第八話 東部の沈黙
クラシナの通信網が予備回線へ切り替わった頃、ドネヴァ占領軍司令部では、南部戦線の指揮権を引き継ぐ準備が始まっていた。
帝国が司令部に選んだのは、市街東端の旧製鉄所管理区だった。
厚いコンクリート壁を持つ管理棟。地下の防空壕。近接する貨物線。戦争以前からあった設備を、占領軍は有刺鉄線と土嚢で囲み、軍用通信塔を立てている。
その配置図が、西部司令部へ届いた。
送信者の名はない。
図面の余白に、鉛筆で一行だけ書かれていた。
――夜勤の民間作業員は、五時十分に退避する。
*
午前三時五十分。
作戦室の地図には、三つの目標が示されていた。
旧製鉄所管理区の占領軍司令部。郊外の軍用通信塔。鉄道貨物駅のうち、兵員と弾薬の積み替えに使われる東側側線。
「民間作業員の退避時刻は確認できるか」
ヴォロディミルが訊いた。
「別系統からも同じ情報が来ています」
ザハルチェンコが答える。
「ただし、現地の協力者と直接交信はできません。情報が古い可能性は残ります」
「ならば、目で確かめる。誤報で作業員を巻き込めば、次の配置図は来なくなる」
卓上には、四機のSu-34による攻撃案が置かれていた。
今回は長距離巡航ミサイルを使わない。攻撃機が低空から接近し、目標を識別して誘導兵器を使う。危険は増すが、古い情報へ高価な弾を投じるよりはましだった。
「ジュラーヴリクとソーコルが上空援護」
ソフィアが編隊表を指先でなぞる。
「私のSu-24MPが西側から妨害を掛けます。敵防空の捜索波を潰すのではなく、方位と機数の判断を遅らせる。持続は七分。欲張れば位置を割られます」
Su-24MPは並列複座機だ。左席の専任操縦士が飛行に集中し、右席のソフィアが航法と電子戦装置を扱う。
「七分で足りるか」
「足りる形にしたのが、この計画です。長居したいなら、陛下だけ残ってください」
「君は時々、敬語の使い方を間違えるな」
「通じているなら仕様です」
シェレメートが口元を緩めた。
「相変わらずだね〜」
「あなたは無線で伸ばしすぎないように」
「善処する〜」
「もう失敗しています」
ソーコルは何も言わず、目標写真を見ていた。
「何かあるか」
大公に問われ、短く答える。
「司令部北側に学校があります」
「攻撃軸を南へ寄せる」
「了解」
ヴォロディミルは三つの目標を承認した。
「ドネヴァは、俺の経歴では故郷ということになっている」
地図の上で、指が一度止まる。
「本当の記憶かどうかは、今も分からない。確かなのは、現地の協力者がいなければ、この作戦図は一枚も埋まらないということだ」
*
午前四時四十八分。
四機のSu-34は地形に沿って東へ進んでいた。
シェレメートとソーコルは高度を取り、攻撃隊より先に空域へ入る。
『敵戦闘機、二。北東から接近』
ソーコルの声が入った。
帝国軍のSu-30SMだった。
『攻撃隊は進路維持〜。こっちは私たちで受けるよ〜』
二機の護衛は左右へ分かれた。
先に撃てば、帝国機は回避し、その間だけ攻撃隊から離れる。撃墜そのものが目的ではない。
ソーコルが中距離ミサイルを一発放つ。
先頭のSu-30SMがチャフを散らし、降下した。二番機は編隊を崩さず、シェレメート側へ回り込む。
『律儀だね〜』
シェレメートは上昇し、敵の機首を自分へ向けた。
その間に、四機のSu-34が南側の進入線へ入る。
*
『妨害開始』
Su-24MPの右席で、ソフィアが複数の偽目標と雑音を帝国側レーダーへ重ねた。
画面を真白にするほど強くはない。
西から来る編隊が六機なのか十機なのか。高度を上げたのか、地形に隠れたのか。その判断を数十秒ずつ遅らせる。
