応上司に。パワハラではなかろうか?敷布団は親戚や女房達からもリクエストが山程来ているのだ。畳の上に薄布を敷いて寝ていた所に敷布団を知ってしまえばそら欲しくなる。俺自身の経験だ。でも大半は来年の綿の収穫待ち。

車は今やっと父上の分です。改良しつつなんで急がなくて良いって言ってあるしな。


午後からは東市に出勤。交換所の蔵ができている。今日からは銭と米はこちらにしまう。市には市司の中にも市蔵があって、そちらも使えるし、塀もあって警備も楽なのだが、これはウチのものなので公私混同はしないのだ。まぁ儲けのからくりをできるだけ分けておきたいというのが本音。


東市の店(表記は廛)は五十一と決まっている。東市全体が十二町。つまり五十一の店が十町の面積にあるから、一町につき平均五つ。実際は三つから八つ位までだったりだ。四十丈(約121m)四方が平安京の一町なので、店一つで相当広い。店四つの町だと一店が二十丈四方となる。言ってみれば大きめのスーパー位の広さはあるのだ。もちろんそんな建屋は建ってない。区画だけ。西市に至っては店が三十一しかないので、外町の一部は民家に侵食されている。

これでは広すぎてどうにもならないので、各地域一人の商人が代表になって、相乗りで似たような業種の複数の商人が一つの店に与えられた区画を細分する。四畳半もあれば最低限の露店は開けるのだ。言ってみれば廛(店)と言うのはエリア分けでしか無い。そこに関連のあるそれぞれの商人が入る。食料品エリア、服飾品エリア、工具エリア、武器エリアなんて感じである。それぞれの店のテナントは入れ替わるので組み立て式の簡単な小屋を建てて半月で撤去するとか、店台だけ用意するとか、もしくは筵を敷いただけの露天。

この際に問題になるのが、同一業種の価格競争だ。皆が継続的に店を出すなら良い。信用が売れ行きに繋がるからだ。問題は一時的に店を出す者が、紛い物、粗悪品を出品することだ。当然そちらの価格が安い。ネット通販なんかでよくあるパターン。これの極端なものを規制するのが俺の仕事の一つだ。


伊豆から商人の豆八がやってきた。

併せて伊東祐親が家人を二十人程付けてくれた。さらに指揮官として祐泰をつけてくれた。これで俺の直接の指揮下にある家人が三十数人になった。こういう場合、大番役の慣習では費用の一切は祐親が自腹を切るが、俺の場合は都での食費と滞在地または費用は俺が持つことにした。後、半年程度で交代させる。その代わり色々やってもらうが。後、豆八の護衛が別に五人。これは今月の市が終わったら一緒に伊豆に帰る。

東海道廛の一画を俺の権限で押さえる。今月は店台と天幕だが、次来る時は仮屋を用意しよう。

豆八の売り物は伊豆の特産品。他には頼んでいた木綿の在庫。これは全部俺が引き取った。というかついでに運んで貰った感じ。後は魚の干物や塩漬け肉。それと少しだが卵。これも俺がほとんど買った。そして塩。これが…問題になるくらい安いのだ。

市で売っている塩は一合で銭十文。米の十倍の価格だ。伊豆の塩は一合で銭五文で売るつもりらしい…。生産原価は銭一文位なのを知っている。とりあえず銭八文に売値を上げさせる。この程度なら他の商人も利を切り詰めればなんとか追随できるからだ。それでも一石売れば七貫文の純利だ。豆八の買取額が分からないが、三文で買っていたとしても四貫文の利益。

他の商人が値を下げるには、儲けをとるならにがりを残したり米粉を混ぜたりする。が、そんなものは苦情が来て即俺か部下に摘発される。

予定よりも値上げしたにも関わらず、伊豆の塩は飛ぶように売れていた。そらそうである。質は良いのだ。それを確認した買手は並んで伊豆の塩を買っていく。これは六波羅に泊めて毎日の行き帰りにも護衛を付けんとまずいな。最悪他の商人から襲われる。持ってきたのは五石程だと言うが、其れでも最低二十貫文の儲けか。塩だけで月200万円は美味しいなぁ。

