閑話 署名された影
※本稿は、戦後に公開された第八十八特務支援群の暫定地位協定、給与台帳、損害記録、共同監察団報告および現在までの戦闘詳報をもとに再構成した部隊史である。設立国、現役隊員の個人情報、継続中だった国外任務および情報源の一部は、公開資料から除かれている。
概要
第八十八特務支援群は、西方の情報機関によって設立された国外活動部隊である。
正式な軍籍を持つ者がいた。
契約員もいた。
航空機、装甲車、通信設備、医療班および武装要員を保有しながら、設立国の正規軍編制表には全容が記載されていなかった。
民間軍事会社ではない。
通常の派遣軍でもない。
公国軍でもなかった。
三つの性質を少しずつ持ち、どの制度からも責任の全体を見渡せない組織だった。
開戦初期、第八十八特務支援群は救出、施設防衛、要人警護、航空輸送、証拠回収を担った。
その働きが公表されたのは、政府が功績を発表した時ではない。
敵が給与明細を流出させた時だった。
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一 第八十八という番号
第八十八特務支援群の「八十八」が、人数、創設順、任務番号のいずれを示すかについて、公表資料に統一された説明はない。
少なくとも、八十八人の部隊という意味ではなかった。
作戦ごとに航空、警護、通信、衛生、整備および現地協力者を組み替えたため、同じ名称の下で動く人数は一定しない。登録名簿と給与台帳の人数も一致しなかった。
不正経理とは限らない。
軍籍者は本国から給与を受け、契約員は仲介組織から報酬を受け、現地要員は任務単位で支払われた。三つの帳簿を重ねなければ、一つの作戦に誰が参加したか分からなかった。
番号は、組織の規模を隠した。
同時に、所属する人間の身分も隠した。
秘密部隊にとって、それは利点だった。
戦死者の遺族にとっては、欠陥だった。
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二 命令者のいない命令
第八十八特務支援群への指令は、暗号化された仲介組織を経由した。
現場から見れば、命令文は届く。
作戦地域、確保対象、許容損害、撤収時刻が書かれている。認証符号も正しい。航空燃料も弾薬も、指定された倉庫へ届く。
ただし、失敗した時に誰が議会へ説明するかは書かれていなかった。
任務が成功すれば、設立国は関与を認めずに成果だけを利用できる。
任務が失敗すれば、武装した契約員が外国で勝手に行動したことにできる。
否認可能性とは、国家が知らないことではない。
知っていたと証明する書類へ、最後の署名を置かないことである。
第八十八特務支援群は、命令なしで動いた部隊ではなかった。
命令者だけが、紙の外へ退避できる部隊だった。
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三 二人を連れ出す仕事
開戦直後、第八十八特務支援群は帝国皇都からオルロヴァ姉妹を脱出させた。
武器商人アナスタシア・オルロヴァ。
暗号研究者イリーナ・オルロヴァ。
帝国財務府は翌朝、商会の倉庫、航空機および国外口座を保全対象とする予定だった。拘束が始まれば、姉妹だけでなく契約台帳と暗号資料も失われる。
支援群は邸宅から貨物飛行場までを装甲車で運び、医療物資輸送便として登録した双発機へ移した。西部州で車両を替え、国境検問所の照明が落ちた時間に白線を越えた。
作戦は、銃撃戦としては記録されていない。
使われたのは、暗号鍵、偽装飛行計画、協力者、二台の装甲車および二分間の待機だった。
特殊部隊の仕事は、扉を爆破することだと考えられやすい。
この夜に必要だったのは、正しい時刻に扉が開いていることだった。
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四 炉心の朝
Day 1、帝国軍はOKB-0を攻撃した。
Su-35四機、Il-76六機、Ka-52八機、Mi-8十二機。空挺およびヘリボーン部隊は研究施設を三方向から包囲した。
第八十八特務支援群は、Patriot射撃隊、AH-64E部隊を投入し、わずかな公国正規部隊およびヘーチマン社の機甲部隊とともに防御へ入った。
研究棟への侵入を許した。
中央サーバー室前まで敵兵を通した。
それでも技術者は全員生存し、研究資料は複製され、地上端末の消去も完了した。
第八十八特務支援群の死者は十四人だった。
戦闘詳報の勝敗欄には、敵の死亡者数ではなく、《技術者全員生存》《資料複製完了》《施設継続使用可能》と記載された。
設立国が欲しかったのは、善戦したという報道ではない。
帝国へ技術を渡さないことだった。
公国が欲しかったのは、技術を破壊して終わることでもない。
翌日も使えることだった。