その数十秒が、攻撃隊には距離になる。
『第一目標を視認』
先頭のSu-34が、旧製鉄所管理区を光学装置で拡大した。
北門から作業着姿の人々を乗せたバスが出る。二台、三台。最後の一台が交差点を曲がるまで、編隊長は兵器を選択しなかった。
『民間車両、退避を確認。南側から攻撃する』
誘導爆弾が投下された。
第一弾は管理棟の通信室。第二弾は地下指揮所の出入口。第三弾は非常電源棟へ落ちた。
建物全体を崩すのではなく、外部との接続点を切る。
二番隊は通信塔へ対レーダーミサイルを発射した。発振を止めた移動式防空車両には撃たず、塔の送信設備だけを狙う。
四番機が鉄道貨物駅を確認する。
軍用側線には弾薬車が並んでいたが、その西隣を民間の貨物列車が通過中だった。
『第三目標、待つ』
『妨害、残り二分』
ソフィアの声は平坦だった。
『列車通過まで四十秒』
『四十秒なら払います。八十秒は払いません』
貨物列車の最後尾が安全距離を越える。
四番機は一度の航過で、軍用側線の分岐器と弾薬列車の機関車へ二発を落とした。
先頭の貨車が脱線し、後続が折り重なる。すぐには誘爆しなかった。だが、機関車から漏れた燃料へ火が移り、攻撃隊が離脱した後も弾薬車の温度は上がり続けた。
『全機、離脱』
*
上空では、帝国のSu-30SMが二手に分かれていた。
一機はソーコルの攻撃を避けた後、低空のSu-34を追おうとする。
ソーコルがその内側へ入った。
『行かせない』
短い警告の直後、二発目が放たれる。
帝国機は急旋回したが、間に合わなかった。右主翼付近で弾頭が炸裂し、機体から火が上がる。前後の射出座席から乗員二名が相次いで脱出し、二つの白い落下傘が開いた。
もう一機はシェレメートと正面で交差した。
『帰ったほうがいいよ〜。今日の仕事は、もう終わってる〜』
返答はミサイル警報だった。
シェレメートは機体を捻り、チャフとフレアを放つ。追尾を外した後、敵機の後ろへ回れる位置にいたが、撃たなかった。
Su-30SMは東へ離脱していく。
『追わないんですか』
ソーコルが訊いた。
『攻撃隊を帰すほうが先〜』
『了解』
六機は西へ進路を揃えた。
*
ドネヴァ占領軍司令部は、地下区画そのものを失ってはいなかった。
だが、地上回線、予備電源、衛星中継への接続を同時に切られた。
通信塔は沈黙し、鉄道の軍用側線は使用不能となる。
司令部が外部との通信を回復するまで、四十七分かかった。
その四十七分間に、何者かが郊外の軍用線路を二箇所で切断した。
拘置施設からは、移送予定だった住民二十六人が姿を消した。
その一方で、攻撃から一時間後に弾薬車一両が誘爆した。衝撃で旧製鉄所西側の窓が割れ、帝国側の救急無線には民間人を含む負傷者の搬送が記録された。人数は公国側には分からなかった。
帝国側の記録には、ただ「現地協力者による破壊活動」と残った。
*
「壊滅ではありません」
帰投後、ソフィアが報告書を読み上げた。
「予備通信は回復。司令官の生死は不明。ただし東部軍の命令発出は遅延し、鉄道輸送は少なくとも二日止まります」
「四十七分で、二十六人は出せた」
ヴォロディミルは、救出された二十六人の名簿を閉じた。
名簿の入手経路も、救出した者の名も書かれていない。
東部の沈黙は四十七分で終わった。
翌朝、占領軍は製鉄所周辺へ非常線を張り、鉄道員、電気技師、救急職員を一斉に拘束した。救出された二十六人と引き換えではない。そう説明できる交換比ではなかった。
公国が作った四十七分を、現地の者は利用した。
帝国もまた、その四十七分から学んでいた。