豆八から話を聞くと、甲斐、信濃、上野、下野の海のない国は伊豆の塩が席巻しつつあるそうだ。それ以上広がらないのは生産量が追いつかないから。というか出荷即完売らしい。そこはかとなく罪悪感を感じる。そのうち製法が広まっちゃえば原価も下がるだろうが、しばらくは他の地域の生産者と商人泣かせな品になりそう。


帰って卵尽くし。目玉焼きにゆで卵、卵焼き、お好み焼きもどきまで作った。ソースがないから出汁につけて食べる。具はイカ・タコ使ったしキャベツもないから、どっちかというと平たいたこ焼き。

父上は卵に抵抗ありそうな感じだったが、弟妹には好評だった。清子たちも恐る恐るだが、みんな完食してた。デーツやトマトは一生手に入らんだろうからお好み焼きソースは無理そうだが、醤油ベースのとろみを付けた餡でも作るかな。

翌日は牛乳と卵と小麦粉と水飴でクッキーと言うにはちょっと足りないなにか?を作った。頑張って泡立てたんだが重曹と砂糖がないのがいたい。随分薄焼になった。でも各所におすそ分けして好評だった。妹達は俺にべったりである。虫歯にならないように食べたら歯磨きを指導する。



警備と称して市をぶらつき、刀の出物を探す。さすがに今の太刀が短いのだ。この太刀は保元の乱の後に父上から頂いた物。十歳の秋だ。

もう五年半使ってて、体の一部みたいになっているが二尺以下でさすがに今の俺には短い。大脇差サイズ。成長期が終わるまではと思っていたが、襲撃とかあるとやはり心もとない。買うか、と思って刀屋を見てみると、黒造りの太刀が一腰五百文、銀造りの太刀が一腰五貫文程。安い。いや、小作農だと数年分の年収位の額なんだが。一番大きな店の主に試し斬りしていいかと言うと、研ぎ代を出してくれるのなら、と言われた。これでも俺の立場にサービスしてくれているのだろう。

店の一画を空けてもらって別の店から資材用の竹買って来て、試し切り。それなりに斬れる。調子にのって刀を取っ換え引っ換えパスパス斬っていると、客の皆様から結構おひねりを頂いた。俺のことを市司正だと知っている商人達は生暖かい目で見ている。いやぁ、研ぎ代稼げちゃったよ。更に店のいい客寄せになったようで、研ぎ代は要らんから毎日やってくれないかと頼まれた。良い太刀を仕入れるか、鍛冶を紹介してくれたら四半刻程ならやると言うことで話がついた。稽古にもなるし結構気持ちいい。


市の苺を買い漁る。ジャムにするんだが、生食用に一部置いといく。

六波羅内の牛で妊娠したものを集めて搾乳するのは伊豆以前の様に再開したので、搾りたての牛乳に水飴を溶いて潰した苺を混ぜて苺セーキにしてみた。結構作ったのにどんどんなくなっていく。特に妹達に好評だった。ねだられると断れない立場の弱い兄。体にも良いしな。

約束通り重盛兄上の所と基盛兄上の所にも苺襲と共に持っていく。義姉上たちはたいそうおよろこびだったとか。一族円満は良いことである。

後日すっかり忘れていた正子姉上から恨み言の手紙が届いた。慌ててフォローに行く。



刀屋が何本かいいものを持ってきたという。見てみると三条宗近が三本もあった。鉄雄に空いてたら来てくれと頼む。目釘を外してみるとみんな銘の書体が違う。宗近が二本に三条が一本の二種類あるし。まぁ、そんなもんか。二百年も前の半ば伝説の人の作品で、偽作もいっぱいあるだろう。幸い俺は三日月宗近を東博や京博で何度か見たことがある。腰反りで踏ん張りが強く、基本直刃の小乱れ、破線状のうちのけ、小板目肌、地沸あり、と割と近いものを選ぶ。銘は宗近。まぁ、研ぎの技術が未発達なので、地肌なんかはかなり見づらい。

もう一本の銘宗近は濤乱刃風のイカものだった。これは見なかったことにしよう。持ってきた刀屋も苦笑している。

三本目の銘三条は、クセのない小湾れの太刀。宗近らしさはないなぁ。

目をつけた刀の値段を聞くと五十貫と言う。中途半端に安い。偽物によくある価格だがそれでも並の太刀の十倍。ザクッと換算して500万円。大般若並の六百貫とか言われないでよかった。