同じ陣地で戦った者たちの目的は、完全には一致していなかった。
守る対象だけが、あの朝は同じだった。
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五 流出した戸籍
Day 66、北方の地方紙が第八十八特務支援群の資料を掲載した。
隊員名簿。
給与明細。
装備受領記録。
帝国領内での作戦報告。
一部は本物だった。一部は改変され、一部は偽造されていた。
公国政府が全資料を偽物と否定すれば、真正な給与台帳一枚で発表全体が崩れる。すべてを認めれば、改変された誘拐記録まで自白することになる。
政府は、部隊の存在と国外活動を先に認めた。
合法性は、任務ごとに審査すると発表した。
その瞬間、第八十八特務支援群は安全になったわけではない。
隊員の家族は脅迫を受け、設立国は関与を認めず、部隊は独立行動を停止させられた。三人が離脱申請を書いた。
しかし、死亡者名簿に残された名前を、政府が再び存在しない者として扱うことも難しくなった。
暴露は秘密を奪った。
同時に、設立国が捨てるために残していた匿名性も奪った。
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六 署名が変えたもの
同日午後六時、第八十八特務支援群の暫定地位協定が署名された。
三十日間、公国軍統合幕僚委員会の作戦統制を受ける。
独自の越境作戦を停止する。
捕虜と押収物を共同登録する。
違法行為の疑いは、公国と設立国の共同調査へ付す。
過去の任務を包括免責しない。
協定は、部隊を潔白にしなかった。
便利にも、速くも、自由にもしていない。
むしろ命令書を増やし、出発を遅らせ、押収品へ二種類の番号を付けさせた。
変わったのは、失敗した後だった。
捕虜をどこへ渡すか。
民間損害を誰が払うか。
隊員が捕まった時、何者として扱うか。
死んだ時、誰へ通知するか。
協定は正解を保証しなかった。
質問を受け取る机だけを決めた。
地位協定の後、隊員には二種類の身分証が発行された。
一枚は公国領内での武器携行と施設立入りを認める任務証。
もう一枚は、負傷、拘束または死亡時に適用する身分、連絡先および医療情報を記した封印票だった。
前者は検問所で見せる。
後者は、本人が見せられなくなった時に開く。
武器の製造番号も、車両の移動も、任務ごとに登録された。押収品には支援群の番号と共同監察団の番号を併記した。
現場からは、紙が増えすぎたという苦情が出た。
法務官は一部を簡略化した。
廃止はしなかった。
紙が一枚もない状態へ戻れば、次に消えるのは紙ではなく、使った人間の責任だからである。
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七 医療区画の四人
Day 80、アルシェール国際会議区が襲撃された。
電力、通信、航空燃料を短時間だけ止め、偽の警備命令と正規装備を使って代表団、司法宿舎、証拠保全室および医療区画を同時に攻撃する作戦だった。
空港医療区画へ入った救急搬送車には、負傷者ではなく四人の武装者が乗っていた。
車両は本物の救急庁紋章を付けていた。
白衣も、搬送経路も、会議区の石粉も用意されていた。
襲撃者を見分けたのは所属章ではない。
負傷者を運ぶ重量に対して、後輪の沈み込みが浅かったことだった。
医療区画で交戦が始まり、第八十八特務支援群の警備班は格納庫側から進入した。倒れた者の手を一人ずつ確認し、搬送車を偽装車両として記録した。
この時、支援群は秘密の作戦をしていたのではない。
外国の医療区画で、公表済みの部隊が、任務命令に基づいて警備をしていた。
銃の種類は変わらない。
弾丸の速度も変わらない。
変わったのは、発砲後に提出する書類だった。
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八 評価
第八十八特務支援群は、法の外にいたから有能だったのではない。
有能だった部隊を、法の外へ置くと便利だったのである。
公国は、その便利さを完全には捨てられなかった。
帝国の攻撃は速く、通常の外交手続は遅い。国境を越える情報、航空機、人員を一つの部隊へ集める能力は必要だった。
ただし、必要であることは免責を意味しない。
秘密であることも、違法を意味しない。
部隊名だけで英雄か犯罪者かを決めることはできない。
行為ごとに記録し、救出した者と傷つけた者を別々に数え、必要なら同じ隊員を表彰台と法廷の両方へ立たせる。
それが、存在を認めた後の国家に残された方法だった。
第八十八特務支援群が最初に公然と受け取った装備は、新しい銃でも航空機でもない。
任務命令書だった。
影は、光の中へ出ても影のままである。
ただし光の中では、どこへ伸び、誰の足元から生じたかを記録できる。
それが、署名された影だった。