小さな鉄釘に布を巻いて刀身を軽く叩いていく。音響試験だ。場所によって音が大きく変わるところはない。合格。刀身は二尺七寸程か。ここで鉄雄が来てくれたので、意見を聞く。特に刀身。

「肌が揃ってて曇りも少ない。混じり物が少ない良い砂鉄を使ってると思います。山陰辺りのかな。それくらいしかわかんないですね」

いや、それがわかったら十分だ。となると多分偽作だ。本物なら都近くの鉄で作るのでもっと鉄の質が荒れるはず。次に試し切り。斬ってみて驚いた。これはかなり良い。市で試し切りしている刀とは出来が違う。

前世では太刀で居合ができるのか疑問だったが、それは何の問題もない。ただ腰反りが強いので、抜きやすくはない。試しに帯に差して打刀風に使ってみるとうまく抜けない。長すぎるのだ。打刀の方が太刀より抜きやすいから広まったと言う話を昔(前世)読んだことがあるが、そんなことはないと思う。むしろ刃渡りの長い刀は下げ緒の分だけ鞘を後に引ける太刀の方が抜きやすい。それで打刀として使う時には磨上すりあげちゃうんだと思う。文化財としての価値は激減するが。

しかし太刀は片手では極端に抜きづらくなる。鞘が前に付いてくるのでどうやっても抜ききれないのだ。馬上で手綱を持ったままで刀を抜くにはそれなりの修練がいる。はっきり言って、武士が馬の扱いが下手になって下馬戦闘しかできなくなったから打刀が一般的になったんじゃないか?

戦いの時に細かい送り足ができない馬上では、刀の長さは少しでも長い方が有利。馬上なら太刀の方が断然有用になる。


で、この太刀だが銘は怪しいが気に入ってしまった。

「写しかな。でもよく出来てるなぁ」

俺の背はもう少し伸びそうたから、最終的には体に合わせて買い替える必要があるかもしれない。でも当分ならこれで十分なので買うことにする。幸い俺は小金持ちである。宇佐美の塩の利益で十分買えそう。

五貫文負けるというので購入を決定。鉄雄には鑑定代で一貫渡しておく。大層恐縮された。



四日の午前に康慶の所に寄って、出来上がった薬師如来像を受け取る。すごい。凄いのである。ホント天才。褒めちぎる。彫りは深いし顔が引き締まってて細かな細工がみごとだ。定朝風のふっくらしたお顔に冷たい目つきが好きじゃない俺としては満点である。料金に色をつけて渡して、次の注文。ウチで祀る文殊菩薩を頼む。これで入浴の口実も万全だ。

仁和寺に回って薬師如来像の引き渡し。八日の御開帳に向けての俺の方の準備もできた。



六日に上西門院出仕。桜の頃が近いので、どこかに行きたいと言う話になる。貴族の家なら桜はあるし、この院のある六条東洞院邸もそれなりに植えている。さらに名所としては近場なら清水か東寺、神泉苑、平野神社辺りなんだがもうちょっと遠くが良いとか。醍醐辺りに行こうかと言う話になる。もちろん下醍醐だが。次に晴れた出仕日に、と。



かけの馬上で宗近(仮)を抜いてみる。馬体を傷つけないように抜くには、鞘を後に動かせる下げ緒の方がやりやすい。これがうまくいけば後は普通に抜ける。走らせてから左手で手綱を持ったまま鞘に手を回して鯉口を切る。ここが一番難しい。手綱に傷が入るとそこから切れかねないので左手の扱いに気を使う。左手の手首を返して刃を左上に上げつつ鞘を後に引き、馬の首側に棟が向くように抜き放つ。これを意識しないでできるように繰り返さないとな。




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― 新着の感想 ―
>車は今やっと父上の分です。 馬車はサイズや速度は同じでも、(女)院は4頭、天皇は6頭、臣下用は2頭引きと差をつけないと、いろいろ横やりが入りそうな気が。
応保二年になっておりました。甲斐でアレが起きた年です。 この世界線でも甲斐守藤原忠重は史実通りやらかすのかしら? まあとにかくワクテカで待機
康慶作の仁和寺・薬師如来像も応仁の乱を乗り越えられれば国宝ですね。
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